「なぁ、キミはヒトとポケモンの間に子供は生まれると思うかい?」
時は昔、ここはポケモンの研究所。
男女の研究者が二人、書類を広げたテーブルを挟み話しているところ、女性から問いかけられた。
共通の研究テーマについて話し合っていたところだが、男性はその意図を図り損ねる。
「……できないこともないだろうな」
「煮え切らない答えだね。研究者の物言いだ、と」
女性の名はツキシタ、二十代の若者。対する男性の名はスギバヤシ、齢は四十前後。
問答する姿は師匠と弟子のようであるが、その関係は対等に近い。
「実例が記録になくてな」
「記録にない、と来たか。まぁ確かに、あっても認知されないかな、と」
スギバヤシとしてはあまり興味がわかない。
まるで御伽噺をまじめに考察しないかと誘われているようで、空想の作品からメッセージを探す趣味はなかった。
「……それで?」
「ん?」
「わざわざそんな話を振ってきた理由は?」
二人の研究テーマは「身体の欠損や五感の喪失をポケモンの能力で補えないか」というもの。
臓器移植や義肢による補助といった取り戻す処置ではなく、できないことをできないまま他で補う方法を研究していた。
対象は主にエスパータイプ。手足が使えずとも念力があれば生活できるようになるだろう、と。
しかし、研究は行き詰っていた。
「方法の模索さ。後天的なポケモンの能力付与は失敗したろう?」
「ああ、左腕が少し腐った」
ポケモンの能力をどうやってヒトに付与させるか。その方法が考えつかない。
能力を司る部位をヒトに移植する? ポケモンの遺伝子をヒトに投与する?
かつて試しにドンメルの皮膚を左腕に移植してみたが、その箇所は壊死したため再生治療を受けることになった。
火傷しない皮膚を期待したが、拒絶反応を抑える必要があった。
「キミも捨て身だね。ま、想定していたので治療費は予算から出せたが、と」
「失敗でも結果が得られただけ良しだ。……で、後天的な、ということは?」
「あぁ、今度は先天的な方法ではどうか、と」
「それで異種間交配か」
やっと合点がいった。ポケモンの遺伝の性質から考えれば可能なことだろう。
「確かに、ポケモンなら種族が違う間柄でも、メスの種族にオスの技能を受け継いだタマゴができる」
「ファジーなことだよね。ヒトのメスとポケモンのオスとの間にタマゴができれば、ポケモンの能力を持ったヒトが生まれる、と」
「雌雄が逆ならヒトの能力……知能か? それを持ったポケモンが生まれるか。まるで伝説のそれだな」
もしこの研究が結実したならば、身体や五感の一部喪失、あるいは内臓疾患などをポケモンの能力で補えるかもしれない。
だが生命を弄ぶ研究は協力を得づらい。もともとスギバヤシが始めた研究に、この女性・ツキシタが共同研究を持ち掛けてきたのみだった。
「だがそれには問題がある。この研究は後天的にハンデを抱えたヒトに向けたものだ。先天的な付与は可能とわかったとして、どう影響する」
「そこは考えてある、と。ポケモンとのハーフとなったヒトの遺伝子から拒絶反応を抑える要素を調べるのさ」
拒絶なく混ざり合う条件を見つけるにはいくつかの実例を調べる必要があるだろう。
一例だけ調べてもその親となったポケモンに限った特性かもしれない。だから何例か欲しいが。
「そう見つかるとは思えないな」
「姿はヒトと変わらないから、孤児院を探すべきだ、と。もしくは山奥にでも捨てられているか」
「犯罪はどうだろう。親元でヒトとして育てられている可能性も――――」
「それは無い、と。所詮、父親を世間に明かせない忌み子だ」
イヤに強く断言する。だが明かせない苦労もあるのだろう、と黙るぐらいの遠慮はスギバヤシにも有る。
「しかし、その程度では探す当てにするには弱い。……メタモンあたりを調べた方が早そうだ」
「メタモン、か……。正解かもしれないな、と」
ツキシタはペンを手に、考えをノートへ出力する。
変身により異種族の能力を発現させられる。どころか無機物さえ再現できる。そしてヒトへの変身も。
「あの変身能力をヒトの知性で制御できたなら……」
「部分的な変身も可能かもしれない、か? ヒトでありメタモンでもあるなら、別のポケモンの能力は見るか取り込むかで習得していく……」
「……この方向で行ってみるか、と」
ノートをペンの尻で叩いた。
「よし、まずはポケモンで実験しよう、と」
「あぁ、それなら倫理に反しない。一応コラッタの犠牲はあるが、慣例としてな」
そう決めてからは手早く準備は進められた。
まずは実験動物としてコラッタを用意し、その皮膚の一部をメタモンの肉片と交換した。
メタモンの細胞がコラッタのそれに変身し、馴染めばコラッタの表皮がメタモンの性質をもったものとなるだろう。
そして失敗した。
「机上のシミュレートが至らなかった。ワタシの失敗だ、と」
コラッタの肉体は溶け、紫の液体となっていた。その死骸を前に二人は話し合う。
メタモンの肉がコラッタの皮膚に馴染んだら、別のポケモンの皮膚を移植する予定だった。
だが失敗した以上、反省だ。倫理感が世間とズレた二人だが、犠牲を軽んじる者ではない。
「どうして溶けたかな。壊死したようには見えないが、拒絶反応なのか……」
「溶解……いや不定形? メタモンの性質か? あぁ、そうだ、と」
ツキシタが原因を考えつく。まだ推測だが、おそらくメタモンの性質だろう、と。
メタモンの肉片による元の姿に戻ろうとする作用が、コラッタの全身を溶かし、変身能力を持たないコラッタは死亡した。
「死んだのは生命維持に必要な臓器が溶けたからだろうな」
「メタモンが不定形で生存できるのは、あの身体の中に必要なものを揃えているからだろう、と」
「変身の性質を、コラッタが溶け始める前に習得できれば……?」
「メタモンの遺伝子が全身に素早く巡れば、いけるか? 太い血管あたりに……」
皮膚移植ではなく血流にメタモンの遺伝子を乗せる。それなら全身に変身の性質を素早く与えられないか。
「メタモンの肉片を細胞レベルまで分解して?」
「血液に投与できるよう精製する、と。うまくいけば全身がメタモンの性質を持つ。たとえ溶けても生存できるし、意識をもとにコラッタの姿に戻るだろう、と」
「まるで全身をメタモンの細胞で作り変えるようだな。……ん?」
言って、自分の言葉にスギバヤシは考え込む。
これは将来的にヒトへ施術される予定だが、つまり?
「ツキシタさん。もしかしてこの研究は、ヒトをポケモンに変えるかもしれないのか?」
「あぁ、そうだろうね、と」
相談してみれば返事は軽かった。
「……予想していた?」
「メタモンに可能性を見出した時点でそうなるかも、と」
「流石。私は今まで至らなかった」
「おいおい、キミが始めた研究だろう? もともとヒトをポケモンに近づけるものじゃないか、と」
ツキシタは呆れた様子だが、その危険性までは……わかったうえで無視していた。
だからこそスギバヤシは常識に近い視点で忠告する。
「施設を利用する条件として成果の公開があるが、これは批判を集めそうだぞ?」
「その時はその時さ、と。ヒトがポケモンになるなんて、世紀の大発見だ。喜びの声もあるんじゃないかな、と」
「喜ぶ? それこそ想像つかないが……何か言われたらその時に考えると?」
「そんなところさ、と。それにこの研究、そんな注目を集めていたかい?」
そう言われると返す言葉がない。あるいは注目はあったかもしれないが、協力者はツキシタが初めてだ。
心配無用、とツキシタは笑う。
「たとえ肉体がメタモンのそれになったとしても、その変身は区別がつかない。遺伝子的にはヒトのままだろう、と」
ヒトの意識を持ったメタモン。メタモンの身体を持ったヒト。どちらと言えるか。
「メタモンの身体にヒトの意識。ヒトをヒトたらしめるのは……何だろう?」
「……哲学は専門外だ」
「試しに被験者にモンスターボールをぶつけてみては――――」
「止すんだ。捕獲できたら目も当てられない」
そうなったら大騒動は確実だが、気の早い話でもある。
「なんにせよ、ヒトに施す前にポケモンで実験だ、と。ヒトがポケモンになる日はまだわからない」
「ヒトへの施術なら、私が被験者を務めるんだがな」
「王道に倣うねぇ。頼もしい限りだ、と」
ひとまずはポケモンでの実験を進めるまでだ。成功を重ねずしてヒトを相手にする日は来ない。
熱意が続くままメタモンの肉片を採取し、遺伝子情報を持った薬液へと加工する。出来上がった薬剤は次なる犠牲者もとい実験動物コラッタへ……。
「さぁ、仕上げをじっくり御覧じろ、と」
そして、コラッタでの実験結果を公開して数日。その時はやってきた。
「案外に早かった」
「コラッタの実験結果が急に広まったそうだよ、と」
研究凍結の命令書。
命を混ぜ合わせ、やがてヒトを作り変えるだろう研究は、冒涜的で危険と見なされた。
その研究をやめるか、研究所を去るか。選択を迫る書面へ返事を用意しながら、ツキシタは宣言する。
「三年、待ちたまえよ」
雑にスケジュールを組み立て、三年は必要と考えた。
研究凍結は受け入れる。だが諦めはしない。独立を次の目標とし、他の研究に尽力する気だ。
「しばらくしたらワタシは独立する、と。時が来たらキミを呼ぶから、それまでは他の研究をしていると良い」
「それはわかったが、どうしてそこまで入れ込む? 何があなたをそこまで奮い立たせるんだ」
スギバヤシもまたどういった返事を書くか考えつつ、ツキシタとの会話を続ける。
怪しい研究に協力を名乗り出てきた奇矯な女性。大いに助けられているが、これほどの執着は不思議だった。
「……すべてはワタシの能力を発揮する場が欲しいだけだよ、と」
ツキシタには、自分の頭脳は他より優れているという自負が……いや、自覚がある。
だが自分では何を始めるかの発想がなかった。そうして燻っていた頃にこの研究を見つけた。
「ヒトをポケモンに近づける……これほどワタシに相応しい命題は無い。こんな大ごと、成し得るのはワタシぐらいだ、と」
思い出を語る様子には多少の陶酔が見られたが、スギバヤシへ向ける笑顔には邪気がなかった。
「その道を示してくれたキミに感謝している。だからさ、と」
「……ストレートに言ってくれる」
こうまで感謝され、頼られては無下にするのは可哀そうだろう。
「わかった。三年か? 待とうじゃないか。だから、頑張ってな」
「お互いに期待しあうようだね。これは裏切れない、と。そちらも頑張りたまえよ」
この別れは所内での立ち位置が変わるだけのものだ。お互いに顔を合わせる機会が無くなるだけ。
だから離れ切ったわけでなく、三年の間、所内の噂でお互いの様子を知る程度のつながりは残った。
だから、三年後にスギバヤシを迎えた時、ツキシタは柄にもなく緊張していた。
「……立派に独立できているらしいな」
風の噂で聞いた、とスギバヤシは言う。
ツキシタは一年で化学の分野で複数の特許を取得し、二年目には特許料を元手に研究所を設立した。
三年目には独立し、メタモンの可能性を追い求めるという名目で研究者を集め、研究所としての体裁を整えた。
そして、研究員と出資者を兼ねるツキシタは、しかし所長として責任者となることを拒み、適任者としてスギバヤシを呼び込んだのだ。
「キミは……荒んだね、と」
同じく、三年の間にスギバヤシに何があったかをツキシタも知っていた。
「息子さんが視力を失くしたそうだね。毒ポケモンの溶解液が目に入って……」
「治療も虚しく、な」
ポケモンバトルの弾みで、息子の目に毒液の飛沫が入ったらしい。
だが痛みをこらえてバトルを続けたせいで、治療が間に合わなかったのだと。
対戦相手からは逃げない姿勢をトレーナーとして立派だったと称えられたそうだが、スギバヤシの怒りにしかならなかった。
「……ワタシたちの研究が役に立つだろう、と。キミの息子さんを助けてみせる」
「あぁ、惜しまず協力しよう。ツキシタさんの要望通り、所長も務めてみせる」
息子の両目に代わる能力を。見えない目を補う何かを。そのために。
「さぁ、再開しよう、ポケモンの能力の研究を。ヒトがそれを習得できるかを」
これからへの楽しみがツキシタの顔に笑みとなって表れる。
スギバヤシと手を交わし、ツキシタはその研究に名前を付けた。
「目指すは『ポケットに入らないモンスター』だ、と」