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少年と相棒と友達と異世界から来た小さな師匠のお話 第一章【SLASH】―1―

作者:オヒアレフア

「暑いねえ。あ、ヒメリ食べる?」
 「まだ夏休みまで暫くあるのになぁ」、なんてぼやきながら肩からさげた鞄に手を突っ込んで、傷薬の容器等を掻き分けて小さい木の実を取り出すと、水面をパシャパシャ波乗りする相棒と遊んでくれていた長い触手の一本がそれを受け取った。
 触手が木の実を持って水中へと戻っていく様を見ながら、海の上ならばもう少し涼しいかと思っていたが失敗したな、と自分達を頭の上に乗せて泳いでくれている巨大な異形の海月に感謝しつつも彼はそう思った。
 陽は落ちて暫く経つと云うのに、ねっとりと纏わりつく様な暑さはまだまだ健在で、そしてそれは彼らが漂う海上であってもそう変わらなかった。
 セキチクシティの南に位置する19番水道をゆったりとした速度で移動している、十歳の少年『末次 勇人(すえなみ ゆうと)』と相棒のコソクムシ『エオ』。
 ジムバッジを求めて旅しているわけでもない普通に学校へ通う彼らの、夜の散歩のお供は。水面を走る様に波乗りする相棒の横で、ゆらゆらと泳ぐ『ジェリ』と彼が名付けた野生のメノクラゲ。そして彼を頭に乗せて悠々と泳ぐその母親であるドククラゲの『ジェリママ』の母娘である。
「ありがとね『ジェリママ』。けど浜辺に立入禁止って、どんなポケモンが出たんだろう」
 自身を乗せてくれている巨大な異形の海月の、水分を多分に含んでいて柔い頭を撫ぜながら彼は独り言ちる。普段ならば、夜間も特に立ち入りに制限等はかけられずトレーナーが水タイプのポケモンを求めて釣りをしていたりするのだが、今日は違った。
 ニュースで見るような黄色いテープが張られ、幾人かの警官がそこに立って見張っていたのだ。曰く、危険なポケモンが出たとの事だが、詳しくは教えてくれなかった。
 というか、危うく補導されそうになったので慌てて其処から離れたのだ。そして、行こうとしていた場所に入れず途方に暮れながら18番道路から海を眺めていたら、それを丁度通りがかった海月の母娘に発見されて今に至る。
 慣れた様子で人を乗せて泳ぐこのドククラゲだが、どうもトレーナーに連れられていた経験があるのか、人の言うことを多分に理解しているようであり、他の野生のポケモンが徒に人を襲おうとするのを番と共に止めようとしたりしているのを、偶に彼とコソクムシは目撃している。
 そんな、ドククラゲ一家と彼らが仲良くなった契機は何だったかと云えば、野生のポケモンに負けたのかそれともトレーナーのポケモンバトルの練習相手にでもされたのか三体全員ボロボロになって浜辺に打ち上げられていたのを見つけて、ポケモンセンターへ運んで治療してもらった、という程度のもの。
 落ちている物は取り敢えず何でも食べてみる相棒が、食べられないからとくれるモンスターボールや傷薬が無かったら間に合わなかったかもしれないし、こんな風に頭に乗せてもらえる事もなかっただろうと彼は食いしん坊な相棒の事を誇りに思う。
 そして治療後に野生に返したので、彼女達のトレーナーでもなんでもない彼やその相棒に親しげにしてくれる事も嬉しく思う。
 しかし。
 此処、カントー地方では見ることは珍しいコソクムシと云うポケモンを連れている事も。
 野生のメノクラゲ、ドククラゲと仲が良いことも。
 学校ではあまり意味がない。
 彼には可愛らしく思えるし、確信すらしているが、如何せん異形のフナムシと海月達である。同じく別地方のポケモンを相棒にしていると云うなら同級生の、見た目も格好良いアブソルの方が明らかにチヤホヤされている。更に、上級生どころか中高生にもバトルを仕掛けて勝ってしまうのだから、バトルが弱い彼と相棒に勝ち目はない。
 そして、コソクムシも海月達も全員愛嬌たっぷりだと思ってもいるが、これは他人には分かりづらいらしい。此方は別の同級生の分かりやすく陽気で、しかも発声機能で会話すら出来るスマホロトムの独壇場。更に持ち主は学校の誰よりもポケモンに詳しい。
 授業は真面目に聞いているが、学級委員のあの娘の様に成績が良いわけでもなく、かといって運動が得意なわけでもない。
 そもそも、『エオ』や海月達でない自分の長所と云うものが無い。
 ということに自宅で宿題中に急に思い至った彼は、どうしようもない劣等感に苛まれ悩んだ挙げ句に気分転換に海でも見ようと出てきた結果の今である。
 周囲に誰も居ない海上で楽しそうに友達とチャプチャプ泳ぐ相棒や、プニとした海月の感触に癒やされて彼は、大分遅くなってしまって帰ると親に怒られるな、と少し冷静になって身震いした。携帯電話は家に忘れてきたので連絡も出来ない。更には、明日も学校がある。宿題が終わっていない。
 同時に、夜に大人と一緒にではなく海上に居る事や、警官が怖い顔を追い返す程の危険なポケモンが出ている事。更には学校で噂されているくねくねと手足を動かしながら近づいてくる頭の無いピエロの話までもが思い出されて粘つく潮混じりの暑さの中で冷や汗が滲む。
 だが。
「ねえ、浜の方へ行こう」
 怖気づいたら短所だけが増えてしまう気がして、彼は提案する。誰からも却下される事もなく、進路が変わる。
 段々と19番水道の浜の方へと近づいて来て、大きな水上岩も点在する岩礁の多い海域が見えてくる。
 彼が、臆病で誰よりも危険察知に長ける相棒が何も反応しないという事は、そんなに怖がる事は無いのかもしれないな。と思った、直後。
 ピギィ! と突然悲鳴を上げて凄まじい勢いで相棒が駆け上がって、彼のシャツの中に逃げ込んで来る。
「ちょ?!」
 刹那後。夜闇を塗り替えて視界総てを白く焼く激光と、それに僅かに遅れて轟く爆音が彼らを襲う。
「ひぃッ」
 眼を瞑り、耳を塞いで蹲る様に丸くなる彼。その躰をひんやりとした何かが優しく包むのを感じて、何故か少し安心する。
 意を決して眼を開けると、彼を優しく包んでいたのは大海月の触手だった。
「ありがとう。皆、無事?」
 庇ってくれた礼を言い、誰も怪我等していないか確認する。幸い、無事なようである。
「今のは」
 何だったのか。そう言い終える前に、彼らの目の前に幾多もの触手が海中より飛び出てきた。
「ッ?! ……『ジェリパパ』?」
 進行方向を塞ぐ様に海面にザパァと広げられた数多の触手。その持ち主は、彼を乗せてくれているドククラゲの番の雄だった。
「どうしたの? ……さっきの凄い光と音の事?」
 父親の登場に、母親の触手に隠れていた仔海月がゆらゆらとそちらへ泳いでいって嬉しそうに触手を絡ませるのを視界に入れつつ彼は問う。
 それに、低く鳴いて応える雄のドククラゲ。一本触手を浜の方へと指して、他の触手で彼らの眼前を塞いでくる。
 更に。雌のドククラゲが補足する様に、触手を交差させてバツ印を作って彼の眼前へ見せてくる。
 浜に行くな。そういう事なのだろう。
「……うん。わかった。でも、あの岩に隠れてで良いから何が起きてるのか見たいんだ」
 考えるまでもなく先の光と轟音が起きる様な異常が浜で起きているのだろう。というか先の程ではないが閃光と音が、断続的に発せられているので現在進行で起こっている。勿論、そんな恐ろしいであろうものに彼も相棒も近づく気なんて無い。
 だが。僅かな好奇心と蛮勇が、彼にそんな事を言わせてしまう。シャツの裾から顔を出した相棒と眼が合う。明らかな恐怖と、しかし彼と同じものを宿した視線。
 そんな、彼とそのシャツの中に居るコソクムシの視線に、海月達は少し逡巡した後に、彼の示した岩よりも浜から遠い物を指して泳ぎだす。
「ありがとう。見るだけだから」
 そして。異形の大海月達を確りと隠せる様な大岩の陰から見えたものは。
 尋常ならざる光景だった。
 夜闇に幾度も紫電が散る。幾重も火花が散る。金属同士がぶち当たる様な聞いたことのない音が響き、殺意の籠った幾多もの猛り声が轟く。
 そして、怒号めいた男の声がそれに混じる。
 遠くて判別出来ないが、何人かの人影とポケモン達が、小さい何か達と戦っているらしいことはわかった。
 何体居るのかはわからないがその、小さな何か達が浜辺を、打ち寄せる波ごと海を、更に海上に突き出ている周囲の岩礁を両断する。切り刻む。
 安全地帯から覗き見る彼らが言葉を失う程の致命の斬撃の合間を縫って、二つの影が駆け抜ける。
 電光が弾ける。
 そのシルエットから、ライチュウだ。と彼は思った。そして隣にはトレーナーだろう人の姿が。
 電撃を撒き散らしながら砂浜を縦横無尽に駆けるライチュウが次々に何かを叩き落としていく。人間の方も驚く事に海を断ち割るような斬撃を往なしている。そして、死に体になった何かへと電気鼠が止めを刺す。
 嗚呼。凄い。
 僕達もあれくらい強ければ。なんて彼が思った次の瞬間。残り一体となった何かをライチュウの長い尾が捉えた。ギィンと耳障りな音と共に直撃を食らった何かがゴミの様に飛ばされて海へと落ちる。
 そして。騒然とした浜辺は一転して波音だけの静寂が支配する。
 戦闘が終了し、主に戦っていたライチュウとそのトレーナーの元に、援護をしていたらしい二人とそのポケモン達が駆け寄っている。
「ねえ。もう少し近寄れる?」
 非日常的な興奮にあてられた彼が、そうねだる。
 戦闘は完全に終了しており、その余波で周囲に他の異形の姿も無いからか、それを聞き入れてドククラゲ達は、浜に居る者達に気取られぬ様にゆったりと岩陰から岩陰を渡っていく。
「――班――スラッシュ――体の無力化――」
 彼が思っていたよりも大分浜に近づいて、手近な大岩の陰に辿り着く。風も無く、波も穏やかだからか、浜でされている会話が断片的に聞こえてくる。
「ああ。一体――し損ねた――」
「あの、手負い――危険――」
「致命傷は――保護――B班の奴ら――」
「――ビューティを捜索――」
「――ねえだろうが――そもそも何でカントーに――詳細不明の奴らがまだ――」
 等とよくわからない事を言い合って、「――が足りねえ。少なくとも――危険は――後始末は地元警察に――」とライチュウのトレーナーが言ってセキチク方面へと歩いていく。それに続く他の者達。
 幸いにして彼らの存在はバレなかったらしい。
「ありがとう。無理言ってごめんなさい。さあ、」
 帰ろう。と彼が口にする前に、服の中に居た相棒がするりと抜け出して、海面を滑る様に走り始めた。
「『エオ』?!」
 声を抑えつつその名を呼ぶが、相棒であるコソクムシは真っ直ぐと波に乗り小さく海面に覗く岩礁へと向けて駆けていく。それにゆらりと触手を棚引かせてメノクラゲが続く。
 そして。二体が協力して持ってきた、小岩に挟まっていたらしいものは。
「……何? これ」
 彼の履く靴より少し大きい位の全長で、親戚の結婚式で両親が渡していた豪華な封筒を用いて、漫画で出てきた陰陽師が紙の人形(ひとがた)を作ったかの様な異様な何か。
 脚の部分の片方が千切れているそれは、微かに、痙攣する様に小さく動く。その【小さな何か】を見て。
「え。真逆。……浜で戦ってた、え、これポケモン?」
 そう理解して、彼の思考は一旦停止した。

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