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誤タップなんてこりごりだ

作者:もっと早く書き始めろ

 「メールを送信しました」と表示された白い画面の前で、黒髪を雑に肩上で切りそろえた少女──ウルは硬直していた。状況を次第に理解していくにつれ全身から汗が吹き出し、頭は血の気が引いて冷え切っている。

「……え……あ、ちょっと待っ……まさか……」

 青い顔で固まる主人の様子をどうした?と見に来るウッウに「なんでもないよ、トト」と答えつつも、その声は震えていた。
 確かに、彼女は工場のバイトに応募したはずだ。多少過酷だが、給料はしっかりもらえそうな職場を検索してやっと見つけたのだ。亡き父が遺した借金を返すため、彼女には金が必要であった。メールアドレスと自身の情報を入力して、応募フォームからたった今メールを送った。
 だが、心当たりがないでもなかった。大手求人サイトにしてはレイアウトの不親切なそのサイトは、広告ギリギリに応募フォームのリンクを貼っていた。工場のバイトではなく、広告の方に指が当たっていたなら。
 というか、多分それだった。

「この度はグレイヴ島でのワイルドロイヤルに申し込みいただきありがとうございます!」

 すぐに送られてきたメールの件名が、無慈悲にもそう告げていた。



 ワイルドロイヤル。
 ここ数年で開設されたポケモンバトル大会の新たな形式である。スタジアムの上だけでの競技的な勝負ではなくもっと本格的で戦略的な本物の勝負を観たい、と言い出した資産家がおり、自身の保有する広大な土地を使って大会を開いたのが始まりだ。集められた参加者たちはポケモンと共に森や山に放たれ、お互い潰し合う。それを固定カメラやポケモンに持たせたカメラで中継して盛り上がるのだ。
 不意打ち上等、トレーナーへの攻撃は当たり前。ルール無用の戦いであるゆえに従来のバトルよりはるかに危険性が高く、死者の出た大会すらある。よって参加者も相当実力のあるトレーナーや喧嘩慣れしたアウトローが多いので、視聴者を集めやすく、賞金も高い。そういう大会だ。
 当然、ウルのように若く非力なトレーナーなどまずいない。借金が発覚するまでは旅行好きの普通のトレーナーで、バトル経験はあるが別に強くはなく、本人も多少体力がある程度の15歳の少女だ。対して大半の参加者はそのへんのぼうそうぞくやバッドボーイ・ガールなんて目じゃない本物のアウトローたち。そんな連中がウヨウヨいる大会に応募してしまった絶望が、いかほどのことか。

「お、応募取り消し……できるかなあ……」

 死んだ目で空を見上げる主人を眺めて、トト──ウッウは首を傾げていた。




 「やってしまった…………」

 選手に割り当てられたホテルの一室。死んだふりをするビードルのごとく、ウルは部屋に入るなりベッドの上に倒れ込んだ。頭の中で後悔がぐるぐると渦巻いている。

「終わった……なんであんなこと言っちゃうんだよ……バカすぎる……」

 こっちからのメールは送れなかったから。ウルはわざわざ直接グレイヴ島まで出向いて参加を取り消しに行くほかなかった。受付を任されているガタイのデカい男は顔中にピアスとドラゴンポケモンのタトゥーを付けていて、明らかにカタギではない。強面なのは周囲にいた数人の参加者たちもだ。
 男たちは相手が弱いと見るやいなや、アレコレ難癖をつけ始めた。
 やれキャンセル料だの、解約料だの。当然そんなことは規約にない。ウルはまだ耐えていた。このまま参加するぐらいなら払ってもいいかとすら思った。しかし、挙句の果てに輩共は「手持ちのポケモンを置いていけ」と煽った。
 本人もこれはまずいなと思ってはいた。自分の性分に自覚はあったから。でももう遅かった。それは舐め過ぎだ。

「もういいです」
「は?」
「参加、するんで。それじゃ」

 そう言い放って、まっすぐそこを出ていった。

 もっと他にやりようがあったかもしれない。ポケモンを置いていったからってそれを奪うのは明らかに犯罪だから、例えば一旦そこから逃げて警察を呼ぶとか。戦わずに済む方法はまだあったはず。勝てるはずもないのに、挑発に乗って、退路を断ってしまうなんて。
 ピクリともしない主人を励ますように、傍らでトトがクワッと鳴いた。

「うん……大丈夫。大丈夫……」

 自分はトレーナーで、手持ちのポケモンたちの運命は自分が背負っている。そんな矜持で、ウルは後悔と絶望を一旦忘れた。そして起き上がった。
 すればいいのだ。優勝を。イヤ優勝とまではいかずとも、戦績によっては賞金が手に入る。その金さえあれば、借金は余裕で支払えるのだ。

「舐められたままで、終われるもんか……!」

 空は赤く染まり、水平線に沈んだ太陽が少しだけ光を覗かせていた。
 ワイルドロイヤル当日まで、残り一週間。



 窓から顔に当たる陽の光が眩しくて、トトは目を覚ました。
 忘れっぽい部類のポケモンであるウッウの彼にも何やら深刻な事情らしいということは伝わっていたが、それはともかくのんきな性格なので、朝飯をくれと主人を起こそうとした。起こそうとしたところで、隣にいたはずのウルがいないことに気づいた。
 ウルはいち早く起きて、机に向かっていたのだった。

 ワイルドロイヤルに備えて、残り一週間を鍛錬に使う参加者は多い。鍛えるのはポケモンだけじゃなく、自分もだ。これから手持ちとともに敵だらけの大自然でサバイバルすることになるから。一週間休んで体力を蓄える者、選手の情報は公開されるので有力な選手について調べる者もいた。とはいえ大半の参加者はそう大して真面目じゃないし、一週間でできることなんてたかが知れているので鍛錬も調査もほどほどに済ませている。そんなことより喧嘩だ、騒ぎだ。グレイヴ島は大会を前にした熱狂と喧騒に包まれていた。

 そんな空気を窓でシャットアウトして、ウルはひたすらに備え付けのPCで何やら調べて、鬼気迫る表情でそのメモを積み上げていた。異様な雰囲気にトトはビビった。トトには何が書いてあるのかは理解できないが、それは他の参加者の情報だった。参加者の名前、体格、手持ちポケモン、その技、評判、参加した他の大会での情報まである。それが参加者全員、385人分。グレイヴ島の地図や海図、簡単な罠の作り方、兵法なんかもあった。
ご飯はホテルのサービスに頼んでいるので、時間になったら運ばれてきた。メモを穴が空くほど見つめながら食事を摂り、それ以外の時間はほとんど動かず何やらブツブツ呟きながら資料を読み漁っていた。
 何しろ実力差がありすぎる。普通に鍛えたところで、彼らには追いつけない。だからできる限り情報で優位に立つしかない。それでも勝てるかはわからない。手を抜けば負ける。追い詰められた(極度の負けず嫌いの)人間の集中力は凄まじかった。
 トトたちはそんな主人の様子に軽く引いたが、邪魔はしなかった。彼女がこうなるのは稀にあることだ。ここまでのものは、流石に初めてだが。
 そんな日が6日間続いた。最後の一日は軽くポケモンたちの技を練習して、当日まで死んだように眠っていた。


 そして、その日が来た。
 一回戦。ガラル地方の外れにある小さな孤島グレイヴ島、その南部に広がるラメントの森でそれは行われる。針葉樹とシダ植物に覆われた森で、鳥ポケモンや小型のポケモンの他にオーロットやブリムオン、ドダイトス、キリキザンなども生息する。参加者たちは決められた数である三体以上のポケモン、または凶器などを持っていないか確認の後、同時にバラバラの場所にテレポートで飛ばされ、その瞬間にワイルドロイヤルが始まる。
 参加者たちの集合場所ではトレーナーに加えてその手持ちポケモンも集まってごった返していた。あとで合流するつもりなのだろうか、すでにひこうタイプを空に放っている者。
「ほたるび!」
「ビルドアップ」ポケモンの能力を上げる技を今のうちに使っている者もいた。禁止されていないのだから、スタートする前に撃たない理由がない。
 ウルはといえば、ルー……ドードーにまたがって、開始時刻を待っていた。体は携帯用の騎乗用バンドで固定してある。いわゆるライドポケモンに装着するようなものと違い安定性には欠けるが、持ち運びしやすくどんな体型のポケモンにも自身を固定できる代物だ。リュックのベルトを締め、ゴーグルもかけて準備は万端である。


 「皆さァん!お待たせしましたァ!」

 時計の針がゼロを指した瞬間、マイク越しの女の声が響いた。ざわついていた参加者たちは一斉に黙り、声の主に視線を向ける。司会進行役であろう緑髪の女がジバコイルに乗って空高くに立っていて、猫なで声で話し始めた。

「えー、細かいルールはもうよろしいですね?みなさんさっさと始めたいご様子ですし……。これから一回戦の開始です、テレポートされたら始めてくださいね?……では!」

 一瞬浮いたような感覚がして、周囲の景色がチャンネルを変えたみたいに一瞬にして知らないものに切り替わる。

「ルー、頼んだよ」

 一拍置いて、どこか遠くで爆音が響いた。
 一回戦、開始である。



 「うわっ!?」

 ウルはいきなりのけぞった。怯えたようにピィッと鳴いてルーが走り出したからだ。一秒後に今までいた場所に何かが直撃し、土煙が上がった。

「ぐ……、何!?」

 上からの攻撃。体勢を立て直して上を探す。……見えた。こちらをしっかり捉えて飛ぶメガヤンマの姿が上空にあった。すでに誰かのターゲットになっている。

「ルー、走って、作戦通りに!」

 一回戦のルールは単純だ。誰か一人を倒して、その参加賞を奪えばいい。参加賞を持って最初の場所まで辿り着けば突破である。もちろん倒すトレーナーは誰でもいい。弱そうな(実際弱いが)ウルたちは格好の獲物だ。
 メガヤンマを撒くように森を走れば、当然別のトレーナーにも見つかる。ウルを見つけた者のほとんどはそのまま追ってくる。

「あいつだ!追いかけろ!」
「早いもん勝ちだ!」

 五、六人のトレーナーがポケモンに騎乗し、ドードーを追う。

「センブリとゼブライカ。他の手持ちはダイノーズとクワガノン。ボウイとウインディ。他の手持ちはハガネールとトドゼルガ。ロートとボーマンダ。他の手持ちはブーバーンとケンタロス……あとはもう見えないか」

 ドードーというポケモンの足の速さはポケモンの中でも群を抜いている。人を乗せているので流石に最高速である100キロは出ないが、できるだけそれに近づけるための騎乗用バンドだ。すでに半分の参加者を撒いている。

「10万ボルト!」
「っ、ジャンプ!」

 だが、攻撃を受けてしまえばそれも意味はない。大抵の攻撃はきっと一度貰えば終わりだ。そして案の定、トレーナーであるウルにも当たりかねない攻撃が飛んできた。足元を狙った電撃を跳んで避け、速度を落とさずルーは走る。

「ルー、もうすぐあの地点に着く。もう少し速く、走れる?」

 ピッと一つ鳴いて、ルーはさらに速度を上げる。バンドで固定されているとはいえ、必死にしがみつかなければ振り落とされそうだ。それでも後ろについているのはウインディに乗った赤髪を短く刈り上げた男、ボウイのみだった。奇しくもボウイは受付でウルを煽ってきた輩の一人だ。

「よし、一人になった。目にもの見せてやろう、クロ」

 ウルの手には一つボールが握られている。
 ラメントの森に一筋の砂煙を上げるほどの追いかけっこは、やがて森の外れに達する。そこは突き出したような崖で、下は海だ。ウルとルーはスピードを落とさずそこに突っ込んだ。

「!?」ドードー並みのスピードでついてきていたボウイも流石にウインディを急停止させた。その位置は崖の上、角のように尖った地面の先端。
「──クロ!」

 崖の下に注目する一人と一匹は、上空から急降下するエース、プテラに気づかない。

「!」

 先に気づいたウインディがギリギリで避ける。が、狙いは地面そのものだ。

「じしん!」

 急降下そのままの衝撃で揺らされた崖は、その形を保てず瓦解する。不意打ちでじしんを喰らったウインディとともにボウイは崖下に落下した。

「ぐおおおッ!?」

 男は海中で動けないウインディを瞬時に仕舞うも、自身はそのまま着水した。
 上着の下の救命胴衣で浮いていたビワは、それを確認してまたボールを取り出した。

「最初の段階はクリア……よし、次だ……!」

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