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アセンションへようこそ File1:ニャスパー

作者:生命力カイム


 夜明け前の高速道路を、時速130kmで駆け抜ける軽自動車が一台。車体は唸りを上げている。
「おいおいトモルぅ、大丈夫かこれぇ」
 助手席の風弥(ふうや)が、おどけた声を上げた。揺れる車体に恐怖を覚えているらしい。
「寝坊するお前が悪い」
 運転席の灯(ともる)は、意にも介さず吐き捨てた。時計をちらと見る。この調子なら、何とか時間通りに依頼者のもとへたどり着けるだろう。
 ふいに、車体が風に煽られる。うわぁっ、と情けない声を上げる風弥。
(眠気覚ましには丁度いいだろ)
 何かあったところで、こいつは死なないだろうから。
 灯はハンドルを握り直す。スリリングな旅は続く。

 日の出を少し過ぎて、二人は目的地へと到着した。
 懐かしさを覚える、自然豊かな田舎の風景。眼前には田んぼと山が広がっている。懐かしいのは当然といえば当然だった。一般的な心の原風景というだけでない。この場所は、灯と風弥が学生時代を過ごした地元なのである。
「おはようございます」
 依頼人は、すでに来ていたようだ。スーツを着た女性……岸本希恵。彼女は自分の顔を見るなり、相貌を崩した。
「やっぱり灯くんだよね。高校の時一緒だった。覚えてる?」
「うん。まぁ。覚えてるよ……岸本さん」
 彼女の顔は、高校時代の頃の面影を残したままだった。
 グレーのスーツと整えられた髪はきっちりとした印象を与えるのに、笑った顔はまるで無邪気な子どものようだった。
「灯くんだったら、きっと大丈夫だね。高校の時、私を助けてくれたみたいに」
 彼女はガッツポーズを取る。灯はその慣れ慣れしさに面食らった。いくら昔の知り合いとは言え、仕事で会っているんだから。こういったところは、相変わらずだと思った。彼女との因縁は高校時代、行方不明になった彼女を助け出したことから始まる。
……そして、怪異たちとの因縁も。
 その話はいずれするとして、今はこの仕事だ。
「僕たちはもう大人だ。君は仕事を依頼する。僕はそれを請け負う。仕事が終われば、その分の報酬が支払われる。そうだろう」
「もちろん。頼りにしてるんだから」
 あっけらかんとした様子で、岸本さんは頷いている。
 もう少しドライにやれないものか、とため息をつく。
「それじゃあ、改めて確認だ。今回の依頼内容は、この山の木が薙ぎ倒される現象の原因を調べること。それが怪異によるものだった場合、対象を捕獲すること。それでいいね」
「うん。大丈夫」
 彼女は頷いた。
 灯は足早に車へと戻る。助手席のドアを開けて、気絶したように眠っている風弥に声をかける。
「おーい、行くぞ」
 あーい、と重たい声を上げながら風弥は身体を起こす。結局道中は寝ていたのだから、呑気なものである。
「あー!」
 風弥が車から降りるなり、岸本さんは叫ぶ。
「もしかしてフーちゃん? 大人になったね。ってかフーちゃんまだ灯君と一緒だったんだ~本当に二人とも仲いいよね」
「おいやめろっ、頭を撫でるな!」
 岸本さんは笑いながら容赦なく風弥の髪をぐしゃぐしゃにする。
(風弥のフーちゃん呼び、久しぶりに聞いたな)
 灯はくっくっと笑いをこらえる。岸本さんの馴れ馴れしさが他人に向けられているさま(特に風弥に向けられている時)は、見ていて微笑ましくなってしまう。
 気が緩みそうになるから、ほどほどにして欲しいところだが。

 一通りのやりとりが終わって、三人は山の中へと入っていく。
 近隣の住民が生活のために使っている道を辿って、奥へと進む。普段登山などしないものだから、歩き慣れない道を歩くのには苦労する。
「まずはここだね」
 傾斜が少し緩んだところで、岸本さんは立ち止まり、斜面の方を指さした。
「これは確かにひどいな」
 生えていた木が、10メートル近くに渡って薙ぎ倒されている。薄暗い山中で、ぽっかりと穴があいたように日が差し込んでいる。
 木は全て同じ方向に倒れており、その根本は横から力を加えて折られたような跡があった。少なくとも、チェンソーで切ったのではない。木の枝を手で折り曲げた時のような、ささくれ立った断面だった。
 倒された木が他の木にぶつかり、連鎖するように倒れている。
(自然に倒れただけでは、こうはならないはずだ)
 灯は倒れた木に触れた。何かしらの大きな力が加えられたような形跡のように思えた。
「他にもあと3カ所あるけど、そっちも見る?」
「ああ、頼むよ」
 岸本さんの提案に、灯は頷く。
 規模の大小はそれぞれ違ったが、どの現場も木の倒れ方は似たようなものだった。
 灯は折れた株に触れ、優しく撫でた。ギザギザの断面は、あまりにも無惨な姿だった。
 これほど強く乱暴な力だ。山の木が不必要に倒されるのも問題だが、折り倒される瞬間に誰かが巻き込まれてしまっては、ひとたまりもない。なるべく早く対処した方が良さそうだ。この山を利用している近隣住民のためにも、そして、怪異自身のためにも。
(僕の予想が正しければ……)
 おもむろに、灯は鞄から方位磁石を取り出した。そして、周囲の状況と見比べる。
「岸本さん、周辺の地図ってある? できれば書き込めるような、紙ベースのやつだといいんだけど」
「うん、あるけど」
 岸本さんは鞄からネットで印刷したと思われるA3サイズの地図を取り出し、灯に渡す。
「書き込んでいい?」
「うん、いいけど」
 地図には、現場の場所が赤で囲まれている。灯はペンを取り出し、現在の場所に矢印を引いた。
 地図を畳んでおもむろに顔を上げると、風弥が一方向をじっと見つめていた。
「どうした?」
「いや、なんかあの辺の木の陰からじーっとこっちを見られてるような気がして」
 風弥はぐるぐると指さした。灯もその方向を見つめてみるが、何も見当たらない。
「そうなの? 何もいないと思うけど」
 岸本さんは首を傾げる。
「……いや、いるよ。風弥が言うんだから、間違いない」
 灯はそう呟いた。
「戻ろう。他の場所をもう一度確認しつつ、捕獲道具の買い出しだ」

 全ての現場を確認し終えて、地図に矢印が引かれる。
「これ、何の線? 全部同じ方向に引かれてるけど」
「木の倒されている方向だよ。全部、西北西の方を向いて倒れている」
 灯は紙を裏返し、円を描いた。
「岸本さん、地球の自転って分かる?」
「そりゃあ当然。自転してるから、太陽が東から昇って西に沈むんでしょう」
「そう。それはつまり、地球が西から東に向かって回転してる、ってことなんだ」
 円の左側に西、右側に東と書き、西から東へ矢印を引っ張る。岸本さんは少し難しい顔をして、しばらくの後に頷く。
「そして地球は、あまりに早いスピードで回っている」
 ぐるぐると、ペンで何度も地球を模した円を回す。
「そんな中で、ある一つのものだけがぴたりと急に静止したら、どうなる? 他のものが超高速で回転しているなかで」
「うーん、一つだけ止まっちゃったら、取り残されて後ろの方に飛んでいって……あっ」
 岸本さんは言いたいことに気付いたようだ。
「そう。折れた木は、急に地球の自転を無視して静止させられたんだ。怪異の力によってね」
 静止させられた木は折れ、自転に取り残されて後ろの木を巻き込んだ。
 それが灯の仮説だった。
 そんなことが出来る怪異がいるとするならば、何か。
 そして、なぜ木を数本しか折らなかったのか。
 ネットを開き、あるページを調べた。灯の中で、仮説は確信に変わった。

 一度車に戻り、買い出しを済ませてまた現場に戻る。
「トモルぅ、アイツって前提で色々準備しちゃってるけど、本当に大丈夫か」
 車を止めて降りる直前、風弥が怪訝な顔をしながら聞いた。彼の膝には、ペット用のかごが抱えられている。
「逆に聞こう。さっき何かに見られてるって言ってたけど、どんな感じだった?」
「うーん、確かにそんなに大きい奴じゃないような感じがしたけどさ」
「該当するのが、今のところこいつしかないんだよ。読みが当たれば、風弥、お前にも出番がある。その時は頼んだよ」
 へいへーい、とかごを持って、風弥は車を降りた。

 三人は、再び森の中へと入っていく。
「そのかごは?」
 岸本さんは尋ねる。
「捕獲用なんだと」
 と風弥が答える。
「えっ、そんなサイズでいいの? あんなに広い範囲を薙ぎ倒すやつなのに?」
「ああ、十分だと思うよ」
 灯は笑って答えた。
 歩き続けると、やがて一番奥の現場……風弥が視線を感じた場所に到着する。
「ここから先は、僕ら二人で行く。岸本さんはそこで待ってて。万が一のことがあるかもしれない」
 灯の忠告に、岸本さんは分かった、と素直に了承してくれた。
 風弥が視線を感じてから、それなりの時間が経っている。すぐ近くにいるとは限らない。だが、今の居所を絞り込むのには一番の手がかりだ。
「あっ、」
 風弥が小さく声を上げる。そして一方を指さす。
「あそこだ」
 木陰に、小さな生き物の影。
 それはちょうど、ニャスパーというポケモンによく似ていた。
「……ビンゴ」
 怪異は、どういうわけかポケットモンスターの姿をしている。

 2012年12月、マヤ歴のカレンダーは終わりを告げる。
 世間ではその時に人類は滅亡するだとか、地球が光の帯(フォトンベルト)に突入するだとか、人類の波動が更に高次元に行くアセンションが起こるだとか、様々なことが言われていたが、少なくともこの頃以降、人間の思いはより容易く形になっていく時代となった。
 光に呼応するように、影もまたその色を濃くしていく。
 灯が怪異と呼んでいるそれもまた、色を増した影の一つだ。
 ポケモンと非常によく似た性質を持つ彼らが現実世界に顕現したのは、ちょうど2012年ごろだった、と灯は記憶している。あれから問題がいくつ起こり、いくつ解決してきただろう。
 灯には、彼らと切っても切れない縁があるのだ。

「まずい、風弥、あいつから目を逸らせ」
 ニャスパーの折れた耳が、少しずつ開き始める。それに呼応して、身体が青白く光り輝く。
「猫にとって、視線を合わせ続けるのは威嚇だ。超能力を使われるぞ。とにかく止めてくれ!」
 灯が風弥に叫んだ。ニャスパーの前の木が、めきめきと折れはじめる。超能力で、地球の自転から解放しているのだ。
「ええ!?しょうがねえな」
 風弥は走り、超能力で折れそうな木に触れる。その瞬間、木に加わる力が遮断された。風弥に、超能力のたぐいは効かない。
 灯はゆっくりと、目を逸らしながら、それとなくニャスパーに近付く。そして、スティック状の猫用おやつを取り出し、開封する。そのにおいにつられたのか、ニャスパーはゆっくりと灯に近付き、ふんふんと鼻を鳴らす。先ほどまでの警戒心は、もう無くなっているようだ。
「欲しいかい。はい、どうぞ」
 スティックを絞ると、先端から半液状のおやつが出てくる。それをちょろちょろと舐めて、あっという間に完食した。
 欲しがるままに三本目まであげたところで、ニャスパーはぎゅっと灯の足にしがみついた。灯が優しく撫でてやると、のどをころころと鳴らし始めた。抱き抱えても、抵抗はなかった。
「……ひょっとしてこのかご、いらなかったか?」
 風弥は呆れたように呟いた。



 灯と風弥の事務所兼自宅にたどり着くころには、すっかり夜も更けていた。
「疲れた。帰りがあんなに渋滞するなんて思わなかったぜ」
 ソファーに倒れ込む風弥。
「まあ、無事に帰れて良かったよ。岸本さんも満足そうだった」
「でも別れ際に「今度は元の姿見せてねー」だってよ。撫でくり回す気満々なんだよな。ごめんだぜ、全く」
 ひどく疲れた様子で、風弥はぼやいた。
「で、その子どうすんの」
 灯の腕に抱えられたニャスパーを、風弥は指さす。
「どうするって、うちで面倒を見るに決まってるだろ。この子が超能力を制御できなかったのは、それを教える親がいなかったからだ。超能力は使えないが、この子も怪異ならきっと人間レベルに賢いはずさ。いつか分かってくれるよ」
 呆れたもんだ、と風弥はため息をつく。
「さて、今日はもう寝るか。風弥、枕を頼む」
「へいへい、しゃーねーなぁ」
 風弥は、人間からゾロアの姿に戻った。
 風弥の元の姿を極上の狐枕にするのが、灯の夜の楽しみだった。ゾロアを頭に敷き、ニャスパーを腹に抱えて眠る。
「あったかいな」
「それは良いことで」
 新たな仲間を迎えて、事務所の新しい日常が始まる。

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