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よくあるはなし「ミアレのヒーロー」

作者:夏十字

 旅行カバンをそろりと通路側の席に置く。そうしてから私は窓側のシートへと滑り落ちた。
 向かいの席に誰かが来る気配はない。四人掛けボックスシートの連なる車内はまばらに人やポケモンが居るぐらいで、あまり大都市へと向かう雰囲気ではないように思える。乗る列車をミスしたんじゃないか、そんな考えが一瞬よぎったけれど、行き先と発車を告げるアナウンスが流れて、間違いないとわかった。

 ドアが閉まる音がして、列車が動き出す。スマホロトムの情報によれば、空港からミアレ駅へは一時間足らずで着くらしい。

 郊外の街と緑、それと空の青の入り交じった景色が窓の外を流れてゆく。はるか遠い土地までやって来たという気持ちと、どこもそんなに変わらないんだなという気持ちが交差する。どんな光景も取りこぼしちゃいけない。そう思ってじっと眺めていた。デニムパンツのポケットからサイコソーダ味のキャンディをひとつ取り出して、口に放り込む。

「マナちゃんも来れたらよかったのにな」

 何気なく言葉が洩れた。このキャンディを食べると、幸せそうに三つも四つもいっぺんに頬張るマナちゃんの顔が浮かぶ。

 坂の上の家のマナリちゃん――マナちゃんはきらきらした女の子で。ただきらきらしているだけじゃなくて、いつだってきらきらしているのが他の子とは全然違うところで。私が父親と二人暮らしで、その父親はろくに仕事もせずお酒ばかり飲んでいると知っても、変わらずきらきらした目で私の手を引いて、遊びに連れ出してくれて――。
 ミアレへ二人で旅行しようと言い出したのもマナちゃんだ。びっくりして「どうして私と?」って聞いたら、「どうして?」って顔をされてしまった。マナちゃんはまだちゃんと計画が決まらないうちから小さな身体に釣り合わない手提げの旅行カバンを買って(大きすぎるし観光客丸出しだからリュックのほうがいいよって何度も言ったのに)、私とミアレへ行くのをすごく楽しみにしてくれていた。だけど。

 ガタゴト揺れる列車のなか、隣のシートに居るのは茶色いレザーの旅行カバンだけ。そのカバンを、そっと撫でる。

「マナちゃんの分、楽しまないと」

 気づいたらキャンディをすっかり噛み砕いてしまっていた。ペットボトルのおいしい水を一口飲んで、スマホロトムをいじる。ちょっと指を迷わせてから、前にブックマークしておいたミアレシティのカフェに関するページを開いた。ミアレと言えばカフェ。カフェ巡りはぜひやりたい。このページによれば、しっかりと店舗を構えたカフェの他に、キッチンカーで営業するスタイルのお店もあって、人気を集めているそうだ。

「ミアレのコーヒーって、やっぱりこっちのとは全然違うんかなあ」

 一緒にカフェを調べているとき、マナちゃんが言っていた。マナちゃんはコーヒーの苦さが得意じゃないけど、香りは好きなのだ。だから飲んだ感想はしっかりメモして、あとで聞かせてあげよう。もちろん、マナちゃんが楽しみにしていたこだわりの紅茶だとか、バターじゅわっとクロワッサンだとか、コーヒー以外のメニューの話もたっぷりと。

 列車がすれ違って、ゴオオと唸るような音がした。
 通路を挟んだ向こうの席で、赤ん坊が泣きだした。

 母親らしきお姉さんが、腕のなかでやさしく揺らしてあやすも泣きやまない。と、その足元から一匹のピチューがぴょこんとシートに飛び乗った。ピチューは赤ん坊に向かって、手に持った丸いおもちゃをからころと鳴らす。すると赤ん坊はみるみる機嫌がよくなって、鈴が転がるように笑った。

 こういう場面を見ると、ポケモンはつくづく凄いな、と思う。
 私は未だかつて、ポケモンを連れたことがない。嫌いなのではない。ポケモンの生態を紹介する動画を観てたびたび夜更かししてしまうぐらいには好きだ。好きなのだけれど、よく分からない。自分とは異なるいのちとの距離感をどう掴んだらいいか分からず、距離を詰めることを恐れてきたのだ。
 その点、マナちゃんは怖がらない。「えっくん」と名づけたチコリータを相棒だって言って可愛がって、知らない人のポケモンにも丁寧にあいさつしては撫でくり回して、野生のポケモンが居る草むらにさえ平気で突っ込んでいって。
 私とマナちゃんが出会ったのもポケモンがらみ。というか、近所の面倒な人たちにポケモンをけしかけられて困っていた私を、マナちゃんがえっくんの「はっぱカッター」で助けてくれたのだった。あのときマナちゃんが差し伸べてくれた手の温かさは、ずっと覚えている。

 何駅かに停まって少しの出入りはあったけれど、相変わらず人はまばらなままだ。車窓ごし、草原にたたずむメリープの群れをスマホロトムで撮影して――派手なあくびが出た。ほぼ1日がかりのフライトで、ちゃんと眠れていなかったかもしれない。
 ふっ、と景色が暗転した。トンネルに入ったようだ。

 そういえば。何て言ったか、ミアレシティでは夜な夜な行われるポケモン勝負の大会があるみたいで。最初にマナちゃんからその話を聞いたときは、そんな都市伝説かマンガみたいな話ある? と思ったのだけれど、どうも本当らしかった。

「あたしねえ。出るよ、うん。出るし勝つしミアレのヒーローになる。えっくんと!」

 胸を張って意気ごむマナちゃんの、きらきらした顔がよみがえる。

「ヒーローって?」
「知らんけど、なんか強くてすごいやつ!」
「いいねいいね、ミアレのヒーロー。マナちゃん頑張れー」
「え! 一緒に出やんの!?」

 ――私も。もし参加する機会があるならば、ぜひその大会に出てみたいと思っている。
 その手の経験らしい経験はマナちゃんに付き合わされた勝負前の煽り合いの特訓ぐらい。ポケモン勝負はおろか、ポケモンを連れることさえ避けてきた私だ。「丈夫なだけで何にもできない」とか、うちでもそういうことを毎日言われて生きてきた。
 けれど今はそうじゃない。今の私は――。

 車両が大きめに揺れた。再び赤ん坊の泣き声が上がった。

 ほどなくトンネルを抜けて窓から光が射したけれど、泣き叫ぶ声はいちだんと激しくなる。お姉さんがあやしても、ピチューがおもちゃを鳴らしても、今度は通じない。誰かの舌打ちが聞こえた。車両がまた、ガタンガタンと揺れた。
 私は席を立って、

「べろべろばあ」

 変顔、してみた。赤ちゃんに。
 しばらく間があって、きゃっきゃと幼い笑顔が咲いた。お姉さんの疲れた表情が、ほっと安堵に変わる。

「まあ、ありがとうございます。どちらから?」
「ジョウトのキキョウシティです。ミアレまで旅行に」
「素敵ね、ぜひミアレを楽しんで。わたしは弟に会いに来たの。上の子たちは夫に任せて、ね」

 次の駅で降りるというお姉さんといくつか言葉を交わして、ピチューと指先でハイタッチして、自分の席に戻る。と、不意におかしさがこみ上げてきた。本当に、今の私なら何だってできるかもしれない。
 窓の外に青空。青空にも色々な顔があるのだと、いつだったかマナちゃんが教えてくれたのを思い出しながらぼんやりと眺める。ぼんやりと――。
 旅行カバンを開いた。さっきの赤ん坊の笑い声が耳の奥でこだましている。せき立てられるように荷物を手探って、真っ白な封筒を取り出す。

 封筒の中には真っ白な便箋。広げて少し目を遊ばせ、読み始めた。

     ・
     ・
     ・

 先立つ不孝をお許しください。なんて言う相手が居なくてよかったと心の底から思っています。

 まず、私を哀れだと思わないでください。
 あの男は、私の父親は、毎日酒に溺れては荒れ、私の心と身体を傷つけました。
 でもそれは大したことではありません。だってそんな話はごくごくありふれたことでしょう。どれだけ私の涙が流れたって血を吐いたって、もしそれがテレビの向こう側のことならば一瞬だけ目を向けて「かわいそうだね」って言ってすぐにミックスオレと一緒に飲みこめるような、それだけのことでしかないのです。

 だけどマナちゃんは死んじゃいけなかった。あんな男に殺されちゃいけなかった。
 あんな、馬鹿みたいにありふれたことをする奴に殺されるなんて、そんな馬鹿なことあっちゃいけなかった。

 だってマナちゃんはあんなにきらきらした子だったのに。
 居てくれるだけで世界を明るくする子だったのに。
 私はマナちゃんのことを大好きだったのに。

 マナちゃんを失って私はすっかり空っぽになりました。今だって悲しいことを思い返しているはずなのに涙のひとつも出ません。憎しみで吐いた血の味も忘れてしまいました。
 そんな私にできるのはマナちゃんと一緒に行くはずだったミアレシティへ行き、見られるだけのものを見て、触れられるだけのものに触れて、空っぽのなかにマナちゃんが望んだ景色をありったけ詰めこむことです。
 そうして私もマナちゃんのところに行って、いっぱいいっぱい話をしてあげるのです。

 私は生まれたときから「できない」を積み重ねて生きてきましたが、空っぽになった今はもう何も怖くありません。何にだってなれるし、何だってできます。命を終わらせることも、怖いとは感じられません。
 これが読まれている時、私はすべてを終えてミアレから戻り、さぞ満足した顔でマナちゃんのところへ旅立っていることでしょう。

 だってマナちゃんはきらきらした子だから。
 居てくれるだけで、世界を明るくする子だから。
 私はマナちゃんのことが本当に大好きだから。

 待っててね、マナちゃん。

 さようなら。

     ・
     ・
     ・

 読み終えて、便箋を封筒に戻した。我ながら立派に書きあげた遺書だと思う。だからこうして、たびたび読み返したくなる。

 ひと月前のよく晴れた日、マナちゃんは通り魔に殺された。

「大丈夫やし。ポケモンと慣れてみなよ」

 そう言って、えっくんを私に預からせた帰りにナイフで刺された。
 あっけなく逮捕された通り魔は私の父親で、それが分かった時、誰もが「やっぱり」という顔をした。

 遺書の入った封筒をカバンへとしまう。マナちゃんのだった、茶色のレザーの旅行カバンに。
 事件のあと、えっくんを返しにマナちゃんの家へ行った。マナちゃんのお母さんは、私からえっくんの入ったモンスターボールを奪い取るなり「マナリを返せ」とわめいた。どうしたら返せるか考えていると、色々なものを投げつけられて。その中にこの、マナちゃんの旅行カバンがあった。それを拾い上げたとき思ったのだ。マナちゃんと約束したミアレシティへ行って、それから命を絶とう。たくさんの土産話を持って、マナちゃんの元へと逝こうと。一緒にミアレに行くために二人で貯めていた旅費は、ちょうど一人分だけ、貯まったところだったから。

 窓の外は青空で、列車はあと数駅でミアレ駅に着く。ミアレのヒーローになると言った子は、ここに居ない。
 キャンディをまたひとつ口に放り込んで。空っぽの青空に浮かべるように、ついさっき読んだ言葉を繰り返してみた。

「待っててね、マナちゃん」



     *



 ミアレ駅到着のアナウンスを聞いたとき、なぜか耳がつんとした。
 列車から降りようとして、軽くよろめいて。おぼつかない調子で、アーチ屋根のかかったホームを歩いてゆく。一歩、一歩ごとにカバンの重みが増していくような、そんな気がしながら。

 改札を抜けて外へ出ると、一気に視界が開けた。整然と、でも彩り豊かにビルが並ぶ石畳の大通り。トリミアンやシュシュプ、ホルード、果てはヌメルゴンまでもを連れて、晴れやかな表情で行き交う人々。今まさにお客を乗せ、走り出すタクシー。そして正面にひときわ高くそびえる街のシンボル・プリズムタワー。
 マナちゃんが何度もネットや本で見せてくれた景色。それが、呼吸している――そう感じた途端、香ばしいパンとコーヒーの香りが急に鼻をくすぐって、胸がどきどきし始めた。にわかに浮かんだ考えを頬の肉ごと噛み殺す。じん、と瞼が熱くて触れてみると、涙があふれていた。慌てて拭って、笑顔を貼りつけた。

「着いたね」

 そっとつぶやいて、見上げたミアレの空は――、

「そこの人!」

 からりとした声が飛んできて、はっと振り向く。と、一人の少年が歩み寄ってきた。たぶん私と同い歳ぐらい。金色とピンクのグラデーションがかった髪が風に揺れる。後ろからちょこちょこ付いてくるポケモンは、ワニノコとポカブ、と、チコリータ。

「ミアレ駅に着いたばかりだろ?」
 
 ぶしつけに尋ねる少年の澄んだまなざしに、釘づけられた心地になった。生きた輝きを放って、心の奥底をどうしても照らしてくるような、この感じ……。たまらず泳がせた視線は、石畳の上で小首をかしげるチコリータに吸い寄せられた。
 どくんどくんと、胸が騒いでいる。

「しかもそのでっかい旅行カバン。ずばり観光客!」

 ああ――。
 マナちゃん。やっぱりこのカバンじゃ、ヒーローじゃなくて観光客だよ。
 私は天を仰いで、けらけらと笑って答えた。

「あはは、正解」

 ミアレの空は、何もかもを飲みこんでそこに在るような深いブルーで。にじんだ視界にも、残酷なくらいに鮮やかで。