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雲の行方

作者:Bearpent

 セスというトレーナーが、ポケモンも連れず鞄一つで列車に乗ったのは、カロス最大の都市ミアレシティの再開発が始まって少し経った頃でのことである。
(長袖が多いな)
 列車がミアレへと走り続けるなか、彼の関心は車窓を流れる美しい田園風景より乗り合わせた客達の服装に有った。寒さが不安であるらしい。
(天気は悪くない)
 と、上は白い半袖シャツ一枚だけという出で立ちの少年は、自分に言い聞かせるようにスマホロトムで天気予報を検索し続けている。
 彼が迂闊にも軽装でミアレ行の列車に乗ったのは、温かいアローラ地方に滞在していたためである。

 カロスへ出発する少し前、セスはアローラ四島の一つウラウラ島に住むある男のもとを訪れていた。場所は島の西側、ポータウン近くの交番である。
「お久しぶりです。クチナシさん」
「おぉ。掛けなよ」
 署内はアローラニャース達がいたる頃で寝転んだりじゃれあったり思い思いに過ごしている。セスはそれらを踏まぬ注意深く進むと、軽く一礼をして奥のソファーに腰かけた。
「帰って来るって話はアセロラから聞いてたが、わざわざこっちまで寄ってくれるとはねえ。コーヒーでも飲むかい?」
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて」
 クチナシ、警察官、ウラウラ島のしまキング。
 この猫背気味で気だるげな雰囲気を醸し出す男がセスと初めて会ったのは数年前。セスが11歳の頃である。
 メレメレ島に住むククイ博士の紹介でアローラにやってくるや同地の伝統儀式であるしまめぐりを達成し、その後すぐ彼が創設したリーグの初代チャンピオンとなったセスは、クチナシが出会った中でも印象に残るトレーナーの一人だ。
「少し声が枯れたな。背も伸びたみてえだ」
 やや緊張しつつもすっと背筋を伸ばしてソファーに座る少年を見て、クチナシはしみじみとそう語りかけたが、当のセスは、
「お世辞はいいです」
 と、にべもなく言った。何とも不愛想な返答である。だが、クチナシは動じない。
 あまり人と話すのが得意ではないセスの気質は知っていたし、久々にアローラの友人達と会った彼が卑屈になるのは想定内の反応だ。
「でかくなってたろう?ハウのやつ」
「……」
「この間なんざぁ、後ろ姿を見た村のばあさんから間違われたらしい。若ぇ頃のハラの旦那みてえだってな」
 ハウはセスと同い年。メレメレのしまキングであるハラの孫であり、セスにとっては共にしまめぐりをしたライバルであり友である。しまめぐりの頃は殆ど変わらなかった二人の背丈だが、最近はハウに差をつけられつつある。
「あいつ……」
 クチナシは、セスが今まさに啜っているコーヒーが如く少し苦々しい表情で呟くのを確かめると、
「ところで。今日は一体どんな面倒事を持ってきてくれたんだ?」
 と切り出した。
「……急に来てすみません。今日は、トラブルとかではないんですが」
「へっ。からかってすまん。今までお前さんが真剣な顔で現れるときは大抵何か訳ありだったからよ」
「それはまぁ、そうですけど」
 マグカップに自分の分のコーヒーを注ぎつつ、クチナシはセスと初めて会った日のことを思い出している。
 ――雲みてぇなあんちゃんだった。
 と、後年クチナシはセスについて語っている。
 掴みどころのない人物と言う意味ではない。まず、ひとところにじっとしていないのである。カントー地方で初めて自分のポケモンを持ってからと言うもの、様々な地方で冒険やジム巡りに明け暮れている。
 それだけならバトルを嗜むトレーナーには往々にしてあることだが、セスが特徴的だったのは、その行く先々で度々何かしら騒動に巻き込まれたことである。
「ポータウンの前で会った時からそうだった」
 コスモッグを巡るスカル団やエーテル財団との争いなど、アローラでの出来事はそれらの具体的一例に過ぎない。
「ガラルリーグで騒ぎが有ったのもお前が行った時だったか」
 アローラの面々とは今も交流が有るようで、クチナシも時々ハウやアセロラを通し彼の近況を聞くのだが、どうにも穏やかであった試しがない。最近に至っては、まだヒスイと呼ばれていた時代のシンオウ地方へタイムスリップしていたなどと言う噂まで立つ有様であった。
「しかし、まぁ。100年前に飛ばされてたって話は流石に嘘だよな?」
「……ええ、まぁ」
 と、セスは否定したのだがどうにも歯切れが悪い。
(おいおい……)
 この時ばかりは流石のクチナシも少し恐ろしくなった。
 そんな少年である。クチナシがセスを雲に例えたのは、姿を見たかと思えば渦中にいる様を、気圧の谷に引き寄せられ、しばしば嵐の中で観測されるそれに似ていると感じたためである。
「話が逸れちまったが。何か相談事ではあるだろ?」
「はい。えっと、その……。将来の事で」
「おじさんにか?進路相談ならもうちょい真面目な大人にした方がいいと思うが」
 意外な相談に少し驚きつつも、コーヒーを零さぬようそっと向かい側のソファーに腰かけたクチナシ。だが、セスの次の言葉が口元にカップを運ぶクチナシの手を止めた。
「国際警察の仕事のことなんですが」
「……」
 署内から会話が消え、じゃれあうニャース達の声だけが鮮明に聞こえる。セスが不安そうに見つめる中、クチナシはしばらくマグカップの中で揺らめく液体を見つめたあと、一口二口ほど喉に通してからようやく、
「おじさんのためにこんな辺鄙なところまで冗談を言いに来てくれたのはありがてえが」
 と、口を開いた。
「クチナシさん……!」
「悪いことは言わん。やめておけ」
 消して大きな声ではない。しかし、何か強い意志を感じる声である。
「何に影響されたか知らんが。国際警察の仕事はそんなカッコいいもんじゃねえ」
「そんなんじゃありません。僕はただ、トレーナーとしての経験を活かせることを」
「無理だな」
 自分を頼ってくれた若者に冷た過ぎはしないかと多少不安になった。しかし、それでも言わねばならないともクチナシは思っていた。この少年は地方の一警察官としての自分ではなく、元国際警察のクチナシを訪ねて来たのだ。
「甘いぜセス。ただバトルができるだけじゃあポリ公は務まらねえ」
「もちろん……。それくらいは分かっています。だからもっと勉強して」
「そうそれよ。バトルができる自分にはそれ以外の弱点さえ補えればポリ公が務まると思っている。その考え方が甘えって言ってるんだ」
「……」
 セスは返答に窮した。警察官を目指す以上、捜査能力の源となる知識や技能が必要にあることは容易に想像できたため、来るとすればまずその点についての指摘であろうと思い込んでいた。
「確かに、僕は自惚れていたかも知れません。だからもっとトレーナーとしても」
「お前の力がどの程度かは問題じゃねえ。問題なのはお前の力がどう使われるかだ」
「どう、使われる……」
 セスがトレーナーとしてどこまで行けるかは分からない。だが、クチナシには、彼の素養の有無を見極めるまでもなく分かり切っていることが有った。
「リラを思い出せ」
 セスがアローラでリラと言う女と会ったのは、しまめぐりを達成しチャンピオンになった後のこと。国際警察である彼女が、異世界から襲来したウルトラ―ビースト、通称UBと呼ばれる未知のポケモンの対策任務に当たっていた時期である。
 彼女の部下ハンサムから依頼を受けたセスとクチナシは、そのUBの捕獲に協力したことが有った。
「連中がリラをアローラへ来させたのは、あいつがUBを引き寄せる体質だからだ」
「Fall、ですね……」
「そう。それを分かっていて連中はあいつをアローラへ寄こした。人としてではなく餌としてな」
 この世界と別の時空の世界とを繋ぐウルトラホール。神出鬼没に空に開くこの穴から現れるのは、UBと言う異形の怪物達だけではない。ウルトラホールは時として、別世界に住む人間をも運んで来た。
「Fall」
 と、国際警察は呼んでいる。
 ウルトラホールのエネルギーを大量に浴びた者が、UBを引き寄せる体質を持つことに目を付けた国際警察は、それを撒き餌とした殲滅作戦を各地で展開していった。そうしてアローラに派遣された人間の一人がリラである。
「リラの才能はただのオマケだ。自分が餌だと気づいていながら故郷でもねえ世界のために戦える様なトレーナーなんざぁ、連中にとって都合のいい道具でしかねえ」
 クチナシは例の如く淡々と語っている。しかし、言葉の節々に、静かにではあるが、煮えたぎる何かが籠っている様にセスは感じた。
「それが組織だ」
 時により多くの命を守るため少数の犠牲を厭わない。
 ――覚悟を問われている。
 と受け取ったセスは、あらん限りの勇気を振り絞り気丈に答えてみせようとした。
「分かっています。リラさんの辛さも。クチナシさんのお気持ちも。それを覚悟のうえで僕は」
「笑わせるな」
「……」
「分かるものかよ」
 心臓に氷の刃を突き立てられた様な感覚にセスは襲われた。クチナシは初対面で分かりやすく優しい男ではなかったが、子供相手にここまで突き放す様な言葉を多用する男でもない。
「Fallが撒き餌に使われたのはあれが初めてじゃねえ。文字通り食いつぶされた仲間だっている。それを見てなおリラを使おうとしたのが奴らだ」
「でも、僕とリラさんはウルトラビーストを……」
「たった数回捕獲に成功した程度で調子に乗るな。あんなものはリラがこなして来た任務のほんの一部に過ぎねえ」
 セスは絞り出す様な声で反論を続けた。膝の上で拳が小刻みに震えている。
「クチナシさんは……、僕がリラさんの手伝いをするのを許してくれました……!」
「リラがやべえ状態だったから仕方なく許しただけだ。お前に絶対の信頼を置いて任せちゃいない」
「……」
「あのときバトルを挑んだのは腕や覚悟を確かめるためじゃねえ。俺は本気でお前を叩きのめして手伝いをやめさせる気でいた。だができなかったから引き下がった。それだけだ」
 セスは何も答えられなかった。クチナシの赤い瞳が吸い込んだ光との対比でブラックホールの様に輪郭が明瞭になって行く一方で、少年の瞳は湛えた水分に反射された光できらめき始めている。
「なあ、セス」
 クチナシはため息一つ挟むと、窓辺に目を逸らしつつ心なしか穏やかに言った。涙を拭う隙を与えてやろうと思ったのだ。
「お前はククイのあんちゃんご自慢のチャンピオンだ」
 クチナシには若者の将来性を否定する気は無い。
 むしろセスの優しさを持ちつつも本能的にバトルと冒険を楽しむ気質は、世界を飛び回り悪と戦う国際警察の仕事とは、実際に務まるかどうかは別として、相性の良い部分が有るかも知れないとさえ思っていた。
 だが、クチナシにすればそれこそが問題であった。
「経験を活かせる仕事は他にもあると思うぜ」
 クチナシはセスの自尊心に配慮しつつ、その興味を国際警察と言う職業から逸らそうと試みた。
 ――使い勝手が良過ぎる。
 と組織が感じる人材に思えたからである。
 ウルトラホールが発生する原因やメカニズム、その対策方法は確立されていない。故に非情かつ場当たり的と知りつつも国際警察は、いつどこに現れるとも知れぬUBの襲来に備えるためFallを欲した。
 そして、リラがそうであったように、このセスもまたFallと定義される人間であった。
「バトル用製品開発のテストトレーナー、研究機関の調査員」
 クチナシは、手を変え品を変え、セスを別方向へ誘惑しよう言葉を紡ぐ。
 ――このあんちゃんは温室育ちだ。
 と、クチナシは思っている。
 一見不愛想で猜疑心と用心深さを兼ね備えて見える少年。クチナシはその正体が、純粋さゆえに傷つきやすい心が、身を護るため鎧をまとった姿に過ぎないことを見抜いている。
「いっそジムを開いてみるってのも有りか」
 クチナシはなおも続ける。
 過酷な任務の連続で限界寸前だったリラを救う苦肉の策ではあったが、この少年を利用することは自分やハンサムでさえもが考えたのだ。
 スリルと冒険を楽しみ、人の役に立てることに喜びを感じ、ときにそんな自分に酔う純粋で世間知らずの若いFall。その様な、組織にとって都合の良い道具として少年が使い潰されることをクチナシは恐れた。
「お前さんには才能が有るんだからよ」
 最後のひと押しのつもり照れくさそうに賛辞の言葉を送ったクチナシ。だが振り返って見たセスの口から出た言葉は意外なほど鋭かった。
「言ったはずです。お世辞はいらないって」
 涙がこぼれた跡が有る。しかし、真っ直ぐにこちらを見ている。
「僕には才能なんてない」
「いや、そんなことは」
「自分が一地方のチャンピオンに過ぎないことくらい分かっています」
 声も震えてはいるが、先程より幾分かは落ち着きを取り戻し、微かだが力強さの様なものも感じる。
「アローラで思い知ったんだ。世界は広くて、知らないことがたくさん有って、上には上がいて」
 セスにとってアローラ地方は、彼の故郷のそれより小さな島国でありながら、己が井の中の蛙である現実を痛感させた土地であると同時に、強さや勝利以上にかけがえの無いものの存在に気づくきっかけを与えてくれた思い入れのある土地である。
「アローラを出た後もそうだ。今こうして帰って来てからも感じた。このままでは僕は、ただ戦えるだけのトレーナーで終わる」
 アローラからトレーナーとして再出発して数年。各地を旅してきたセスは、自分がトレーナーとしてはもちろん、何よりも人間として未熟であることを否が応でも自覚した。
 そして、そんな自分の現状への問題意識は、各々夢へ向け突き進む友人達との再会を経てますます加速した。
「みんなの横に立っていて恥ずかしくないトレーナーでありたい。アローラのみんなの……、ハウの横に立っていて恥ずかしくない男でありたい……!」
 クチナシはセスの成長と、そして何よりクチナシ自身の人徳を甘く見た。セスが国際警察の仕事に惹かれたのは、冒険とバトルを楽しむ気質だけが理由ではないのだ。
 地位や名誉に執着せず、冷めた態度を装いながら内には優しさを秘め、それでいながら義憤で感情の制御を失うことなく、冷静かつ柔軟に本質を見極め若者を導くクチナシの生き様は、セスが憧れる大人の男の姿である。
「僕は捨て駒にはなりません」
「……」
 クチナシは心を鬼にして若者の将来性を否定することができなかった。しかし、諦めさせることを何より優先するのであれば、組織の悪しき体質を熱弁する以上に、クチナシはセスの素養を冷酷に否定すべきであった。
 ――組織の大義に若者を殉じさせたくない。
 という思いを見透かされたのである。再考を促されればされるほど、かえってセスはこの男のことが好きになった。
「食い潰されもしません」
「……」
 セスの言葉にクチナシは答えず、ソファーから立ち上がると彼に背を向けたまま何かしら思案を始めた。それがしばら続いたあとでようやくクチナシは、
「応援してやることはできねえ」
 とだけ言った。クチナシにしてみれば、自分と心と目の前の少年の双方に対し嘘をつくことになってしまう。これにはセスも反論せず、
「はい……」
 と答え、どうすれば彼を安心させられるかということを考えていたが、やがて意外にも、
「しかし」
 と、クチナシの方から話を切り出した。 
「お前の人生だ。俺にどうこうする権利もねえ」
「クチナシさん?」
「……考える材料くらいはくれてやる」
 クチナシは、頭を搔きながら億劫そうに仕事机の前まで行くと、引き出しの中身を漁りつつ、
「ミアレシティって知ってるか?」
 と、セスに問うた。
「カロスの首都ですよね。初めてアローラに来る少し前に行ったことが」
「なら話がはやい。こいつを読んでみな」
 クチナシは付箋がいたる所についた一冊のノートを投げてよこした。中には新聞記事の切り抜きが大量に貼り付けられている。
「スクラップ帳、ですか?」
「ここにいると暇なんでな」
 果たして実際に僻地勤務で暇を持て余していたのか、はたまた国際警察のエリートであった名残なのかは不明だが、クチナシは情報に対し存外に「アンテナを張る」男であった。新聞は隅々まで読んで内容をよく記憶していたし、読書量も決して少なくない。
「先週金曜のウラウラタイムス。オレンジの付箋の6。右のページに一枚だけカラー写真の記事が有るだろう」
 立て板に水。クチナシの的確な説明でその記事の見出しはすぐ見つかった。
「不意打ち上等 ZAロワイヤル?」
「最近ミアレで始まったイベントでな。毎晩街中のどこかに人が集まって、ポケモンバトルで上を目指す。ルールはそれだけだ」
「それだけ?」
「そう、それだけよ」
 それだけと言うのは、他に縛りが無いと言う意味である。
 相手が気づく前に一方的に攻撃させるもよし、物陰から狙い打たせるもよし、建物や地形を盾に攻撃を防ぐもよし、形勢不利と見れば逃げるもよし。複数人が参加する性質上、アローラで言うところのバトルロイヤルの様に、相手が攻撃する瞬間の隙をつく戦い方も可能である。
 しかも、頂点たるAランクに到達した者は、何か一つ願いを叶えて貰えると言う話まである。
 そんな物騒な催し物が今、美しい街並みやミアレガレットと並んで、ミアレシティのちょっとした名物になりつつあるのだと言う。
「お前は実戦を知らねえ」
「実戦……」
 クチナシの言う実戦を知らぬとは、机上の空論でしかバトルを知らぬと言う意味ではなく、本物の悪党との戦いを知らぬと言う意味である。
「よーいドンでおっぱじめる様な馬鹿に本物の悪党が務まると思うか?」
「……」
「お前がスカル団とやったドンパチなんざぁガキどうしの喧嘩よ」
 願いと言う欲望を原動力に、なりふり構わず勝利を重ねることのみ思考すれば良いZAロワイヤルは、互いに覚悟の上という前提がなければ、野蛮にさえ思える競技である。
 だからこそクチナシはセスにこれを紹介した。
「相手はカタギだろうが。少しでも実戦の空気を感じられるかも知れねえ」
「実戦の空気……」
「ああ。整備されたコートの上じゃあ吸えない空気をな」
 国際警察として働く以上避けて通れないポケモン犯罪者との戦いは、当然ながら公式戦の様には行かないのが常である。
「欲得ずくで戦うやつには、求道者とは違った怖さがあるもんだ」
 相手はいつ、どんな地形で、何人がかりで、何を利用し、どれほど卑劣な手段で戦いを仕掛けてくるか分からない。意識の外から、時としてトレーナー自身に向けて、放たれる先制攻撃は、実力者さえその才能を発揮する間もなく倒してしまう。
 ZAロワイヤルはそんな本物の悪党との実戦には及ばずとも、セスがその恐ろしさや駆け引きの一端を学ぶ一助になるのではないかとクチナシは考えた。
「それになぁ」
「それに?」
「それに」
 と、クチナシは更に何か言いかけたようだが、そこで一旦口を閉じてしまった。
「……何です?」
「いや。何でもねえ。忘れろ」
 実のところクチナシは、この手のイベントはルールが特殊かつそれなりの金も動く性質上、その実態調査のため、
 ――本物の国際警察の密偵が混じっているかも知れない。
 と予測しており、しかもこれは後に的中するのだが、セスには言わなかった。
 民間人の参加者に扮している以上、運良く出会えたとしてもセスがそれと気づくのは難しいだろうし、もし仮に素人に過ぎぬこの少年が気づけたとすれば、それは手本として適切ではない。
(我ながら妙だな)
 と、内心クチナシは苦笑した。あれほど反対しておきながら、諦めさせるのが無理と判断すれば、今度は面倒見の良い性分が騒ぐのか不適切な助言はしたくないらしい。
「……あぁ、そうそう。こいつはゴシップ記事だからあてにならんかも知れんが。最近はサビ組とかいうおっかねえ連中が幅を利かせてるって噂も有る」
「サビ組!?」
「ん?ああ、そうか。お前はそう言う反応になるわな」
 アローラの人々にはカンパニーという程度の意味に過ぎない組と言う言葉。しかし、カントー育ちのセスにとっては、警察官の口から発せられるそれはあまり心穏やかな響きではない。
「確かカラスバとかいう若ぇあんちゃんが仕切ってるって話だったか?まぁそいつは余談だが。取り敢えず紫の8番を見てみなよ」
 セスが言われた通りページをめくると、黒いスーツに丸メガネの鋭い眼光の若い男と、その取り巻きと思しきいかつい風貌の組員達の写真がまず目に飛び込んで来た。
「……こいつらって」
「見かけだけじゃあその筋の者かは分からねえぜ」
「いや、でも」
 任侠映画のワンシーンと言ってもセスは信じたであろう。それほど写真の人物も事務所の佇まいも「いかにもな雰囲気」を醸し出しているのだが、クチナシに言わせれば、
 ――あからさま過ぎる。
 と感じる写真でもあった。そのため、警戒するに越したことは無いとしつつも、合法的な組織である可能性も否定せず、
「それとは分からねえ様にやる方が今どきは流行りだぜ」
 と付け加えた。はっきり危険と分かる連中はまだ可愛い方である。クチナシとしては、むしろそのことをこそ伝えたかったのかも知れない。
「インテリヤクザって言ってな。法律が厳しくなってきてるんで、今日日(きょうび)はヤクザ者も賢くなきゃ食っていけねえのよ」
「インテリが、ヤクザですか」
 セスのイメージするヤクザ像は、恐ろしくも仁義を重んじる町の自警団的なものや単なる荒くれ者の集まりなど、やや古典的な創作物のそれで止まっている。
「下手なカタギよりよっぽどよく勉強してるぜ。だから表面的な見かけや言動だけじゃあ分からねえ。例えまともに見えたとしてもな」
「分からない……」
「見かけ通りのインテリヤクザ、実はただおっかねえだけの良いやつ、あるいは更にそう見せかけた本当に悪いやつ。このサビ組ってのを仕切ってるあんちゃんに関してはどれが正解だろうなぁ?」
「……」
 知略を駆使して合法的な組織を装い、法の網をすり抜け、最小限のリスクで市民を苦しめ暴利を貪るという新しいヤクザ像は、セスには少し衝撃的であったらしい。
 クチナシも何となくそれを察したのか、進路を考え直してくれればと淡い期待を抱いて、
「怖いか?」
 と問うてみたが、セスはからかわれたと思ったか、
「いいえ」
 とだけ返した。
(やれやれ)
 クチナシは少々落胆するもすぐ頭を切り替えた。
「まぁ。とにかく今のミアレはそんなところよ」
 サビ組の実態はどうあれ、国際警察として働くのであれば、世の中の汚い物を見て学ばねばならないのは宿命だし、セスも数年で多少なり目線が大人になっているはずである。
 華やかな街並みの裏で、貧富の差や野生ポケモンとの距離感など、様々な社会問題を抱えるミアレシティ。クチナシがZAロワイヤルを紹介したのは、この町を改めてその目で見る事が、国際警察を目指すか否かに関わらず、セスにとって良い勉強になるであろうと言う考えからでもあった。そのためクチナシはその後も、
「他にも何かありませんか?」
 と言って情報を乞うセスに対し、過度に不安を煽るでも楽観論を吹き込むでもなく、いつも通り淡々と、しかし冷静かつ丁寧に応じた。
「そうだな。ワイルドエリアのことも話しておくか。確か一昨日の朝刊……」
 気づけばクチナシはセスと同じソファーに腰かけていた。一冊のスクラップ帳を前に頭を突き合わせる二人の姿は、傍から見れば父親か祖父が子や孫に本を読み聞かせている様に見えたかも知れない。
 警察官として、大人として、人生の先輩として。クチナシがセスにあれこれ語る中、時間はあっという間に過ぎていく。

 そんなことが有ってからしばらく後、セスは一枚の小さな紙きれを手にミアレ駅のホームに降り立った。アローラを出発する当日に、クチナシから手渡されたものである。
 クチナシからZAロワイヤルの話を聞き、
 ――自分は通用するか。
 と、不安を覚えるも、試してみたいと言う感情に突き動かされたセスは、殆ど身一つで慌ただしくアローラを発った。
「連れて行くと甘えてしまいます」
 と、鍛え上げたポケモン達を留守番させ、宿の算段すらせずつけずに飛び出す有様であった。この紙切れは見送りに来たクチナシがそんなセスを見かね、
「いざってときはそこを頼れ。俺の名を出して構わん」
 と言って掴ませたものである。紙きれには住所と電話番号、そして、
「ハンサムハウス」
 という探偵事務所の名が書かれている。あまりに聞き覚えのある名前であり、
「どこの馬鹿がおっ立てた事務所か、説明はいらねえよな?」
 と、クチナシを呆れさせた名前である。そんなクチナシの様子を思い出し小さく笑いながら、
「やってみせるさ」
 と、一人呟いて改札を通り過ぎ少し進んだところで、
「いたッ!駅からでてきたそこのあなた!」
 と、一人の少女がセスを呼び止めた。
「雲みてぇなあんちゃん」
 クチナシがそう評した少年が、このとき既にミアレで巻き起こる嵐に引き寄せられつつあったことを自覚するのは、もう少し先のことである。