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Freaky Freaky GAMEFREAK #1 Red & Blue Singularity

作者:ワンコインイワンコ

 

 洗練されたデザインの箱を置く。
 俺は大きく息を吐いてから、透明な丸シールを剥がしにかかった。箱を支える掌が汗ばんで、何度もTシャツで拭う。どうにか封印を解いて、震える指で蓋を開く。
 スポンジに埋まっているメガネを、慎重に取り出した。
 丹塗りの柄を広げ、耳に通す。サングラスよりも大きな両眼一体型レンズが俺の視界をくまなく覆う。右側の丁番の位置にある電源ボタンを押すと、目の前に『ようこそ』の文字。高まる心拍数を抑えつつ、ディスプレイの奥へと目を凝らした。マウスを手繰り寄せ、PCとメガネを接続する。
 もういちど、深呼吸。俺はチェアの背もたれへ体を預けながら、目を開いた。

 リオルが、いた。

「やぁば……!」

 声が漏れた。
 3頭身の幼げな体型に、ちょんと飛び出たマズル。頭の側面から垂れる、波導を感知する房。青と黒の毛並みはポッ拳にも匹敵するほどの緻密さで、思わず手を伸ばした。きょとんとした愛らしい頬へ指が沈みこむ。触れられない。触れられないが、予想以上のリアリティだった。
 もちろん、現実世界にリオルはいない。俺の装着したスマートグラスが、視界にリオルの高解像度ホログラムを投影しているのだ。
 任天堂が発売したばかりのNintendo GameGlass――通称『GGメガネ』は、本当にポケモンをこの世に生み出してしまった。Pokémon GOと連動させれば、相棒はスマホの画面を飛び出し、あたかも実在するかのように部室の机へ腰掛けてくれるのだ。
 それに……と思い出し、俺はキーボードを叩く。『はじめまして、マスター』。5秒後にセット、送信。俺はリオルに向き直って、言った。

「や、やぁ……」
『はじめまして、マスター』
「ワ、ワァ……! はッはッはッはっ、ふンにゃ〜〜〜」

 VOICEVOXのずんだもんより流暢な推しの合成音声に、尊さの限界点を破壊されたオタクの悲鳴が響く。およそ他人に聞かせられたものではないが、気にしなくていい。昨今のコロナ禍のせいで大学の授業はほぼオンライン化、サークルの定例会も直近3回はリモートで済まされている。夏休みにわざわざ5畳もない部室まで足を運ぶのは、近くの安アパート住みで冷房代をケチりたい俺くらい。そう、ここは俺とリオルだけの天国なんだ!

「なーにやってんの」
「んニャぁあああッ!?」

 背後からの声に、椅子から盛大に転げ落ちた。俺が大きく動いたせいか、リオルの立体映像は掻き消えてしまう。
 ドアの前で、ポケモンサークルの同期、藍夏(アイカ)が手をひらひらさせていた。ウェーブがかった黒髪を垢抜けた感じで左右に分け、いつもの青いヘアバンドで留めている。

「お。ニコくん、さっそくメガネ買ったんだ」
「……ま、まあな」
「赤色だ。似合ってるじゃん」

 慌てて立ち上がりチェアを戻すと、藍夏は「ありがと」とPCに向き合った。9月に入り剣盾のレート戦は伝説や幻のポケモンまで使用可能になり、ほとんどの部員はW大との交流戦に向けて今ごろ最終調整に追われているはず、なのに。……部室のドアは開閉音もしなかったが、いつからいたんだ。藍夏にはリオルが見えていないから、PCの前でひとり悶えている奇人に出くわしたことになる。なんかごめん。
 藍夏が首だけで振り返った。

「ところでさ、GGメガネってVRもできるの、知ってた?」
「え、ポケGOってARの技術だろ」
「ふふん。ゲーフリの開発力、ナメないでほしいな」

 なんとも羨ましいことに、彼女の父親はポケモンを制作している会社、ゲームフリークのチーフプランナーを長年勤めている。部室のPCは2年前に発売されたばかりのモデルだが、これも藍夏が譲り受けたものだ。そういや夏休みが始まる前、パパの作った新作のα版テスターやるんだー、とか自慢していた気もする。

「おお……」

 藍夏の操作で表示されたインストールバーが100%へ達すると、ディスプレイの透過率が下がり薄暗い部室はほとんど見えなくなる。代わりに視界へ広がるのは、3DCGの森を抜ける1本道。
 試しにその場で足踏みしてみると、手前側の木々が俺の背後へ流れていく。伸ばした腕の位置に肌色のテクスチャが重なり、曲げた俺の指が画面内に落ちているきのみを拾い上げる。トラッキング機能完備でコントローラーいらずだ。
 操作性を確かめていると、唐突に声がした。

『初めまして。私がこの世界を案内する人工知能、AI(アイ)と申します』
「こ、こいつ直接脳内に……!」
『テンプル部に内蔵された超小型スピーカーから出力しています。ご心配なく』
「へー……。あっ会話もできるんだ」
『もちろん。チュートリアルを続行してください。あなたの言動や反応、筋活動の癖などからあなたに合った最適なVRアバターをご提案します』
「科学の力ってすげー……」

 フワンテが枝に絡まっている。背伸びをして、腕を解いてあげた。リングマが道を塞いでいる。……遠回りしよう。坂道をゴローンが転がってきた! 端によけてウソッキーのふり。20分は経っただろうか、夢中になって遊んでいるうち、肌感覚もだいぶ馴染んできた。
 そういや藍夏は何やってんだ? 振り向いて目を凝らす。森に重なってうっすら見える、PCへ向かう彼女の黒髪。さっきは急に声をかけられ、尻尾を踏まれた猫みたいな悲鳴をあげてしまった。……くく、お返しだ。無防備な肩めがけて、俺は手を振り下ろした。

「よッ!」
『はい。なんでしょう』

 果たして彼女は振り返った。肩へ乗せようとした俺の腕がめり込んだまま、ぐりんッ。藍夏の首が180度、回転した。あまりの衝撃に固まった俺、その顔を覗きこむ瞳はあり得ないほど大きく見開かれ、蛍光色のイエローに妖しく輝いている。






 ざぁ、ざあぁ。
 波の音。暖かな空気。目を開けようとするも、猛烈な西陽に顔を顰めた。

「起きてください」

 声に促されるまま、のそ……、体を持ち上げる。頬についた砂を拭おうとして、尻の筋肉が勝手に動いた。ぽふ、と枕のような柔らかい、ピンク色をしたものが当たる。……なんだ、これ。光に慣れた目で追いかけているうち、手が前へ。足も前へ。その場でぐるぐる回ってようやく気づく。視界がやけに狭いのは、そういう種族だから、らしい。

「エネコに……なってる……」

 この状況、ピンときた。『空の探検隊』と同じOPだ!
 ということは、俺を起こした声の主は……。

「お目覚めですか」

 待ってました! と顔を上げた先にいたのは、ケミカルな赤と青のツートンカラーで、つるりとした質感の浮遊体。ポリゴンZだった。
 ポリゴンZ。

「……なんで?」
「はて。なんで、とは?」
「いや……え? 俺、ずっと相棒はリオルって決めてるんだけど……」
「さすがニコさん、もう冒険を始めるつもりですね。順応が早い」

 丁寧な割に軽薄な口調と、ゆっくりとした明滅を繰り返す同心円状の瞳。それらが俺に部室でのホラー体験を思い出させる。

「そ、そうだ……、部室で、あれ、あのあと、どうなったんだ……」
「先ほどの藍夏は、あれはホログラムですよ。わたくしAIが、ニコさんのメガネをハックして視界へ投影したものです。声までそっくりだったでしょ? ……ったく、案内役としてあなたを誘導しているとき、いきなり後ろから声をかけられたものですから……ついポリゴンZの可動域で首を動かしちゃったじゃないですか」
「つい、じゃないだろ! ビビって心臓止まったかと思ったぞ! ……ってかここ何? 天国? いや確かに天国だけど、何がどーなってんの?」

 喚き立てる俺に、やれやれ、とAIは首を振る。やはり可動域は広い。

「ここはゲームフリークが開発中のメタバース空間です。Switchに続く次世代機がまさに、ニコさんの購入したNintendo GameGlassなのですよ。これからはVRの時代。見てください、背景もキャラもエフェクトも、現実より鮮やかでしょう。従来のGPUから飛躍的に向上した演算機構が、驚異的なポリゴン数の高fps描画を可能にしているのです! ……あ、ポリゴン数というのは、私の数ではなくてですね」
「いや分かるけど……。VRにしては、こう、リアルすぎるっていうか」

 俺はエネコの尻尾を回して顔を撫でた。着けていたはずのメガネがない。というか尻尾の扱いや関節の使い方が、はなから四足歩行だったかのように違和感ない。潮の香りも波の音も、肉球に感じる砂浜の温かさも、夕陽だって泣けるくらい美しい。

「さらに難しい話になりますが」AIは流暢にまくし立てる。「かつてK大学のE名誉教授が、スピリット・トランスファという革新的技術を発明しました。人間の精神をアルゴリズム化するそれは臨床実験に成功したものの、実用化までには至らなかった。事故の危険性が拭えない、と医学界から揉み消されたのです。しかし秘密裏に流用され、それはゲームフリークのエンジニア――北川夏雄氏の手に渡った。入念な安全性評価の末このように実装されました。GGメガネでニコさんの脳波を測定・解析することで、精神は元の肉体を離れ、VR空間上のオブジェクトへ一時的に移行されたのです」
「ほへー……」
「超高精細なARにVR、淀みなく話す人工知能、そして精神移植。シンギュラリティの到来はゲームフリークの技術力によって実現するのです! ……さあ、まずはこの生活に慣れましょう。いざプクリンのギルドへ」
「待った」

 調子のいい口車に乗せられかけたところで、俺の耳が前へ傾いた。エネコなりの警戒の意思表示らしい。

「どう考えても胡散臭いだろ」
「おや冷静」
「なんで俺を騙してまで、この世界へ連れてきたんだよ」

 AIの目がぐるぐると回る。どう説得するべきか演算、あるいはその正解を検索しているようだった。

「私は、テスターとしてこのゲームへ訪れた北川藍夏のパートナーとなるべく設計されたNPCでした。ともに手を取り合い、世界を救う大冒険の果てに、こうして自我を目覚めさせてくれた。……しかし彼女は突然いなくなってしまったのです。ログアウトしたり、他のワールドへ移動した履歴も残されていません。探検隊バッジも反応しない。ドメインさえ指定されていないバグ空間の狭間で、藍夏は助けを求めているはずです」
「だから、人間の協力が必要なのか」
「まさしく。検索すら不可能なようでは、完璧な人工知能である私にもお手上げですから」
「完璧な人工知能?」鼻につく言い方に、俺の尻尾が砂浜を叩く。「部室で見せられたモノマネからしてお粗末だったし、ポンコツの間違いじゃないか。俺は初めから警戒してたぞ」
「私が振り返っただけで失神したのに?」
「……。名前だよ」
「というと」
「うちのポケサーでは、部員はお互いにハンネで呼び合ってるの。俺はみんなに『サトシ』って呼ばれてた」
「なるほど、人間はひとりの人物に対し複数の呼称を設定することがある……なるほど、成る程、成程」

 本名の丹琥(ニコ)から、丹→レッド→サトシ。呼ばれ始めた当初は歯痒かったが、2年目に入れば慣れたもんだった。だからこそ部室で藍夏に「ニコくん」と言われたとき、ぞくり、と背中がざわついたのだ。
 ……ってか、裏で藍夏はニコって呼んでるんだな、俺のこと。なんだかそれって、もしかして。

「藍夏、自身のアバターをどのポケモンに設定したと思いますか?」俺の動揺を見透かしたように、AIの瞳がニマッと歪む。「リオルですよ」
「……なんで?」

 俺がリオルへ異常な愛情を注いでいることは、藍夏も知っているはずだ。忘れもしない新歓コンパ、雰囲気酔いしてつい口を滑らせたせいで、とんでもなく凍りついた飲み会はトラウマになっていた。

「これは、単なる私の機械学習にすぎませんが」嫌な前置きをしてAIは続ける。「リオルにしか興味のないニコさんに、振り向いてほしかったから……ではありませんか。冒険のあいだ藍夏は、ニコさん。あなたの話ばかりしていました。おかげで私のメモリは嫉妬感情の処理で常にオーバーヒート寸前でしたよ」
「……マジかよ。アイツのそういうの、全然気づかなかった」
「なるほど、ニコさんは恋愛に疎い、と」
「余計なこと学習すんな!」

 夕暮れを閉じこめて煌めくクラブの泡を眺めながら、思う。怪しいし危険だろうし隣にいるのはポリゴンZだけど、まあ、悪い気はしない。なんせ目の前にはポケモンたちの天国が広がっていて、しかも初のモテ期まで来たんだから!

 この世界のどこかで、俺の相棒が待っている。

 

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