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マイノリティ・オーバーフロー

作者:爽快摩天楼

 男に生まれたけれど自分を女だと思い込んでいるように、
 女に生まれたけれど自分を男だと思い込んでいるように、
 いや——思い込む、なんて概念に囚われることなどないほど自然に、
 男に生まれた自分を男だと認識しているように、
 女に生まれた自分を女だと認識しているように、
 自然に、ごくごく自然に、そうであることが当たり前だと生まれた時から知っていて、そもそも性別という概念に囚われることなく——自分がどちらだとも思わない。
 男でもないし、女でもないし。
 男でないなら女、という極論でもなく、
 女でないなら男、という暴論でもなく、
 ただ自分は自分だと、矮小で瑣末な枠組みになど囚われることなく、ただ自分は自分だと思えるのは当然で、人間の数だけ人間が定義されるのは当たり前なのだけれど——しかし、分類として、ただその方が都合が良いからという理由で、あなたはこちら側で、あなたはそちら側で、と、生まれた瞬間に定義付けられるのは、当然だ。
 それはわかる。
 だけど——でも、やっぱり私にはしっくり来ない。
「だから、私は、ポケモンという生き物とは距離を置いてるの」
 見知らぬ他人に声を掛けられただけなのに、自分を誤解されたくない、自分を勝手に定義付けられたくないという想いから、私は懇切丁寧に、十歳は年下であろう少年に、蕩々と語った。子どもとは言え、所謂ポケモントレーナーとして旅に出ている少年であるから、一般的な、学校に通っている子どもに比べれば、いくらか人生経験もあるし、世界に対する解像度も高いらしい。私の意見に対し、真っ向から否定するでもなく、彼は、
「そういう人もいるんだぁ」
 と、また一層、世界に対する解像度を高めていた。
 休日の昼下がり、買い物帰りのことだった。町と町を繋ぐ通路を抜けて、自宅に向かって歩いていると、少年に目を付けられた。彼は私と目を合わせると、興奮気味に近付いてきて、「バトル、しませんか」と問うて来た。私の風貌のどこがポケモントレーナーらしいのか、そもそも買い物帰りだ。早く食材を冷蔵庫にしまいたい。そういう気持ちもあったのだけれど、私は毎回、相手に強烈な記憶が残るように、自分自身について語ることを自分に義務付けていた。
 この世の全ての人間が、ポケモンを好きなわけではないこと。
 恐ろしいまでに、信じられないまでに多くの種類があり、私が生まれてから二十数年経っても——未だに新種のポケモンが見つかれば、大々的に報道される世界において、普通の人間なら、一匹くらいは自分にとってのお気に入りのポケモンを見つけることが出来る。正式な学名を与えられていない種類や、突然変異的な種も数えれば、優に千匹は超えるほどの種類が存在しているのだから——普通の人間なら、一匹くらい、生涯を共にして良いと思えるポケモンに出会えるはずだ。
 そう、普通なら。
 だけど私は、普通ではなかった。
 ポケモンに対する興味はあった。小さい頃は、この少年と同じように、人並みにポケモンという世界観に興味があった。人々の生活を支え、人間と切っても切り離せない関係性を築くポケモンという生き物に憧れを抱き、いつかは自分も、自分にとって特別なポケモンと出会い、生涯の友となることを夢見ていた。
 が——見つからなかった。
 どれだけポケモンについて調べても、図鑑を読み漁っても、フィールドワークをして実際のポケモンに触れても、結局、自分にとって特別なポケモンを見つけることは出来なかった。
 しっくり来ない。
 周りの人たちは、どんな切っ掛けがあったにせよ、自分のポケモンを大切に大切に扱っていた。偶発的に出会った最初のポケモンであれ、図鑑で読んだ好みのポケモンであれ、人からもらったポケモンであれ——何か心に響くものがあれば、そのポケモンと通じ合い、心を通わせ、特別な関係性を築いていった。
 しかし私は、結局——大人になった今も、その特別と出会えないままだ。
「お姉さんも、ポケモン捕まえてみたら?」と、少年は少年にはあるまじき大人びた口調で、私に提案する。「俺、モンスターボールたくさん持ってるから、わけて上げようか?」
「いえ……ありがとう。でも、大丈夫。ポケモンをね、持っていないわけじゃないの」
「えっ、じゃあバトルしようよ」
「うーん……」
 ポケモンを持っていないわけじゃない。むしろ——私ほど、ポケモンに精通している人間もいないんじゃないかと思う。それは実際、悩みを抱えている人間こそ、その方面についての知識を有しているという意味合いだから、意外でも何でもないのだけれど——とにかく、自分にとって特別な、〝しっくり来る〟ポケモンに出会えなかった私は、ポケモンについて調べに調べた。もちろん、経験による絆の発生を信じてポケモンを捕まえたこともあったし、今も尚、いつか絆が生まれるのだと信じて共に暮らしているポケモンもいる。あろうことか、職業はポケモンの研究員と来ている。自分の努力が足りないのだ、自分が普通じゃないのは、自分に知識が足りないからだ——などと息巻いて、手当たり次第にポケモンに魅力を感じるべく行動してきたけれど、今も尚、私は、ポケモンに興味が持てない。
 ポケモンという生き物に、特別性を感じられない。
 種族全体でもそうだし——個に限ってみても、同じだ。
「だからごめんなさい。旅費を稼いでいるなら、少しくらい、支払えるけど」
「バトルで勝ってもいないのに、お金なんてもらえないよ!」と、気高き少年は言う。「まあ、とにかくわかった。足止めしてごめんなさい。お姉さんも、良いパートナーに出会えるといいね!」
 呪いの言葉を吐いて、少年は草むらの中をずんずんと歩いて消えて行ってしまう。自分に非があるとも思っていなかったけれど、なんだか少年を傷付けたような気がして、なんとも言えない気分になる。
 意識を振り払ってから、再び帰路を辿り始める。彼のような旅人ではなく、この周辺を拠点にしているポケモントレーナーたちは、私に勝負を吹っ掛けてくるようなことはまず有り得ない。毎回、相手の記憶に刻み込むように蕩々と持論を語っているので、流石に記憶に残るらしい。変人、変わり者、マイノリティ——とは言え、職業柄一般人に比べてポケモンに対する知識が豊富なせいか、邪険に扱われることはない。むしろ、特別な拘りを持たない、ポケモンに対する愛を持たない辞書のような存在として、重宝されているというきらいもある。
 重宝されたいわけでもないのだけれど。
「あっ、先生! お帰りなさい!」
 自宅の前に来ると、私の家の玄関先に、また別の少年が立っていた。少年と言っても、もう十五歳になったんだったか。近所に住む少年で、ポケモンバトルの才能はないけれど、ポケモン愛に溢れる少年だった。頭も良い方とは言えないけれど、とにかくポケモンに対する愛情は本物だと言える。私とは真反対のタイプなのだけれど、何故かそれなりに馬が合うし、彼の方から接近してくることが多いので、接点は多かった。
「こんにちは」
「先生、あの、ちょっと見て欲しい子がいるんだけど……」
 言いながら、彼は両手に抱いた、ぐったりとしてしまったエレキッドを私に見せる。エレキッド——なんて、珍しいポケモンを見つけたものだ。無論、世界規模で考えれば野生で発見されることもあるので稀少というわけでもないが、この周辺ではあまりお目に掛からないポケモンだ。あるいは、タマゴを孵化したのだろうか。少なくとも、辺り一帯で野生で出現することは有り得ない。有り得ないと、職業柄、断言しても構わなかった。
「うん、ある程度見たけど」
「見るだけじゃなくてさー。見ての通り、瀕死なんだよ。先生んとこの機械で回復してあげられないかな?」
「うちはポケモンセンターじゃないんだけど」
 口ではそう言いながらも、私も死にかけた生き物を放置するほど薄情ではなかった。鍵を開けて家に入り、食材を冷蔵庫に入れて、ビニール袋を絞り、予定していた行動を終えてから、エレキッドに向き直った。確かに瀕死の様子だ。戦いで傷付いたというよりは、衰弱しているように見える。
「この世には専門家というのがあるんだけどな」
「ポケモンセンターには連れて行ったんだよ」と、彼は心配そうな表情で言う。「でも、なんでか苦しそうなままなんだ。女医さんが言うには、もうすっかり元気になったってことらしいんだけど……見るからに、辛そうだよね?」
「専門家が言うなら元気なんじゃないの」
「見ればわかるでしょ! 全然元気じゃないよ!」
 確かに、見る限りでは元気がなさそうに見える。もちろん、ポケモンだって生き物なのだから、体力とは別に気分が優れないこともあるだろうし、仮病に近い状態とも考えられる。が——異常な状態であることは確かと言える。
「わかった、とにかく見てみよう。ボールは?」
「ない。草むらに倒れてたから、連れてきたんだ」
「IDの紐付けがないポケモンは、法律違反だよ」引き出しから小型化されたモンスターボールを取り出して、彼に放り投げる。「はい、捕まえて」
「捕まえようとしたけど、捕まらないんだ。なんか……弾かれちゃって」
「下手なんじゃない?」
「いや、下手なんだけど……そういうんじゃなくて」
 彼の言い分は不明瞭だったけれど、疑っても栓のない話だ。私はエレキッドをそのままの状態で、回復装置に横たわらせる。回復装置は、ポケモンの種族を識別し、それに適した回復処理を行うことが出来るようになっている。同時に、そのポケモンが現在どのような体力状況で、どのような状態異常を受けているかを観測することも出来た。
 が——彼の言う通り、このエレキッドは、正しく全快状態だと言えた。
「すっかり元気になってるみたいだけど」
「見ればわかるでしょって!」
 こうした異常事態は度々起こる。私は次に、ポケモン図鑑で回復装置に眠るエレキッドをスキャンしてみた。カメラ機能でポケモンの見た目や色彩から、どの種族であるかを判断することが出来る。結果は——私たち人間が視認しているのと同じ、〝エレキッド〟だった。
「機械の故障という線は薄いね。二台同時に故障するとは考えにくい」
 問題解決には切り分けが重要だ。私は次に、テスターと呼ばれる機械を取り出して、エレキッドに向けて照射する。テスターとは、機械から放射される光がポケモンに当たった際に、ポケモンの体色に応じて五段階の明度を表す機械だった。つまり、四倍、二倍、等倍、半減、無効——主に、新種のポケモンのタイプを判別する際に利用される機械である。既存のポケモンに利用することはほとんど有り得ないが、他のポケモンが化けている際などに判別する術でもある。
 電気——は、当然ながら半減色だった。電気単タイプであるエレキッドに対して照射すべきタイプは、電気、地面、飛行、鋼の四種類。流れ作業で地面を照射してみるが——しかし、想像していた二倍色ではなく、等倍色が表示されている。
「あれ?」
 次に、飛行を照射する。が、こちらも等倍色だ。機械の故障? いや……私は疑いながら、次なる鋼を照射する。が……こちらも等倍色だった。機械の故障なら、電気が半減色になるのはおかしい。
「どう? 先生」
 電気が半減で、地面と飛行と鋼が等倍——エレキッドって、複合タイプだっけ? いや、有り得ない。進化先まで単タイプという、電気タイプの代表格みたいなポケモンのはずだ。じゃあ、その条件に合致するタイプって、他に何がいたっけ。脳内で、タイプ相性の相関図を思い浮かべる。条件に合致するタイプは——一タイプだけ、存在する。
 私は半信半疑で、テスターのタイプを変更し、エレキッドに向けて照射した。
 結果——二倍色が表示されることを、確認してしまった。
「……もしかして」
 もしかして——と、私は思った。〝電気タイプの代表格〟とまで言われるような、電気単タイプとして認識されていて、黄色と黒の見た目からも、あからさまに電気タイプを思わせるようなこのポケモンが——実際には、そうじゃなかったとしたら。
 この子はもしかしたら、私に似ているのかもしれない、と、そう思った。
「ねえ先生、どうだった? エレキッド、大丈夫そう?」
 私は彼に向き直り、こんな不確定なことを言うのは職業柄どうなのだろうかとも思案したが——それでも、自分の中に溢れる興奮を抑えきれず、言った。
「もしかしたらこの子、ドラゴンタイプかもしれない」

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