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翡翠の篝火

作者:OMUSUBI

 終わりは誰にも等しく訪れるが、その全てが幸福なものではない。
 時に自然という巨大な一に対して一つの命はあまりに脆く、その度に何度も無力感に打ちひしがれる。
 それでもと、青年は静かに手を合わせた。

「助けに行ったんじゃないんですか」
「……連れて帰ってくる、とは言いました」
「嘘だわ、信じない。きっと帰ってくるって……あの人は……」

 腰包みを胸に抱き、白髪混じりの初老の女性は膝から崩れ落ちた。背中を丸め、肩を震わせ、声にならない嗚咽を漏らす。己はただ、彼女の前に屈んで見つめることしかできなかった。
震える背中に伸ばしかけた手を、引っ込める。
何の気休めにもならないと、知っているから。
ぐ、と息と感情を呑んで立ち上がる。今は、己の役目に徹さなければならない。

「……遺骨は、こちらに」
「焼いたんですか」

 出来る限り落ち着いて、そう努めながら伝えた言葉が、遮られて詰まった。

「勝手に焼いたのですか、家族の了承も得ず」
「……はい。申し訳ありませんが、そう判断しました」
「どうしてそんなことが出来るのですか!」
「……奥様の仰ることは、もっともです」
「どうして、これだけ……どうして……?」
「……」
「ねぇ、どうして……どうして……!」

 どうして。何で。繰り返される問いに自分は答える言葉を持ち合わせていなかった。
 正しく言うと答えは知っていた。それを伝える勇気がなかった。

「そうすることしか……できなかったんです」

 消え入りそうな呟きは、路地を越えて聞こえる賑わいと眼前の慟哭にに搔き消される。曇り一つない空に朗らかな日差し。穏やかなヒスイの太陽に、青年はただ背を向けていた、

 コトブキムラの中心を走る通りの先に聳える赤煉瓦の西洋風建築。ギンガ団の本部の灯りはまだ絶えない。眼下の長屋の灯が一つ一つ消え、眠りについていく街を青年は見下ろす。

「ローーーック!」

 突然、背中に強い衝撃を受けて窓に額を打ち付けた。

「うわ、ごめん。そんなに無防備だとは思わなかった」
「ミコト先輩……」

 両手の持ち手付きの湯飲みに湯気が立つ茶をなみなみと湛えながら、青年よりもやや低い背丈の女性がわたっていた。今しがたかなり強かな蹴りを繰り出したにも関わらず、廊下の赤絨毯は濡れていない。……彼女の体幹の強さがよく分かる。

「聞いたよ、純白の凍土での捜索」

 お疲れ、とミコトが湯飲みを差し出した。しかし持ち手を掴んだまま差し出すものだから、とても受け取りにくい。湯飲みの端を摘むように持ちながら受け取り、持ち直す。まだ粗熱が残っているのではないかと思うほどに熱く、すぐに口をつけることはできそうにない。

「何だぁ、あたしの淹れた茶が飲めねぇってのか。ロク」
「先輩の茶は熱いんですよ。こんなのいきなり口付けたら舌火傷しちゃいますって」
「医療隊の所でチーゴの実、貰えばいいよ」
「ちょっと苦いんですよ……」
「お子様だねぇ、その苦みが良いんじゃないの」
「隠し味で使うのであって、普通単体では食べないですって」
 
ロク、と呼ばれる青年は大きな大きなため息をついた。
彼女、ミコトは豪胆と言うか粗暴と言うか……そういった言葉がとても良く似合う女性だ。仕事の先輩であり、上司であり、自分がここにきて間もなくの頃は指導役として面倒も見てくれていた。その頃の誼みで、自分が『今の仕事』を始めてからも度々声をかけてくる。根があまり明るくないことを自覚している自分にとっては、彼女の関りが鬱陶しく感じることもある。
 ため息を聞いたミコトは、笑いを笑みに変え、まだ湯気の立つ茶を口へ運び、小さく声を上げて湯飲みから口を離した

「骨ならさっき届けてきた。ちゃんと受け取ってくれたよ」

 ……彼女の関りが鬱陶しく感じることもある。それでも、こうして気にかけてくれていること、それに救われていることを感じるから、彼女からの関りを自分が拒むことは無い。

「……ありがとうございます」
「しかし、損な役回りを選んだね。この後輩は」
「誰もしてなかったことですし、しなきゃって思っちゃいましたから」
「ちゃんと帰るべき場所に送ってあげたい、ねぇ……分かるよ。分かるけどさ、今日みたいに相手からワーッと言われるのはさ、堪えるでしょ」
「それは……まぁ。でも、感謝されたくてしてるって事でもないですから」

 白昼の出来事を思い返す。一抱えに収まるほどの存在になってしまった夫の姿に、泣き崩れる婦人の姿が、今も目の前にいるかのように鮮明に浮かび上がる。くり返し投げかけられた問いかけも、慟哭も、嗚咽も、焼き付いて離れそうにない。ロクは小さく息をついて、努めて冷静に口を開く。

「それに……五体満足じゃない、食い破られた遺体を、連れては帰れないです」

 それは、自分しか見ていない光景。崖に引っ掛かっていた腰包み、崖下の雪の中に埋もれていた、とても人には見せられない無惨な遺体。咄嗟に湧き上がる吐き気を呑み込み、襟巻きを口まで引き上げ、相棒へと指示を出した。
 何が正しい行動かなんて分からない。すべて自分の判断で、自己満足でしたことだ。だから咎を受ける覚悟もしていた。

「そんなこと、できないですよ。そんなの、遺族に見せられない……それに、せっかくムラがポケモン達と一緒に歩き始めることができそうなのに……ポケモンが、悪者になる」
「……それなら、自分が咎められてもいいって?」

 ミコトから逸らした顔を、彼女が回り込むように覗き込む。ぎくりと強張った顔を見て、図星か、とミコトは笑った。

「なんって言うか……一人で背負い込もうとするなよ、ロクのくせに」

 おりゃ、と彼女が脇腹を空の湯飲みで小突く。思わず零した熱い茶が手にかかり、思わず湯飲みをひっくり返しそうになったところを、慌てて反対の手に持ち替えて事なきを得た。ばたついた様を見て笑いながら背を向けて階段へと向かう彼女の背を見送り、ロクは何度目か分からない溜息をついた。
 彼女がからかってくるのは自分がこうして考えすぎているときで、その度に心の内を読まれているようで……なんだか悔しくなってくる。
 窓の外に目を向ければ、いつの間にか村は全ての家の灯を消して眠りについていた。

 静かに、窓を開ける。冷たいヒスイの夜風が顔を撫でる。粗熱が取れた茶をゆっくり、ゆっくりと飲む。それはとても温かく、努めて抑えていた心までも徐々に解きほぐしていく。
 満天の星空と月明かりを枕に眠る村が、滲んだ。

「ばぁ」

 瞬間、穏やかな優しい声と共に、頭から背中にかけて温かい感触が覆いかぶさってきた。視界の端に映る黄白色の毛並み。己の下顎を頭に乗せるのは慰めてくれる時の彼の仕草だ。

「お前は気にしなくていいよ。……しかし、僕ってそんなに分かりやすいかなぁ、カガリ」
「くぅ」

 その炎が標となるように。そう願って付けた名を呼ばれたバクフーンが、目を細めながら喉を鳴らす。

 今日、連れて帰った彼の魂が還ることを願い、ロクは静かに手を合わせる。主の仕草を見たカガリもまた、主に体を預けながら手を合わせた。

 僕は、ギンガ団で唯一の『捜索隊』。

『帰れなかった者』を『在るべき場所』へ、帰す者だ。

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