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Don't look back

作者:オクトノリシゲ

 ガラル地方で有名なもの。
 一つ。全部で八つあるジムを回り、バッジを集め、チャンピオンを倒すことを目的とした“ジムチャレンジ”。
 一つ。衝撃的なデビューを飾り、十年もの間チャンプの椅子を守り抜いたガラルの英雄“ダンデ”。
 一つ。ガラル地方にのみ発生する不思議な現象で、使用することでポケモンのサイズ・強さ・はたまた姿までもが変わることのある“ダイマックス”。
 一つ。……

   ***

 ――では、その反対は?

   ***

『――樫の木を抜けて、残り五百メートル。先頭は未だ五番と八番。その一頭身後ろに七番、少し遅れて一番。風は軟風、視界は良好。未だ抜ける者はおらず、混戦としている』
 イヤホンをしたままでも聞こえてくる、鈍い音。その音がする度に、僕の体が跳ねる。そして跳ねる度に、シートベルトが体に食い込んでいく。
 マサル、苦しくない? 前からの母さんの声には、隣席の相棒――レオンが答えてくれる。もちろん、事前に僕の様子を見るのを忘れず。
 僕の腰に巻きつけられた尻尾。多分彼なりに、僕を支えようとしてくれているのだと思う。有難い反面、そこまで軟にはできていないと抗議したい。だけど今は、それすらも骨が折れるようになってしまった。
『残り二百を通過。ここで抜け出したのは八番! 乗り手の鞭がしなる、周りも鞭が入る! 五番と八番が並んでいる! 他のポケモンは間に合うか――』
 スマホの画面の中で、ポケモンが人を乗せて走っている。青々と茂る緑の芝に、点々と小さな影が争う。種類は大きく分けて二つ。方や、燃え盛る炎の鬣を持つポケモン。方や、エメラルドグリーンと紫の神秘的な鬣を持つポケモン。
 だけど。
『おおっと!? 大外から飛び込んできたのは十一番! 黒い疾風、はやい、はやい! あっという間に四頭身差を縮め、一頭身差をつけてゴールイン!』
 あら、という声がして僕は前を見た。フロントガラスの向こうは曇り空。その手前に、木柵で覆われた道があった。
 その木柵には、同じく木製の札が掛かっているように見える。僕はぎゅっと目を凝らした。でも無駄だ。小さすぎて見えない。
「……たぶん、あそこかしら」
 それに釣られるように、スマホの電源を入れた。ロトムは車内の会話を聞いていたらしい。マップを開くロト、と声がしてその通りになる。
 今、僕達がいる場所。位置を示すアイコンは、のっぺりとした緑色の空間に佇んでいた。道らしい道なんてない。それはここまでのドライブでよくわかっている。
 マップの範囲をもう少し広げると、右下の方に茶色や白のアイコンが見えた。文字も表示されている。――“ターフタウン”“ポケモンセンター”……
 “ターフタウン ポケモンジム”。
 指をずらして、僕らの位置に戻した。もう少し上を確認する。一回、二回。そして三回目のスクロールで、ようやく文字が見えた。
「マサル、なにかわかった?」
 横のドアが開く音がした。そこでようやく僕は、母さんが外に出ていたことを知った。スマホの画面を見せると、腕が伸びてくる。母さんは画面を認識し、ふんふんと数度頷くと言った。
「思った通りよ。あの柵から向こうが、今回の目的地みたい。
 ――話が行ってるって、ダンデさんはおっしゃってたわよね?」
 僕は頷いた。でも周囲には人どころか、ポケモンの姿すらない。
 なんというか……今更だけど、すごく寂しい場所だ。民家どころか、目印になる建物すらない。ハロンタウンを懐かしく思い出す。
 母さんとレオンがいるからまだいいけど、もしこんな場所で野宿しろ、なんて言われたら。
 思わず身震いした僕に、レオンが傍にあったブランケットを掛けようとする。大丈夫だよ、と肩を叩いてドアを開けた。車内で待つより、外へ出るべきだと思ったのだ。
 ついでといってはなんだけど――ここなら、大丈夫だろう。

   ***

 鞄に入れてあったボールを投げる。出て来たのはアーマーガアのガアコ。ココガラから育て上げて、ダンデさんとの試合でも活躍してくれた仲間だ。
 人がいないか、空から偵察して欲しい。そう伝えると、彼女は一鳴きして翼を広げた。心なしか、生き生きとしているように見える。思えばずっとボールの中にいたのだ。
 彼女が飛ぶ方向に合わせて、一先ず車を走らせる。外に出てわかったけど、どうやらこの辺りにも人はいるようだ。柵の向こうの地面。湿り気のある濃い色の土に、車輪の跡のようなものが付いている。車のタイヤではない。もっと細い。ハロンタウンでも見た記憶がある。
 再びスマホを開き、最初から動画を再生する。全部で十五分ちょっと。ニ十頭立てのレース。ファンファーレが鳴り響き、彼らがゲートに入る。
 ――あの場所とは、似ているようで全く違う。どこが、と問われると答えに詰まるけど、なにかが違うのだ。
 目を閉じる。車のエンジン音と、イヤホンからの音声に混ざって、あの歓声が聞こえてくる。昨日のことのようにも、何年も前のことのようにも思える。
 思えば、あの頃ほど楽しい時期はなかった。ガラル中を回るのも、ポケモン達を育てるのも、強い相手とバトルするのも――なにもかもが新鮮だった。そりゃ、負ければ悔しかったけど、それが苦痛とは思わなかった。
 そう。あの頃、僕達は――
「――!?」
 がくん、と体が前につんのめった。危うく前の座席に頭をぶつけそうになったが、レオンが支えてくれる。僕の代わりに、彼が母さんに声を掛けた。母さんはごめんね、と一言断ってから言った。
「ガアちゃんが……いきなり、止まったのよ」
 フロントガラスを覗き込むような母さんの姿勢。釣られて僕も前の座席に身を乗り出そうとする。だが、レオンがそれを制した。
 レオンちゃん? という問いかけに彼は答えない。細くて長い体を器用に座席の間に滑り込ませ、助手席へ移動する。呆気に取られる母さんに、レオンは今――たった今まで座っていた場所を指した。
 母さんは少し戸惑ったようだけど、レオンの圧に押されて大人しく従った。僕の隣の席。そうさせた本人はといえば、助手席でじっとフロントガラスの向こうを見つめている。僕が見ようとしても、手で制される。
 気のせいだろうか。先ほどから、ゴロゴロという音がする。それも、かなり近くに。かなり曇っているが、雨は降っていない。これから降るのだろうか。
 そう思った瞬間。

 ――目の前に、光が落ちた。

   ***

 白き閃光。そんな感想を抱いたのはもう少し経ってからだ。とにかくその時の僕達は目を庇うことに必死だった。冗談ではなく、本当に目が焼けるかと思ったから。
 幸いにもそれは一瞬で消えた。当然だ。雷なんだから。だけど少し遅れて凄まじい音が聞こえ、また僕らは目を瞑った。状況が把握できたのは、レオンがフロントガラス越しに外を見て叫び声を上げたからだ。
 そのただならぬ様子に、僕も後部座席から身を乗り出す。そして息をのんだ。マサル!? という母さんの声を振り切り、外に出る。
 車から五メートルほど離れた地面。そこに、たった今まで僕らを先導していたガアコが倒れていた。
 抱き起そうとした瞬間、横から伸びて来た手に遮られる。僕を追ってきたレオンだった。どうして、という顔を無視し、僕の鞄からボールを取り出す。その中身を見て、僕は彼の言わんとしていることを察した。
 スイッチを入れれば、出てきたのはバドロとフィア。前者はバンバドロ、後者はエーフィ。フィアに軽い“サイコキネシス”の指示を出し、倒れたガアコをバドロの背中に乗せてもらう。乗せた瞬間、一瞬だけバドロがぴくりと動いた。が、すぐにいつも通りの様子になる。
 ガアコはといえば、気絶こそしているものの目立った外傷はなかった。彼女がひこうタイプ単体ではなく、はがねタイプとの複合だったのが幸いしたのだろう。
 ほっとした僕は、しかし聞こえてきた音に辺りを見回した。僕だけじゃない。皆気付いている。

 ――なにかが、僕らの周りにいる。

   ***

 バドロが僕の襟首を持ち上げた。何が起きたか理解する前に、視界一面靄が掛かったようになる。バリバリという音に、ふわりと髪の毛が浮く。
 レオンが眉を顰めて体中を叩く。フィアが不愉快そうに身震いする。バドロに跨った僕は、少し考えてスマホを取り出した。
 “――これで、手持ちポケモンに指示を出せる。マクロコスモスが開発していたアプリだ”。
 続いて鞄から、“ぼうじんゴーグル”を取り出して放り投げる。レオンがキャッチしたことを確認したバドロが、勢いよく鼻息を噴き出した。
 肌をちりちりと撫でていく、細かい感触。視界の悪さがひどくなる。これでいい。
 フィアに指示を出す。彼女は賢いから、僕が行動する前に力を溜めている。ボタンを押した瞬間、額の石が光った。
 スマホが震える。母さんからのメッセージには、大丈夫なのと書いてある。この状況下、ポケモンを持っていない自分は足手まといになると判断したのだろう。そして僕に対しては、ポケモンが付いているからきっと――大丈夫だ、と。
 しばらくそこにいて、と返信して再びアプリを開く。が、レオンは既に臨戦態勢に入っていた。方角さえわかれば、すぐに撃てる状態で。
 さっきも言った通り、視界は最悪だから碌に周りの状況はわからない。固まっている僕達がお互いを認識できるくらいだ。
 でも、それは向こうも同じはず。
 十秒、二十秒、三十秒。短いようで永遠にも感じる時間が過ぎた頃、バドロの耳がぴくりと動いた。最初は一回。間髪入れず、三、四、五回。フィアの毛が全身逆立っている。頭上には無数の星型の光。それらがどんどん増えて増えて、渦を巻く。
 雄たけびと共に、星が一直線に空間を切り裂いて飛び出した。と同時に、レオンの指から水泡が発射される。
 ブランクが多少あるとはいえ、ポケモン一体捕らえるには充分だろう。予想通り、放った方角から鈍い音がした。
 視界が徐々に開けていく。黒い影が一体。四足歩行だろうか。さっきの音はおそらく直撃で倒れたことによるものだろう。だがそれだけでは足りなかったらしい。
「……」
 僕達の立っている場所から、約十メートル。そこに、一体のポケモンがいた。色は黒よりのグレー。その体に、無数の白い線。フォルムはバドロに近いけど、体型が全く違う。
 さきほど与えたダメージは相当のものだったはずだ。現に、足が震えている。しかしその目は全く光を失っていない。倒れてたまるか――そんな意志が伝わってくる。
 空気が張り詰めている。レオン、フィア、バドロ、そして僕。全員が警戒を解かず、いつでも技を出せる態勢だ。
 睨み合い、そしてどこかで小さな音がした時。

「そこまで!」

 頭上から、声が落ちてきた。

   ***

 空を仰ぐ。
 ぶぶぶぶ、というモーターのような音と共に宙に浮いていたのは、クワガノンだった。その足にぶら下がっているのは、一人の女性。
 年齢はたぶん、僕より少し上。ベリーショートに……薄暗くてわかりにくいけど、たぶん金髪。でもそれよりずっと目を惹いたのは、彼女の恰好だった。
 目元にゴーグル、頭にヘルメット。そして服装はうっすら僕の記憶に残るもの。最初に見たのは、ターフタウンのジムだったか。ユニフォームショップだった気がする。
 そんな僕の視線に構わず、彼女は地面に降り立った。僕と――先ほどまで一触即発状態だったポケモンを交互に見て、なるほどと頷く。
「バンバドロに“すなあらし”を張らせて、相手から自分達の姿と動きを隠す。エーフィの“みらいよち”を周囲に張っておき、動きを止める、そこに必中技の“スピードスター”、そしてインテレオンの“ねらいうち”。
 先に謝っておくよ。……うちのファームのポケモンがすまなかった」
「あら、ではあなたが?」
 背後から母さんの声が聞こえた。ええ、と彼女が言う。
「ガラル地方の新チャンプ、マサル。そしてお母さまですね。ダンデ……オーナーから話は聞いてます。
 ――あたしはオークス。でんきジムのリーダー」
 ま、今はマイナーだけど。そう言って自嘲気味に笑った彼女の背後で、あのポケモンはまだこちらを見ている。
 ただ、その視線がどこか先ほどと違うように見えたのは――

 僕の、見間違いだろうか。

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