ふわり、ひらり、はらり。
通勤ラッシュが一段落した午前中とはいえ、まだまだそれなりの人が行き交う駅の改札口近く。ホームから舞い込んできた風にさらわれるように降ってきたのは、どうも誰かのレポート用紙のようであるらしかった。
おっとっと、とうっかり踏んでしまうそうになるのをすんでのところでどうにか堪えて。改めて落ちてきたそれを摘まみ上げれば、何度も書いては直したような筆圧の痕跡が、丁度光に透けて目の前に広がっているのが分かった。
「すみませーん! ごめんなさーい!」
「助かりまーす! すみませーん!」
年若い声がする方を振り向けば、方々に謝りながらもせっせせっせと散らばってしまった用紙を拾い集めている少年少女の姿がそこそこ遠くに見える。結構な数をぶちまけてしまったのだろうか。近場に居合わせた他のお客さんや駅員さん達も巻き込んでの回収作業となっているようだった。
「わはは、今時手書きのレポートとは懐かしいなぁ。精進するこったよ若いの」
「線路内に落ちなかったからよかったけど……次からはちゃんと気を付けてね?」
渡しに行こうとそちらへ合流する頃には、そんな風に大人たちに慰められたり注意されている様子からほとんど一段落していたようで。はい、と素直に返事しつつも若干項垂れている彼ら彼女らが駅員さんから解放された頃合を見て、自分は声をかけた。
「ちょっと良いかな。これ、飛んできたものだけど」
「あ、はい! まだあったんだ……助かりました、ありがとうございます」
「だからバインダーにちゃんと閉じとけって言ったじゃない。アンタが面倒臭がってクリアファイルぎっちぎちに突っこむからこういうことになるのよ」
ぴしゃりと苦言を呈した少女に対して、少年は「う」とバツの悪そうな表情になってしまう。どちらもパッと見た所、まだ十代前半くらいだろうか。今時であればスマホロトムのレポートアプリを使うのが主流というか、わざわざ手で紙に書くよりも動画を撮ったりするタイプの記録を残す手法がよほど普及しているご時世なので、確かにこのくらいの子達が手書きでレポートを書いているというのは少し物珍しさを感じてしまったけれど。
「もしかして、トレーナーライセンスの課題?」
「えっ、なんで分かったんですか!?」
あぁやはりそうだったか。実はついこの間、自分も取ったばかりの免許について言及すれば当たりであったらしい。その証拠にほら、と真新しいスマホロトムを呼び出せば、ぱっと少年の瞳が輝いた。
「良いなぁ~……俺も早く欲しい~……」
素直に羨ましがる男の子の隣で「そんな事言ってる場合じゃないでしょうが……」と女の子は呆れたような表情になるもすぐに、何か思い当たったのか。
「あのっ、良かったらアドバイスとかもらえませんか!」
そう言うなり、ぺこりとこちらに向かって頭を下げてしまって。
「ライセンス、この間取ったばかりってことは……このレポート課題も終わらせた先輩って事ですよね!? 私もコイツも、最後のこの課題に引っかかってて……!」
ほらアンタも頭を下げる、と行動的な少女ががっしりと相方の少年の頭頂部を引っ掴むんでぐいと強制的に下げさせてしまう。突然の行動に驚いていた少年もまた「いたっ、いつつっ」と呻きつつもやはり思う所があるのか、「お願いします……」と絞り出すような声が聞こえたので、どうやら何かと苦戦しているらしく。
そうだなぁ、と流石に困っているだろう年下の子達を無下に見捨てるのも可愛そうな気もしてきたし、ちらりとスマホロトムが表示してくれている現在時刻と、自分が乗る予定である列車の出発時刻を考えれば、それなりにゆとりがあるのは事実であったから。
「いいよ」
「本当ですかっ」
「ただ、これからこの町を離れる予定が入っていてね。だから、そうだなぁ……」
良い場所はないかな、と見回せば。都合よく、構内に店を構えているカフェチェーン店が目に入る。
「どうかな、あそこで一杯。それくらいの時間で良ければ、少しくらいは何か助言できるかもね」
その方が腰を落ち着けてゆっくり話せると思うしさ、というこちらの提案は向こうにとっても良い塩梅であったのか。早速そうしましょう、とひとまずそれぞれの注文を終えて席に着くことになっていた。
「早速だけど、どういう所に苦戦しているのかな」
「まず、レポートを書かなきゃならないっていうのが苦行っていうか……ぶっちゃけトレーナーになるのに必須項目って言われてもなんか納得できないっていうかぁ……」
正直どうでもいいっつーか、ポケモン連れる免許に直接関係なくないですか、と。げんなりした少年の後頭部をぱしんと小気味の良い音で突っ込む少女の構図は、中々にシュールなものに思えた。
「アンタはそもそもスマホロトムが早く欲しいだけでしょうが」
「だってさぁ~~……便利じゃんあれ~~……なのにさぁ、ライセンスないと機能に制限ついちまうっていうの本当に勘弁して欲しい」
スマホロトムはその名の通り、『プラズマポケモン』に分類されるロトムが内蔵……もとい、端末に憑依する形で真価を発揮する多機能ガジェットと呼べる代物。元々ロトムは様々な電化製品に入り込んでフォルムチェンジをする一風変わったポケモンで、その生態をヒントにある南の地方在住ポケモン博士がカロスの某発明少年的なジムリーダーと共同で開発した、ロトムが入り込むことで完成するロトム図鑑なる前例もあるという。言うなれば、スマホロトムはそれをモデルに更なる研究が重ねられた結果、生まれ普及した便利なツールということになる。
当然ながら、中にポケモンが入っている道具である以上、仮にそのポケモンに何かあった際、その責任を問われるのはその所持者ということになる。例えばの話として、スマホロトムを使って盗撮した犯人が、『自分が操作したのではなくロトムが悪戯をしたのだ』という主張をした所で、『ロトムがそういう悪戯をしたとしても、結果としてそれは所持者の監督不行き届きである』、という風に見なされてしまう。
なので、スマホとしての基本的な機能である電話をしたり、写真を撮ったり、何かしらを検索したり、アプリを利用したり……と、細々したやりたい事に対してもロトムのサポートが入る都合、そういった機能を十全に解放したり使いこなすためには、『自分は最低限ポケモンを扱う資格を持っているのですよ』という証明が必要になり、結果としてトレーナーライセンスの所持が必須、ということになってしまうわけだ。
「はは。まぁ確かに、普段から日記に書くみたいな習慣でもない限り、いきなりレポートを書け、って言われてもしんどいかもしれないね」
「それ!! いやマジでそれです。何をどんなふうに書けば良いのかとかも全然さっぱり」
「私も似たような感じで苦手意識があります。トレーナーになった後でも、最低でも半年に一回は書かないといけないんだなって思うと、憂鬱というか……上手く書けるか心配で」
彼ら彼女らの愚痴めいた言い分を聞きながら、カフェオレを口に付ける。クロワッサンも頼めば良かったかな、と思ったけれどそれは本場でのお楽しみにしておくとしよう。
「うーん、なるほど。じゃあまず、なんでトレーナーになるためにレポートを書かないといけないのか納得できてない、って話だけど……まあここは凄く単純というか、当たり前の理由があってね」
「?」
「研究の為、ひいては未来のため、かな」
ぽかん、と。
少年少女は、まさに呆気にとられた顔をしてしまっていた。
「え、えーっと……」
「それは、つまり?」
「ポケモントレーナーのレポートは、発信したら世界中の研究者が閲覧できるようになるんだ。膨大なビッグデータ、って奴だね。位置情報からポケモンの生息地の分布をまとめたり、野生ポケモンとのバトルのデータから覚える技の記録やどれくらいの強さなのかを割り出したり……」
つまるところ、ポケモントレーナーという存在並びにその資格が何を意味するのか。それは、この世界のあらゆる場所にいる不思議な不思議な生き物たちに対する知見を得る為だ。空に、海に、大地に、もしかしたら宇宙や異次元から来たポケモンだっているかもしれないし、神様みたいに語り継がれたポケモンや、その存在が幻と呼ばれる希少なポケモンだって……全ては、過去の記録、先人たちによって残された膨大なレポートによって今に伝わっているとも言えるのだから。
「要するに、皆でポケモンについて気付いた事や気になったことがあったら、どんなに些細な事であっても報告しあおう、っていうのがレポート制度の根幹だね。自分達が見ている、連れているポケモンのなんでもない仕草が、実はまだ誰も知らない生態を解き明かすヒントになるかもしれない、とかさ」
「はぇ~~……なるほど。なるほどな?」
「アンタほんとに分かって言ってる?」
ちなみにライセンス取得が解禁されるのは十歳になってからが原則であるものの、明らかにそれより年下の園児や子供がポケモンを繰り出してきたり所持しているような例外も全然ある。田舎過ぎて親のポケモンを護衛代わりに持たせているとか、或いは教育の一環で早めにポケモンに慣れさせるためとか……そういう場合のレポート提出は基本的に保護者が子供達からの聞き取りの後に代筆するようになっているのだとか。
「そういえばレポートに関係する都市伝説ってあるよな」
レポートにまつわる都市伝説。……オカルト的と言ってしまえばそれまでかもしれないが、不思議な事にこの手の話はインターネットが普及する以前から人々の間で広がっていたものが多くある。現代のように電子情報を瞬時に送受信出来なかった時代において、情報の伝達と言えば基本的に口頭で伝えるか、あるいは手紙を送り合う実にアナログな方法しかなかったのにも関わらず、古今東西で似たような内容がまことしやかにされていたりするものだ。
その代表的な物はこうだ。あるポケモントレーナーが、旅先で宿泊した場所でそれまでの記録……今で言う所のレポートを書き残した。その後、出立したトレーナーは土地勘のない山奥に迷い込んでしまい、そのまま闇雲に歩き回った結果、不幸にも崖から落ちてしまった。しかし、確かに目の前が真っ暗になったはずなのに、気が付けばレポートを書いた場所に戻っていた……という展開に。手持ちのポケモンは健在だったし、身体には傷一つないが、代わりに山を歩き回っていた時に見つけた木の実や道具などは何処にも見当たらず、まさかと日付を確認すれば記録を付けた当時に巻き戻っていた、というのが大体のパターンである。
ちなみにバリエーションとして、時渡りの出来る幻のポケモンが関わっていた、とご都合主義のような理由付けがされていたり、あるいはゴーストタイプのポケモンに悪夢を見せられていただけなのだ、とまだ如何にも有りそうなラインのオチを付けられていたりと、時代や場所によって様々な一面があったりもする。
「あー、確かに? でも、あれって結局の所は迷信でしょ。ほら、小まめにレポートを書く方が良い事がある、みたいな風潮を流行らせようとしたとか聞いたことあるよ」
「ふふ。その意見はある意味で鋭いかもね。事実として、推奨されている事だし」
過去にこんな事例があった。毎日のように定期的にレポートを送っていたとあるトレーナーが、急にぱったりとそれをしなくなってしまった。レポートを受け取っていた研究機関は何の連絡もない事を不審に思い、家族に許可を得て受信履歴を辿ったところ、移動中だったらしい森の中で痕跡が途絶えてしまっていたという。そこでポケモンレンジャーに要請を出し現地を調査してもらった結果、件のトレーナーは突然発生した陥没に巻き込まれ足を負傷し、身動きが出来ない状態で見つかった、というものだ。幸いなことに、手持ちのポケモン達が食料を森の中から掻き集めたり、散らばってしまった荷物を探し回ったりとサポートに当たっていたため意識ははっきりしていたものの、自力での脱出は難しかっただろう、という状況であったのだとか。
勿論、これは極端ではあるが幸運な例とも言える。年若く警戒心の薄いトレーナーが野生のポケモンに襲われてしまう事もあれば、悪い相手に騙されて悪事に加担してしまう悲しい事件だって起こりえてしまう。ただ、そうなってしまった時でさえも、その当時の状況を記したものがあれば、今後の糧としてそれは活用されるかもしれない可能性がある、ともいえるのだ。
「とはいえ、それでもやっぱりレポートを書くのにハードルが高いんだったら……一旦書く事じゃなくて、読む事をしてみてもいいかもしれないね」
「読む……? えー、でもレポートってこう、読んでも面白くないっていうか、堅苦しいっていうか……」
「他の人のレポートを、お手本にするって事ですか?」
「そう。でも、研究者が読むようなものじゃなくて……もっと気軽な、エッセイ形式みたいなのが君達くらいの年の子達にはいいんじゃないかな」
極端な事を言ってしまえば、伝説だって大昔の人によって記された立派なレポートだ。世界の創造、時空の発生、感情と意思と知識をつかさどるポケモン……あるいは陸と海を生み出した存在、なんていう巨大なスケールの話ですらも、誰かがその事を残そうと記録したからこそ今に伝わっているわけで。
「雑誌の旅コーナーのコラムとかもそうだけど……旅のトラブルとか、些細な発見とか、面白おかしく書く必要こそないけれど、割と単純に自分の中の発見とかを忘れないように記すみたいな……そういう具合から掴んでみるのが良いかもね」
「へ~……なんか、本当に日記みたいな感じでも良いのかな」
案外そういうもんなのかな、と。少年の方は腑に落ちないまでも、気楽に考えられるようになったのか。
「日記かぁ……確かにそれなら、なんとか書き続けられそうな気もするかも?」
ちなみになんですけど、何かお手本にした本とかってあるんですか。少女の方から追加で飛んで来た質問に、少しだけ考える。確かに在る。ありはするけれど……少しばかり、特殊な奴が。
「うーん、あるよ。一応」
「え、どんなのですか」
「これ」
今どきのキャスターが付いているようなキャリーバッグではなく、年季の入った古めかしい旅行鞄に手を入れる。取り出したのは、同じだけ年代ものなのか酷く痛んでいるのがよく分かる、ボロっちぃ革張りの手帳。
少年少女が揃って怪訝な顔をするので、さっさと答えを言ってしまう。——これは、祖母が冒険に出た際に毎日のように付けていた手記なのだと。
きっかけは、寝物語だった。祖父母の家に泊まりに行った際に、幼い子供が寝付くまで語り聞かされたのは、ありきたりな童話の類ではなく、それはそれは破天荒な冒険記。やれ、伝説のポケモンと追っかけ合いになっただの、悪の組織の実力者と渡り合っただの……当時の自分はというと、あまりに面白すぎるので興奮仕切りとなり、寝入るどころかむしろ次々に飛び出してくる奇想天外なその語り口にますます目が冴えてしまうほどであったものだ。
とはいえ、流石にある程度物心もついて来るような年代にもなれば、世間のあれこれにも理解が及んでくる。普通に考えれば有り得るはずがない冒険譚とは、つまるところ子供を飽きさせない為の作り話にきっと違いない。勿論、まるで見てきたような臨場感あふれるその空想には感心する部分こそあれど、生意気盛りの年頃ともなれば「あのお話達って、実はおばあちゃんの考えた冗談なんでしょう?」と素朴な疑問を装いつつも、ずばり痛い所を突いてやるんだ、と隠しきれない半笑いを含みながら尋ねてみた時の事だった。
最初、祖母はそれこそ虚をつかれたような顔をした。けれど、しばしの間ぽかんとした後に、腹を抱えてひぃひぃ笑い出したのだ。
「何を言い出すのかと思えば……アッハッハッハ! なぁるほど、うちの孫はアタシの体験談が嘘八百だって言いたいわけだ?」
「い、いや。そこまでは言ってないというか……多少はほら。旅の思い出を大袈裟にしたとかはあるんじゃないの。ちょっと珍しいポケモンを追っかけまわしたりとか、コソ泥を成敗したとか……」
「ほぅ、多少は小賢しく口が回るようになったね。おっと、教えたのはアタシ仕込みか? ふふ、まぁ確かに……聞いただけの話をウッウ呑みにしないだけの知恵がついたんなら、それも成長さ」
それに何より、アタシの話が嘘かどうかなんて、其れこそ自分の目で確かめてみれば良いさ。もうそろそろ、旅に出たっていい年頃だろう?、と。ニヤリと含み笑いを浮かべた祖母は、餞別をやろう、と引っ張りだし……もとい、押し付けられるように譲られたものこそが、あの旅行鞄と、その中に眠っていた数十冊にも及ぶ手帳の山だった。
「バッグってのはね、大容量でかつ、なにより丈夫なのが一番さ。そういう意味じゃ、コイツはお墨付きだよ。アタシの大冒険に最初から最後まで、付き合ってくれた相棒みたいなもんだからね」
普段使いするには……多少不便するやもしれないが。なぁに、すぐに慣れるとも。かんらかんらと呵々大笑しながらも、渡されたそれはある意味では祖母の荒唐無稽とも言える冒険譚の物証とも言えた。なにより、その中に詰まっていた手記は……まさに、自分が寝物語に聞かされていたあの物語がそのまま記されていたものだから。
「それでなんだか、悔しくなってね。まさか孫を騙すためだけに、それらしい年季の入った鞄や手帳をあらかじめ用意しておいて、まるでそう言いだすのを見越した上でわざわざ小道具を準備していた……とは思えないし。そこまで言うんなら、祖母の旅の足跡を観光気分で巡ってやろうじゃないか、と思ったわけだよ」
とはいえ、今のご時世だと連絡手段がないのは不便で仕方がないし、なによりトレーナーライセンスが何処に旅するにしても万能すぎる身分証明の為に必要になるのもあって、スマホロトムを手に入れるのと合わせて免許を取得した、というわけなのだ、と。
そこまで話したところで、控えめなアラーム音が鳴りだした。……どうやらそろそろ、乗る予定の列車がホームに入って来るらしい。お願いしたつもりはなかったけど、ロトムが気を利かせてセットしてくれていたんだろう。
「じゃあ、そろそろ。レポート、頑張ってね」
「は、はい! ありがとうございました!」
「参考になりました! 頑張ります!」
少年少女に別れを告げて、駅の改札をくぐる。振り返ってみれば、こちらに手を振ってくれていた様だった。軽く振り返してから、自由席の車両に乗り込んで適当に座る。茶色い座席の座り心地は悪くないし、乗客も混みあうことないけれど、貸し切りとまではいかないようだった。
何時か、あの子たちがトレーナーになったら、そのレポートを読むことは有るのかな。そんな事をふと思いながら、祖母の手帳を一冊取り出して、開いた。走り書きのようにメモを残した形跡はその当時の緊迫感が伝わるようだし、後のページに清書した様に読みやすくまとめてあるページが来ると前の方に戻って見比べて合点がいくことだってある。時代を考えれば、通信手段としてメールが確立され始めていた頃だろうか。日記の様であり、取り急ぎのメモの様であり、けれどもこれは確かに……レポートでも、あるのだろう。
これは一応、名目上は祖母の旅路をなぞる為の、旅ではある。けれど同時に、自分だけの旅でもあるのだ。最初の方に書き殴られた、旅の準備の項目を指で追う。『旅先で手に入るような荷物はなるべく減らす事。着換えや食料など、現地で調達できるのであればなるべくはそうする事。出会いもまた然り。鞄や自分の心に余裕がなければ、新しく得たモノやヒト、ポケモンを受け入れる隙間がないから』……この一文を見た時に、妙に納得したような心地を憶えている。
どうせならばその趣向に倣って見よう、と。最低限の着換えに、色んな服が合わせられそうな白い服にジーンズという格好を選んだのもそうだ。もしかすると旅先にお洒落な服との出会いが待っていたっておかしくはない。なんなら宿泊先だってひとまず到着してから考えたって良いだろう。行き当たりばったりなのも、旅慣れてない今だからこそできることかもしれないし。そんな事を考えながら、開けっ放しの鞄の中に手帳を戻す。ちなみに、今から行く街で祖母はカフェを経営していた祖父に出会ったらしいと手帳に書いてあった。今はもう、店は人手に渡ったらしいのだけれど、折角だし残っているのなら探してみたいものだ。
ポケモンは、つれていない。免許はあるけれど、持ってはいない。ポケモンが出現するような草むらや海原、洞窟に森の中……と、如何にも冒険するのだ、という場所を踏破しに行くのではなく、一応文明的な大都市に行くのを選んだので、多分大丈夫だろう。ある意味で、これはお試し期間のようなものだった。幸いにも自分には時間がたっぷりあるのだし、どれくらいの滞在になるのか分からないけれど、だからこそ気の済むまで観光してみようというなんともお気楽でノープランな旅程を建てることが出来たのだから。目的に困った時は祖母の手帳を開いて、それこそ適当に理由を付けてみるのだって良い。確かにこれは切っ掛けだけれど、絶対に従わないといけない導というわけでもないのだと……。
そんな事を思っているうちに、いつの間にか一眠りしてしまっていたらしい。ふと目が覚めた時のは、車内に目的の駅に到着するというアナウンスが流れたからだった。続いて左手に見えてくるのは、これから向かう街にとって象徴的なタワーなのだという。へぇ、と思いながら車窓をへ視線を向ければ確かに白くて背の高いスタイリッシュな建造物が遠目に見えていた。
スリープだったスマホロトムが、アナウンスの音声を受けてぱっと画面に関連情報らしい映像や画像を検索して出してくれる。三匹のポケモンに囲まれている微笑ましい青年が何か言う前にスワイプしてしまえば、駅前にあるというお洒落なポケモンセンターの広告が出て来た。こういうのが街のあちこちにあるのかと思いながら次にスワイプすれば、ピックアップ情報なのかこれから向かう街で人気も話題もシビルドン登り中だという派手な格好のストリーマーがお出しされて。
「まもなく当列車はミアレ駅に到着いたします」
ブレーキがかかりはじめたのか、若干揺れが大きくなった気がする。いよいよなんだな、とそわりと心も揺れた。もう出口に立っておこう、と開けっ放しだったレトロな鞄を手に持ち直す。
ほどなくして辿り着いた構内には、ポケモン連れのお客さんもいれば同じように観光に来たらしい家族連れなどいるように見えた。ひしめき合っているほどではないけれど、まばらというほど寂しくもないようで。改札もスマホロトムがあれば自動で決済をしてくれる都合、そのまま駆け抜けてしまえるのは味気ないけれど技術の進歩の象徴だった。
駅の出口から、外に出る。眼前に広がったのは、人とポケモンが共に収まっている都市の風景だった。一緒にお散歩している姿、これから仕事現場に向かう道中、あるいは日課のランニング……そして見上げれば、電車の中からも見えた、あのタワーがそびえたっているのが分かった。
さて、これからどうしよう。ひとまずはやはり、宿探しかな。そんな事をぼんやりと考えた直後だった。
「そこの人!」
三匹のポケモンと一緒に、声をかけて来た見知らぬ青年。この街における、最初の出会い。
ふと、予感した。きっとこのセリフ、この邂逅こそが――自分の白紙のレポートの、最初の一行目になるのだろうな、と。
そんな風に妙に確信めいた事を思いながら、私はそちらへと振り返ったのだった。