ガラルのとある町の某所。
表向きのこぢんまりとしたバーの階段を降りてたどり着いた地下は、地上からは想像できるはずのない世界が広がっていた。
極彩色で趣味の悪いネオンとミラーボールがギンギンと輝き、頭の中まで震えるようなメタルロックが大音量で無秩序に流しっぱなしになっている。
その光と音に慣れてようやく見えてくるその場所は、一言で言えば「リング」であった。
だだっぴろい空間の中心はむき出しの土ながらも整えられた広場になっていて、それを取り囲むように武骨な鉄柵が塞いでいて、それを挟んで周囲には座り心地の悪そうな観客席が並んでいる。
そこに集まる者は皆、ギラギラとした目をしているか、ゴーストポケモンに憑りつかれたような顔をして、下品な声援と罵声を叫んでいる。
それを受けるのは、リングで向き合う二人のトレーナーとポケモンたち。
片方の男は焦った表情で口角泡を飛ばしながらギモーに叫ぶように指示を出す。しかしその指示を遂行する前に、ギモーは倒されてしまった。
「くそ、役立たずのごくつぶしのクズめ!」
男は悔しそうに地団太を踏むと乱暴な手つきでボールに戻し、相棒であり仲間であるはずのギモーに罵詈雑言をぶつけ、ボールを叩きつけ、頭を掻きむしる。
「ギャハハ、なんだありゃ、ザコじゃねえか」
「おいおい、俺はお前に賭けてるんだぜ、しっかり働け!」
その様子を見た観客たちは、叫んだり、笑ったり、手を叩いたり、頭を抱えたりと反応は様々だ。そしてそのどれもが、下品で、下種で、欲望に満ち溢れている。
――ポケモンリーグの開祖・カントー地方がその制度を立ち上げると、真っ先にそれを採用したのが、ガラル地方であった。
そしてその経済的ポテンシャルに目をつけ、高度な大衆興行化を推し進め、世界有数のポケモンリーグ大国へと成長する。
ド派手な興行が金に眼がくらんだ急成長をしてしまった。その末にリーグは、八百長、買収、賭博、脅迫など、不正が跋扈するようになり、ガラルリーグに表向きの繁栄と、淀んだ停滞をもたらすようになる。
そんな現状を打破したのが、五年前にリーグ委員長に就任した、ガラル最大の新興企業・マクロコスモスの社長であるローズだ。
彼はリーグの透明化・健全化を推し進め、さらにルールや制度を整え、国家の立法にすら関わり、そしてトレーナーたちの実力の底上げを図った。ガラルが再び名実ともに世界有数の実力者リーグへと返り咲いた瞬間である。
それによって追い出された非合法組織の多くは潰された。だがこうして、地下に潜り込んで未だに悪行の限りを尽くし生き残っているマフィアもある。この「デスマッチリーグ」の主催であるグリフィス・ファミリーは、その中でも最大手だ。
首の回らなくなったトレーナーを無理やり出場させ、そのバトルを駆けの対象にして客を集める。そして敗北したトレーナーは、集まった客の目の前で、残虐な制裁ショーの餌食となる。
「お前が頼りだ! いくぞデスバーン!」
男が最後の一匹であり切り札となるデスバーンを繰り出す。この男はジムチャレンジこそ出ていないが、トレーナーズスクールのポケモンバトル学部を優秀な成績で卒業している。そのプライドのせいで就職が上手くいかず、ケチな犯罪に手を出した末路が、この地獄であった。
「そういえば、そろそろジムチャレンジの時期ですな」
「そうですねえ。今年の注目株は、ヒトカゲ使いの坊主と、ドラゴン使いの一族のガキだとか」
高みの見物を決め込むのはグリフィス・ファミリーの幹部たち。VIP席で高級ワインを味わいながら、悪趣味な舞台を無感動に眺めている。
「果たして、その坊主とガキは、あのチビスケより強いんでしょうかね?」
そうして注目するのは――リングで、デスバーンを操る男と対面する、対戦相手。
そこにいたのは、小さな男の子だ。
まだ身長は低く、旅に出ることすら許されない、10歳になるかならないかぐらいに見える。その背格好相応に顔立ちが幼く、可愛らしい年ごろだ。世にも珍しいさらりとした銀髪もあって、神秘的な美少年に見えることもあろう。
だがその目つきは、眼光は。
対面する男や集まったアウトロー観客とは比べ物にならないほどに、暗くて鋭い。
美少年的な顔立ちも相まって、それは見る者に恐怖を抱かせる。光を反射して輝く銀髪すら、研ぎ澄まされた凶刃のように感じられる。
「まさか、表のガキがアカツキに勝てるわけねえだろ。年季ってもんが違う」
VIP席でも一番の「玉座」に座っていた壮年の男が笑う。すると幹部たちはへらへら笑いながら、どこか媚びるように賛同した。
「やつをぶっつぶせ! デスバーン、『じしん』だ!」
種族としてワイルドエリアの頂点にも立ちうるポテンシャルがあるデスバーンの得意技かつ大技の「じしん」。それを放つ様子から、このポケモンがそれなりの修羅場をくぐっていることがわかる。この不定期開催リーグで見られる中では、指折りの威力であった。
「カビゴン、『DDラリアット』だ」
だが、男の子――アカツキが操るカビゴンは、その自慢のタフネスによって余裕で耐えきり、呑気に腹を掻いている。男と違って落ち着いた声音であるアカツキの指示は、まだ声変わりしていないはずなのに、叫び散らす男よりもよっぽど大人びて聞こえる。
爆音と罵声が鳴り響くこの場で、その声が良く聞こえるはずがない。それなのにカビゴンは即座にアカツキの指示を遂行し、デスバーンをフルスイングした腕で吹き飛ばす。巨体の筋力と体重が乗せられた効果抜群の打撃は、カビゴンに負けないほどタフなはずのデスバーンを一撃でノックアウトさせた。
「勝者、『白装束』アカツキ!」
ジャッジの精いっぱいの叫びは、せっかちな観客たちの大声によってかき消される。広大な地下空間を揺るがすほどの、それでいて精巧に作られた障壁によって決して地上に漏れることのない歓声と悲鳴が響き渡った。
「負けた! 負けた!」
「これで今年10回目!」
「敗者には罰を!」
「キル! キル!」
だが男に賭けていたであろう観客たちの悲鳴をまた、すぐに歓声に合流する。それに応えるように、リングに物々しい黒服の男たちがドカドカと押し入り、敗北した男を拘束した。
「やめろ、やめろ、やめて、たすけ、たすけてくれー!!!」
男は涙と鼻水と血を垂らしながら必死で抵抗するも身動きが取れず、情けなく叫んで命乞いをするしかない。ジャッジによってその口元にマイクがあてがわれたがため、このカオスの爆音の中でもよく響き渡り、観客たちのボルテージをより高める。
服が脱がされ、パンツだけにさせられた。そうして露になったのは、傷だらけの全身だ。
切り傷、殴打痕、痣、ミミズ腫れ……様々な暴力の痕跡が、生々しく露になる。それを踏まえてよく見ると、男の手の指は一部が欠けていて、残った指も爪が剥がされている。
切りつけ、むち打ち、棒打ち、磔、切断、爪剥がし……このリングの敗者はその成績に応じて、下種な観客たちを楽しませるべく、様々な罰が下される。
この男は、今日敗北したら、「死ぬ」ことになっていた。
逃げることを何度も考えたが、そうすればもっとひどい死に方か、はたまた死ぬよりもひどい生き地獄がオチである。今日の対戦相手が、このイベントのエースであり、下っ端ながらボス直々に拾われ世話されているかの「白装束」であろうと、戦うしかなかった。
そう、アカツキは、たった10歳の子供でありながら、とてつもなく強い。
「そうだ! おいお前! 助けてくれ! 強いんだろ!? こいつらなら蹴散らせる!」
男は気づいた。このアカツキが暴れてくれれば、自分は助かる。ぐしゃぐしゃの酷い顔で、こちらを無感動に見つめるアカツキに、恥も外聞もなく懇願する。
「さあ? 夢でも見てるの?」
アカツキは無表情のままそう言い残し、背を向けてリングから去る。
「こ、この、このやろー! クズ! ゴミ! カス! お前のせいで、俺は死ぬんだぞ! お前が負けてくれれば、俺は生き残れたのに!!! 俺はバトル前にそう言ったはずだ!? お前のせいだ! お前が俺を殺したんだ! 人殺し! 殺人鬼! ひとごろしー!!!」
その背中にあらん限りに悪罵をぶつける。アカツキはそれに構うことなく、歩みを止めない。
「お生憎様、慣れてるんでね」
アカツキの呟きは大声に消されて誰にも届くことはない。
「ふあ……」
そして質素で暗い舞台裏に入ると、遠慮なく欠伸をする。
今まで何度も参加してきたから慣れている。だがそれでもこの遅い時間は、幼い体には堪える。つまらないバトルだったので、眠気が酷くなってきた。ボールで眠る相棒のカビゴンが羨ましい限りだ。
「ご苦労、アカツキ」
「お疲れ様です」
いつの間にかVIP席から来ていたボス・グリフィスのねぎらいに、アカツキは口先だけの礼儀正しさで雑に返事をし、また大きく欠伸をする。たったこれだけでサシカマスの餌になるほどの失礼だが、グリフィスは笑って許した。
「もう遅い、車を出してやろうか?」
「ありがとうございます」
ここから一応の住まいであるエンジンシティまでは遠い。遠慮なくお世話になることにする。
パイプ椅子に乱雑に置いたパステルながらもシンプルで格調高いデザインのカバンを無造作に背負い、フレッシュな印象のある真っ白な通学帽をかぶって、ボスの背中についていき、車に乗せてもらう。
地上に出る直前、今日最大の歓声と、マイクで増幅された男の断末魔が、ほんのわずかに二人に届いた。
☆
「おはよー、アカツキ君」
「おはよう、サラー」
翌朝。この年齢にしては不健康極まりない夜更かしを強いられたアカツキは、何度も欠伸をしながら、半袖半ズボンの制服に学校指定のカバンと通学帽を身に纏って、エンジントレーナーズスクールへと通学していた。その道中で待っていたのは、同じスクールの高等部の制服を着た女の子だった。
ミニスカートから伸びる脚はすらりと細長く、透き通るような、それでいて不健康さを微塵も感じさせない白い肌が目を引く。そして朝の陽光を反射し、爽やかなそよ風にたなびくポニーテールの金髪は、今日も道行く人々の視線を集めていた。
「あれー? また寝坊助さん? もう、それじゃあ大きくなんないよ?」
「身体測定は順調だよ」
うりうり、と口で言いながらサラーはアカツキの頭を優しく撫でる。対するアカツキの反応は冷淡だが、拒否する様子はない。
二人の家は近所であり、とある縁で知り合ってからは、こうして一緒に登校するのが常になっている。とはいえ、アカツキのほうから誘うわけではなく、こうしてサラーが彼の通学路で勝手に待って勝手についてくる形である。アカツキはその態度のせいでスクールでは孤立気味だが、サラーが気にかけていることで、教員たちを少しだけ安心させていた。
そんな穏やかな「日常」「平和」そのもの。
首裏や背中に常に感じている焦げつくような不安なんて、全く感じるはずがない。
アカツキにとっては数少ない、心休まる時間であった。
そうして彼は、また一つ、完全に油断しきって、誰にも遠慮せずに大きな欠伸をする。
(そういえば、昨夜のファイトマネー、貰い忘れたな)
そうして思い出すのは、昨夜「殺した」男の事ではなく、その代償に手に入るはずだった大金のことであった。