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You're crazy and cool!

作者:天波 八次浪

 展望フロアに続く梯子を掴んで、セイカは瞬時に思考を巡らせた。
 夜のサービスエリア、長距離バスの20分停車中。最終便だが路線バスと同じ運用なので、乗り遅れたら問答無用で置いて行かれる。
「ロトムちゃん、発車まで何分?」
「あと18分ロト!」
「余裕!」
 爆速で梯子を登り切った。
 アサギシティの夜景が眩く広がっていく。
「ロトムちゃん……!」
「ロト♪」
「フォトモード!」
 夜景モードから手動で微調整して、怒涛のごとく撮りまくっていると。
「あああっ!」
 自販機エリアから悲痛な声がした。
 手すりに寄っかかって覗き込むと、
「待てコラァ!」
 怒号の直後、羽音がしてヤミカラスが飛び上がってくる。嘴からキラキラしたアクセサリーをぶら下げて。
 ヤミカラスは光り物に目がない。普段は賢いのに理性を失ったかのような執念で盗みに来る、そんな時の興奮ガンギマリの羽ばたきだ。
「ロトムちゃん出て!」
「ロト!?」
 抗議めいた返事に指示で返す。
「放電!」
 閃光。バヂッと空気が軋み、オゾン臭が鼻をつく。
 目を見開いたままヤミカラスが硬直して落ちていった。
 同時にスマホがコンクリートの床にぶつかる心臓によくない音。ロトムちゃんが入っている限りスマホが落ちることは無い。どころか、スマホの持ち主にまで落下防止機能が働くのだが。ロトムちゃんが出てしまえば、ただの板なのだ。
 ばたばたと駆けてくる、ツンツンの金髪のお兄さんとヤンチャム。
 お兄さんは革のジャケットのジッパーを喉元までしっかりと引き上げてから、
「捕まえたぞオラァ!」
 煉瓦タイルの上で気絶しているヤミカラスを掴み上げた。
「乱暴にしないでっ、千切れちゃう!」
 カッカッと靴音を響かせて、ゆるふわミディアム栗色髪のお兄さんがチュールスカートをはためかせて駆け寄ってくる。
「うわー絡まってるなー」
 呻いたツンツンお兄さんが不意に見上げて、
「あのっ、これ、マジありがとうございます!」
 とアクセサリーで足が緊縛状態の気絶したヤミカラスを掲げる。
「それ、解きましょうか?」
「お願いできますかっ?」
 ツンツンお兄さんの袖をゆるふわお兄さんが引っ張る。
「ちょっと、迷惑だよぉ」
「迷惑じゃないですよー。ロトムちゃん戻って」
 にかっと笑って明滅していたロトムちゃんはコンクリート床に落ちたスマホに入ると、
「ロ゛ト!」
 割れた音で元気よく返事した。
「うわぁー」
「だ……大丈夫ですか……? その、音……」
 心配そうなゆるふわお兄さん。
「大丈夫です! データはクラウドに上げているので」
 すたすたと梯子を降りながら答えるセイカ。
「さ゛っきの写真は消え゛たロド!」
「えっ」
「回線が細くて転送が間゛に合わなかったロド〜」
「ごめんなさい……本当に……こんなに迷惑を……」
「非常時ですから仕方なしです!」
 セイカはツンツンお兄さんが掴んだヤミカラスの足に絡みついたネックレスの鎖を目で辿る。こういうパズルは得意なのだ。ちょいちょいっと。目測どおり一回でするりと解けた。
「すごっ、プロ!?」
 ツンツンお兄さん、いいリアクション。
 気絶したヤミカラスは木のベンチに横たえられた。
 手に戻ったネックレスを見詰めてゆるふわお兄さんが声を詰まらせる。
「これ、本当に大事なもので……なくなったらどうしようって……本当に……ありがとう……」
「よかったです」
 そんなセイカの視界の端で、バスがゆっくりとサービスエリアを出ていくのが見えた。
「あ」
 事情を聞いてパニクるお兄さんたち。逆に落ち着いたセイカ。
 そんな三人を黒い長身の男が眺めていた。蝋のように白い顔。手には無糖珈琲の缶。男は影のようにセイカたちに歩み寄ると、無表情のまま手を挙げて言った。
「狭い車ですが、乗っていきませんか?」
 ぬるい夜風がアサギの潮の匂いを運んで吹き過ぎた。
 ツンツンお兄さんがばしっと膝を打った。
「そうだよ! 俺たち車なんだよ!」
「そうだよね。よかったぁ……」
 安堵の息を長々と吐くゆるふわお兄さん。
 セイカは頷くと、黒い男に言った。
「お邪魔します」


 三人はライヴ帰りのambiguëというバンドで、セイカと同じくエンジュシティ在住だった。
 黒いお兄さんがドラムのカガミ。
 ツンツンお兄さんがギターのジャノ。
 ゆるふわお兄さんがキーボードとボーカルのニレ。
 ジャンルは概ねスクリーモらしい。エモい雰囲気ですごい叫ぶやつ。
 来週末にライヴがあるらしく、招待券を貰った。
 セイカはお礼に名画の栞を三人にあげた。そもそも美術館の帰りだったのだ。

 そういうわけで、セイカは先輩を誘ってライヴイベントにやってきた。

 ライヴハウスは概ね地下にある。防音壁では低音の振動までは吸収しきれないからだそうだ。
「セイカ」
 聖歌隊のようなワンピースで髪を複雑なハーフアップにしたマナカ先輩は、控えめなフリルのついたバッグをぎゅっと胸に抱いて言った。
「わたくしたち、改造されるのですね」
「いいえ?」
 こんな先輩だが趣味は良く知識も広い。美術館もこの先輩の薦めで行ってきたのだ。
 入場して二人で好き勝手に感想を交わしていると、次はambiguëの出番。
 照明が真っ暗になり、うっすらと鳴っていたBGMが大きくなって止まった。
 低くおどろおどろしい渦巻くような音がフロアに響く。セイカとマナカ先輩は息を呑んで姿勢を正した。
 黒い影が音もなく現れて溶けるようにドラムに納まった。カガミさんって大きいのに存在感無いなー、とセイカは思う。
 続いてやかましい音が鳴り、両拳をがんがん突き上げながらジャノが出てくる。ギターを掛けるとギャンギャンかき鳴らして、さっと掌をステージの裾に向ける。
 最後に天を仰いだニレがスポットライトの中に入ってくる。胸のネックレスが冬の星のように煌めいている。これは無いといけないものだ、とセイカは納得した。ニレがキーボードの前でフロアに向き直り、糸が切れたように俯くと、鳴っていた音が止まった。
 始まる――!

 とにかくすごかった。綺麗なノイズ。激烈な奔流。スリーピースとは思えない音。

 次のflowingというバンドはチェロとサックスの二人組だった。お揃いのスクエア眼鏡、抑えた光沢の蝶ネクタイ。手首にはそれぞれポポッコとハネッコのカフスボタンが光っている。
 サックスの青年が朗らかに言う。
「ゲストボーカル、ヒルダ!」
 鮮やかなドレスの大柄なお姉さんが裾から現れた。その風格にフロアの空気が変わる。ライヴハウスの天井って低いんだなとセイカは思った。弾けるような笑顔で手を挙げると、ヒルダは流れるようにマイクを手に納めて――。
 セイカとマナカ先輩は痺れるほどに圧倒された。パワフルな声とその動きひとつひとつに目が引かれ心が動いた。もはや操られていると言ってもいい程に。
「祓われそう」
 とマナカ先輩。
「わたくしのような闇の者は灰になって消滅するのです」
 いやどう見てもあなたは光の者でしょう、とセイカは思った。
 歓声が静まると、チェロの青年がぼそっと言う。
「ゲスト……」
 袖から表れたのはカガミさん。フロアから「カガミ!」と声が上がる度に無表情のまま宥めるように頷いていたカガミさん、不意にドラムスティックを横向けにして揺らし、ぐにゃぐにゃに曲がって見える錯視を披露した。フロアがどっと湧く。
 曲が始まると空気が一変。ambiguëではパワードラマー! という印象だったカガミさんが、繊細の極致のような音を奏でている。
 豪勢な時が終わり、フロアの照明がついて、セイカはここがジョウトのエンジュの小さなライヴハウスだということを思い出した。
「よかったー!」
「誘ってくださって感謝ですわ」
「ちょっとお手洗い行ってきます」
「わたくしはそろそろ帰りますわ」
 いつも最後の最後まで居るマナカ先輩が珍しいことを言う。
「明日の朝提出のレポートがまだ」
「……なぜ来たんですか」
「いま始めれば間に合います」
 本人がそう言うなら出来るんだろう。セイカはマナカ先輩を見送るとライヴハウスに戻った。


 トイレから出ると、楽屋に通じる廊下の長椅子にジャノのヤンチャムが腰掛けて足をぷらぷらさせながらスティックパンを頬張っているのが見えた。
 近寄ってみると、ゴミ箱の死角にニレが、ヤンチャムの死角にジャノが、それぞれ三角座りで沈んでいた。
「どうしたんですか!?」
「僕はもうだめです」
 洗濯が難しそうなスカートの裾が土足の廊下に垂れているのに、ニレは意にも介さずフシデのように丸くなって小さな声で言った。
「おしまいです」
「えええっ」
「ラップの時マイク入ってなかったぁあ……」
 斜向かいで同じく丸くなったジャノが呻く。
 そういえば全く聴こえなかったけれどジャノさんがまくし立てていた箇所があったな、とセイカは思い出す。
「それは聞きたかったなー」
「うぅう聴いて欲しかったよぉお」
 丸くなってめそめそ転がるジャノをもっちゃもっちゃとスティックパンを噛み締めながらヤンチャムが見下ろす。
「ニレさんは何があったんですか?」
「…………っ」
 小さな声を聞き取ろうとセイカは耳を寄せた。
 ニレが消え入りそうな声で言った。
「……歌詞……間違えた……」
「………………」
 ニレにはとても重要で致命的な事らしいのだが、セイカにはそもそも言葉として聞こえてはいなかった。
「音は綺麗でしたよ?」
「あうぅ……」
「至高の響きでしたよ」
「うぁ……」
 ニレはぎゅっと顔を伏せて少し芯の入った声で呟く。
「嬉しくないわけじゃない……んですけれど…………」
「かっこよかったですよ」
 セイカはロトムちゃんにambiguëのライヴ中に撮った写真をスマホの画面に表示してもらって、ニレに見せた。
「うっ」
 強い光を浴びたようにニレは顔を逸らし、両手で顔を覆うと指の隙間から写真を恐る恐る見て、言った。
「それ……ちょうだい」
「送りました」
「あっ、いーなー!」
 ジャノがぴょんっと縦になって寄ってくる。
「ジャノさんはこれかなー」
 例のマイクが入っていなかったというラップの時の写真を送る。
「うわっ、完璧じゃん。俺かっこよすぎじゃね?」
 ジャノはにやけ顔でスマホをヤンチャムに見せている。
 スマホを細い指でぽちぽち触っていたニレがセイカを上目遣いに見て言う。
「プロフィール写真にさせていただきました」
「え、光栄です」
「元の写真がひどすぎて見る度に凹んでサイトごと消したかったの」
「そこまで?」
「俺もプロフこれにしよー!」
「あのーまだまだ沢山撮っていますよ」
「これがいいの」
 満足げなニレと、
「えっ見せて見せて」
 前のめりなジャノ。
「纏めて送りますね」
 丁度セイカが大量の写真を送信し終えたところで。
 楽屋の扉が開き、中からカガミさんが無表情で言った。
「閉会式やるよ、ステージに集合」


「告知!」
 セイカがフロアに入ると、丁度ステージ上でカガミさんがマイクを手に今日一番力のこもった声で言った。
 隣にはヒルダさん立ってポスターを掲げている。『プロレス歌劇 オペラ座の怪人』……プロレス歌劇とは?
「来週土曜! エンジュ学祭デマチ商店街コラボイベント! 出ます!」
「Come see my battle stage!」
 ヒルダさんいまバトルステージって言った?
 よく見ると、ポスターのヒルダさんの写真の下に『LWF “黒炎の”ヒルダ』と書いてある。LWFってイッシュ地方のプロレス団体じゃなかったっけ?
 不意に、セイカは思い出した。何年か前の冬の深夜、炬燵でなんとなく見ていたテレビのプロレス中継。ガオガエンと阿吽の呼吸で危険な技をかけていて、この人ポケモンバトルも強いんだろうなー、と感じた事が鮮明に蘇る。
 実況の声を思い出す。「情け容赦なし黒炎のヒルダ! 地獄のブラックフレイムスピン! 逃れられるのかマスクドマラカッチ!?」対戦相手の髪型も凄かったな……。
 えっ。本人!?
 頭の中が真っ白になっていると、いつの間にかステージでは別の人が挨拶をしており、目の前にカガミさんが居た。
「セイカちゃん」
 カガミさんは言った。
「来週のプロレスオペライベント」
「はい」
「手伝ってくれないかな?」
 ええっ!?
「手伝います」
 セイカは即答した。


 そして当日。
 あのあとカガミさんから送られてきた進行表を読み込んで、現地で下見もした。
 セイカの役目は写真を撮って指定のクラウドストレージに上げること。
 その写真を使ったスタッフロールをリアルタイムでニレさんが編集し、配信の最後に流すらしい。責任重大!
 学祭で賑わうエンジュ大学の門をくぐると、縁台が敷き詰められてこたつが並んでいた。青空こたつカフェと看板がある。
 入っていきたい衝動に駆られるがぐっと我慢。
 楽屋で出演者と顔合わせ。
 仮面の怪人ファントムの役者は三名。
 プロレスの時は、総合格闘技団体ジョウトハイボルテージのキヨマサ選手。
 演技は、劇団暁烏のサギソウさん。
 そしてなんと、歌はカガミさん。
「なんだあの素人はと配信のコメントで袋叩きにされることが確定したカガミです」
 などと無表情で宣ってはキヨマサ選手とサギソウさんに笑い飛ばされている。
 ヒロインのクリスティーヌ役は二名。
 歌と演技はエンジュ芸術大学声楽科のユリエさん。
 プロレスはLWFの“黒炎の”ヒルダ。キヨマサ選手とは顔見知りらしく、額を突き合わせ凶悪に笑い合ってがしっと前腕をぶつけ合っている。
「Can you be a heel? Babyface!(訳:あんたに悪役がやれんのか? 童顔のヒーローくん!)」
「おうさ、シャンデリアぶつけてやんよぉ!」
 悪役としての経験の差が如実に出ている微笑ましい煽り合いだった。

 始まってみると、カガミさんの自虐が笑い飛ばされていた理由がよくわかった。
 何が素人なのか。声質も声量も歌の巧さもずば抜けている。
 ファントムがクリスティーヌを隠れ家に誘う場面。二本の川が合流する三角州で上演されたのだが、橋の上や川岸どころか、両岸の大通りまでカガミさんとユリエさんの肉声は響き渡り、上演中に観客が倍以上に増えた。
「巧く聴こえるテクニックを使ってるだけ」
 と後にカガミさんは言い訳していたが、それはもう巧いということなのでは?

 そして前半の見せ場、シャンデリアが客席に落ちる場面。
 商店街の中。シャッターを下ろした雑貨屋さんの前に簀子が敷き詰められて毛氈が敷かれている。有料の『シャンデリアかぶり席』だ。アーケードの天井ではシャンデラが待機している。大きな個体なので珍しさもあってか盛んにカメラを向けられていた。
 通路の真ん中にマットが敷かれていく。脚立の上からワイングラスを落とすCM動画で有名な、衝撃吸収能力が凄いやつ。
 商店街のスピーカーからメインテーマが流れて、劇が始まる。
 暗躍するサギソウ゠ファントムに人々が翻弄される最中、アーケードの照明が激しく点滅し、天井のシャンデラがぐわんぐわんと大きく揺れる。
 シャンデリアかぶり席から次々と悲鳴が上がる。その隙にユリエさんと入れ替わったヒルダさんが駆ける。
 雑貨屋さんの二階に陣取った舞台監督が合図して、シャンデラが落下。
「Are you ready!?」
 エコーのかかったヒルダさんの声が商店街のスピーカーから響き、
「Wooooooo!!!」
 ヒルダ゠クリスティーヌが落ちてきたシャンデラを両腕でがっしりと受け止めた!
 シャンデラの炎の渦に紛れてボールから出たヒトモシたちがヒルダ゠クリスティーヌの周囲を広く囲む。炎のリングだ。
「Destroy!!!」
 炎の中からヒルダさんが叫び、シャンデラを投げた! なお原作にはこんな展開は無い。
「クリスティーヌ!!!」
 サギソウさんの声が商店街のスピーカーから響き、天井からキヨマサ゠ファントムが飛び降りてくる!
 この隙にシャンデラは観客に紛れたトレーナーさんのボールに戻る。
 ヒトモシたちの輪の中で、ヒルダ゠クリスティーヌとキヨマサ゠ファントムが対峙する。
 ゴングが鳴る!

 原作に無いバトルを盛大に交えたプロレス歌劇『オペラ座の怪人』は大好評で終演を迎えた。

 編集部屋に入るとソファでニレさんが伸びていた。
 開いたノートパソコンの周りにはコーヒーの空き缶と栄養ドリンクの空き瓶とおいしいみずのペットボトルが乱立している。
「ニレくんおつかれ」
 カガミさんが衣装のまま対面のソファに倒れ込んで手足を伸ばす。
「終わったー! あとはバラシだけー!」
「カガミさん好評でしたよ」
 腕で目を覆ったままニレが言う。
「劇団都市のテノールの人と間違われていましたよ」
「あの人の真似してたの。やったあ完コピできてたあ!」
 ドスッドスッと階段を上がる音がして、扉がバァン! と開いた。
 汗で眩く光るヒルダさんが満面の笑顔で言った。
「Kagami! Let's battle!(カガミ、バトルしようぜ!)」
 さっきまで散々闘ってましたよね!?
 全員が唖然とする中、カガミさんが即答した。
「No!(断る!)」
 ヒルダさんは悲しそうな顔で両掌を広げる。
「Scorch wants rampage.(スコーチが暴れたがってるんだ)」
 スコーチ。“黒炎の”ヒルダのパートナーのガオガエンの名前だ。
「Don't rampage.(だめです)」
「Oh……」
 見かねてセイカは声をかけた。
「あのぅ、私がお相手しましょうか?」
「え、セイカちゃんポケモン持ってるの?」
 ニレさんが腕をずらしてセイカを見上げる。
「ロトムちゃんが」
「だめです、またスマホのデータが飛ぶでしょ」
 とカガミさんは真っ白なボールをセイカに差し出した。
「よかったらこいつで戦ってやってくれないかな。明彦って名前」
 ボールの中から腕組みしたヤミラミがセイカを見上げていた。

 商店街の裏の公園で、セイカはヒルダと対峙した。
「よろしくです!」
「One punch and it's over!(一発でのしてやるぜ)」
 にやりと笑って、ヒルダはガオガエンを繰り出した。両腕を広げて咆哮するガオガエンの炎が夜空に散る。
 かっこいい。セイカは頬がどうしようもなく綻ぶのを感じていた。
「明彦くん、ねこだまし!」
 ばちんっ! 出鼻を挫かれてスコーチが面食らった顔でヤミラミを見下ろす。
「You got me!(やってくれたね)」
 ヒルダさんは嬉しそうにヤミラミを指さした。
「Scorch! Darkest Lariat!(スコーチ、DDラリアット!)」
「みきりっ!」
 なんとか躱し、相手の力を利用するいかさまや弱点を突くパワージェムを直撃させる。さすがはヒルダのガオガエン、化け物じみた体力だ。こっちは一発当てられるとごっそり削られる。これは勝てないんじゃないか、そんな考えがセイカの脳裏をよぎった時。
「Your resistance only prolongs the suffering.(粘っても苦しみが長引くだけだぜ?)」
 ヒルダの挑発で心が燃え上がる。心地好い興奮。そんなの、ギリギリまで粘りたくなるじゃない。
「勝ちます」
「You got balls!(いい度胸だ)」
 八重歯を見せて凶悪に笑うヒルダさん。
 この安心してぶつかっていける感覚。対戦相手として認められているって充実感。懐が深いってこういうのを言うのかな。セイカはふわふわした気分で夢中で明彦くんに指示を出していた。
 そして。
 スコーチが大の字で地面に転がった。気絶寸前の明彦くんはなんとか立っている。
 勝った。
「Blast it!(なんてこった)」
 拳を握りしめてがんがん振ったあと、ヒルダはスコーチをボールに戻した。
「You win!!(あんたの勝ちだ)」
「勝ちました!」
「You're fire! Seika!(あんた最高だよ、セイカ)」
 ぎゅうううっと抱き締められる。
「嬉しいです!」
 体中からバチバチ火花を散らすような感覚の余韻に浸りながら、セイカは応えた。

「セイカちゃん、バトル強いね」
「運がよかったです」
「タイプの相性も技の性質も把握した人の戦い方だったよ?」
「それは丸暗記なんです」
「それはね、強いよ」
 撤収を終えた帰路。長く緩く纏まって歩いている時に、不意にカガミが訊いた。
「セイカちゃん、旅行って好き?」
「好きです」
「今日みたいなことを興行としてやりたいんだ」
 と、カガミさんはヒルダさんに視線を向ける。
「That's my dream.(私の夢なんだ)」
 ヒルダさんが真剣な顔で頷く。
「それでね、下見してきて欲しい街があるんだ」
「どこでも行きますよ、旅費さえ出るなら」
「カロス地方のミアレシティ」
「えっ……いいですよ!?」
「それじゃ、仕事の話をしよう」
 にっ、とカガミが目を細めて笑った。なんだか異様な迫力があってこわい。
 だからいつも無表情なのか、とセイカは思った。


 具体的な調査項目は膨大だった。ロケハンに留まらず、長期滞在に適したホテル、その近辺の店と品揃え、業者の仕事の質、街の雰囲気、流行、地元の人々が好むこと、怒ること、等々。
 実際に長期滞在して街の一員としての感覚をレポートしてくれ。できれば地元の人と親しくなって、コネを作っておいて欲しい。
 もはやスパイなのでは? と訊くと、そのつもりでよろしく、とカガミさん。
 それから、ミアレシティ滞在時の注意を受ける。
 旅行者を狙ったスリや詐欺が多いので、持ち歩く現金はその日の分だけにすること。
 現地に馴染めば標的から外れやすいから服は現地で買った方がいいこと。
 古いホテルだとキャリーバッグは嫌がられることがあること。ヒルダさんが「Use this!(これ使って)」と大きな旅行鞄をくれた。旅行者丸出しだから狙われるよ、とカガミさんが忠告したけれど、セイカは「狙われてもいいから使います!」と抱き締めた。
 少し眉間に皺を寄せた後、カガミさんは話を続けた。
「これから身の安全に関わることを言います」
 スリや詐欺は危険のうちに入らない……!? セイカは背筋を伸ばして傾聴した。
 ロトムちゃんを出して証明書の類が飛ぶと悲惨なことになるので絶対に出さないように。ポケモンが必要になったら街中にいるポケモンを捕まえるか、ポケモン研究所を訪ねるように。
「街中に野生のポケモンがいるんですか?」
「いるんです」
 その他、細々した注意を受けて。
「飛行機は今夜の便から取れるよ。出発する日が決まったら連絡ください」
「あ、じゃあ今夜行きます」
 ヒルダさんが爆笑して言った。
「You're crazy and cool!(あんたおかしいよ!)」


 寝て起きたらカロス地方だった。
 荷物は旅行鞄ひとつなので到着口に直行、出ると目の前にカロス空港駅の改札。
 自動改札は立ち止まる必要すらなかった。スマホロトムちゃんが目をチカチカさせて決済を知らせる。
 ホームにはミアレシティ直行の電車が停まっていた。
 空いたボックス席に座ると、ほどなくドアが閉まり、発車する。
 青い空。遠い地平線。飛んでいく異郷の景色。
 見惚れていると、巨大な角ばった塔が視界に表れる。ミアレシティの中心、プリズムタワー。
 もう着いてしまう!
 結局、何も調べずに来てしまった!
「ロトムちゃん」
「ロト?」
「いまのミアレシティのこと、なにか教えて」
 既に調べていたのでは、という早さでロトムちゃんはweb雑誌の記事を表示してくれる。ミアレシティのカフェ特集、ポケモンセンターご利用案内、ミアレで大人気のゲーム配信者。
「当列車はまもなくミアレ駅に到着します」
 車内放送が入る。電車がポイントを通過したっぽく揺れて軽快なインバーター音が響き、徐々に速度が落ちてくる。
 もうね、実際に見た方が早い。セイカは腹を括って大きな旅行鞄を掴み、席を立った。

 ミアレ駅のホームはのどかに賑わっていた。
 やはり観光客が多いようで、これからの行程を楽し気に語り合っている。
「改札の向こうに広がるのはポケモンとの輝かしい日々」
 突然、真剣な顔で語り始めた地元民ぽいラフなスーツのおじさんがセイカに微笑む。
「遠い地方からきた人はミアレの街並みに驚きますよ!」
 入口アドバイスおじさんだ! カロスにも居るんだ! セイカは感動した。
 ポケモンジムなどの入口に関係者ではないおじさんが立っていて激励の言葉や役に立ったり立たなかったりする情報、道具をくれたりする。ローカルな奇習かと思っていたが世界中に居るらしい。 
 セイカは期待に胸を高鳴らせて改札を抜けた。

 いきなり、真っ直ぐな通りの向こうにプリズムタワーが見えた。
 曲がり角にはロトムちゃんが見せてくれたのと同じ、街角の立ち寄りやすいポケモンセンター。
 街にポケモンが多い。
 道行く人々がほぼ全員、それぞれポケモンを連れ歩いている。見回せば野生っぽいポケモンも平然と道の端や街灯の上に居るし、ポケモン三匹を同時に繰り出してなにか言い聞かせている同年代くらいの子もいる。
 この街は圧倒的にポケモンとの距離が近い。
 ポケモンが一緒だからか見るからに開放的な人が多い反面、相棒ポケモンと二人の世界に入っていて話しかけづらい人も多い。
 知り合い、できるかな。セイカは少し不安になる。
 向こうから声を掛けてきてくれないかな。詐欺とスリと強盗以外で。
 そう思った一秒後。
「そこの人!」
 いきなり声をかけられた!