大型ビジョンの中で、ポケモン達が戦っている。たくさんの人が、立ち止まってそれを見ている。
ビジョンの音響が、歓声を響かせる。遅れて気付く。これは、今ここにいる人々の上げる声だと。
まるで、セキエイ高原からコガネシティまで、熱気が伝ってきたかのようだ。ただでさえ暑い都会の夏が、更に暑くなっていく。
――アタシも、あの場所で戦うトレーナーになりたかった。
「むにゃにょ?」
心配そうに顔を覗き込んだメタモンに、「大丈夫」と微笑む。
たった一匹残ったポケモンを肩に。もう片方の肩に、教科書、問題集、ノート、そんな物が入った重い鞄を掛け直す。
そして本来の目的地、学習塾へ向かう。
今のアタシは、チャンピオンを目指すトレーナーじゃない。浪人生のチエコだから。
よくある話だ。
チャンピオンに憧れた子供が旅に出て、ポケモンリーグで打ちのめされて帰ってきた。勉学の道に戻るけど、そっちもパッとしない。
問題集を開いてはいるけど、ノートは白いまま。この先に描けるのは、お父さんやお母さんみたいな、中途半端でつまんない大人になるアタシ。
あるいは。アタシはノートに10、16、18と書いて線を引く。もっと早くから修行をしていれば、もっと上に行けたんじゃないか? アタシはトレーナーのアタシを、この続きに描けたんじゃないか?
アタシはノートの落書きを消した。親に反抗しなかったのはアタシだ。手が滑って、ページがグシャリと折れた。
問題文に目を通す。その日は結局、捗らなかった。
「グミィ、帰るよ」
メタモンをボールから出して、帰途につく。メタモンはくるりとアタシの首元に巻き付いた。
「ふふ、冷っこい」
メタモンをぐみぐみと撫で、歩き出す。
別れ道でメタモンが「むにゃ!」と声を上げた。頭を矢印型にして別の道を指す。
「今日はこっち」
大通りを避け、隘路に入る。あの大型ビジョンを見たくない気分だった。
くにゃんと落ち込んだメタモンを引き上げる。ごめん、と心の中で唱える。グミィはバトル、好きだもんね……
アタシは半端で不甲斐ない。負けて帰って、親に「ほれみろ」と笑われながらポケモン達を手放した時も。グミィだけ手放せなかった。
全部、半端だ。十才からトレーナーになる才気はなくて、親に反抗する勇気もなくて、半端にトレーナーをやって、半端に勉強して。
暗いビルとビルの隙間から、大通りのビジョンが見えた。
――このままじゃ、アタシは何者にもなれない……
「どこに目ェ付けてんのや!」
「そっちがぶつかって来たんやろ!」
道の先で、二人の男が言い争っていた。片方の男がポケモンを出して、けしかける。相手の方はポケモンを持ってない。
気付いたら、アタシは割って入っていた。
アタシの首元からするりとニャースが降りる。へんしんしたグミィを見て、わざを把握。
「グミィ、きりさく」
メタモンの初撃が綺麗に決まる。続けてネコにこばん。キンキラを撒き散らして、相手のニャースは倒れた。終わり。
驚いた。あのニャース、ねこだましを覚えているのに、打たなかった。
ポケモンリーグならあり得ない。自分のポケモンのセオリーを固めておく。そんな初歩的なことすら出来てないなんて。
「今日は堪忍しといたるわ!」
捨て台詞を吐いて、ニャースと男が逃げた。
「ありがとう、助かったわ。姉ちゃん強いなぁ!」
バンバンと背中を乱暴に叩いて、もう一人も路地を去っていった。
「むにょ!」
「ああ、よく頑張ったね、グミィ」
へんしんを解いたメタモンを、ぐみぐみと撫でる。
「聞いた? アタシ達、強いんだって」
アタシの手の形に合わせて、グミィはぐにょぐにょ曲がり、ころころと笑った。
アタシはグミィを持ち上げ、首元に回す。バトルを終えたメタモンの体は、ほんのり暖かかった。
「また、バトルしよっか」
「むにょにょん!」
メタモンが小さな手をぱたぱたと振る。
ビルの隙間から届く大型ビジョンの光が、アタシ達を明るく照らしていた。
◑
それから塾の後、毎日のようにバトルをしていた。
ポケセン近くのバトルコートで。でも、すぐ辞めた。
リーグを目指してたアタシと、趣味でやってる人達じゃ、実力が釣り合わない。弱い者虐めしてるみたいだった。
アタシはバトルの相手を求めて、大型ビジョンのあるエリアから離れた。
バトルして帰るから、遅くなる。両親に告げたら、笑うだけだった。遠慮なく遠出した。
ある夜は、街灯に群がる虫ポケのようにショップの前で屯する学生にバトルをふっかけた。
「グミィ、ころがる!」
「負けた! 降参だ!」
つえー、と感心する学生たちに「通りのジャマになるから退きなよ」と言った。ホッとしたようにショップに入る人達を見て、アタシも嬉しくなった。
「やったね、グミィ」
「むにょ!」
またある夜は、子供の後ろをずっと歩いてる奴にバトルをふっかけた。
「グミィ、ゆめくい!」
ボコボコに負かすと、そいつは舌打ちをして去って行った。胸がスッとした。ああいう相手なら、一方的になったっていい。
「グミィ、いえ〜い」
「むにょ〜い」
グミィの手が、アタシの手にぐみぐみと押しつけられる。小さな手をつかんで投げ上げる。落ちてきたメタモンをキャッチして、頬ずりした。
「アタシ達、やるじゃん」
「むにょにょ!」
月明りが、アタシ達を祝福するみたいに照らしていた。
そんなことを続けていたら、近くに狩るべき相手がいなくなった。アタシはさらに夜深く、コガネのもっと暗い場所へと足を運んだ。
するとバトルの相手が、向こうから声を掛けてきた。
「嬢ちゃん、ここは危ないよォ。ポケモンくれたら見逃したげるよォ?」
黒尽くめの格好の、ロケット団フォロワーだ。ロケット団はとっくに解散したけど、今でもこうして、信奉者がマフィアの真似事をしている。
ロケット団フォロワーが勝負をしかけてきた。
「グミィ、しっぺがえし」
返り討ちにした。ちょっと手こずったけど。ロケット団フォロワーも、アタシ達の敵じゃない。
「やったね、グミィ」
いつものようにグミィを撫でる。けど、反応が悪い。普段なら柔らかい体を活かして、むにょむにょと手に纏わりついて来るのに。
「どうしたの、グミィ?」
グミィはハッと我に返ったように小さな目を瞬くと、笑顔を作った。
「大丈夫?」
グミィが頷く。
笑顔の固さが気になったけど、大丈夫というなら、大丈夫なんだろう。
アタシは新しくアンロックされたエリアの方に夢中で、それ以上追及しなかった。
それから毎夜、アタシは狩りに出た。
「グミィ、つじぎり!」
「むにょっ」
不意討ちもした。メタモン一匹で勝ち抜くのは厳しいから。けど、相手は他人からポケモンをぶん奪ってるマフィア崩れ。ルール無用だ。
「グミィ、おしおき!」
「むにょっ」
そうして黒尽くめの連中をやっつけては、アタシは奪われた誰かのポケモンを解放した。
「グミィ、へんしん!」
「むにゃにょ……」
その内アタシのことが広まったから、変装するようになった。シニヨン・白シャツ・ワイドパンツの組み合わせから髪型と服装を変えれば、面白いくらい気付かれない。テープで目元を変えれば、更にバレなくなった。
「大丈夫だよ、グミィ。バレっこない」
「むいにゃ……」
完璧にへんしんできるグミィには、心配されたけど。
変装したアタシは、更に闇深い場所へと進む。
「グミィ、マジカルシャイン!」
「……むにょー!」
奪われたポケモンも、生息数が少ない・色違いの・お洒落なボール入りの、といったオプション付きの“高級品”へと遷移していく。
そんな“高級品”達も、アタシは解放していく。
いつしかアタシは義賊と呼ばれるようになっていた。
「グミィ、見て」
塾の帰りに、そっと囁く。
大型ビジョンに、黒いシルエットと、大きなテロップが映る。
『義賊・カオスナイト、またもお手柄!?』
立ち止まる人は少ない。
人の流れと同期するように、『盗まれたポケモンを奪還か』という字幕も流れていく。
それでいい。アタシは重たい鞄を胸の前で抱きしめる。
ノートの続きに描くのは、両親みたいな、中途半端でつまんない大人じゃない。
「アタシは義賊・カオスナイトだ」
悪人を成敗する、変幻自在の混沌の夜。
最初に夢見た形とは違うけど、アタシは何者かになって、あのビジョンに映っている。
●
冬の足音が迫る、満月の夜のこと。
アタシはキャップとジャンプスーツを身に付け、コガネの中でも特に治安が悪い地域に立ち入っていた。
「むいにゃ……」
寒いのか、グミィはアタシの首元で縮こまっている。
イヤにカラフルな看板が並ぶ通りを歩く。どの看板も自己主張は激しいくせに、詳細なサービス内容については揃って言葉を濁している。
この通りに、『ホテルR』があるらしい。そこで重要な取引が行われる――と、荒らしたアジトにメモが置いてあった。
「むにゅ〜」
グミィがふるふる震えて、アタシの頬をぺちぺち叩いた。メタモンの低い体温が億劫で、アタシはその手を押し戻した。
「どうしたの、グミィ?」
「むにゃにょ、むにゅいにゃ」
分からん。
「もしかして、前の模試が悪かったの、気にしてる?」
グミィが止まった。そんなこと、考えに入れてなかった顔だ。ややあって、グミィは頷いた。
「むにょ!」
「大丈夫だって。大した大学、入れなくっても……」
両親のことが脳裏に過った。ポケモンも学歴も中途半端で、ずっと愚痴ばっかりの両親。
頭を振った。アタシはあんな風にはならない。
「アタシはカオスナイトだから」
自分に言い聞かせて、ホテルRへの道のりを進んだ。
メタモンも、もう何も言わなかった。
ホテルRは地味な建物だった。看板の明かりも切れていて、そこだけぽっかりと暗い。
そこへ、“業者”のバンが次々と乗り付け、ポケモン入りのボールや檻を運び込んでいる。その脇を、“客”が背を丸めてすり抜けていく。まるで、闇の中に吸い込まれてくみたいだ。
アタシは少し離れたビルの非常階段から屋上に上がる。そこから屋根伝いに跳んで、ホテルRに侵入した。
「九万円、九万円、いませんか」
競りの声に、アタシは明かりの漏れる扉をそっと押し開いた。
パーティー会場のようだ。布張りの椅子に座った来客達が、床より数センチ高い仮設ステージの上に注目している。ステージの上には檻がある。
オークショニアがカン、と高らかにハンマーを打つ。
「八万五千円、ありがとうございます。手続きはあちらでお願いします」
檻が舞台から下ろされる。と同時に、札を上げていた人が立ち上がる。
待ってたら、あのポケモンが売られてしまう。アタシは扉を蹴り開いて、叫んだ。
「カオスナイトの推参だ!」
客席だけがどよめいた。黒尽くめの連中は迷わずポケモンを繰り出した。
アタシは座席の隙間を縫って走りながら、敵方のポケモンの一匹を指差した。
「グミィ、……じしん!」
ヌオーにへんしんしたグミィが、固まっていた一団を蹴散らした。余波でフロアが激しく揺れる。競りに来た人間達が、我先にと逃げ出した。
「危ねぇ! 押すな押すな!」
「客がいなかったらオークションは……」
「クソ、やってられるか! 俺は抜ける!」
「逃げんなテメェ!」
内輪揉め、仲間割れ。熱狂と混沌の中を走り抜け、ステージと舞台裏を隔てるパーティションを引き倒した。
檻がずらりと並んでいる。金のオタチ、紫のブルー、緑のハネッコ――大半が色違いポケモンだ。
「グミィ、戻っといで!」
ボールに戻したメタモンを出す。元の姿に戻ったメタモンが、近い順から鍵穴に入り、外していく。
「カオスナイトめ、調子に乗るなよ!」
まともに戦う気のあるロケット団フォロワーへ、アタシは近くのお洒落なボールを投げた。中から飛び出たポケモン――普通のレディアン――は一寸戸惑った後、自分を拐ったのと同じ黒尽くめの服装に向けてパンチを繰り出す。
ぎゃあ、と悲鳴を上げて黒尽くめが逃げ惑う。
「よしお前達、どんどん暴れろ!」
アタシはボールを開き、グミィは鍵を外していく。色違いのポケモンも色違いじゃないポケモンも、一緒になって暴れ出す。大乱闘の乱痴気騒ぎに、誰が通報したのか、警官まで加わった。
「グミィ」
グミィに最後のへんしんをさせた。何に? 壁紙。
アタシはグミィの影に隠れて会場を抜けると、行きとは逆のルートでそのエリアを脱した。カラフルな看板の並ぶ通りを早歩きで抜ける。走り出す。
「やったね、グミィ!」
皆、慌てふためいていた。マフィア崩れの悪者共が、散々やられっぱなしだった。アタシ一人と、グミィ一匹に!
アタシは笑っていた。
満月も、アタシを祝福するように輝いていた。太陽の光を借りて、めいいっぱい輝いていた。
義賊・カオスナイトも、表向きの生活をしなきゃならない。アタシはシニヨン・白シャツ・ワイドパンツのお決まりの格好に着替えると、塾に向かった。
朝方の太陽の光が、眩しい。
大型ビジョンの前で立ち止まる。『カロスでテロ』という赤いテロップが、ビジョンを占拠していた。暫く待っても、カオスナイトの昨夜の活躍は流れそうにない。
「つまんないね、グミィ」
首元を探って、グミィがいないのを思い出す。疲れたのか、ボールから出てこない。
いよいよ、つまんないな。
後でポケセンに寄らないと。今はひとまず塾へ向かう。別れ道の所で、隘路に引っ張り込まれた。
「デスバーン、ぶんまわせ!」
アスファルトに叩きつけられ、息が止まった。粘土板と霊体で出来たポケモンが、アタシを見下ろしている。
「死ねや、カオスナイト」
吐き捨てるように言ったのは、ロケット団フォロワーの黒尽くめ。
「リベンジ!」
霊体でできた細い腕を撓らせ、デスバーンは粘土板の重量をアタシの頭へと振り下ろす。
ビルの細い隙間から、大型ビジョンが真っ赤に光り続けていた。
気が付くと、塾の仮眠室にいた。
大した怪我じゃなかったらしい。アタシが丈夫なのかもしれないけど。
グミィのボールは無事。トレーナーカードも財布も無事。
運んでくれた人に「もう大丈夫」と告げて、そのまま授業を受けた。
結局あの人、何がしたかったんだろう。まあ、いいか。
授業が全部終わったら、ポケモンセンターへ向かう。受付に行き、財布からトレーナーカードを出す。
「ん?」
なんか、違和感。でも具体的に何がどう変なのかは、言葉に出来ない。カードを見つめてる内に、違和感は気の所為となって消えていく。
「どうかされましたか?」
「いえ」
グミィとカードを預けると、すぐ横のラックから適当な新聞を取って、待合の長椅子に座った。
事件面はカロス地方のテロ一色で、カオスナイトはちっとも載っていない。
新聞を戻したところに、ポケセンの職員が声を掛けてきた。
「すみません、少しよろしいですか」
「え? はい」
別室に通された。簡素な机とパイプ椅子が置かれた、込み入った話をするための部屋。
「グミィに何か……」
アタシの質問が届くより速く、職員が退室した。
グミィ、最近どうだったかなと思い返して、全然、思い出せないことに愕然とした。
ちょっと前なら、そんなことなかった。ふるふるして楽しそう、流動してる時は哀しんでる、体が固くて緊張してる。全部解った。なのに。
思い出すのは、グミィの小さな手を押し返した記憶。
「……グミィ」
どうにもならない後悔が、アタシを手足の先から冷たくしていく。
部屋のドアが開く。やって来たのはスーツの男女、二人組だった。医者じゃなさそう。でも後ろで、ポケセン職員の人がお辞儀してる。確かにこの部屋の、このアタシに会いに来たのだ。
スーツの二人は会釈をすると、男の人が椅子に座り、女の人がドアを閉める。
女の人も椅子に座った。話が始まる。
「チエコさん?」
「はい」
「我々、こういう者でして」
「楽にしていいですよ」
男性が手帳を開く。警察手帳だ。
女性も警察手帳を提示する。職業に似合わない笑顔を浮かべながら。
パチン。男性がプラスチックのカードを机に、鋭く置いた。
アタシの顔写真とトレーナーIDが書いてある。トレーナーカード。
「これ、あなたのカード?」
「はい」
肯定すると、警察官は顔を見合わせた。ああ、間違った選択肢を選んじゃったね。まるで、自分らは結末を知ってるADVの初心者プレイヤーを、後ろから眺めてるみたいに。
「これね、」
警官達は居住まいを正す。
「偽造なんですよ」
そしてゲームオーバーを告げた。
裏口からパトカーへ。アタシは速やかに移送された。よく出来た工場のベルトコンベアみたいだ、とアタシは思った。とてもスムーズだった。「心当たりないです」と、アタシは何度も言った。
「でもねぇ、」
と警官が歯を見せる。
「アナタ、夜何してたの? 盗んだポケモン売って、お小遣い稼いでたんじゃないの? このIDでポケモンの取引した記録が、いっぱい残ってるよ」
ハメられた。やっと、アタシは気付いた。
マフィア崩れの連中は、ポケモンをただ盗んでいたんじゃない。盗んだポケモンを売買するために、IDを偽造し、そのIDで架空の引き取り記録を作り、買い手に渡していた。
デスバーン使いは、アタシのカードと偽カードを入れ替えた。アタシのIDに取引記録を書き込んで、後は破滅を待つだけ。
――何者かになりたかった。アタシは前科者になった。
トレーナーIDは失効して、アタシはグミィの“おや”じゃなくなった。グミィは行政に引き取られ、どこかの誰かに譲渡された。
◐
四年後。刑期を終えて、アタシはまたコガネで暮らしていた。
与えられた長屋に住まい、仕事を探す日々。でも、一向に見つからなかった。
その日も丁重にお祈りされて、アタシはのろのろと家路を歩いていた。
「仕方ない」
自分に言い聞かせる。アタシだって、わざわざアタシを雇おうとは思わない。
ビジネスバッグを持ち直す。やたらと重たい気がする。つっ返された履歴書以外、碌に入ってないのに。のろのろと歩いてやっと、大型ビジョンの近くまでたどり着いた。
足を止めて、大型ビジョンを見上げる。画面の中で、ポケモン達が戦っている。今の時代、スマホロトムもあるのに、たくさんの人が立ち止まってそれを見ている。
『ここでメタモンの登場だ』
アタシは息を呑んだ。
グミィだ。
メタモンが相手の貌を写し取る。ハカドッグになったメタモンはスカーフをたなびかせ、わざ・おはかまいりを相手の顔面に叩き込む。
『決まったー!』
実況が叫ぶ。大型ビジョン前の人だかりも喝采した。スタジアムの熱気が、コガネの夏まで暑くしていく。
へんしんを解いたメタモンが、トレーナーと手を繋ぎ合って勝利を喜ぶ。掛け値なしの笑顔で。固く結ばれた信頼で。
アタシはその場から逃げた。叫び出してしまいそうだった。あの場にいるのはアタシだったのに! 一瞬でもそう考えた自分が許せなかった。
塾からの別れ道、隘路へと入る。大型ビジョンの光が、ビルに遮られて細切れになる。
――何者かになりたかった。あのビジョンから、光を与える存在に。
何もかも中途半端で、気分良く勝てる相手を探して、ポケモンを蔑ろにして、前科者になって。
かつての相棒の、強さも、優しさも。
アタシは全部取り落とした。
長いこと、そこでじっとしていた気がする。
ひと筋向こうのビジョンでは、ミアレ旅行の広告が流されていた。ミアレ、ミアレ、ミアレに行こう。
アタシは、これからどこに行けばいいんだろう。
「なあ、通行料払ってえや」
「通行料? 何言うてるんですか」
「払えや」
道の先で、ダブダブの服を着た若者と、丸っこい中年男性が言い争っていた。というより、若者が一方的に付き纏っている。
「痛い目見な分からんか?」
しびれを切らした若者が、中年男性にニューラをけしかけた。
ニューラの爪が薄闇で光る。男性が目を閉じ、頭を庇う。
気付けばアタシは、二人の間に割って入っていた。
安物のビジネスバッグが裂けて、中身が散らばる。
ガーディが飛び出して、ほのおのキバでニューラを咬む。
「あークソ!」
倒れたニューラを戻して、若者が逃げ出した。途中、ダボダボのズボンの裾を踏んでつんのめっていた。
「大丈夫ですか?」
ガーディは一つ吠えると、その場におすわりした。
「すんません、反射神経悪うて、僕毎回ポケモン出すの遅うて」
中年男性に頭を下げられた。
「いえ、勝手にやったことですから」
「とにかく、助かりました。ありがとうございます」
男性はもう一度頭を下げると、ガーディの首元をわしゃわしゃと撫でた。その目線が、散らばった鞄の残骸に移る。
「お礼に、鞄、僕が買いますよ。ええの選んでください」
さらにその視線は、鞄の中身に移る。
「あ」
履歴書。賞罰欄に書かれた、アタシの罪。
男性の目も、そこで止まった。そして、何事もなかったかのように続けた。
「鞄買うの、いつにしますか? 今からでも?」
「……履歴書見ましたよね?」
男性は恐縮した。
「見ました、個人情報を、すみません」
「そうではなく……」
言葉だけ取り繕っても、仕方ない。
「アタシは前科者で、お礼を頂けるような人間じゃないってことです」
彼は黙って鞄の中身を集め始めた。アタシも集めた。二人で集めるとすぐに終わった。
履歴書と、細々した物を受け取る。
「正直に言うと、びっくりしました。でも、あなたが助けてくれたことに、変わりはないですよ」
男性が笑う。丸こい顔で笑うと、とても、福々しく見えた。
「せやから、ありがとうございます」
ガーディが、ひと声吠えた。
アタシは……
「どういたしまして」
忘れていた言葉を、思い出した気分だった。
鞄は結局、受け取らなかった。代わりに、いくつか就活のアドバイスを貰った。
それで、アタシはビル清掃のバイトに就いた。
夜遅くにビルに入って、フロア中駆け回って、朝までにピカピカにする。日が昇り、大型ビジョンに電源が入る頃、退勤する。
大型ビジョンにあの子が映る度、足を止める。
『やりました! メタモン、中盤から一気に巻き返しました!』
試合が終わり、広告に切り替わる。飽きるほど聞いた、ミアレ旅行のコマーシャルソング。アタシはビル前から離れ、帰途に就く。
ミアレ、ミアレ、ミアレに行こう。
歌を口ずさむ。
それもいいかもしれないな、と思った。
一年後。バイトの契約が終わるのを機に、旅行に行くことにした。
空港へ行く途中で、大型ビジョンのあるビルへ寄る。
ビルはもう、灰色の防音布で覆われていた。大型ビジョンのあった部分には更に布が巻かれ、こんもりと存在を主張している。じき、解体される。
――何者かになりたかった。
でも違った。
チャンピオンになりたかったアタシも、義賊を気取ったアタシも、前科者のアタシも、ビル清掃バイトのアタシも、全部アタシ。アタシは最初からチエコで、アタシが何を為したかが、誰にとっての何者かを決める。
そして、グミィを傷付けたのも、アタシ。アタシはずっと、グミィじゃなくなったメタモンの幸せを祈って、生きていく。
祈るために、今は少しだけ遠くへ行く。
さよなら。見えないビジョンに向けて小さく呟く。またね。帰ってくる頃には、新しい景色に変わっている。
旅行鞄を持ち直す。帰りのチケット代で買ったスマホロトムで、時間を確かめた。
そろそろ、行かなくちゃ!
飛行機に乗り、電車を乗り継いでミアレに向かう。ホームから出ると、ミアレシティの象徴・プリズムタワーが見えた。
「そこの人!」
ストロベリー色の髪の青年に話し掛けられた。
「ミアレ駅に着いたばかりだろ? しかもそのでっかい旅行鞄。すばり観光客!」
彼にとってのアタシが何者か。
「正解!」とアタシは答えたのだった。
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