「ビーちゃん、DDラリアット!」
アメの指示が届くや、ガオガエンは激しく両腕を振り回して突進した。バトルツリーに茂る木々の葉がぶわりと揺れる。相手のシロデスナにその一打を避ける術は残されていなかった。
審判がアメの勝利を告げ、アメはガオガエンのビーちゃんと両手でハイタッチした。
「よっし、ビーちゃん今日も絶好調だね! どんどん登るよー!」
ガオガエンが勇ましく吠えて答える。彼の声を聞きながら眺める眼下の景色は、アメのお気に入りだった。バトルツリーを中心に、家々の屋根、広場、果樹園や畑が連なる町並み。さらに向こうに広がるのは、海と荒野と原生林。
ここはアローラ地方ポニ島ツリータウン。ポケモンバトル専門の施設「バトルツリー」の周囲にできた町だ。
一昔前はキャンプ場未満の集まりだったらしいが、バトルを売りとした人寄せが功を奏し、ここまで発展した。名前も「バトルツリーのあるタウン」を略したのが自然に定着したものだ。
バトルツリーは巨木の幹に巻きつけるように螺旋状のバトル場を造った、独特の塔だ。勝てば上階に進める仕組みで、挑戦者たちは頂上を目指し様々なルールで腕を競う。
アメはバトルツリーの常連だった。年齢は上位層の中では比較的若い12歳。高い位置でポニーテールにしたオリーブ色の長髪と、右目の下にある2つの泣きぼくろがチャームポイントの少女だ。
アメがツリーに挑戦した最初の動機は、島巡りを終えた後のちょっとした力試しだった。初めて上階に勝ち上がった時のことを、アメはよく覚えている。高くなった視界に映る景色が遠くどこまでも続き、大樹の葉に縁どられて絵画のように美しかった。同時に、木製の足場が風にぎしぎしと揺れて「崩れ落ちたらどうしよう」と肝が冷えた。実際その感想を述べたら、「頑丈なロープを使っているのでご安心ください」とスタッフに笑われてしまったが。
今では足場の揺れにもすっかり慣れて、頼れるポケモンたちと一緒に高みを目指すのが楽しくてたまらない。アメはその日もまた1つ、階を登った。
ツリーの中腹を越えると景色は一変する。バトルコートを支える大樹の葉が減り、木肌は乾燥してごつごつと節くれだち、色もくすんで暗くなる。樹がここから上だけ急に歳を取ったかのような様相だ。ツリーの常連先輩に聞いた話では、この先は元々の巨木ではなく、バトル場を増やすために最近接がれた部分らしい。
「俺は反対だったんだ。バトルツリーは1本の樹なのがいいのにさ。こんな古い木を無理やり足して、ダサいよ。」
「アタシも苦手。老木エリアにいると、誰かに見られてるような気配を感じるんだよね……。だから気味が悪くてすぐにリタイアしちゃう。」
先輩たちはそう言うが、アメはまあまあ気に入っている。老木も趣があっていいと思うし、葉っぱが少ないから眺めも良い。それに、バトルコートが増えて試合のマッチングや練習戦もしやすくなったんだから、先輩もダサさの恩恵を受けているはずだ。気味が悪いっていうのは……リタイアの言い訳? というのはさすがに口にしなかった。
ともかく、ここからは雰囲気も変わって気分一新のバトルだ、とアメが気持ちを高めた時だった。
視界の端にツリーを駆け上がる少年の姿が見えた。挑戦者ではなく、スタッフや観覧客用の階段を使ってこちらに向かってくる。
太陽のように明るいオレンジ色の巻き毛。頭に載せた緑色のサングラス。オーバーサイズの花柄アローラシャツ。アメにはすぐ分かった。
「ケハウ!」
彼は1歳下の弟の、ケハウだった。名前を呼ばれたケハウは手を振って姉に応えた。
「ねーちゃん、今日もずいぶん登ったなー! ここまで来るの大変なんだぜ。」
「足腰が鍛えられていいでしょ。で、いつもの用事?」
「もっちろん! ねーちゃん、オレの修行に付き合って!」
そこでアメは連戦の中断を申し入れ、練習用のコートに向かった。
ケハウはまだ島巡りの途中だ。相棒のアシレーヌと共に頑張ってはいるのだが、最後の関門となるポニの大試練を突破できていなかった。それで姉もいるツリータウンを拠点として、修行を積んでいるというわけだ。
「いい線いってるとは思うんだよ。でもどうしても認めてもらえなくてさ。」
「ポニのしまクイーンは厳しい方だからねえ。」
「あー、オレの何がいけないって言うんだ!」
「ほら、そういうところ。」
集中力を欠くケハウの前で、アメのガオガエンがケハウのアシレーヌに地獄突きを食らわせた。放とうとしていた泡沫のアリアを封じられ、慌てている間に決まり手のアクロバット。
「もっと全力でポケモンを見てあげないと。」
「うー……ねーちゃんが強すぎんだよう。」
「だから稽古つけてもらいに来てるんでしょ。」
「そうだけどさー。」
いじけた時にサングラスを降ろすのはケハウの癖だ。黒い視界の中でアシレーヌのモンスターボールを意味もなく掌の上に転がしている。
アメは苦笑して、「あのさ」と提案した。
「一度、メレメレに帰らない?」
「えっ。」
「お父さんとお母さんなら違う視点からアドバイスをくれるだろうし、気分転換にもなるでしょ。私も久々に顔見せたいなーって考えてたから、どうかな?」
ケハウの表情がぱっと輝いた。
「……うん! 帰る!」
やっぱりね、とアメは心の中でこっそり笑う。ケハウはそろそろお母さんのパンケーキが恋しくなってきた頃だと思ったんだ。
それで2人はその日の修行はそこそこに、バトルツリーを降りることにした。
帰郷が決まって上機嫌の弟の背を追いながら歩いていると、アメは少し年上の男性に話しかけられた。たまに上階で当たるエリートトレーナーだ。名前は覚えていないが、連れているルチャブルで分かった。あのルチャブル、メガシンカすると手強いのだ。
「そうか、アメ、実家に戻るのか。ならちょうど良かった。帰る前にこの署名をお願いできないかな。」
「署名?」
「君も上階の常連なら気付いているだろう。老木部分の軋みがひどい。当時はかなりの突貫工事だったし、安全性が問題視されているんだ。なのにまた増築の話が出てきてさ。反対に協力してほしい。オーナーは独りよがりなところがあるけど……僕たちで進言すれば考え直してくれるかもしれない。だから、」
「ごめん。今はちょっと、急いでいるから。」
彼とは目を合わせず、アメは足を止めたケハウへ大げさに手を振ってみせた。
「待ってくれよ、アメ」とエリートトレーナーが食い下がろうとしたので、アメは「それに」と重ねて制する。
「増築すればコートも増えるんでしょ。新しいお客さんが来てバトルツリーが面白くなるんだったら、それでいいじゃない。オーナーさんだって慈善事業じゃないんだからさ。」
冷たい声音だと自分でも思った。言葉通りの理由が半分、もう半分は関わるのが面倒くさいからだった。
去っていくアメに、エリートトレーナーは何も言わなかった。
「ねーちゃん、どうしたの?」
「別に、なんでもないよ。」
弟の問いにもあっさり答える。たぶん険しい顔でこちらを見ている彼とルチャブルを振り返る勇気は、アメにはなかった。
故郷のメレメレ島リリィタウンに着くと、両親は温かく迎えてくれた。5歳年下の弟ウリも、アメのガオガエンに肩車で遊んでもらえて楽しそうだ。その日、久々に家族そろって囲む夕食には、アメとケハウの好物が山ほど並んだ。
「でね! アクアジェットが決まって、本当にあとちょっとで勝てたんだぜ!」
食卓でケハウは父に一生懸命バトルの話をしている。父はひとつひとつにうなずいて、時々アドバイスもしてやっていた。
「アメはどんな調子? バトルツリーで大活躍だってうわさを聞いてるよ。」
ケハウのおしゃべりが一段落したところで、父はアメに水を向けた。
「大活躍ってほどでもないけど」と父に気にかけてもらえた嬉しさと謙遜でむずむずした表情をこぼしながら、アメはポニ島での様子を語った。バトルツリーを楽しんでいること、時々ケハウの修行に付き合っていること、海を臨み原生林に囲まれたツリータウンの雰囲気が好きであること……。
両親はアメの話をにこにこと聞いていた。
「すっかり第2の故郷って感じだね。」
父に言われて、アメは少し考える。あまり意識したことはなかったが、こうしてツリータウンの美点を挙げていたら、そんな気がしてきた。
「うん……そうかも。」
故郷と呼ぶには、家族ほど仲の良い相手がいるわけではないけれど。でも町の人たちも、バトルツリーで切磋琢磨するトレーナーたちも、大事か大事じゃないかと問われれば大事に決まっている。アメは次にルチャブルのトレーナーに会ったら今日の非礼を謝って、もう一度話を聞いてあげようと思った。あと名前も覚えよう。
「そんなアメに、ひとつチャレンジングな申し出が来てるんだけど。」
話題を変えたのは母だった。子供たちはそろって首をかしげる。
「故郷を離れて、他の地方を旅してみない?」
「どういうこと?」
「エーテル財団の友達が、今度出張でカロス地方に行くらしくてね。良かったら往路だけでも付いて来るかって、お声がけを頂いてるの。初めての海外だから、大人と一緒なら空港も安心でしょ。イッシュ地方で途中下車してもいいし……どう?」
思いがけない提案に、アメはしばらく黙っていた。「えー、ねーちゃんアローラからいなくなっちゃうのやだよー!」とケハウのほうが先に答え、まずはアメの気持ちを聞いてみよう、と父にたしなめられていた。
「私は……今はそういう気にはならない。」
弟の意見を優先したわけではない。まだバトルツリーでやり残したことがあった。エリートトレーナーの件もそうだし、ガオガエンと一緒にもっと見たい景色もある。ツリータウンを本当に故郷のように、思ってみたかった。
「そっか。じゃあ先方にはそう伝えておくね。」
母はアメの選択を尊重した上で、「でも」と付け足した。
「出張はまだ先の話だから、もしも気が変わったら教えてね。」
「うん。お母さん、ありがとう。」
そうしてアメとケハウは数日実家で羽を伸ばし(母のパンケーキもたらふく食べた)、再びポニ島へと戻った。ケハウは「今度こそ大試練を突破するぞ!」と息巻き、アメもまたバトルツリーへの挑戦意欲に満ちていた。
もしかしたらここを「第2の故郷」と呼べるかもしれない、と思いながら向き合う対戦者たちは、今までと違って見えた。
末弟のウリよりも幼い子供。変わった姿のポケモンを繰り出す遠い地方の出身者。豪華な服を着たいかにもな大富豪。千差万別の彼らが「ポケモンバトルの強者」というただ1点のみで共通し同じ場所にいることが、急に面白く思える。
「すぐに終わらせましょう。わたくしの圧勝で。」
などと端正な顔で煽ってくるお嬢様もいて、そういう挨拶もありかとアメは驚いた。ちなみに試合はアメが圧勝した。
新鮮な気持ちでツリータウンでの日々を過ごし、そろそろあのルチャブルのトレーナーとも会いたいな、バトルツリー増築の件ってどうなったんだろう、とアメが気にかかり始めた頃のことだった。
その時アメはツリーの中腹まで勝ち進んでいた。あと1勝か2勝すれば接ぎ足された老木エリアに入るというところだ。
対戦相手は女性のベテラントレーナーだった。歳は母より少し若いくらいだろうか。堂々としていて、リーダーとか社長とか、組織を束ねる者の風格がある。ここでは身分を伏せてバトルを楽しむお偉方も多いので、彼女もそういった類かもしれない。髪は綺麗な朱のグラデーションが入ったプラチナブロンド。後ろ半分をかき上げてシニョンを作っている。
めちゃくちゃオシャレだ、とアメはしばらく魅入ってしまった。
「よろしくお願いします。」
と試合前の握手を交わした後、しかし、彼女の容姿に見とれている場合ではないことをアメは思い知る。
アメの先鋒はガオガエン。相手が繰り出したのはメガニウム。タイプは有利だ、まずは炎技で一気に、と考えた直後、ベテラントレーナーがバトルコートに飛びだしてポケモンに駆け寄った。メガニウムと共に真っすぐガオガエンに狙いを定めている。
「大地の力!」
なんとか耐えたガオガエンに反撃の隙も与えず、
「リーフブレード!」
瞬殺されてしまった。体勢を立て直そうとアメが次のボールを握った直後、相手もポケモンを交換してきた。現れたのはオーダイル。ベテラントレーナーはまたもやオーダイルのすぐ側で的確に指示を出した。それがポケモンとの揺るぎない信頼を生んでいるのだろう。放たれる技はどれも強力で、重い。
あっという間の一方試合だった。試合終了の合図の後、相手が「久々のバトル、楽しいね」とオーダイルをなでているのを、敗北したアメは呆然と見つめていた。
「あの……!」
やっと声を出せたのは、一礼を終え、ベテラントレーナーがきびすを返した時だった。
「その戦い方は、どこで。」
たわいない質問だったが、その人は振り向き、微笑んで答える。
「カロス地方のミアレシティでは、以前からこのスタイルが主流だし。」
そうしてベテラントレーナーはツリーの上へと去って行った。彼女の羽織っているジャケットは、整った身だしなみには不釣り合いな程にくたびれているなと、アメは思った。
1階から再挑戦もできたが、アメの気はもう削がれていた。気晴らしに散歩でもしようかと考えていたら、
(あ、ケハウだ。)
通用路を登る少年の姿が見えた。
まあ練習試合くらいならやってもいいかと、アメが弟の名前を呼ぼうとした時だ。
上階からズンと地響きが聞こえた。高レベルのポケモンが大技を繰り出したのだろうか。などと思っているうちに、ズドンとさらに大きな音と明確な揺れがツリーを襲う。バトルツリーの柱となる大樹がミシミシと悲鳴をあげた。
さすがに異常だと見上げるアメの目に映ったのは、まるで意思があるかのように動く老木の姿だった。枝をバトルコートに振り下ろし、伸びあがって挑発的に震え、太い幹さえ身をよじるがごとく角度を変えている。
ポケモンの技で操作されてる? 幻覚系の特性? ツリーに仕込まれた新ギミックの故障? 様々な可能性があったが、いずれにせよその事態はこう表現するしかなかった。
「バトルツリーが、暴走してる……。」
初めてツリーを登った時「崩れ落ちたらどうしよう」と思ったことが、アメの脳裏をよぎった。今やそれを笑う者は誰もいない。どころかそれは、悠長すぎる心配だった。
老木が枝をぶうんとしならせ、バトルコートを振り回す。頑丈なロープといえど、ぶつりと切れるまで長くはかからなかった。かんしゃくを起こした子供が放り投げた積み木のように、数多の木板が宙を舞い、落ちていく。
「逃げろーー!!」
上にいる者からの絶叫も降ってきた。そうだ、下にはまだ騒動に気付いていない人がいる。
「ケハウ。」
こちらに向かっている弟のことを思い出し、アメは血の気が引いた。ケハウが危ない! アメが階下に行こうとしたその時だった。
「アメ、手伝ってくれ!」
ルチャブルを連れたエリートトレーナーが、アメを呼び止めた。彼も上階にいたらしい。観覧客の避難誘導をしながら、彼は上に戻るつもりだった。それに付いて来いとアメに言っているのだ。
「オーロットが暴れてるんだ。増築された老木の正体は、オーロットだった!」
「は!? そんな大きなオーロットいるわけ……」
「見れば分かる! 頼む、君のガオガエンなら、」
タイプ相性は抜群。きっと力になれるだろう。アメだってそれぐらい判断できた。だが。
「弟が、下の階に……。」
アメは彼の言葉を最後まで聞かずして、ふらりと1歩退いた。
エリートトレーナーの見切りは早かった。
「そうか。」
それだけ言って、左腕のバングルを輝かせた。ルチャブルのメガシンカだ。彼はメガルチャブルと共に、オーロットの暴れる上階に戻っていった。アメの方にはもう一瞥さえ寄越さなかった。
アメはなんともいえない後味の悪さを感じながら、今は弟と合流することだけを考えなければと、階下に向かった。
「ねーちゃん! 何が起きてるんだ!?」
幸いケハウはすぐに見つかった。
「上でポケモンが暴れてるらしい。避難するよ、ケハウ。」
アメが言い終えるや、バリバリと落雷のような轟音が響いた。木が激しく軋む音、悲鳴、大きな揺れ。
バトルコートの破片が、アメとケハウめがけて落ちてきた!
「危ない!」
誰かの声。
アメのモンスターボールが弾けた感触。
ガオガエンの雄叫び。
アメのガオガエンが自らボールから飛び出して、アメとケハウの上に覆いかぶさった。
ビーちゃん!!
と叫べたかどうか定かではなかった。ビーちゃんの顔も見えなかった。ただ無我夢中でケハウを抱き寄せ、ガオガエンにしがみつかれ、衝撃と共に目の前が真っ暗になったところでアメの記憶は途切れている。
気が付くとアメはツリータウンのポケモンセンターのベッドで寝ていた。ゆっくりと身を起こすと、
「アメ! ああ、良かった!」
両親が側にいて、母がアメをぎゅうっと抱きしめた。
夜はすっかり更けていた。両親は話を聞きつけ、すぐポニ島に来てくれたようだ。アメもケハウもほとんど無傷。ガオガエンのビーちゃんも今は治療中だが、命には別状ないという。
翌朝にはもう家族皆でメレメレ島に帰ったから、アメがバトルツリー崩落事故のその後を知ったのはスマホ越しでのことだった。
事故の原因はやはり、バトルツリーの一部だったオーロットが暴れだしたことだった。なぜオーロットが建材として使われていたのか、あんなに巨大な個体がどこからやって来たのかについての言及はなく、ニュースはもっぱら被害の規模や現場にいた人のインタビューを伝えるものだった。
奇跡的に死者は出なかったそうだ。今再生している動画では《当時バトルツリーにいた観客》というテロップの画面で、幼い子供を連れた女性が話している。
『強いポケモンさんとトレーナーさんたちが戦ってくれたお陰です。オーロットから皆を守ったり、動けない人を運んでくれたり……とてもカッコよかったんですよ! 本当にありがとうございました。』
テロップが《バトルツリーの常連トレーナー》に切り替わり、壮年の男性とジジーロンが映った。アメの知っている顔だ。彼のジジーロンは守備が固く、上手く逆上を狙ってくる。だがやはり、トレーナーの名前は覚えていなかった。
『感謝の言葉をもらったお気持ちは?』とインタビュアーが尋ねる。
『自分たちはやるべきことをやったまでです。普段はライバルだけど、こんな状況なら自然と息が合っちゃうんですよ。お互いのポケモンのことはよく知ってるし、それに皆、なんだかんだツリータウンが好きですから。』
彼の言う「皆」の中に自身は含まれていないことを、アメは悟った。
『頼む、君のガオガエンなら』
手を伸ばしたルチャブル使いのトレーナーの姿を、ふいに思い出す。それは遠い画面の向こうにあるような光景だった。
アメはその手を振り払うように、ニュースを消した。
ツリータウンを第2の故郷にするどころか、本当に好いていたのかさえ、アメにはもう分からなかった。
(知り合いが誰もいない場所に、いきたい……。)
そう思ったアメが、数日後、母に尋ねたのは自然なことだった。
「お母さん。お友達の出張に付いてカロス地方に行く話って、まだ間にあう?」
アメのカロス旅行が決まった後、準備は流れるように進んだ。
母はちょっぴり不安そうだった。
「イッシュ地方で降りてもいいのよ。本当にカロス地方で大丈夫? ミアレシティにはプリズムタワーっていう高い建物があるから……ツリータウンのこと思い出して辛くならないかなって、お母さん心配で。」
「大丈夫だよ。」
そう答えられる程度には、アメの気持ちも回復していた。
「それに、タワーにポケモンが取りついて暴走しましたなんて話、そんな何度もあるわけないじゃん。ミアレに着いたら、綺麗なプリズムタワーの写真いっぱい送るね!」
父は力強くアメの背中を押してくれた。
「素敵な経験になると思うよ。ポケモンがいつも側にいてくれることを忘れないで。どんな困難に遭っても、ポケモンとお互いの目を見てうなずき合えたら、きっと乗り越えられるから。」
「そうそう。お父さんとお母さんが結婚した時もね……」
隣で母がしみじみと語り始める。この話は長いのだ。アメは「うんうん」と適当に相槌を打ちつつ、父の言葉を深く胸に刻みこんだ。
唯一最後まで反対していたのは、弟のケハウだ。
「なんでだよねーちゃん! ツリーのてっぺんに登りたいって言ってたじゃんか! バトルツリー、直す予定らしいぜ。ねーちゃんが手伝えばきっとツリータウンはもっと早く元通りになるよ。そしたらまた登ろーよ、バトルツリー!」
再三の激しい主張を見かねた周囲になだめられ、アメの決心も揺らがないので、ケハウはとうとう折れた。
「もういい。オレ独りでもポニ島に戻る。そんで大試練を達成して、バトルツリーのてっぺんにも登って、しまキングになるんだ。アローラを出ていくねーちゃんなんて知らない!」
寂しさの裏返しだろうケハウの怒りを、アメは黙って受け容れるしかなかった。ケハウのことは任せておきなさい、と両親が言ってくれたのが救いだった。
ポケモンたちは連れて行かないことに決めた。しばらくバトル漬けだったから休息させたかったし、また頼りすぎてしまうのも怖かったからだ。
アメの指示を待たず、アメとケハウを守るためボールから飛び出してくれたガオガエンのビーちゃんに、アメは申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
一方で、留守番を言い渡されたビーちゃんは不満そうだった。
「そんな顔しないで、ビーちゃん。まだビーちゃんの体のことも心配だし。それに、私の代わりに家族のこと任せられるの、ビーちゃんしかいないの。特にケハウのこと……お願いできるかな?」
それでビーちゃんは溜飲を下げた。
出発の当日、見送りに来てくれた家族(ケハウだけがいなかった)に別れを告げ、アメは生まれて初めて飛行機に乗る。
両親の友人であるエーテル財団職員が一緒にいてくれたのは、想像以上に心強かった。搭乗手続きの方法や空港の仕組み、ついでに両親の島巡り時代の様子なども教えてもらいながら、イッシュでの乗り継ぎを終え、アメはカロス地方にやって来た。
空港からミアレシティ寄りに電車で少し進んだ場所に、エーテルハウスがあった。アメはまずそこに宿泊して、長旅の疲れや時差ボケを癒した。
ミアレシティの観光に行きたい旨を伝えると、職員は賛成してくれた。
「ミアレならここから1本だからな。しばらく滞在してもいいし、すぐエーテルハウスに戻ってきてもいい。いつでも部屋を用意しよう。」
気に入らなければミアレシティにバイバイして空港行きの電車に乗ればいいということだ。その選択肢があるだけで気持ちが楽になる。アメはありがたい申し出に丁寧にお礼を述べた。
ミアレに長く居るつもりなら大きな荷物は後で送ってもらえるとのことで、アメは旅行鞄1つという身軽さで出発した。新天地で眺める景色に、アメの心も軽やかに弾む。見かけるポケモンも、街路樹や道端の花も、空の遠さも、アローラにはないものばかり。
建物の装飾も全然違う。駅舎の入り口なんて、金色に輝く大きなリングが設置されていた。内側は世界中の色を混ぜたような不思議な光で揺らめいていたが、のぞいてみたら向こうには普通に駅舎があったので、アメはリングをくぐった。こんな郊外の駅なのに、凝ったエントランスもあるものだ。ミアレシティもホログラム技術がいっぱいの街だと聞いているし、カロス地方ってすごいなあ。
たくさんオシャレして、カフェ巡りして、楽しもう。ポケモンと友達になったら、垢抜けたニックネームを付けてあげるんだ。バトルではもっとポケモンの側で戦うことを心がけよう。そうだ、前にバトルツリーで会ったお嬢様みたいに、ちょっと強気な言葉を使ってみるのもいいかもしれない。せっかくの知らない土地だもの。知らない自分になってみたい。
ミアレシティ行きの電車の中で、アメは後ろ髪を半分すくってシニョンを作った。あのとても強かったベテラントレーナーの髪型を自己流で真似たものだ。
どんな人やポケモンと会えるかな。
たとえそれが一期一会のものだとしても、ちゃんと向き合いたい。名前を覚えて、お願い事があるのなら話を聞いてあげたい。
そうして、ポケモンとお互いの目を見てうなずき合えたら。
今度こそ守れるのかな。町も、人も、ポケモンも。
ぼんやりと父の言葉を思い出しているうちに電車が到着した。アメは荷物を持ち、ホームを抜け、ミアレシティへの第1歩を踏みだす。眼前に広がる街並みや、行き交う人々とポケモン、洗練された街頭広告、そして高くそびえるプリズムタワーに圧倒されていると、
「そこの人!」
アメと同じ背丈の男の子が、声をかけてきた。
こうしてアメのミアレ大旅行は、幕を開けた。