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めぐり合わせ

作者:さんばし

午前三時の路地裏に足音が響いて、二人の男が歩いてきた。少し広めの通路に、何本かの薄汚いパイプと居酒屋の裏口がある。生ごみと冷凍食品のからがその辺に転がっていた。二人ともよれた黒服を着ていて、胸には赤いRの文字が入っていた。初老に入った童顔と、それよりは若い髭面だった。
「交代の時間だ」と初老が言った。「こいつら随分と眠そうだぜ、相棒」
「馬鹿言え」と髭面が言った。「寝ながらでも見張りぐらい朝飯前だ、みなさまは」
「やっと交代か」と若い団員が言った。くたびれ顔で瞼を擦っている。「起きろ。交代らしいぞ」
 何人かが、居酒屋の堅い鉄の戸にもたれかかってうたた寝していた。空にはようやく目視できるほどの薄い青が混じり始めていた。
「ええ? こんなガキ居たっけか」初老が暗闇に目を凝らして言った。
 髭面がそちらを見れば、銀色のダクトの側に小さな影があった。黒づくめで、帽子のつばで目を隠している。
「習いながら金を貰うんだよ」若い団員が言った。「私も貰いたいね」
「お子様用の団服もあるときた。可愛い組織になったもんだな、ここも」髭面が若い団員に言った。
「お前の服はだいぶよれてるぜ。ナンバーが消えてる」団員が言った。
「ナンバーが消える?」初老は首を傾げた。「新しく作ったんだ。消えてるはずねえが」
「新しく作った? 新入りはここの門番にはならないはずだぞ」若い団員は訝しげに聞き返した。
「無駄口はよせよ」と髭面が言った。「交代だ」
「冗談に決まってるよ、お前さん」
 童顔がへらへらしながら言った。若い団員は後ずさりしながら、腰にあるボールに手を伸ばそうとしていた。何か言おうともしていた。寝ぼけ眼を擦りながら、周りの団員も目を覚ましかけていた。
「落ち着けよ」と二人目が言った。若い団員の手が止まった。髭面が、もう手持ちを出していた。すぐに羽音が響いて、若い団員の腕に大きなトサカの鳥が留まった。
「こっちに来てくれると助かるな、姉ちゃん」
「何のつもりだ? このポケモンはどうした」若い団員が声を低くした。
「こっちに来てくれると助かるんだが」
「ロケット団だぞ、私たちは」若い団員は叫んだ。
「だいぶ間抜けな方のな」と初老が茶々を入れた。
「こっちに来なよ、綺麗なお顔が月みたいになっちまう」髭面の男が言った。団員の腕にはケンホロウの爪が食い込んでいた。
「どういう意味だ、そりゃ」と初老の男が言った。長い縄を手に持って、「そら、寄れ、寄れ」と言いながら、彼は寝ぼけ眼の団員たちのボールを集めて回った。
「顔が穴ぼこだらけになるぞ、ってこった」
「なるほど。うまい例えだ」男は笑いながら舌を打ち鳴らした。扉の前にいた団員たちは皆きつく縛り上げられていた。
「連絡機は壊すか」と髭面が言った。
「いや、そのままでいい。警報が鳴り響いて、見張り役も幹部も叩き起こされるのさ。朝の三時だぞ?楽しみを提供してやらにゃ」
「まあ、そういう訳だ」若い団員に向かって彼は言った。若い団員は本部に信号を送って、苦々しげに、なぜこんな事をする、と聞いた。段々と騙されたことを理解し始めていた。時間を稼ごうという魂胆だった。
「当ててみなよ、姉ちゃん」初老がにべもなく言った。「別に逃げやしないさ。お友達が来るまでの暇つぶしにはなるぜ」
「おい、ガキはどうした」と髭面の男が聞いた。
「ガキは縛れねえや」
「どこにいる?」
「それはほら、そこよ」初老は暗闇に紛れた小さな影を指さした。髭面は屈みこんで闇の中をじっと見つめた。煤けたランプの遠い光が子供の目に反射していた。
「俺の顔見てやがら。大したガキだぜ、こいつは」
「ちょっとやりゃ一発だ」初老が言った。
「よせ、ガキ一人居てもいなくても同じだ」
「ちょっとやりゃ一発だよ、ちょっとやりゃさ」
「こっちに来いよ、坊主」髭面が呼ぶと、子供はゆっくりと近づいてきた。
「堂々としてら」
「何してる、助けを呼んでこい」若い団員が怒鳴った。だが、子供は帽子のつばを下げて団員が見えないようにしていたし、怒鳴り声にひるむ様子もなかった。その様子は人形のようにも見えた。
「お前、呼んでこねえのかい」髭面が聞いた。
「助けは来ないよ」と子供が言った。男にしては高いし、女にしては低い声だった。「中で全員気絶してる」
「そりゃどういうことだ。皆おねむってか」初老が言った。
「僕がやった。確かめてみるか」
「大人をからかうもんじゃねえよ、なあ?」
「いや、大したガキだよ」髭面が言った。彼が目線をやると、ケンホロウが鉄の扉を蹴り破った。暗闇に長い階段が伸びていた。「仰せの通り、確かめてみるとするか」髭面はケンホロウを伴って階段を下りて行く。
「見張りは誰がやると思ってんだ、あいつは」初老が悪態をついた。
「逃げやしないよ」と子供が言った。「あんたの相方は驚いてるだろうね」
「おめえは何者だ? なんでそんな恰好をしてる」初老は子供を睨め付けながら、首をぽりぽり掻いていた。
「親父が研究員だったんだ。ロケット団の。僕だって睡眠ガスくらい作れる」
 すぐに階段を上る足音が聞こえてきて、二人はそちらの方を見た。髭面がひしゃげた鉄の戸の側に立っている。大きな袋を持っていた。
「おい、奴らほんとに倒れてたぜ。このガキはなんだ?」髭面が訊ねた。
「学者様の子だと。利口な訳だ」初老は言った。「しかし、お前は何がしたいんだ? 仮にも親父がいるんだろ」彼は帽子のつばをちょっと上げて、子供の顔が見えるようにした。中性的な顔立ちで、眼鏡を掛けている。髪は薄い紫、眼鏡は細い金色の蔓だった。
「ロケット団を潰してやりたい」と子供が言った。「二人が来ることは分かってた。僕を強くしてほしい」
「なんでロケット団を潰したい」初老は真面目な顔で言った。「父ちゃんが過労死でもしたか?」
「もう両親はいないよ」子供が言い返した。
「みなしごの復讐か」髭面が目を細めて言った。
「俺も親なしだった。大したガキだよ、おい。強くなりたいってか? お利口さん」初老はぬっと顔を近づけた。
「利口で、しかも優等生だ」
「眼鏡を掛けてら」初老が言った。
「ママのお腹の中から眼鏡を掛けてんだろうぜ、きっと」髭面が呟いた。
 ケンホロウが甲高く鳴いてロケット団の一人をつっつき回した。小さな十徳ナイフがロープの側にからんと音を立てて落ちた。団員が急いでそれを拾おうとした時には、髭面の爪先が彼の脇腹に食い込んでいた。男は膝から崩れ落ちて、その体は壁に叩きつけられた。
「このガキはどうすっかな」初老が言った。彼は懐から煙草を取り出して火をつけた。煙をぷかりと吐き出して、それが換気扇に溶けていくのを見ていた。じりじりと燃える光がダクトのガルバリウム銅板に反射して、その光がまた子供の目に反射した。髭面は黙っていた。少年を値踏みしているようだった。
「ついていきたいんだ」少年は髭面の男の目を見つめた。髭面の目は灰色で、迷っているようにも見えた。
「子守りじゃねえんだ。悪党だぞ、俺達は? シノギが被るからロケット団を襲ってんだ」
「悪党だって構わないよ。あんた達は強い。見れば分かる」少年が言った。
「どうするよ」
 初老は天井を仰ぎ見て、しばらく考えていたが、やがて諦めたような溜息をついた。
「いくら掛かるんだ、子守りってのは」
「大して掛からんぜ」
「んなはずねえよ、お前」髭面が顔をしかめた。
「いや」と髭面が言った。「もし本気なら、学者様の子供だ。それは手前で稼ぐさ、なあ?」髭面が聞くと、子供が頷く。
「バトルならできる」
「だとよ」
「手持ちを見せてみな、優等生」初老が言った。子供がボールを投げると、紫の毛をした小さな鼠が飛び出した。鼠は空中でくるりと回って床の上に降りた。それから鼻をひくひくさせて、ゴミ漁りをするケンホロウに毛を逆立てる。小さなコラッタだった。
「コラッタ一匹だけか?」髭面が言った。
「"とびきり強いコラッタ"が一匹だ」子供は胸を張った。初老が頭を掻いた。バトル以外の特技を探してみねえとな。
「頭の出来はどうだ? 映画見たことはあるかい」
「知ってる。映画館で見たことはない」
「駄目だな。もっと見ねえと駄目だよ、優等生は」初老は言った。彼は短くなった煙草をコンクリートに落として踏みにじり、大きな咳をする。ポケットをまさぐって、再び潰れかけた箱に入った煙草を取り出した。ライターを何度も押して、ようやく火がついた。
「何なら見たことがあるんだ、お前は?」苦戦する初老を見ながら髭面が聞いた。
「舞台なら沢山見たよ。『ゴドーを待ちながら』とか、『ハムレット』とか」子供が言った。
「舞台なんざ見たこともねえや」初老が煙を吐き出しながら言った。不機嫌そうだった。子供は小さく眉をひそめた。煙草の匂いが嫌いなようだった。
「頭は切れそうだな」髭面が言った。ケンホロウは長い間ゴミ袋をつついていたが、やがてコラッタの存在に気付いた。べとついた嘴を大きく開き、小骨の刺さった翼で羽ばたく。コラッタは驚いて飛び上がり、腐ったきのみに足を滑らせながら慌てて逃げようとする。それをケンホロウが追いかける。街の片隅で、二匹のポケモンが滑稽にぶつかり合う。それを三人がじっと見ていた。
「拾ってみるか」初老が言った。「お前、名前は?」
「分からない」子供が答えた。
「名前がないのか」初老は煙草を地面に捨てて踏みつけた。「ユウってのはどうだ?」
「後で決めりゃいいや」髭面が言った。彼はのろのろと立ち上がって、分捕った金品がたっぷり入った袋を担いだ。
「おい、ユウ」初老が言った。「金はあるか?」
「ないよ」子供が言った。「でも、あんたらの言うことを聞くよ」
「こいつは驚いたね。お利口さんだよ、まったく」髭面は肩をすくめた。
 彼らは路地裏を出て、車のある方を目指した。背後からロケット団の喚き声が聞こえてきた。彼らの車は紺だった。窓にはスモークが貼られている。ナンバーは無い。四角いシルエットの、角が目立つ無骨な車だ。車体の色はくすんでいたが、屋根は新しかった。助手席に初老、運転席に髭面、後部座席の真ん中に子供が座った。彼らが乗っている車の他にも、車が三台停まっていた。
「仕事の後は腹が減るな」ハンドルを握りながら髭面が言った。
「料理できんのか、優等生は?」初老が言った。大きな音を立ててエンジンが唸り始めた。
「少しなら」子供が言った。
「アジトに戻ったら、たっぷりソースがかかったコロッケが食いてえや」
「じゃあ、俺はクリスピー・チキンだ」と髭面が言った。
 三人を乗せて、車が走り出した。もう朝が近づいていた。

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