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推しに召すまま

作者:アルカンタラ

 神様を見たことがある?
 私はある。
 今まさに、切り札のマルヤクデをくり出して勝負をかけようとしているところ。


 整備された赤いバトルフィールドはスポットライトの強い光を浴びて白く輝いていた。光の広野に仁王立ちする『神』は炎の化身。灰色の髪が眩い光を放ち、エンジンスタジアムの中で圧倒的な存在感を放っている。
 キナコは熱のこもった息を吐きながら、きびきびと大きなカメラを構えた。肉眼では指人形に見えるほど離れている神様が、六百ミリの望遠レンズを通せばぐっと間近に感じられる。観客席から熱狂の歓声が降り注ぎ、大げさなほど場を盛り上げても、神様以外はすべてぼやけて世界には彼しかいない。
 エンジンシティ・ジムリーダー、カブ。小柄な身体の首に巻かれた赤いタオルが、スタジアムを抜ける風にひらりと翻った。少し遅れてキナコの首にかかったマルヤクデを模したマフラータオルも小さく揺れる。シンクロしている気がして、身体に心地よい刺激が走った。
(今日のジムチャレンジも勝ちで決まり。後はダイマックスするだけ)
 挑戦者の手持ちは残り一匹。対して、カブのポケモンはまだ一匹も倒れていない。一方的な試合展開だが、ジムチャレンジは興行の面もあるので、ジムリーダーは最後に必ずダイマックスを見せてくれる。
 カブがボールを握りしめたまま大きく腕を振りかぶった。キナコは彼の顔にピントを合わせたまま、何度もシャッターを切った。モンスターボールを投げる瞬間をとらえる際はこの方法が確実だ。そこだけ切り取ると往年の野球選手のような佇まい。彼は右投げなので入場口とは反対側のスタンドにある、挑戦者寄りの席前列に座るのがキナコの決め事だ。ここなら顔が正面から撮れる。
 切り札のマルヤクデがその場に現れ、狂乱の声援に身を任せながら写真を撮り続けた。マルヤクデがダイマックスすると小柄なカブと同じフレームに入れるのが極めて難しくなるため、ふたりが並んだ姿はこの時に押さえておく。
(マル様、今日も麗しい……照明に輝く身体がまるで研磨された銅細工だよ)
 カブは場に出したマルヤクデを一旦戻すと、ガラル粒子を纏って大きく膨らんだボールを後ろへ投げた。汗で身体に張り付いたユニフォームが鍛え上げた背筋を浮き上がらせる。拍手喝采と共に現れたのはキョダイマックスすがたのマルヤクデ。キナコは鼻から息を吸った。
 何度見ても美しい──熱気を纏った錦の帯が空に舞い、オリエンタルな雰囲気がカブにぴったり。スタジアムの観戦チケットだけで美術館にも入場しているようなお得感さえある。キナコがこの世で最も神々しいと思うポケモン、カブのマルヤクデこと『マル様』を肉眼で何度でも拝める幸福を噛み締めたい。十七歳から彼のファンになって十年経つがマル様は別格だ。
「頼むよ、マル様!」
 全てが絵になるが、狙うのはカブとキョダイマルヤクデのツーショットだ。体格差があまりに大きく、引きで撮ると味気ない。カメラ歴五年。昨年、一年分の賞与をつぎ込んで購入した全長三十センチはある六百ミリの望遠レンズで、今日こそふたりの顔を同じフレームに収めたい。キナコは夢中になってシャッターを押し続けた。マルヤクデが頭を下げる瞬間はカブと目線が揃いやすいが、今日は空高く咆哮してのダイバーン。その一撃で挑戦者の手持ちは倒れ、カブはジムチャレンジに勝利した。
 欲しい一瞬を切り取るのは難しい。キナコは試合後のインタビューを聴きながら、一眼レフで撮った写真データを確認する。気に入った写真があれば携帯に転送して補正し、SNSに上げるのが決まった流れだ。この日は一人の挑戦者に対して二千枚ほど撮影した中で、公開のために選んだ写真は僅か五枚。カブとキョダイマルヤクデのツーショットは撮れなかったが、カブにピントが合い、周囲を舞うマルヤクデがぼやけて炎の風に見立てられる姿は捉えられた。それもまた額に入れたい神々しさ。キナコは一目で気に入ると、赤みを強める補正をかけて興奮に駆られるままSNSに投稿する。
『キョダイマル様を纏うカブさんが撮れました。撮影:わらびもち子』
 

 SNSの反応は大きな反響がなければ半日ほどで落ち着くため、翌日の昼に投稿の反応をまとめて確認し、付いたコメントへ返信するのがキナコの日課だ。
 平日は今日のように、職場で昼食をとりながら携帯ばかり触っている。
(あの写真の拡散数は五十件、お気に入りは三百件。閲覧数は三千件か。こんなに反応が貰えるなんて)
 会心の作品の反応は上々だ。スポーツ新聞社が投稿しているプロカメラマンの写真には足元にも及ばないが、神々の輝く一瞬を掴み、それが賞賛された時の喜びは何にも代えがたい。今回付いたコメントはこうだ。
『写真が良すぎる』
『いい写真。昨日のダイバーンは精度が高かった。カブさんは挑戦者泣かせのジムリーダーだよな』
『カブさん、カッコいいです! わらびもち子さんのお写真はいつも素敵ですね』
 写真を投稿しているSNSのアカウント名は『わらびもち子』で、フォロワーは二千人ほどだ。勤務している会社のやる気のない公式アカウントよりフォロワーは多いが、それを誰にも喋ったことはないし課内でもカブのファンであることは公言しているものの、たまにジム戦を観に行く『にわか』で通している。本当は週一でスタジアムに通い、望遠レンズを使って写真を撮り続けているのだが。
 自席で手製の弁当を食べながら他のカブファンのアカウントやニュースサイトで昨日のジムチャレンジの話題を一つ一つ確認していると、後ろから携帯の画面を覗かれた。
「へえ、キナコさんってカブが好きなの?」
 営業課に所属する同期の男だった。経理総務課の自分とは入社してから交流が滅多になく、名前を思い出せない。向こうは覚えているようだが──キナコは慌てて携帯をホーム画面に戻した。
「そうだけど、何か用ですか? 経費の精算?」
「ああ、その用事はさっき終わった。俺と同い年なのにカブ好きとか意外だねー。おじさん好きなの?」
 なぜそうなる。私は神を崇めているだけ。そう答えると間違いなく気味悪がられて会社での居心地が悪くなるので、キナコは『いつも通り』苦笑いではぐらかした。
「いやいや、そういう訳じゃないんですけど」
「ふーん。じゃあ、どの辺がいいわけ?」
 まず小柄ながら日々の鍛錬を欠かさず、軸がぶれないあの体躯が好きだ。ポケモンリーグの王座に向かってひた走る、彼のトレーナー人生を体現している。そこから挑戦者を圧倒する、試合が終わるまでは決して揺らがない強靭な精神。自ら熱気を放っており、ほのお使いに相応しい。手持ちポケモンはベテランになった今でも試行錯誤しながら育成を続け、常に新たな戦略を練っている。カブさんは止まることがないトレーナーだ。キナコはそれを端的に言葉で表した。
「ストイックな姿がかっこいいなーって……」
「ああ、分かる! これぞベテランって感じがするよね」
 前のめりに食いつく同期にほっとしたが──彼はすぐに目の色を変えた。
「来週さ、協力会社の社員さんと飲み会があるんだけどキナコさんも来ない? カブみたいなベテランのおじさん達がいるから盛り上がるよ」
 気を許しておいて本題に切り込む営業のやり方に取り込まれた。すっかり油断していたキナコの顔が引きつる。
「いや、それはちょっと……」
 カブは信仰対象であって、異性として好きな訳ではない。そもそも中年男性は好みから外れている。
「カブが好きな人もいるよ。絶対楽しいって! 若い女の子が来たら皆喜ぶし」
「私たちって言うほど若くないですよね? お互いに二十七歳だし」
「いやいや、今回は最年少だから」
 同期がここまで食い下がるのは、自分より若い後輩に断られたからに違いない。
 地味なルックスで地味に生きていると、数合わせで誘われる飲み会が事前に察知できるようになった。のこのこついて行くと目に見えて落胆されるからこちらも不愉快だ。新人の頃ならいざ知らず、中堅社員になった今なら拒否の選択肢しかない。
「他を当たってください。まだお昼を食べてないんで」
「他って誰かいる? 誰も来なくて困ってるんだよ、駄目なら紹介して!」
 同期も退かない。
 そうやって攻められると、プライベートまで仲良くしている人間が社内に居ないキナコには打つ手がなかった。伝手のない情けなさが段々と苛立ちに変わっていく。

「あのさあ、女の子が捕まらないからって他部署の子を引っ張り出そうとするのは辞めなー?」
 ふいに後ろから刺々しい声がする。
 同期と一緒に振り向くと、スーツ姿のたじろぐような美女が立っていた。
「サクラ先輩!」
 同期の顔が青くなった。
 この女性ならキナコも知っている。営業課のサクラだ。常に上位の営業成績を達成している優秀な女性で、ひっつめ髪の毛先からパンプスのつま先まで、全てに手入れが行き届いている。自分より一つ年上らしいが、もはや別の生物だ。
「でも飲み会に来てくれる子を紹介してくれるって言うから……」
 彼は先輩を前にしても引き下がろうとしない。この意地の強さなら営業よりポケモントレーナーの方が向いているのではないか。困惑するキナコに、サクラが微笑んだ。
「無理して友達を差し出さなくていいからね? 友情の方が大事だよ」
 そして同期の背広を鷲掴みにすると、経理課の部屋の外へ押し出した。
「自分で探しな。それと、一時半が締め切りの見積もりも提出してね」
 ああっ、忘れていました――廊下にうわずった悲鳴が響く。これでようやく解放されただろうか。キナコはわざわざ椅子から立って頭を下げた。
「サクラさんのおかげで助かりました」
「後輩がごめんねー。もう誘わないように言っとくね」
 カラリとした笑顔に胸のあたりが熱を帯びた。サクラはブラウンの艶やかな髪にくっきりとした目鼻立ちをしており、紅色のリップが自信たっぷりに輝いている。そして至近距離にいるのに毛穴がどこにも見当たらない。それに驚いたのはルリナを望遠で撮影した時以来だ。
「あの、これ。良かったら食べてください」
 キナコはデスクの隅に置いてあった、ガーディ柄の缶を差し出す。中にはクッキーや飴などのお菓子が詰め込まれていた。仕事でフォローしてもらった際に、これでお礼をするのが課の定番だ。
「んー、お菓子はいいかな」
 サクラは唇の端を持ち上げて辞退した。自分の課の慣習を持ち出すのは悪かっただろうか。後悔すると背中に汗が伝う。
「すみません。せっかく助けてもらったのに……」
「別に気にしなくていいんだけど、どうしてもって言うなら。一つだけお願い、聞いてもらっていいかな」
 サクラが前のめりになりながら笑顔を見せる。流れを掴まれた気がしてならない。経理の無茶ならば聞けないのだが。
「な、何でしょう?」
「キバナの写真を撮ってくれない? 『わらびもち子』さん」
 呼吸が止まった。
 キナコの時間も停止した。
 デスクに置いていた携帯はとっくに画面を消しているから、サクラに覗き込まれた訳ではない。
 頭がこんらんして自らの頬を叩きそうになる中、キナコは一つの結論に至った。自分のアカウント名は口に出すと恥ずかしいな。

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