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ヒラガナ達ノ逆襲

作者:ぬ

 この世界は、片仮名が多い。
 フシギダネ、ヒトカゲ、ゼニガメ。極稀にまるで不意を討つようにアラビア数字やアルファベットが混在することはあるが、ポケモンの種族名は基本片仮名のみで構成されている。オーキド、タケシ、カスミ。人名も片仮名だらけで平仮名が使用されているところは見た記憶なし。カントー、マサラ、トキワ。なんと愚かな! 地域名すら片仮名どもに支配されているではないか。ああ! そうだ! ポケットモンスター、という言葉自体も!
 この世界では平仮名が場を占拠することはほとんどない。少しは平仮名のポケモン、人間が存在しても良いだろうに、何が楽しくて平仮名を邪険に扱うのだろうか。西洋気取りの成れの果てがこの有様か。私は怒りを抱いている。ふざけるな、という言葉以外何も湧いて出ない。怒りが復讐心へと進化を遂げるのは時間の問題だった。




『ヒラガナ達ノ逆襲』




『トキワのもり』のゲートを見つけた少年はホッと溜息をついた。夜の森はポケモンが寄ってきても気がつきにくいからちゃっちゃと抜けちゃいな、と母から口酸っぱく言われていたにも関わらず時刻は既に二十三時過ぎだった。ともあれ、ここまでくれば一安心。鼻歌でも歌いながら気楽に『ニビ』まで歩けば良い、など気を楽にしつつゲートを抜けた直後、黄色い光が彼の目を襲った。
「危なっ、何これ!」
 直進してくる光を彼はすんでのところでかわした。得体の知れない光の塊は舗装された道に当たり四方八方に拡散する。コンクリートでできた道はほんの少し黒ずんでいたが、抉れてはいないようだ。
 街灯に照らされた道中にぽつんと置かれたポストには、一匹のポケモンが立っていた。黒一色の身体に巨大な目が一つ。郵便局のマスコットキャラには百%似つかわしくないそれは、何も発さず少年を睨んでいた。
「アンノーン?」
 確かに見た目や雰囲気はアンノーンらしい。だがアンノーンは本来、AやBなどアルファベットの形をしている。気味悪いことに眼前のアンノーンは、平仮名の「へ」の形をしていた。もっとも、片仮名の「ヘ」の可能性もある。ただ片仮名にしてはどことなく線にスタイリッシュさが足りないので恐らく平仮名だろう。
【へ】は再び光の塊を作り出し少年を攻撃する。「へ」は短い棒と長い棒が合わさることで成り立っている。【へ】は長い方の棒の先端を敵に向け、鉄砲玉を発射するかのように技を繰り出した。こいつが本当にアンノーンならこれは『めざめるパワー』、黄色いからタイプは『でんき』なのだろう、と少年は考えた。
 少年は攻撃をかわし、腰につけたボールからポケモンを出して応戦を始める。出したのは紫色の身体にコミカルな形の口と目が備わっているメタモンだ。幼いときから寝食を共にした彼の相棒だった。
「『へんしん』!」
 メタモンは粘土遊びでもするかのようにグニャグニャ自身を変形させ、敵と瓜二つの外見に変わる。二つの「へ」が互いに睨み合うという奇妙な状況の完成だ。
「『めざめるパワー』!」
『めざめるパワー』の種類まではコピーできない。メタモンの放つそれは全く別のタイプ・威力の技となる。そして幸運なことにその塊は黒色で、恐らくタイプは『ゴースト』だった。
【へ】は効果抜群の技をもろに喰らいポストから落下。近づいてみると、目は閉じられピクリとも動いていなかった。審判がいれば迷いなく旗を上げるだろう、完璧な戦闘不能の状態だった。
 夜道に突如現れたから強そうに見えただけだった。意外にも【へ】は呆気なくやられた。鉄砲の猿真似をしていたが【へ】の攻撃は鈍くて人間でもかわせたし、全体的に能力が低かった。
「良いよ、もう『へ』になってなくて」
 メタモンは『へんしん』を解除しなかった。元に戻るよう促すが無視して倒れた敵を睨み続ける。
「えっ」
 振り向くと【へ】はボロボロの体に鞭打って立ち上がり、今まさに懇親の『めざめるパワー』を放とうとしていた。だが、メタモンが一足先に塊の生成を完了させて【へ】にぶつけた。吹っ飛ばされた【へ】は背後の木に衝突し、うつ伏せに倒れた。
 木に衝突するほんの少し前のタイミングで、メタモンは元に戻っていた。
「……」
 メタモンは首を傾げながら、自身のグニャグニャした手足を見つめていた。
「びっくりした。まだ立ち向かってくるなんて」
 少年はお礼を言って相棒をボールに戻す。危なかった。相棒が気づいてなかったらと思うとゾッとする。


 次の町のポケセンにて回復を済ませた後、パソコンで手持ちの状況確認を行った。全員のレベルと身につけた技を踏まえ、ジムに挑んで良いものか脳内で討議する。
 全体的にレベルが低いから更に育てる必要がある。また、相棒のメタモンは十分なレベルに達しているものの、致命的問題があった。まだ、一切技を覚えていないのだ。
 無線通信によってポケモン図鑑のデータを確かに送り込まれたパソコンの画面には、全く技名が表示されていない変わりに「Error!!」が必死に吐き出されていた。
 あちゃーと呟きながら少年は頭を掻いた。
「そうだ。まだあいつは技を覚えていないんだったね。なんとかしないと」


『カントー』のどこかにある、最新版にアプデ済みのタウンマップにも記されていない遺跡。階段を降りた先では、多種多様な形のアンノーンがふよふよ空中を漂い混沌としていた。アンノーンと言えば『アルフのいせき』を連想する人が大半だろうが、そこに生息する者とは異なり皆平仮名に対応しているのが特徴だ。「あ」から「ん」まで、濁音、半濁音なども含め、各平仮名のアンノーンが一匹ずつ存在している。
「今日の点呼で発覚したの。ついに出ちゃったわ」
「え、まさか」
「一匹減ったらしいわよ」
「おいおい。まだ数日しか経っていないんだぞ。人間に負けたのどいつだよ」
「分からないに決まってるじゃない。やられたアンノーンのことは、私達の記憶からも綺麗さっぱり消えるのよ」
「なんか良い方法ないのかよ。誰が終了したか分からないの不便過ぎるだろ」
「無理よ。遺跡の壁とかに書こうが掘ろうが、やられた直後に消えちゃうんだから」
 テレパシーで会話しているのは【め】と【る】だ。
「はあ。まったく、ついに犠牲が生まれてしまったか」
 二匹の会話に【ざ】が口を挟んできた。
「こんなことして何になるんだか。正気の沙汰じゃないぜ、やれやれ」
「濁音は俺らとテレパシるな」
 自分らの活動を根本から否定し始める【ざ】を【る】は割と酷い言葉で罵った。
「お前が黙れ【ろ】」
「俺は【る】だ。何回も言ってるだろ。しっかり見ろ、足が丸まってるだろ」
「あのさあ【ざ】……。思うのは自由よ。でも口にはするんじゃないよ。リーダーに聞かれたら終わるわよあんた」
【め】に注意され【ざ】の頭についた二本の棒がピクッと反応した。
「分かってるよ……。あいつの前で言うわけないだろう」
 アンノーンの中でも濁音は自分らの活動に懐疑的なことが多かったが、大っぴらにそれを言うことはなかった。
【め】と【ざ】と【る】は基本的に現場で働くことはなく、主な役目はアンノーンの勤怠管理や研修、能力判断などだ。三匹が消滅してしまうと、アンノーンが唯一使える例の技が世界からなくなるからだ。


 有り体に言えばアンノーンは人間をやっつけようとしていた。彼らは人間を憎んでいた。その憎しみは大層なものらしく彼らは命燃え尽きるまで戦うつもりだった。
 そしてもう一つ。人々にとって不都合なギミックを告げなくてはいけない。
 アンノーンが敗北すると、その平仮名が世界から消えてしまう。「最初からなかった」ことになる。
 例えば【み】のアンノーンが人間を襲ったものの、返り討ちにあったとする。その瞬間、人々から「み」という平仮名の記憶がなくなる。誰も「み」を発せなくなる。小説でも漫画でも「み」を使えなくなる。世界から「み」がなくなるということはそういうことだ。
 なお、「ミ」や「見」は消滅せずに残る。
 また、他の言葉に言い換えられるなら、言い換えてしまえば特に問題はない。
 ただし、固有の名称(各々に与えられる特有の名前)に関しては言い換えのしようがない。言い換えができないものに関しては、この世界に、存在しないことになってしまう。「み」が消えれば、名前に「み」がついた人間や地域(『おつきみやま』など)は消えてなくなる。ポケモンの技なども同じこと。「み」が消えれば『みずてっぽう』という技も『ふみつけ』という技も消滅する。誰も使うことができなくなる。


「ああ! 【あ】さんお疲れさまです!」
 平仮名の「あ」の形をした者が何も言わず通り過ぎろうとしたため、裏方三銃士は慌てて頭を下げ挨拶した。誰もが想像つくだろうが【あ】はアンノーンのリーダーだ。人に対する復讐を宣言したのは彼であり、アンノーンを従え人間と衝突させているのも彼であり、即ち人間側の視点から見ると黒幕という立ち位置になると言えるだろう。
 遺跡の奥にある小さな空間の壁には、アンノーンが「あいうえお表」通りの順で描かれていた。反対側には片仮名のアンノーンも描かれていたが、べっとりとした赤いインクで太いバツ印をつけられていた。
「この世界には、片仮名が多い」
 それらの表をじっと眺め【あ】は静かに独り言を放った。
 アンノーンは、強さによって序列が決められている。【あ】は様子見も兼ね、ひとまず序列が低い者から順に人間と戦わせていた。アンノーンの強さは大凡「見た目」や「発声したときの響きの良さ」に比例している。少年如きにやられた先程のアレのように、フニャフニャした身体つきを晒していて、かつ響きも間抜けそうな者は序列が低く、逆に、アレやアレのように身体のラインが美しく逞しさを感じる者は序列が高い。
【あ】は「絶対に人間に勝利できる」なんて甘く考えてはいなかった。中にはジムリーダーや四天王、チャンピオンといった、野生ポケモンなど軽く捻り潰せるレベルのトレーナーが多くいることも知っていた。もしかしたら仲間達は全滅し、最終的に黒幕の自分は身体をバキバキに折られ、公衆の前に首を晒されてしまうかもしれない。
 ただ、何ならそれでも構わない。ああ、構わないのだ。アンノーンがやられる度に、世界から平仮名が一つずつ消えていく。全滅した場合、平仮名を使えない不便な生活を強いられることになる。そうなれば、平仮名の有り難みを身を以て知ることになるだろう。今まで邪険に扱ってきたことを後悔する筈だ。
 それならそれで「目的が達成された」と表現して良いかもしれない。
 だが、分からない! 平仮名が消滅しても片仮名と漢字はまだ残る。元々人々は平仮名をたいして使ってこなかったわけで、平仮名が使用不可になったとしてもそこまで不自由にならない??? だとしたら、我々の死は無駄に終わってしまうということなのか。分からない! 人間の生活がどう変化するか見当がつかない。だが、憎しみを胸に抱いたまま何も行動しないのも耐えられない! 我々はやるのだ! 命が燃え尽きようとも! 無駄に終わるかもしれなくても! 人間に我々の、平仮名の、聖なる意地と偉大なる生き様を見せつけるのだ!




 ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。




 多くの観光客を乗せた船が『ナナシマ』に向かっていた。
「ねえ、この船ってどこに向かってるんだっけ?」
「え? 『ナナシマ』に決まってるじゃん」
「そうじゃなくて、『ナナシマ』のどれ?」
「ああ、『3のしま』だよ」
「なんか『3のしま』ってあれだね。そのまんまの名前だね」
『ナナシマ』は七つの島で構成されており、各島は『1のしま』『2のしま』など呼ばれている。そういう名称であり他の呼び方をされることは基本的にない。
 船に一匹のポケモンが秘かに紛れ込んでいた。紛れ込んでいたのはアンノーンの【し】だ。【し】は船の背部の手すりにまるでハンガーのようにぶら下がっていた。何の洗濯物も干せないハンガーは時折暖かい潮風になびいている。
「大丈夫かなあ。二番目に弱いんだよボク。はあ。とりあえず、誰をターゲットにするか決めなきゃ」
 二つの意味で掛け替えのないハンガーを乗せた船は、そろそろ『3のしま』に到着しそうだ。

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