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何でも屋、始めました

作者:歓迎

 私とゴキブリの深夜版・仁義なき戦いは、第三者のサイコキネシスで幕を閉じた。私は右手にヒール、左手にタワシを抱えて武装していたのだが、帰宅したばかりで手元に最終兵器の殺虫剤がなかったため、戦略的撤退を試みていた。すわビジホまで引き上げるか、パニックになった頭でそう考えていた時に、「彼女」が現れた。それからは圧巻だった。「彼女」は私より甲高い声で悲鳴をあげると、両手を押し出してサイコキネシスを解き放った。おかげで私のワースト・絶叫ランキングは一気に塗り替えられたのだし、サイコキネシスが吹き荒れた部屋はめちゃめちゃに。ついでにゴキブリは消滅していた。そして、フローリングの中央でぺたんと「彼女」は座り込んでいた。私といえば、突然現れた予期せぬ二匹目の来訪者を前に、腰を抜かさないように体重を靴箱にあずけるのがやっと。ただ、そのポケモンは泣きそうな表情で私の目を見て。
「あ、あの! ごめんなさい!」
 消え入りそうな声でキルリアが私の脳内に声を直接響かせた。今度こそ、私の両手は靴箱から滑り落ちた。





 キルリアはひどく怯えて混乱しており、話の要領を得なかった。わかったことは二つ。彼女がヒトに通じるテレパシーを使えるという特異な体質であること。そして、偶然鍵が開きっぱなしのアパートへ逃げてきたこと。
 とりあえず、無理に聞き出さないことにして代わりにご飯を作ることにした。戸棚を眺めて、ポケモンフーズがないことに気がつく。きのみはいくつかあったが、そのまま食べるには味気がない。
「何か適当に作るけど、何か嫌いなものある?」
「えっと、特には」
 よかった、と答えて冷蔵庫の中身を雑に取り出す。レトルトのカレーに、ありあわせの野菜。あとはちょっとのオレンのみ。ガラルの味には遠く及ばない、大学生のそれだ。スカートに汁が飛ばないように慎重にオレンを切って適当に盛り付ける。チン、とレンジからルーが温まった音が聞こえた。そのままルーとご飯を盛り付ける。そして、フローリングの中央で所在なさげに座っているキルリアにすっと皿を差し出した。キルリアはまた私の顔を不安そうに見る。
「いいんですか?」
「いいよ。ほら」
 ここで私は癖でスプーンを出していることに気がついた。だけど、キルリアは器用に超能力でスプーンを浮かせてカレーを口に運んだ。美味しい、と小さな声でキルリアが呟く。静かに涙を流しながら、キルリアは少しずつカレーを食べていく。
 私は泣いているキルリアの方を見ないように背を向けて、戸棚をあさってポケモンに使える道具を──ついでに殺虫剤を──探す。ただ、生まれてこの方ポケモンに背を向けてきた私の部屋にはせいぜい人間も使えるまひなおしくらいだ。こうなるとわかっていたら、せめてキズぐすりくらいは買っていたのだが。
「あの、ごちそうさまでした」
 綺麗に完食したキルリアは丁寧に頭を下げる。目元には涙の跡が残っていたが、もう泣いてはいなかった。
「美味しかった?」
「はい、とても。それと一つ」
「うん?」
「私の名前はミラです。改めて、本当にありがとうございました」
 キルリア──ミラは丁寧に頭を下げる。動作が洗練されていて気品があった。そこで、私ははっと気がつく。そういえば名乗っていなかった。
「私はスズ。高坂スズよ」
「スズ。スズ、ですか」
 綺麗な名前ですね。ミラは初めて笑ってそう言った。私はありがとうと曖昧に微笑む。それでも、ミラが口の中で転がすようにスズ、スズと呟いていたのでこそばゆかった。
「スズ、改まってお礼を言わせてください。迷い込んだ私を追い出さず、ご飯まで用意してくれるなんて」
「ううん。大したことはしていないよ」
「いえ。またいつか、機会があったらお礼をさせてください」
 ミラはもう一度丁寧に頭を下げると、扉の方へと歩いていく。待って、と私は思わずミラの手を掴んだ。
「ねえ、行く当てはあるの?」
「それは」
 ミラは顔を曇らせてうつむいた。そうだろうな、と私は納得する。もしもミラに当てがあったら、わざわざ見知らぬ女性のアパートに迷い込んだりしないだろう。
「じゃあさ。しばらくはうちにいない?」
 提案すると、ぱあっとミラの表情が明るくなった。ただ、それも束の間ですぐに硬い表情になる。
「いえ。スズには迷惑をかけたくありません。ご飯までご馳走になったのに、これ以上迷惑をかけるなんて」
「何言ってるの。ミラが困っているのに放っておけるわけないでしょ?」
 確かに人の言葉を話すポケモンなんて見たことがなかったが、放っておけるわけがなかった。
「でも、私は何のお役にも立てません。スズだって生活があるのに負担がかかる」
「困らないけどな」
「困りますっ!」
 ミラはばしっと大声で言う。意外と強情だなあ、と私はほおをかいた。このままだとミラは絶対に折れないだろう。そのとき、天啓のようにアイデアが降ってきた。
「じゃあさ、私のバイトを手伝ってくれない?」
「バイト?」
「そ。何でも屋さんを始めようとしているけど、ちょっと手が欲しいの」
「それは、別に私じゃなくても」
「さっきお礼をしてくれるって言わなかったっけ?」
 切り返すと、ミラはうっと言葉に詰まる。
「サイコキネシスで荒れた部屋の掃除」
 畳み掛けるように言うと、またもミラは言葉に詰まる。少しの間、目が合った。そして諦めたようにふうと息を吐いた。
「わかりました。少しだけスズに甘えます」
「ん、よし」
 私はミラに手を差し出し、ミラは少しためらった後に私の手を取った。
 こうして、「こまりごと、美味しい食物や報酬で引きうけます。」と書かれた広告が、背の低くて古ぼけた誰も見ないような自治体の掲示板に張り出された。





「誰も来ないですね」
「来ないねえ」
 のんびりとお茶を啜る。まあ、そんなものだろうと私は高を括っていた。大学がない平日に依頼を出したところで誰も来ることはない。そもそも私とミラが今いる場所は、叔父さんが使わないからと貸してくれている街から外れた狭くて古い事務所。むしろ、依頼が昨日の今日で来たらびっくりするくらいだ。
「ミラ、おかき食べる?」
「いいんですか?」
「いいのいいの。おじさん、血圧が高くてお菓子を食べられないから、むしろ喜ぶよ」
 はあ、とミラは呟くとおかきを一つ口に放り込んで美味しそうに食べる。そして、私の方を見て首を傾げた。
「スズは食べないんですか?」
「体重制限があるからね」
「体重制限?」
 ミラが聞き返したちょうどその時、ぴんぽーんとチャイムが鳴った。私とミラは顔を見合わせた。まさか開業初日から誰か来るなんて。私は少し緊張してドアを開けたのだが、
「あれ」
 誰もいない。不思議になって道路まで出ると、走り去る子供の背中が見えた。どっと疲れが押し寄せてきて、私はドアを閉めた。
「どうしたんですか?」
「ただのピンポンダッシュよ」
 そうですか、とミラがしょげる。もう一杯お茶を飲もうと椅子に座ろうとしたとき、またチャイムの音が。
 今度こそ、がつんと言ってやろうとがっと扉を開く。だが、そこにいたのは冴えない中年。危なかった、もう少しで罵声が喉を通過するところだった。
「あの、さっきここに子供がやってきませんでしたか?」
「え、ええ。やってきましたけど」
「申し訳ない! 息子が迷惑をおかけしました」
 深々と男は頭を下げる。そして、せわしなく辺りを見渡した
「どっちに行ったかわかりますか?」
「あっちに」
 子供が走り去った方向を指差すと、男は礼を行って走り出す。慌ただしい客だったな。私は今度こそ椅子に座り、おかきへと手を伸ばして。
「おかしくない?」
 ふと手が止まった。違和感が胸中に広がっていく。どうして、街から外れたこのボロ事務所にピンポンダッシュを仕掛けたのだろう。普通は住宅街にしかけるもので、わざわざスバメが巣を張るような古い事務所にピンポンすると思えない。その後現れた男も、どうして子供を捕まえたあとに謝罪に来なかったのか。順番が逆ではないだろうか。
「ミラ、何か感じた?」
「ごめんなさい。私、人の感情を読むのが苦手なのでわからなかったです」
 ミラはうつむき、そして自信がなさそうな表情で言う。それでも、とミラは続けた。
「でも、あの男からは何となく怪しい色がしました」
 ミラと私は目を合わせた。そして、どちらともなく事務所を飛び出す。
「こんなところに、シーヤのみが落ちているなんてある?」
 なぜか不自然にシーヤのみが落ちている。違和感が拭えない。思わず走り出す。幸い、道は一本で迷う要素がなかった。
「スズ、あっちです」
 ミラは荒れ果てた畑の奥を指差す。確かに、そこには人影が二つ。
「スズ、私をボールに入れてください。ポケモンがいると警戒される」
 わかったと私は頷くと、つい先日買ったボールにミラを戻す。男と少年のどちらもまだこっちに気がついていない。ただ、男は少年を何度も蹴り飛ばしていた。
 あったまきた。
 迷わず私は走り出した。予期せぬ足音と来訪者に驚いたのか、男は視線を少年からこっちに変える。そして、右手に持っていた何かをこっちに向ける。私はサイドステップでそれをかわし、男の腕に思いっきり右ストレートを入れた。いってえ、と男は顔をしかめて得物を取り落とす。そして、私の方を見て獣のように叫んだ。
「女が、舐めやがって」
 ドス黒い感情を乗せて男が憎々しげに呟く。腰のベルトからボールを取り出して投げた。
「サワムラー! やっちまえ!」
 サワムラーの接近と私が転がったのはほぼ同時だった。サワムラーの蹴りは私がさっきまでいた地面を砕いていた。けれど、全く怖くなかった。
 蝶のように舞い、蜂のように刺す。モンスターボールの緊急噴出装置を軽く叩く。
「ミラ!」
 視線の交錯、そして決意。私の指先とミラの視線が重なる。
「サイコキネシス!」





 ──その後のことを軽く説明しよう。
 幸い、男は速やかに警察へと引き渡された。私は警察から事情調査を受けたが、災難でしたねと言われてすぐに釈放された。
  少し聞いた話だと、つまりこういう事だった。元々、あの男は日常的に酷いDVをしていたのだが、警察は民事不介入なので消極的であった。少年はDVに耐えかねて家から逃げ出したが、警察は自分達を助けてくれなかったし、相談する相手がいない。絶望しかけたそのとき、偶然「こまりごと、美味しい食物や報酬で引きうけます。」という広告が目に入ったのですがるような思いでここに来た。ただ、運の悪いことに男に見つかって追いかけられていたという経緯らしい。
 そして私たちは、相変わらず事務所でお茶を飲んでいた。
「あの子はどうなるんでしょうか」
「うーん」
 言葉を濁さざるを得なかった。ポケモンの技をヒトに向けたことは重罪に値するので、男はしばらく牢屋だろう。ただ、それ以上のことはよくわからない。私もただの学生なのでこれ以上手の施しようがなかった。
「何もないといいんだけどなあ」
 私が呟いたそのとき、ぴんぽーん、とチャイムの音が響いた。はーい、と私は返事をしてガチャリと古い事務所のドアを開ける。今度こそ、そこにお客さんはいた。見覚えのある少年の姿と、少しやつれた母親らしき女性が。
「お姉ちゃん、ありがとう!」
「本当にありがとうございました」
 少年はにっこりと笑い、その奥にいた女性は深々と頭を下げる。どうやら、離婚が成立する方向でまとまりそうで、これからは幸せに暮らせるだろうとのこと。よかった、と私は息を吐いた。
「知っていたら教えてください。どうしてシーヤのみが転がっていたんですか?」
 ああそれ、と母親はくすりと笑って少年を慈しむように撫でた。
「この子ったらほとんど漢字が読めないから、読めるところだけを拾ってシーヤのみを持ってきたんです」
 そうなのか。ようやく最後の謎が解けた。確かに看板から漢字を抜いたら「しいや」になる。「こまりごと」はひらがなで書いておいてよかった。
 その後、母親はこっちが恐縮するくらい頭を下げると、ばいばーいと明るく手を振る少年の手を握って立ち去っていった。
「よかったみたいですね」
「うん、よかった」
 私とミラは目を見合わせてくすくすと笑った。
 翌朝、少年と母親がお礼にくれたモモンのみはジャムになった。「何でも屋」としての初めての報酬は、頬が落ちそうなくらいに甘かった。
 掲示板の広告は「こまりごと、おいしいたべものでひきうけます」に変えた。子供も読めるように。



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