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獣と人が交わるその果てに

作者:どうも福山雅治でぇす

【プロローグ】獣が生まれた日

 その日は、馬鹿に強烈な雨が、カントー地方全域にボトボトと打ち付けていた。高い湿度も相まって、纏わりつくような不快な熱気が、手術室全体を包み込んでいる。

 「ひぃひぃっふぅー」
 妊婦は全身を縛りつけるような苦痛に顔を歪ませながら、ラマーズ法の呼吸をただ繰り返すしかなかった。
 かれこれ10時間は続く激闘である。
 医師である相田省吾は、常に全身の神経を研ぎ澄まして、処置に当たり続けた。
 「頭が出てきました!」看護婦が歓喜にも驚きにも似た声を上げる。ようやく赤ん坊がその姿を見せたようだ。
 相田はよりいっそう気を引き締めた。

 「もう少しですよ、頑張ってください」
 妊婦は目に大粒の涙を溜め、震えながらも、看護婦の呼びかけに力強く頷いた。
 「出たぞ! タオルを用意してくれ!」
 相田の声に看護婦は素早く反応した。彼女は真っ白なタオルを棚から取り出すと、赤ん坊に付着した血液を丁寧に拭き取った。
 「私の赤ちゃん……」
 妊婦は、期待と安堵が入り混じった声を漏らし、弱々しく笑っていた。

 「……これは」
 最初に『異変』に気付いたのは相田だった。彼の表情に、焦りと戸惑いの色が浮かぶ。
 「えっ……」看護婦も思わず声を失った。
 相田と看護婦の様子がおかしいことに気が付いた妊婦は、唇をわなわなと震わせる。
 「私の……赤ちゃん…… 何か、あったんですか……!?」
 何度も喉を詰まらせながら、彼女はようやっとの思いで口を開いた。
 「お、落ち着いてください。元気な赤ちゃんです!け、健康状態に問題は、ないのですが……」
 看護婦がしどろもどろに答えていると、相田は彼女の肩に手を置き、それを静止した。
 「まずは君が落ち着け」相田が耳元で囁いた。
 「は、はい」

 「犬塚さん、これから見るものにアナタは驚くかもしれません。ですがまずは、アナタの赤ちゃんをしっかりと見てあげてください」
 相田はそう言うと、看護婦が抱えていた赤ん坊をそっと抱き寄せた。そして、妊婦の目の前に突き出した。

 「……何なのよ、これ」妊婦は赤子を一目見て、震えた声でつぶやく。

 空には未だ雲が充満していた。晴れ間が見えることはない。雨脚は強まるばかりだ。それは、忌々しいほどの霖雨だった。


 ◆◆◆◆◆


 ──記憶の中のお母さんは優しかった。
 ──優しいはずだった。
 ──お母さんを変えてしまったのは僕だ。
 ──僕の手足全体に真っ黒な獣の毛が生えているから。
 ──僕の牙と爪が長く鋭く尖っているから。

 ──だから、お母さんは変わってしまった。
 ──だからお母さんは……死んでしまった。


 犬塚京平は世にも珍しい、人間とグラエナのハーフである。生まれた頃から、彼の両手足には、グラエナと同じ体毛がビッシリと生えていたのだ。
 何故そんな子どもが生まれたのか、誰も分からなかった。それゆえに、京平の存在は、昔から様々な機関で取り沙汰にされた。
 『犬塚京平』をヒトとして認めるべきか。それともポケモンとして扱うべきか。多数の無関係な第三者による喧しい議論が行われた。
 どこで嗅ぎつけたか、無遠慮なマスメディアが京平の生活に踏み込み始めた。人とポケモンのハーフなどというセンセーショナルで刺激的な存在は、彼らの格好の的であった。

 こうして彼の人生がメチャクチャになったことは、想像に難くないだろう。京平には常に苦難がのしかかった。
 母・犬塚洋子は、そんな彼を守ろうと必死だった。だが、彼女に限界が来るのは時間の問題であった。
 次第にやつれていく母の姿。涙を流す回数は増え、口調も厳しくなり、時には京平に暴力を振るってしまった時さえあった。

 犬塚京平が母親と死別したのは、彼が9歳の頃だ。あの頃のことはもう、ほとんど覚えていない。いや、彼は意識的に思い出そうとしていなかった。
 だが、僅かに残った断片的な記憶が、今もふと蘇っては、彼を苦しめている。
 血まみれになった母の姿。両手の体毛にべっとりとこびり付いた真っ赤な鮮血。思い出すたびに、京平は生暖い液体を吐き出す。喉に酸っぱい塊が溜まり、歯茎は痺れた。

 犬塚洋子は自殺したのだ。
 最期に彼女は『すべてにつかれた』と書かれた遺書を残していたらしい。
 

 「キミ、僕の家に来ないか?」
 「え……」
 犬塚洋子の死後、天涯孤独の京平を引き取ったのは、ひとりの医師であった。
 人吉純哉、当時は34歳。
 タマムシ大学附属病院に勤める小児科医だ。
 京平の人生は、そこから少しだけ明るくなった。人吉純哉は、母親を除くこれまで出会ったどんな人間よりも優しく、そして満面の笑みで、京平に接してくれたのだ。

 更に京平は、ある人物と運命的な出会いを果たす。
 人吉仁美、当時は11歳。人吉純哉の一人娘である。
 彼女も父親同様、京平に優しく接した。
 何よりも京平が嬉しかったのは、純哉も仁美も、腫れ物に触るような接し方をしなかったことである。

 「いい? これから私のことはヒトミって呼んで! さん付けとかしなくていいからね、キョーちゃん!」
 「え……あ、うん……ひ、ヒトミ……」
 京平は赤面した。彼は、仁美に淡い恋心を抱いていたのだ。それは、彼の初恋であった。
 そうして、秘めた想いを抱えたまま、4年の歳月が経過する。
 

 ◆◆◆◆◆


 その日は、茹だるような暑さがタマムシシティを襲っていた。
 京平と仁美は、家で二人留守番をしていた。

 「……あれ?」
 純哉の部屋が開きっぱなしだった。いつもは立ち入ることが許されない部屋だった。
 「もう、ダメじゃないか人吉先生」と、京平はボヤキながら扉を閉めようとした。だが、ドアノブに手をかけた時、彼の手はピタリと止まった。
 足元に、分厚い紙束が落ちていたのである。

 そこにあったのは【ヒトの経過中胎児細胞にポケモンの細胞を注入した際の成果報告書】と書かれたレポートだった。著者名は『人吉純哉』とある。

 タイトルだけ見て、京平の胸は小さくざわついた。特に彼が気になったのは、レポートタイトルの右下に小さく、『実験体No.34 【犬塚京平】』と書いてあったことだ。
 表紙をめくると、そこには〈本実験の目的〉と記してあった。不穏な文字が目に入る。
 ヒトとポケモンの混合体の実現……。
 京平の呼吸は次第に荒くなっていった。バクバクと鼓動が速くなるのを感じる。それでも彼は、紙をめくる指を止めることが出来なかった。
 ふと、京平の視線が止まる。

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 [母体出生前のポケモン細胞投与について]
 ①妊娠初期の飯塚洋子に、注射によるグラエナ細胞の投与を行なっている。(本人には流産リスク軽減の予防接種と伝えてあることに留意)
 ②ヒトとして成体である飯塚洋子本人に、グラエナ細胞の影響はない。
 ③レントゲン写真では胎児にも変化は見られなかった。
 ④犬塚洋子が出産。産まれたのは身体の一部がポケモンに変容した個体であった。
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 「これ、僕だ」
 京平の目元から涙がボロボロとこぼれ始める。

 「人吉先生……なんでだよ」
 バサバサと音を立て、京平の手から紙束が落ちていった。
 「騙してたのか……」
 ────信じたくない。何かの間違いであってほしい。あんなに優しい先生がどうして。僕の人生は、まるで地獄だ。

 『もうがまんしなくていいんだよ』
 その時、京平の頭の中で誰かの声が響いた。

 『さけんじゃえ。こわしちゃえ。にげちゃえ。きみはずっと、たえてきたじゃないか』
 頭の中の声は次第に大きくなる。それと同時に、耐え難いほどの頭痛が京平を襲った。
 「うあああああああああ!!!!」
 
 「キョーちゃん、どうしたの」
 京平の叫びに反応し、仁美が部屋に入ってきた。
 彼の瞳は、怒りゆえか、はたまたグラエナの細胞ゆえか、燃え盛る焔のように、真っ赤に染まっている。

 「ヒトミも……僕を騙してたのか?」
 京平は獰猛な唸り声を上げながら、姿勢を低くした。鋭く尖った牙を剥き出し、彼は少女に相対する。
 冷静さを欠いていた。怒りばかりが心を染め上げていた。

 「キョーちゃん、何を言って────」
 京平は、怒りに身を任せ、仁美の首元に飛びつく。


 その日の夜。カントー地方局から、衝撃的なTVニュースが流れた。
 「速報です。本日未明、タマムシシティ内にて、人吉仁美さん15歳が、意識不明の重体で発見されました。仁美さんの首には噛みつかれたような傷があり、出血多量とのことです。現在警察は、目撃証言より、犬塚京平さん13歳を最重要参考人として捜索しており────」

 その日、京平は『獣』として、人々に追われることになった。


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<目次>

【第1章】人吉仁美編『獣を追いかけ続けたその果てに』
【第2章】犬塚京平編『人から逃げ続けたその果てに』
【第3章】犬塚洋子編『獣も人も守り続けたその果てに』
【最終章】『獣と人が交わるその果てに』

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