電子音と打鍵音が絶え間なく響く。
白い照明、白いデスク。モニターの画面は大小問わずほとんどが濃紺で構成されており、静止画のように同じ空間を写し続けていた。
分厚いコートを着た壮年の男は立ったまま、時折右腕に付けたデジタル時計を見遣り、一室の壁を陣取っているポケウッドのスクリーンほどの大画面を穴が空くほど凝視していた。
後部の自動ドアが静かに開く。そこから慌ただしくネームプレートを揺らして白衣を着た初老の男が駆けつけてくる。
「遅れました。様子の方は」
「動きはない。そろそろ来る頃合いか」
壮年の男はもう一度腕時計を確認する。
「再通知になりますが、ポリゴン全機の戦闘配置は完了しております。宇宙空間での動作テストも問題なし、先ほど最終確認でシステムの簡易検査も行いましたが、例の乙型違法プログラムの混入も認められませんでした」
「ご苦労。ヤマブキからトクサネの長旅は大変だっただろう。後は専門のオペレーターがやってくれる。貴方は休んでもらって構わない」
デスクの前二列、スーツやパーカーと不揃いな服装の人間が背伸びをしたり、深く息を吐いたりと、各々のやり方で緊張をほぐしているように見える。初老の男は恭しく頭を下げて、「ええ、ええ、いえいえ」と並んでモニターを見上げた。
大画面の左隣に連なったモニターには観測衛星からの映像を出力している。星空には不釣り合いな、ピンクと青の流線型が数多く散りばめられていた。無作為に浮遊しているように見えて、誰もが鼻先は空間の一点を機械的に向いている。
「……しかし、ええ、疑ってる訳ではないのですが、本当に来るのでしょうか」
壮年の男は胸元のポケットから端末を取り出すと、慣れた手つきで指を動かす。やがて手を止め、短く息を吸った。
「UTC+10、11月7日、23時21分14秒±150。北緯25.98708、東経151.18481、高度460,811km。“向こう側”からの指定が正しければ、奴は間違いなくこちらの世界へ侵入する」
「“向こう側”、ですか」
ご機嫌取りの初老から、笑みが消えた。
七年前、島国アローラを始めとして突如世界中に異次元の穴が空いた。そこから現れた異形は人々を震撼させ、同時に“向こう側”の存在も知れ渡ることとなった。
一時は驚異の排除のため団結していたが、政治や外交が絡むとものの数ヶ月で険悪となる。技術や資源は“向こう側”が優れ、人員と領土の規模は圧倒的にこちらが上だった。上層部が横柄になるのは必然だった。
貿易こそ続いているもの、水面下ではお互いいつ出し抜こうかと探り探りなのが現状である。
「案ずるな。いずれにせよ我々の為すべきが外敵の鎮圧であることに変わりはない」
ポケモンの外来種の持ち込みは現在事実上の容認になりつつある。しかしポケモンでない何かがそこに紛れようとすると、政府は思い出したかのように駆除令を発行した。一般のポケモンに比べ危険度は遥かに高いが、それは建前で、本音は未知に対する異物感があったように思える。
会話は止み、管制室は再び機器の音で満ちる。
やがて、堰を切ったようにオペレーターたちが動き出す。キーを手際よく叩き、ヘッドセットを装着、モニターへ釘付けとなった。
「始まるぞ。開始まで残り42秒」
打鍵音が、消えた。
端のモニターには、衛星の他に外付けされたカメラを通してポリゴンが視点の映像を送り続けている。無重力空間でも一切動きのない絵だった。零下の戦前、機械ですら壊れそうな過酷で、彼らは何を思っているのだろうか。
静寂の果てに、状況が動き出したのは、指定時間圏内に入ってから152秒後のことだった。
「……作戦ポイントに次元断層エネルギーを確認。ウルトラホール、出現します」
「来たか」
虚無を映し続けた画面の風景たちが一斉に歪み始める。ひび割れ、光が溢れ、黒曜の如し闇を文字通り破って──それは現れた。
『戦艦』。最初に浮かんだ文字は畏怖と圧倒の具現だった。
ガラスのように砕け散った空間から尖塔が突き出し、緩やかな錐揉みを描いて悠々と進行する。二門の砲槍が並走して穴を広げ、果実のような曲線の円錐状が全て出終わる頃には、既に人工衛星カメラのフレームに収まっていなかった。
あまりに想定外の巨大だった。
「──UB04、BLASTER。成る程。“向こう側”が手を焼いた訳だ」
ポリゴンたちはシークエンスに従って、侵入した瞬間から“10まんボルト”による攻撃行動を開始していたが、まず巨体の質量が直撃し、9m級を想定して至近距離にいた数十機が粉砕された。衝突を逃れようと電磁力で退いた個体も大半が撥ねられて衛星軌道外かスペースデブリと化した。モニターに「NO SIGNAL」の黒画面が現れ始める。
「特異個体の通達は一切無かった。やってくれたな、奴ら」
衛星が捉えた、自らの社の主戦力が羽虫の如く散らされてゆく様に、初老は思わず口元を押さえた。対象的に壮年の男は淡々とオペレーターに尋ねる。
「現状の損壊報告を」
「43機がダウン、9機が制御不能、残存戦力は約71%、戦闘継続に支障はありません。現在追撃中です」
画面は切り替わって、別の衛星が遠距離から戦況を映した。ゆっくりと、しかし着実に蒼星へ進む巨体は、先の映像から照合して30から40mはあるだろうか。錯覚しているだけで実際には相当な速度が出ているはずだ。それに纏わり付いて追いかけるポリゴンの群れは、飛行機のストロボライトのように点滅して無数の星に紛れていた。
「オペレーター、視点の映像を」
カメラが切り替わる。激戦の真っ只中、視界の左右には散開して攻撃を仕掛けるポリゴン、正面には端麗な着物に似た厚手の鋼鉄を見据えて無音の電撃が放たれている。百単位の弱点属性を受けてなお、異形の鉄塊は微動だにしなかった。
「リアルタイムでステータスの『ダウンロード』と更新を継続していますが、未だ波長に変化なし。外殻に防がれて本体に届いていない可能性があります」
「規格外も伊達ではないか。全機、頭部から首への攻撃を指示しろ」
壮年の男の命から間も無く、編隊は軌道を変える。“こうそくいどう”による加速はじわじわと巨体を追い抜いてゆく。そのスケール、存在故に触れようものなら一方的に破壊されてしまうもので、数機はたどり着く前に弾かれて彼方に消えた。規則的に追従する砲塔を掻い潜ったいくらかが、はだけた細身の内側に張り付いた。
「……、ステータスに変動あり! バイタルの乱れを確認。ターゲット、減速していきます」
「捕獲型(キャプチャー)の状態は」
「14機が活動中。うち3機は交戦中です」
「そのまま続けろ。奴が自立飛行を止めたタイミングでボールを射出する」
巨躯は身じろぎこそしなかったが、下部の推進動力からの出力は不安定になりつつあった。その動きが鈍った隙を──胴の両脇に直方体の射出機を設置された個体も含めて──攻めあぐねていた分隊が突貫する。ミツハニーが如く纏まり、モニターの映像を黄金色に染め上げた。先端部の目によく似た二つの発光部が薄ら点滅しているのを衛星が捉えた。
「“10まんボルト”の残りPPが30%を切りました!」
「ターゲット、バイタル大幅に低下」
「捕獲型は照準を合わせて待機中」
容赦無く鋼鉄を蝕む高電圧。本体と並行して衛星を描き続けていた二本柱がついに左右別々に揺らいだ。そして、もはや慣性のみで進んでいた異形は傾き、ポリゴンのプログラムはこれ以上の攻撃を不要とし、一気に責め具の手は止まった。
「ターゲットの沈黙を確──」
ここにいた誰もが勝利を確信していた。
だからこそ、同時に異変は起きていた。
「待て……様子がおかしい」
そして、呆気に取られた。幾度も電撃を防いできた装甲が、面白いくらい簡単に剥がれ落ちたのだ。次いで砲槍までも、まるで横線模様の最初から割れる作りで出来ていたかのように先端が落ちた。二本目もつられるように零れて、
──尖塔の切れ目に光が戻った瞬間を、壮年は見逃さなかった。
「不味い! 捕獲型!」
指示が飛び交うより早く、再始動した巨体は待機兵たちを無慈悲に轢いて突き飛ばしてゆく。返す言葉のほとんどが大破報告へと変わった。
鋼鉄の鎧は外(こわ)れたのではない、外(“パージ”)したのだ。
「その図体で逃げに徹するかッ……損壊は」
「今ので58%がやられました! 捕獲型、残り2機!」
「逃すな、射程に入り次第即刻撃たせろ」
「ターゲット、大気圏内に突入! 引き離されていきます……!」
削ぎ落とした己の肉身の代償は、あらゆる外敵にも比類ない圧倒的な敏捷だった。蒼星から影を伸ばして加速する異形は、さらにその身を摩擦熱に溶かしてゆく。──最終防衛線である大気を浴びて。人類科学の結晶は、その結末を読んだ主人の意に反し、届かぬと知れど、ただシークエンスに従って抗い続ける。
「……!! 新たな次元断層エネルギーを確認! 何かが、来ます!」
モニターが慌ただしく切り替わる。目的のアングルを一つ通り過ぎてから戻ると、確かに画面中央に小さく空間の裂け目が出来ていた。此の期に及んで新たな脅威が出現するというのだ、管制室が冷静でいられるはずがなかった。
ふ、と、白んだ七色が、異次元から灯った。
光華は無数の線へと変貌し、一瞬にして屈折、直進する。軌道に薄虹色の残滓を残して、闇に消えた。
それが攻撃であったことを理解したのは、照射先──ポリゴン視点の映像──で、かの巨体の身に幾多もの風穴が空いているのを認めたからだった。
貫いた背に歪みが生じる。たちまち割れ、砕け、ウルトラホールが出現した。崩れかけの鉄塊が破片ごと吸い込まれてゆく。なすがままに呑まれ、その姿が完全に光に溶けると、異空間への入り口は役目を終えたように薄れてなくなった。
「ターゲット消失……もう一つのホールから生体反応を確認」
衛星の映像が拡大された。荒れた画質の中、無機質な『手』が異次元を裂いて現れる。
宇宙の闇すらも塗り潰すような黒だった。
甲冑に似た頭部、到底歩行には使われないであろう鳥型の足。巨体を一撃で屠った光線の主はそれの一割にも満たない体躯をしていた。が、その中でも際立って『手』は大きく、異質だった。まるで何かを奪う役割を与えられているかのような……。
「データベース照合……未確認の生命体と断定」
「こちらの戦力は」
「残り18機です。うち2機が捕獲型、ですが」
「……仕向けられたか、あるいは」
未だ閉じる気配のないウルトラホールを背後に佇む黒色。顔と思わしき部位は地球を見下ろしていた。ステンドグラスの赤に挟まれた緑は、目、だろうか。
その緑が、不意に、『こちら』を向いた。
「…………!」
カメラから顔を逸らし、再び星を見る。なけなしの戦力で警戒態勢を敷いていたが、隊は気にも留めず、やがて振り返ると、異次元へと戻っていった。最後の大穴が、消えた。
「反応、消失……」
静まる管制室。機械仕掛けの神でも降ったかのような転覆に、もはや人類が介入できる余地はなかった。オペレーターの何人かが壮年の男を見上げた。
「……帰投可能なポリゴンと、ターゲットが切り離した残骸をサンプルとして回収しろ。他は戦闘データの回収を。撤収準備が済み次第、本作戦を終了とする。皆々、ご苦労だった」
了解、と疎らに返事をすると、現場は打鍵とともに再度動き出す。隣で足を震わせていた初老が深く息を吐いて脱力した。こういった緊張感には不慣れなのだろう、会社への土産話の欲しさ一つに首を突っ込む様は哀れむか感心すべきか。
「ほ、終わったん、ですよね」
「被害とイレギュラーに目を瞑れば危機は免れたと言って良いだろうな。……ああ、あと誰か、アローラ出張中の局長へ記者会見の連絡を入れてほしい。日程は後日追って連絡すると」
後方で局員たちは顔を見合わせ、その中から眼鏡をかけた中年が手を挙げた。
初老、
「最後のアレは一体……衛星の方を見ていましたが」
「いや、」壮年は少し考えて、「衛星ではなく、アレは我々を覗いていた」
「と、申しますと」
壮年の男の瞼で、様々な思惑が交差する。“向こう側”と七年前の事件。政府が隠したモノ、そして──先の黒き異形。目を見開き、口角を上げ、言った。
「差し詰め、我が子を連れ戻しに来たと言ったところか」
トクサネ宇宙センターの研究室の一角で。
夜空の色をした綿雲は、カプセルの中で安らかに寝息を立てていた。