レーティング: 全年齢対象
バトル開始の合図と共に、戦闘態勢に入りきらない相手の隙を突き、先制攻撃を叩き込む。
その勢いをそのままに、怯んだ相手を思いっきり突き飛ばし、強引に次に出す技のための助走距離を作り出す。相手ポケモンは転倒したまま、いまだ起き上がれていない。
彼はそれを見て、足に力を溜めて大きく息を吸い込んで、あふれ出る電気を放出し、地面を強く踏み切って、高電圧を帯電させながら相手の胸元を目掛けて突撃していった。
だが、すぐ目の前には漆黒の波動が迫っていた。
勝たなければならなかった。
生まれたときからその宿命を持っていた。
いまから防御動作をとったとしてもどっちにしたって耐えられない、このまま突っ込むしかないと考えた。歯を食いしばってその技を受けるが、激しい激痛に身体が悲鳴をあげて視界が暗転し、その場に倒れこむ。
ああ、まただ――。また届かなかった。
だけどあと少し、あと少し速ければあの黒い犬ポケモンが使う技よりも先に、攻撃が当たっていたはずだ、もっと……もっとだ、この攻撃が相手に届きさえすれば倒すことができる。
地面に手を付いて上体を起こす。諦めずにもう一度立ち上がろうとするが、直後に相手が放った火炎放射が命中し、業火が彼を包み込む。
彼が最後に見えた相手の姿は、その容姿通りに悪魔のように見えた――。
******
彼は、去年の初夏のことを思い出していた。
海を越えた遠い場所の対戦舞台を目指して戦い続けていた日々のこと、自分が最強であるという自負とプライド、あの頃の彼は希望に満ち溢れ、己の可能性を信じていた。
「あの……」
夏の暑さのピークが過ぎ、少しずつこの暑さも残暑に向かいつつある日のことだった。そんな彼のもとに一匹のライチュウの女の子が訪ねてきた。
毛並みが滑らかで整っており、すらっと背筋が伸び、肩からはタスキ掛けでリネンのショルダーバッグを掛けている。ここでは見かけない顔だが、その綺麗な風貌からトレーナーのポケモンであり、おそらくは交換等でこのボックスにやってきたポケモンなのだろうと彼は思った。
「はじめまして。 えっと私は、ルチルっていうのですが…… あの、ここは*****さんのボックスで、間違いないでしょうか?」
彼は頷くと、ルチルという名前のライチュウは「良かった」と安堵した。そして首からかけたショルダーバッグから彼女自身の識別カードを取り出して、彼に見せつけた。
「私、お父さんとお母さんに会いに来たのです」
トレーナーに所有され飼われているポケモンにはそれぞれIDが記載された識別カードが与えられ、そのポケモンの情報が管理されている。そのポケモンがどこでトレーナーに捕まってどこから来たのかなどの基本情報や、コンテストの参加実績と手に入れたリボンの有無などもそこに記載され、交換などで所持トレーナーが変更されてもその経歴を辿る事ができる。
彼女の識別カードの、タマゴから産まれた時の"おや"の欄には、ここ一帯のボックスを所有するトレーナーの名前、つまり彼の主人の名が記載されていた。
「あの、貴方の名前は何と言うのですか?」
「タイガ」
「じゃあ、タイガさんですね。 ……あと、もしかしてですけど、私とタイガさんは兄弟とか、もしくは親戚か何かなのでしょうか?」
ルチルはタイガの後ろに付いて歩きながらそう尋ねた。ルチルはライチュウであり、タイガはピカチュウである、同じトレーナーの下に生まれたならばその可能性が高いだろうとルチルは考えた。
「たぶん兄弟で、僕が弟にあたるはず。少なくとも血が繋がっているのは確か」
「やっぱりそうなんですかっ! わ、うれしい。私、兄弟に会うの初めてでっ! あ、産まれた時点ではここにいたはずなので、本当の意味で初めてってわけじゃないですが。ねぇ、ハグしてください」
「いや、そういうのはちょっと」
「あ、やっぱり」
興奮してはしゃぐ彼女の言葉に対して、彼は口を噤んだ。
彼の兄弟はたくさんいたが、そのほとんどはどこかに貰われていったらしく、現在のこのボックスには数えるほどしか残っていない。タイガは他の兄弟に対して後ろめたさを感じて避けていた。彼ら彼女らと直接何かあったわけではないのだが、強い負い目を感じており、なんとなくよそよそしくなって、心地良いものではなかった。そんなわけで、彼は兄弟だと分かっても嬉しくなかった。
タイガが自分を弟だと判断した理由は、ルチルの識別カードの生誕日の記載からタイガよりも先に産まれていたらしいこと。そして彼女の識別カードの対戦ステータス欄に記載されていたメモのマーキング内容からだった。ただ彼女の使っている技に自分の兄弟ならば必ず覚えているべき、あの技が無かったことが彼にとって少々気がかりではあったが、姉弟で間違いないだろうと判断した。
彼女は産まれてすぐに、誰か他のトレーナーの下に渡り、そして今は自分自身の両親に会うために、ここのボックスに里帰りしてきたそうだ。ただし、ポケモン交換などで正式にここの住民になってこれからもずっと暮らすわけではない。これは一時的なもので、あいさつが済み次第、すぐに再び元のボックスへと帰るらしい。
だが正直な話、タイガは彼女を両親に会わせたくはなかった。
もし、知ってしまったら。おくびょうな性格の彼女にとって、あまりに残酷すぎる現実を叩き付けることになってしまい、傷つけてしまうことを彼は危惧していた。
だが、断ってしまったら。はるばる遠い場所からここまでやって来てくれた彼女に対して申し訳なく、わざわざ足を運んでくれた彼女の気持ちにタイガは応えてあげたかった。
それが、母親を壊して、父親を殺した、今の自分にできる――
贖罪なのだろうと、彼は感じていた。
******
タイガ達が今居る場所は、いわゆる平行世界(パラレルワールド)にあたるところで、この世界のことを通称「ボックス」と呼んでいる。
モンスターボールが持つ次元シフト機能(大きなポケモンを小さなボールに容積と質量を無視して収納できるのはこのため)を利用して、トレーナーが捕まえたポケモンをこの空間に収めている。人間はパソコン通信網を活用してここへの移動を管理し、パソコンでポケモンの預け入れを行うため、ボックスとは電子空間であると思う人間は多いが、ここには太陽も草も水もあり、現実の世界と変わらない環境が存在している。
住居群から外れた、目立たない場所に、人目を嫌うようにポツンと立つ小さな小屋。
タイガがその小屋の扉を開けると、糞尿と食物の腐敗臭が入り混じった、ムワッとする異臭が立ち込めていた。彼は何度も掃除をしているがこの臭いはもう取れないのかもしれない、気を抜けばベトベターがすぐにでも住み着いてしまいそうだ、とタイガは思っていた。
外は昼間にも関わらず、室内に光がほとんど入らず薄暗い。食い散らかした木の実や様々な物が散乱し、足元を確認して歩かないと何か嫌なものを踏み潰してしまいそうだった。
その小屋の真ん中の寝床に、ブクブクに醜く太ったピカチュウがいた。
これがタイガと、ルチルの母親だ。
突然の来客に驚いたようで、上半身だけは起こしてこちらを見つめていた。つい先ほどまで寝ていた様子で、まだ意識も朦朧としてうとうとと眠そうな顔を見せている、その瞳にはまるで生気が無く、空ろな表情をただ浮かべている。
もう日常的に大量のカロリーを消費することが無くなったにも関わらず、この小屋から一歩も出ることもせずに、ただ毎日食べて寝るだけの生活を繰り返しているため、全身にダルダルになった脂肪を蓄えて、本来丸っこいはずのピカチュウの身体は贅肉で歪に出っ張っている。
ブクブクに太りながらも、どこかやつれて、痩せ細っているかのような印象すら与える。
「あ、あの……」
あまりの臭気に鼻を押さえていたルチルだったが、動揺を抑えながらも、意を決して自分自身の母親に向けて話しかける。
「お母さん、ですか?」
「…………」
突然の見知らぬ来客の登場に、母親はすっかり怯えてしまった様子で、目の焦点を合わさず無表情になって黙り込んでしまった。
「あの……」
「無駄だよ」
タイガはルチルを制止させた。彼は「もしかしたら…?」とわずかな希望を賭けてみたが、結果は芳しくなかった。
「この様子だと、もう何を言っても応えてくれないと思う」
「それじゃあ……」
「先ほど話していたように、ご覧の通りだよ。 壊れてしまったんだ、心が」
ポケモンがタマゴを産む事は人間達は古くから知られており、タマゴ作りの場はトレーナーに代わってポケモンを育成する育て屋が副業的に担っていた。
もともと育て屋とは老後の余生の過ごし方の一つであり、夫婦が年金の足しにするために行うことが一般的だった。それによって生計を立てて儲ける必要の無い仕事であり、タマゴを産ませることも育成のついでに行うサービスだった。
だが、徐々にポケモンのタマゴに関する研究が進むに従って、タマゴから産まれた子にどのように親の強さや技が遺伝するかが解明され、そのための技術や道具が開発された。それを利用して野生に生息しているポケモンよりも、ずっと強いポケモンを作り出せることが知られると、トレーナー達はポケモンバトルに勝つために、より強いポケモンを求めてタマゴを作るべく、育て屋に足繁く通いはじめた。突如として育て屋の需要が急速に膨れ上がり、またたく間に全国各地に育て屋が乱立した。トレーナーたちはより良い条件でタマゴを作ってくれる育て屋を求め、また育て屋もそれに応え、客の奪い合いを始めた。
それは無法地帯だった。
国の法律の規制もなく、そもそも規制を行うべき全国携帯獣飼育業組合がその対策を渋っていたのが一番の問題だったのかもしれない。老後の道楽として捉えられていた育て屋という仕事は、就業者の平均年齢が高いために変化を嫌う風潮が強かったということもある。急激な時代の流れに業界そのものが翻弄されてしまっていた。
育て屋の料金制度とは育成量(レベル)に応じた料金を請求することになっているが、タマゴ作りに関してはあくまでも育成のオマケであり、タダ同然でおこなっていた。トレーナー達はそれを悪用し、タマゴ作りのためだけに育て屋を利用するようになった。
安い料金で大量のタマゴを作ることができる。それは次第にエスカレートを始め、トレーナー達はより短時間に、よりたくさんのタマゴを産ませられる場所を求めてポケモンを預け、希望通りの個体が生まれるまで上限無くタマゴを産ませることを要求し、さらに産ませるスパンも短くするように求めた。店舗の前を自転車で激しく駆け回り、強請(ゆす)る者まで現れるようになった。
育て屋は集客のためにそのようなトレーナー達の声に応え、「何処よりも早く よりたくさんのタマゴを作る」ことを謳って、乱立した同業者との競争に勝ち抜こうとした。だがポケモンのタマゴ作りは食費や設備などに多額の出費があり、普通にタマゴを産ませた場合だと赤字は免れない。元々は経済的に余裕がある者の事業だったため育て屋の料金相場は安く、値上げが出来ず、より経費を掛けずに相当の数のタマゴを産ませない限り、とても採算が取れなかった。
このしわ寄せは、預かったポケモンたちに強いられることになった。
♀のポケモンには排卵誘発剤を投与され、♂のポケモンには発情亢進症に陥る薬を投与された。ホルモン剤や強心剤(気付け薬)も投与された。そこに愛護倫理などは無く、経費の切り詰めとノルマ達成のために徹底的な合理化が推し進められ、モノを言わぬ経済動物として乱暴に扱われた。
さらに母体にはタマゴの生成のために、毎日大量の食料を摂取し続ける必要があった。タマゴ作りに必須となる栄養がほぼ揃う高栄養価の合成飼料を与えられ、寝ている時とタマゴ作りの時以外は、できるだけ食事時間に充てられた。その飼育環境は劣悪そのもので、衛生環境の悪さも手伝って、預けられたポケモン達の尊厳を奪い取り、感覚が麻痺して次第に何も反応を示さぬまま生殖活動を続けるだけになるという。このような汚れた実態からトレーナーの目から隠すため、育て屋側は決められた期間のポケモン引き取り(及び面会)ができない「長期預かり契約」を利用している。酷い場合など、預かったポケモンをそのまま育て屋が譲り受ける契約にして、見せられない状態になるまで酷使し、そのまま処分する例もあるそうだ。
彼らの母親はそのような環境の中で長い間、毎晩のタマゴ作りに勤しんでいた。
だが、タイガの誕生によって、ようやくその責務から解放されたことで。
ぷつん
と、いままで支えていた心の糸が切れてしまったそうだ。
心の中にぽっかりと穴が空いて、精神を廃してしまった。それまで毎日続けていたタマゴ作りのために行われていた大量の食事の習慣だけが残り、寝ている時以外は食べることしかしない存在に堕ちぶれた。
かつての母親は活発でこんな姿ではなかったそうだが、タイガはその頃の母親を知らない。そんな母親のために今でも彼がこの小屋に大量の食べ物を持って行き、身の回りの世話を続けているのは、いつかはかつての母親の姿が見られるんじゃないかという自分勝手な願望と、現在の彼に出来る精一杯の償いと思っているからに他ならなかった。
「行こう?」
言葉を発せず、そのままその場所で立ち尽くし、母親の眼を見ていたルチルだったが、
タイガが声を掛けると、
「うん」
と一言だけつぶやいて、共にその小屋から立ち去った。
******
タイガが覚えている最初の記憶は、大喜びする自分の主人の姿だった。
主人は産まれて来たタイガを、これ以上無いくらいの大歓迎をしてくれた。当時の彼にはわけが分からなかったが、分からないながらもそれがとても嬉しいことであることは、幼い彼にも感じ取れた。
そのように彼は迎え入れられた。
それから毎日特訓のため各地を飛び回り、メキメキと力をつけて強くなっていった。でんきだまという珍しい道具も与えられた。
特に彼はボルテッカーという技が気に入っていた。これはごく限られたピカチュウ種しか習得できない技であり、反動のリスクは大きいが、使えば必ず相手のポケモンを一撃で倒すことが出来ていた。
タイガの体をまじまじと調べていたある人間は、興奮した様子で「このポケモンは素晴らしい能力を持っている。あらゆるものが最高の力を持っている」と言っていた。
今にして思えば、むじゃきで、何も分かってなかったあの頃が一番楽しかったとタイガは思い返す。
そんな彼が幼い頃に、幾度と無く主人に見せられた映像があった。
歓声沸き起こるスタジアムの中心で、一匹のピカチュウが目の前の巨大なポケモンに立ち向かう様子。巨大なポケモンは大きな岩を持ち上げて、それを殴りつけて岩礫の雨を降らせた。
赤い帽子の少年トレーナーの指示で、巧みにピカチュウは降り注ぐ岩礫の雨を避けきり、大きく跳躍をした後、空中で数回転しながら相手の頭上に目掛けて尻尾を振り下ろす。
渾身のアイアンテールが頭上にクリティカルヒットすると、相手のポケモンの体がグラつき、そのままスタジアムに地響きを立てて沈む。
彼の主人はそのような古い映像を何度も見せて「僕はこのバトルを見てこんな風にピカチュウで戦うと心に誓った」「だから最強のピカチュウが手に入るまで長い間、来る日も来る日も必死に粘った」「僕と一緒に世界を目指すぞ!」と熱弁していた。
当時の幼かったタイガにはその言葉の意味は良く分からなかったが、自分と同じ種のピカチュウがスタジアムを縦横無尽に駆け回り、立ちふさがる敵を次々と薙ぎ倒していくその様子にとりつかれ、いつかは自分もこうなるんだと彼は心を躍らせていた。
目指す先は世界の舞台――。
それはポケモンリーグとは異なり、優勝しても莫大な賞金と権利を貰えることは無いが、毎年夏に世界のどこかの街で開催され、全国各地方から強豪が集結して世界一を決める夢の祭典だった。
******
小屋から少しだけ歩いた、陽の光がよく当たる小さな丘の頂上に、彼らの父親の墓標はあった。
母親のジメジメした日陰の小屋とは反対の、見晴らしの良い開けた場所ではあったが、その周りには何も無く、人目を嫌うようにポツンと立っていた。
父親は道端で寝ていると思ったら既に亡くなっていたらしい。突然、何の前触れも無く亡くなったため、殺されたのではないかと騒ぎになったが、事件の可能性は否定されたため、そのままここに埋葬された。自殺だったのでは?という声もある。
その命日はタイガが産まれたために、ここのボックスへ送られてすぐのことであった。ちなみに死因は電気ポケモンには珍しい、心臓麻痺だったそうだ。
父親の墓石の前で手を合わせ、目を瞑り静かに祈りを捧げていたルチルは呟く。
「私、羨ましかったのです」
「え?」
「それまではあまり気にしてなかったんだけど、私は家族が居るジェダイトくんやインカローズさんや、パーティのみんなのことが羨ましかったんだって、気がついたのです。
私は外から貰われてきたポケモンだったけれど、みんなは温かく迎えてくれたし、パーティのみんなが居たから寂しさを感じることはなかった。だけど本戦出場が決まってみんなが誰かに報告しようとした時に、私には報告する相手、家族というものがいないということに気付いて、とたんに寂しくなっちゃって。そこでようやく、ああ実は私は家族が居ることがずっと羨ましかったんだなと、自分の本心に気付くことができたのです。だから、マスターにうまく掛け合って、ここにやってきました」
「そう、なんだ……」
「あ、気にしないでください。こういうことになってるかもしれないって、覚悟はあったから。バトルを主にしている以上は皆、厳選の末に生まれてくるものだっていろんな方から聞いていた。でも覚悟があっても、実際に目の当たりにしたら、そんなものは全く役に立たなかったね」
ルチルは笑う。
「覚悟と言いながら、内心ではジェダイトくんがケロケロとやっていた家族合唱みたいな、夢を見ていたのですね」
*******
ボールの光に包まれて降り立ち、対戦相手を見る。
相手は桃色と肌色を基調とした肉付きの良いポケモン、青い眼で耳の先がくるくるとゼンマイ状に丸まっているところが可愛らしい。たまにポケモンセンターでこのポケモンを見かけることもあるが、タイガにとっては特訓時代に何回も倒していたこともある、良く知っているポケモンだった。倒すイメージ作りは十分、親の形見のでんきだまにそっと触れた後、相手に牽制を入れつつ、電気を纏い電光の矢となって一直線に攻撃対象へと向かっていく。
その電気を纏った突撃は相手の身体へ吸い込まれるように直撃し、桃色の体はその場から叩き飛ばされて、着地した地面に擦り付けられる。手応えは十分、これ以上ないクリティカルヒットを叩き出した。
だが、相手ポケモンは一切怯む様子を見せず、すぐに立ち上がって技を発動する。その場が一転して、空間がゆっくりと歪み始めていた。
タイガは急いで止めに行こうとしたが、急所に当てに行ったせいか攻撃の反動が大きく、痛みで遅れをとり、阻止することはできなかった。
彼の主人はそれを見て、体力を大きく消耗して息絶え絶えになっていた彼をボールに戻した。
日は変わって。続けての対戦相手は、顔の中心の×印が特徴的な紫色の体をした風船のようなポケモンで、ふよふよとその場に浮かんでいた。
主人からの指示を受け、あの技を繰り出す体勢に入る。体中に高電圧を纏い、大きく踏み切って相手を目掛けて突っ込んでいく。
さすがにこれを受けてはまずいと判断した相手トレーナーはポケモンを入れ替える。後続で出てきた緑のポケモンはそれを受け止める態勢を取り、その体で電撃を吸収して攻撃を防ぎきった。
緑の蜻蛉のドラゴンポケモンは、紅色の眼殻越しにタイガを睨み付け、鈍い翅音を響かせながらその空中に留まっていた。
タイガはチラッと後ろを確認すると、主人はそのまま行けと指示を出した。それに応じて、体から目覚めゆく不思議なパワーを尻尾の先端に集中させて溜め込みながら、走り出す。
確かあれはガブリアスよりも確実に遅かった、だから恐れることは無い、と彼は自分に言い聞かせた。何より彼にはこういう相手のためのとっておきの技もあった。当たるように距離を詰め、尻尾の先にチャージしておいた青氷色のエネルギー弾を相手目掛けて撃ち込もうとした。
相手ポケモンは予備動作を挟まずに一瞬だけ真横に移動してその攻撃をかわし、即座に右前肢で彼の胴体を捕らえて地面に組み伏せた。
その瞬間に、地面から発せられた強烈な衝撃に激しく揺さぶられて、タイガの意識は途絶えた。
勝ちもしたが、負けの方が多い結果になった。予選段階での敗退が決まり、世界の本戦への切符を手にすることなくタイガは、去年の夏を迎えた。
彼の主人はすっかり意気消沈してしまい、タイガはボックスへと預けられた。しばらく対戦を行うことは無いそうで、まとまった時間を得たタイガは、父親と母親の身に一体何が起こっていたのかを知り得るために、メタモン達から育て屋のことを聞いて回った。
また、これまでのように、小さな大会などがあるならばバトルに出る機会があるだろうと思い、準備はしていたが。その後、彼が対戦に呼び出されることは無かった。
*******
「――そうだった」
ルチルは何かを思い出した様子でショルダーバックから、カラフルに色付けされた木彫りのオブジェと大きめの立派なリボンを取り出して、墓標に供えた。
そして一歩下がって一礼し、手を合わせて静かに拝む。
タイガは、絶句した。
ぱくぱくと金魚みたいに口が震え、眼をぎりぎりと見開き、頭の中にはぐるぐると様々な感情が駆け巡った。
「ルチルさん」
「え?」
「そ、それ……」
「ああ、これ? アローラのお土産。先週帰ってきたばっかりなんです」
ルチルが手にとって見せた木彫りのオブジェは、球形の鳥ポケモンを縦に積み重ねたデザインになっており、ネイティとホーホーとチルットと、あとはこの辺りでは見られない鳥ポケモンの姿も見られる、手作りの民俗工芸品のようだ。
「いや、それじゃなくて、こっち」
指し示したリボンの中心には、彼が良く知っているエンブレムが取り付けられていた。斜めに架けられた赤青緑黄の4色の帯の中心に包み込まれるように、大きなモンスターボールが鎮座しているデザインのエンブレムだった。
「先日のチャンピオンシップスの本戦出場のリボンで、今年はアローラ地方の……えーと、なんて名前だっけ、まあ綺麗な海の見える街で開催されたのですが。……でも、残念ながら私達は一回戦敗退ですぐに負けちゃったから、そのほとんどは観客席か、外に出て観光していたのですけどね」
「出たの?」
「うん、出れた。 とは言っても私はひたすらサポートであまり倒してないのですが、ジェダイトくんが雨を降らせて私が雷を落とすのだけど、だいたいは倒しきれなくてインカローズさんのバレットパンチのお世話になりっぱなしで……。だいたいそんな感じだったから、出たとか胸を張って言えるようなものじゃないけどね」
ルチルは嬉しさが隠しきれないのか、照れてはにかんでいた。
「ボルテッカーは?」
「え? 使わないよ」
ルチルはきょとんとした表情を返した。
「さて」
ルチルは木彫りのオブジェとリボンをショルダーバッグに戻すと、立ち上がってタイガを向いて言う。
「やっぱりもう一度、お母さんに会ってきます。あの時は動揺しちゃったけど、ちゃんと言葉に出して報告して、ありがとうって言わなきゃいけないし」
一緒に行こうと、タイガも立ち上がったが、
「あ、大丈夫、そこまでの道は分かりますから。一人で会いに行きたいのです」
ルチルは断った。
「……ルチルさん」
タイガは、かしこまった顔で彼女に話しかける。
「ピカチュウは、その大会に出て戦うことはできると思いますか?」
「……タイガくん」
ルチルはその質問の意図を探るため、じぃっとタイガの眼を見つめる。
「それは、真面目な質問でいいでしょうか? ……とりあえず最も一般的なスタイルである、でんきだまボルテッカーでシングル戦アタッカーとして戦うことを想定して、でいい?」
タイガは黙って頷く。
「私自身でいろいろと考えて、行き着いた結論だけど」
くつろいでいたルチルの眼差しが変わり、バトルしている時のような真剣な目付きに切り替わる。
「難しいんじゃないかな」
「…………」
「でんきだまを持たせたピカチュウの攻撃力は確かにすごい威力だよ。ルリちゃん――あ、ちからもちマリルリとほぼ同じの攻撃力を持っているとされている。
――でも、逆に言えばそれだけの威力でしかない。マリルリの攻撃を耐えられるかは"受け"にとって一つの指針になっているから、相手の攻撃を受けるポケモンは、最低でもそれくらいは耐え切れるように日々鍛えている。だからその程度の威力ならば想定内であって、楽に受けられてしまう。だからボルテッカーでは、相手の戦略を叩き崩す一撃必殺となれる決定力とは呼べない。
あと耐久力が無いに等しいから、一回の被弾が致命傷になりかねない、そのため相手の攻撃を巧みに避けつつ先手必勝で攻撃を叩き込んでいくことが必要になるけれど、進化前にしては高めの素早さも、その微妙な足りなさが問題で、一般的に素早いとされるポケモンが相手だと常に一歩先を行かれてしまう。何よりボルテッカーの反動によって、2回使うと自分の体力が尽きてしまう代償も大きい。わるだくみと高速移動以外に優秀な積み技も無い、準備が整えば一匹で相手ポケモン全員を倒しきれる爆発力も無い。仮にそのようなサポートを得たとしてもボルテッカーの反動で自滅が避けられない、でもだからといってそれを使わないと相手を倒すこともままならないので使わざるを得ない。でんきだまボルテッカーの大火力こそが持ち味であって自慢だったはずなのに、逆に火力不足に悩まされているなんて、ひどい皮肉ね。
身体ステータスのポテンシャルはこんな感じだけど、小さな体を生かしてフェイントも織り交ぜつつ、すばしっこく立ち回ることができることが強みであり、小技が豊富で手数を増やしやすく戦闘中の選択肢がとにかく多い。なによりやっぱりボルテッカーの威力は無視できない。火力と補助技で相手に選択を迫り、駆け引きが重要になるからトレーナーの采配でいくらでも強くなれる、また同時にトレーナー次第で弱くもなってしまう。
総合すると、ポテンシャルの安定性が無いけど、そのぶん幅が利いて駆け引きが重要になる。だから、難しいと言わざるを得ない、かな」
「そう、ですか」
長い話を聞き終わり、タイガは小さな声で呟いた。
この問題には彼女自身もずっと悩んで、たくさん考えてきたのだろうと彼は感じ取れた。
「ええと…… ただ私の専門はシングルじゃないから、あまり胸を張ってこれだって言えないのですけど……。これが答えになっていたかは分かりませんが……参考になりましたか?」
「はい、どうもありがとうございます」
タイガは深々と頭を下げた。目尻がかあぁと熱くなり、その言葉に胸のつかえが降りたような、清々しい気分になっていた。
同時に、ずっと出会いたかったものに出会えたような、なんだか懐かしい気分に包まれていた。
「あと、一言だけいいですか?」
「ん?」
「……お姉ちゃんっ!」
ルチルは一瞬驚いたが、すぐに笑顔になって両手を横に広げて、ハグの態勢に入った。
「……え、おぅ 弟よっ!」
彼はそれを見て、足に力を溜めて大きく息を吸い込んで、あふれ出る感情を放出し、地面を強く踏み切って、相手の胸元を目掛けて突撃していった。
******
かつて、厳選作業とは専門的な知識や労力が必要になるもので、あらゆる戦術や駆け引き、努力による鍛錬などすべてを尽くした上での、最後のピースを埋める手段として、一部のトッププレイヤーの間で厳選作業というものが行われていたはずだった。
だが、交配技術の進歩によって、少しの知識と時間とお金さえあれば強いポケモンを誰でも簡単に産ませることができるようになったことで、厳選そのものが一般化し、育て屋というシステムにトレーナー達が殺到した。同時に大した知識もないトレーナーでも簡単にポケモン厳選を行えるようになった。
トレーナーは誰しも強さを求めて旅を続けている。理想的で最強のポケモンを手に入れさえすれば勝てると盲信して、トレーナーが厳選に手を染めることが多い。だが仮に最強のポケモンというものがあったとしても、それを扱えるだけのトレーナーの技量が無い限りは勝つことはできないだろう。実際に、多少のポテンシャルの差はトレーナーの力量一つで簡単に埋めることができる。
現在では目的と手段を取り違え、厳選を行い良い個体を生み出すことが目的となり、そこで満足してしまって、対戦に使わずボックスの肥やしとなる事例も数多く見られるようになってきた。
このような育て屋の問題から端を発する社会問題は、これに限らずさまざまな形で影を落としている。
例えば肉骨粉問題。生態系保護のために逃がすことが出来ず、処理に困った余り物を業者が買い取って肉骨粉に加工する。その主な出荷先は育て屋であり、極めて安値かつタマゴ作りに必須となる栄養がほぼ揃う高栄養価の合成飼料であるため広く普及している。これがマフィアの資金源になっているとされるが、なかなかその根絶までは程遠い現状だ。
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ルチルと別れたタイガは、白い大きな建物の前に立っていた。
この建物は元の世界とこのボックスを結ぶ場所であり、通常は自分のトレーナーがポケモンを引き出そうとする際に、ここの扉が開くことになっているが。
タイガはその扉に手を置く。
「僕を、戦わせてくれ」
置いていた手を握りコブシにして慟哭する。
「もう、二度と負けない! 絶対に負けない!」
拳で扉をガンガン叩きながら、堪え切れない悔しさが、言葉になって溢れ出て。みじめに泣き喚く。
「僕は勝つために生まれてきたんだ! 理想を体現し、どんなピカチュウよりも優れている最強のピカチュウ、それが僕なのだろう? だから僕は勝たなければならないんだ。その宿命を持っているんだ! そうじゃないと、お父さん、お母さん、そして何よりも! この世に生まれてきて余り物になった兄や姉達が浮かばれない! 百匹、二百匹を超える兄姉の命を踏み台にして糧にして、僕は生まれてきた。だから僕は戦わなければならないんだ! そして勝たなければならない! それこそが皆の命に応える唯一の手段なんだ! 何故僕は生きているのか? あの時に付けてもらったマーキングは嘘なんかじゃないんだ、もう負けない。もう」
次第に叫ぶことに疲れてきたのか、声も静かになり。
「……ごめん」
すすり泣き始めた。
「……ごめんよぉ 弱くて」
その声が主人に届くことは無かった。