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ガャラムドゥラス

作者:mundus sine deo

「創世記、第三章、十七節より――」
 斜めから光が差し込む聖堂にて、琥珀色の鎧にハンターグリーンのマントを巻いた、腰まで掛かるブロンド髪の聖騎士が、とうとうと聖書の一節を唱える。
「父なる神は、人とその妻に言われた。『あなたが食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取らなかければならない。そしてあなたは常にあることはできず、やがて土であったあなたはちりに帰る。見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。知るものよ、いま罪を知るが良い』 去る刻が近づいた、父なる神は人とその妻の肌を隠す着物をつくり着せた、そのふところには園の果実を1つもたせた。父なる神は彼をエデンの園から追い出した。そしてエデンの園の東に、アルケーウスに命じてケルビムと炎のつるぎを置いて、二度と人が立ち入れないように命の木の道を守らせられた―― 【楽園追放】の節である」
「…………」

 ヴィルヘルムは、そのまるい果実をまじまじと見る。
 手のひらに収まるサイズの球状で、真ん中で2つに割れる小さな果実は、その中にいかなる魔獣でも小さくし閉じ込めて持ち運べるらしい。

「そのエデンの園から持ち出した、神の果実こそがヴォングリーであり。したがって人が父なる神より魔獣を捕獲して支配することを許した証である」

 楽園追放の際に、唯一楽園外に人が持ち出すことが許された神の園の実『ヴォングリー』。この実を持つ者こそが選ばれし民であるとされる。
 人は魔獣たちと心通わせて共に生きて生活をしてきた。飼う魔獣が大きく成長してしまうことがあれば、村を壊さないように山に帰すことになっていた。持て余す強大な力は人の手にあるべきでない、神に帰すべきだと信じられていた。
 しかし、このヴォングリーがあったらどうだろうか?
 人の大きさを超える巨大な魔獣も手元に置き続けることができるだろう、一人で多くの魔獣を従わせることもできるだろう。そうなれば魔獣の襲撃に怯えることなく、魔獣に破壊されることを前提とした小さな集落ではなく、町を広げて大きな都市を作ることもできるだろう。
 人と魔獣の関係性そのものが根本から覆されてしまう。恐ろしい禁断の果実であることがよくわかった。

「天におわします我らの主の御恵みを授けよう。さあ、魔獣を封じると良い」

 聖騎士から禁断の果実『ヴォングリー』が譲り渡された。足元には彼が飼う魔獣のストミールが物々しい雰囲気に怯えながら小さく鳴いていた。





  +  +  +  +




 スラヴの大地は眠り、平野も草原も荒涼としていた。
 人の手の入らぬ広大な森が国境の山々に黒々とそびえ、山の斜面に沿って帯状に広がり、国の中まで深く入り込んでいた。
 そこでは人の跡は稀であったが、それ以外は豊富にいた。蜜子蜂の巣のある木の洞を探して、輪熊が暗い森の中を渡り住んでいたが、森の木々も蜂女王の羽音でざわめいていた。
 瓜猪が柔らかい森の土を掘り起こし、絡み合って生い茂った下草の間を騙狐や悪猫が通り抜けて、枝の上ではしなやかな体の斑山猫が、鋭い目で薄暗い森をうかがいながら獲物を待ち伏せていた。そして森の奥からは、浅瀬か泉に向かう一頭の雄芽吹鹿がゆうゆうと駆け、その後を雌芽吹鹿の群れが続いていった。草原では多くの子木鹿が草を食んでいたが、一方では多くの暗狼がさまよい獲物を求めて忍び足で歩いていた。太陽が輝く大空では森に包まれた山の峰を高く見下ろして、鳥類の王の椋鷹とその仲間が舞っていた。

 静寂を破り木々を叩き割る者があった。棲んでいた鳥たちが一斉に飛び上がり。巨大な蛇のような体躯をした青い龍が暴れていた。三つ又鉾の冠を備えて、長い髭の間にはすべての丸呑みにできる大きな口を持つ。雨雲を呼んで今にも雷雨が起こりそうなどんよりした空気に包まれていた。



「ガャラムドゥラスだ」

 リバーブルーの祭服の青年ヴィルヘルムは呟く。
 【Garmdorus(ガャラムドゥラス)】――土地の言葉で『境界を守るもの』を意味する名の魔獣はひたすらに暴れて木々を薙ぎ倒していた。
 あの魔獣が人里に下りて町を破壊し尽くしてしまう前に始末しなければならない。

 この世界には大きく分けて3つの生きものがいる。
 一つは、神の“すがた”を似せてつくった、人間。
 一つは、神の“ちから”を似せてつくった、魔獣。
 そしてそれ以外の草木や小さな生きものたち。
 教えによれば、人間は神から世界の支配を委託する契約を交わしており、魔獣を屈服させて使役することが赦されている。

 身を屈めて草むらに隠れながら手に持ったヴォングリーを開くと、魔獣のガーディアが中から出る。十字の紋様が刻印された見事な鎧を着込んでおり、動きを制限しないように鎧の関節部分は自身の炎のため不燃性の素材で編まれた紐で結わえつけてある。
 ガーディアはぐるりと辺りを見回してガャラムドゥラスの姿を確認すると、頭を覆う白い毛皮で目が隠れていても分かるほど渋くて露骨に嫌そうな顔をヴィルヘルムにむける。

「すまないストミール、水使いだが戦ってくれないか?」
「……ぐぅ」

 シシイヌの魔獣ガーディア、王家の守護神スピィンクスへと姿が成るとされる誇り高き獣であり、魔獣としては珍しく人間によく懐いて忠義心に厚い。ただ、口から灼熱の炎をふいての攻撃を得意とするだけあって、

 ガーディアの、ストミールは水が大嫌いだった。

 砂遊びが好きですぐに砂まみれになるのに、それを水で洗おうとするとじたばた暴れて言うことを聞かない、雨の日は出かけようとしない。ましては、凶悪な水棲ドラゴンと戦うなどまっぴらごめんなのだろう。
「僕たちが戦うしかないんだ」
「がぁ……」
 ストミールはしぶしぶ戦闘態勢に入る。
 ヴィルヘルムも動きやすいよう祭服の紅色の帯を締めなおし、首に掛けたストーラを巻いて後ろに流す。棒状の投擲器を取り出して特製の嫌避玉を備えた上で草むらから一歩踏み出る。

「我は汝を知る。森を蝕み弱き民を脅かす卑しき魔獣よ、聖ミカリエルの御名において命じる。悪魔よ地獄へと去れ!」

 大声で発した文言を聞いてこちらを向いたところを見計らい、嫌避玉を顔面に目掛けて投擲する、それは空中で破裂してムシヨケソウなどを調合した粉がその周囲に飛び散ってガャラムドゥラスの目と口の中に入った。たまらず悲鳴があがる。

「ギャアアアアアアア!!!」

「尖岩を撒け」
 ストミールは前足で地面に向けて念を送り、無数の尖った岩を周りに浮かびあげる。
 ガャラムドゥラスは痛みでわけも分からず暴れ続ける。そして潰れた目に映ったものすべてに攻撃を加えるべく、浮かんだステルスロックに向けて尾を振り回した結果、自分から尖った岩に突き刺さる。
「下から、貫け!」
 潜り込み、真上に向けて尖った岩を突き上げる。

「グラアアアアアア!!」

 目が潰れていても気配を察してストーンエッジは避け、ガャラムドゥラスは大きく口を開きながらとびかかる。噛みつくつもりなのだろう。
 回避が間に合わないと判断したストミールは、器用に体をねじって、あえてその攻撃を胴体で受ける。
 装備した金属製の鎧はガャラムドゥラスの鋭い牙を弾き、その怯んだところに至近距離から再度ストーンエッジを打ち込む。

「グギャ!!」

 悲鳴を上げて振りはらい、そして大きく息をすって口を開いて光を充填しはじめる。これは破壊光線の構えだ。
「させるなっ! 口を狙え」
 ストミールは力強く地を蹴って突撃する。火山の爆発を連想するような強力な踏み込みと加速、そして火山岩のような堅い身体全体でぶつかることで、噴火の火山弾のような破壊力を生み出す。
 顎に命中して口が閉じたことで、破壊の光はガャラムドゥラスの口の中で暴発した。

「グボッホ! グギャアアアアア!!」

 怒りに任せて、水をまとった大きな尻尾、アクアテールが振り回される。ストミールは大ぶりの水しぶきをあげる尻尾の一撃を難なく避けた。



 その瞬間。

 裏から巨大な水流の尻尾が現れて、打ち据えた。

「しまった」
 二段構えのアクアテール攻撃。ガャラムドゥラスは水流を操って"2本目の尻尾"を作り出したのだ。
 彼は油断してした、経験不足か慢心か、ともあれ慎重さが欠けていた。勝ちに急いで不用意に前に出てしまっていたのだ。

 次の標的を狙うガャラムドゥラスの目と目が合う。
 強烈な水の一撃を受けたストミールはずぶ濡れになって倒れてそこに転がっている。

 逃げるか? ストミールを回収できる距離は? ルートは? その後の町への被害は?
 様々な考えが、ぐるぐるとヴィルヘルムの頭によぎっていく。


「ペルンよ……」

 不意にヴィルヘルムの口から、このスラヴの地で信じられていた神の名がこぼれ――
 はっ と我にかえる。
 自分はいったい何を口にしてしまったのか、教えにおいて邪教であるとされた、この地で神を騙るものの名を?

 いや、果たしてそうだろうか、そもそもこの地におけるガャラムドゥラスという存在だって――







   ガリッ バリッ  ズズーーーーン


 激しい閃光と共に、空気を引き裂く音がして、黒く煤汚れた水龍が帯電しながらふらついていた。
 その時は何が起こったのかヴィルヘルムは分からなかったが、後に思い返して分析すると、ガャラムドゥラスが雷霆のワザを引き起こしたが、怒りで落雷地点の狙いを付けられず、周辺で一番高く尖ったガャラムドゥラスの頭の上に落ちてしまったのだろう。

 呆然とするヴィルヘルムの横腹に、何者かが突撃して小突いた。

「ストミール?!」
「がぁ」

 身につけた鎧のおかげで大事にはいたってないようで、ストミールは濡れた体に心が折れそうになりながらも、水への恐怖を振り切って、震える足で再度ガャラムドゥラスに立ち向かう。
 ヴィルヘルムは己を恥じた。

(なに弱気になっているのだ)

 このチャンスを逃すわけにはいかない。

「そこだっ、逆鱗を狙い、しとめろ!」

 ストミールはガャラムドゥラスの懐に入りこみ、首を捕らえて喉笛に強く牙を突き立てる。いかに強靭で剛毅なドラゴンであってもここを狙えば殺すことができる弱点、逆鱗という場所がある。
 噛みついたまま反動をつけて逆立ちするような体勢を取り、重力に従いながら大きく体をひねる。テコの力で分厚い龍鱗と筋肉をつらぬく、聖騎士から習った竜殺しの技で、その逆鱗を力一杯噛みちぎった。

「ギャアアアアア、アアア、ァ…ァ…ァ……」

 叫び声を上げてもがき苦しむが、やがて動きが緩慢になる。完全に弱りきったところでヴォングリーを押し当てて、ガャラムドゥラスをその中に収めた。

「せめて神のもとで安らかな眠りがあらんことを……」

 ストーラを正して十字架を取り出し胸の前に当てる、ガャラムドゥラスの墓標となるヴォングリーを前で聖書の一節を唱えて、神の導きを受けるように祈りをささげた。
 悪魔や悪鬼である魔獣は、神の果実に捕獲されて人に使役されることで、その存在は浄化されて赦されるという。





  +  +  +  +






 ――境界を守るもの『ガャラムドゥラス』は、ある日突然、前触れもなく現れる。

 あらゆる時や場所にも現れて、すべてを焼き尽くし、すべてをえぐり取っていく。
 暴れだしたらもう静まることは無く、その命が尽きるかその場をすべて破壊し尽くすまで暴れ続ける。

 いかなる外の魔獣の侵入を許さない城壁の内部であろうと、突然現れて、嵐を起こして一夜にして町を滅ぼしてしまう。
 町の中にいる魔獣など、せいぜい溜め池にいる『弱くて臆病で人畜無害な赤い雑魚の魔獣』くらいしかいないはずなのに、なぜ『ガャラムドゥラス』は煙のように現れるのか? その謎に多くの者の頭を悩ませて続けていた。

 人々はガャラムドゥラスを神の一部と考えた。
 傲慢にも森を切り拓き、身の丈に合わない大きな町を作るなど、人が踏み込んではいけない境界を越えたときに、神の警告として『ガャラムドゥラス』は現れる。その存在が神が与えた神罰なのだろうと信じた。

 かつてスラヴの地では、それを神の半身としてあつかい敬って、その荒ぶりを鎮めていた。
 悪魔の獣とみなして、力でねじ伏せることはしなかった。



 救世主の死からおよそ数百年以上経ち、大帝国と共に栄華を誇った聖教会は東西に分裂した挙句、旧帝都は蛮族の襲来によって崩壊。
 もはや虫の息で落ち延びた聖教会は、北に活路を見い出した。
 ここから聖なる教えは堕落の道へと突き進み、その後1000年以上に及ぶ、望まぬ栄華を誇っていくことになる。

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