〜第二十三話:「苺たいやき」〜

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「ただいまー」

「あ、お帰り祐一。わ、お母さんも一緒だったんだね」

家に帰ってくると、先に帰ってきていた名雪が出迎えてくれた。俺と秋子さんが一緒にいるのを見て、驚いたような(でも、顔はいつものようにまったく驚いた感じがしない)声を上げる。

「ただいま。名雪、真琴はもう帰ってるかしら?」

「うん。なんかすっごく疲れたって言って、もう寝ちゃったよ」

「あら、そうなの……それだったら仕方ないわね」

秋子さんも秋子さんで、微笑んだままいつものポーズで答える。この二人はポーカーフェイスが得意なタイプだと常々思う。

「それじゃあ晩ご飯の支度をしますから、ちょっと待っててくださいね」

「あ、わたしも手伝うよ〜」

秋子さんと名雪は、並んで台所へと入っていった。一人残される俺。

「とりあえず、着替えてくるか……」

誰に向かって言うでもなくそう言って、俺は階段を昇って自分の部屋へ向かった。とりあえず、今日は昨日にも増してあまりにもいろいろなことがありすぎて(なんか、佐祐理さんとこに行ったのがずいぶん前の出来事のようにすら感じるぐらいだ)、空腹を覚えると共にかなり疲れた。

「……そう言えば、明日まだ学校あるんだよな……」

そう思うと、なんだか余計に疲れた。何この自爆。

 

「ところで祐一、帰ってくるのがずいぶん遅かったけど、何かあったの?」

「ああ。ちょっと、先輩の家に行ってたんだ。厄介ごとがあってさ」

夕食の席(今日のメニューはオムライスだった。味は推して知るべし)で、名雪が俺に話しかけてきた。そう言えば、帰ってくるのが結構遅くなってしまったのは確かだ。

「もしかして、倉田先輩の家かな?」

「そうだけど……どうしてお前が知ってるんだ?」

「陸上部の子がね、『三年の倉田先輩の様子がおかしくて、祐一に相談してた』って言ってくれたんだよ」

そういうことか……って、二年とか一年が三年の教室の中にいたら嫌でも目立つよな。そりゃ、見つからない方がおかしいか。

「なるほどな……ところで、何があったか聞きたいか?」

「うん。すごく聞きたいよ。お母さんは?」

「私も聞いてみたいですね。祐一さん、どうしたんですか?」

「それがですね……」

俺はずいぶんと間を置いた。二人は間違いなく驚くだろう。真琴とみちるの間に起こったあの出来事が、ありえない人物の間同士で起きてしまったのだから。

さぁ、驚け驚け。言うぞ言うぞっ。

 

「霧島診療所の聖先生と、倉田先輩の弟の人格が入れ替わったんだ」

 

さぁ、驚けっ。

……………………

「わ、なんだかすごいことになっちゃったんだね〜。びっくりだよ」

「あらあら……なんだか、不思議な組み合わせですね」

ほわほわ。ほのぼの。

……って、あれぇっ?! 全然驚いてないしっ! っていうか、いつもと全ッ然変わらないし! 名雪も秋子さんもいつも通りだし! ほわほわほのぼのだし! ぼのぼのはラッコだし!(無関係)

「名雪も秋子さんも……驚かないんですか?!」

「う〜ん……わたし、これでもすごくびっくりしてるんだよ。ホントだよ祐一」

「そうですよ。名雪はいつもこんな驚き方をするんです。もちろん、私もすごくびっくりしてますよ」

「でも、なんだかいつもと変わりありませんよ」

「どんなことがあっても、まずは落ち着くことが大事だよ。ね、お母さん」

「そうですよ。どんな時でも慌てないことですよ」

顔を見合わせて頷きあう水瀬親子。言っていることは正しいが……いや待て。この場面で言うにはいささか何かが間違っているような気が滅茶苦茶するぞ。確かにどんな時でも落ち着きは大切だけど……いや、時には落ち着きを失って欲しいことだってあるぞっ。

「でも、どうしてだろうね? 聖先生と先輩の弟さん、何かあったのかな?」

「さぁな……聖先生に聞いてみたけど、思い当たることは無いって言ってたぞ」

「……そう言えば祐一さん、聖先生が入れ替わったということは、今聖先生の体の方には、その弟さんが入ってる、ということになるんですよね?」

「そういうことになると思います……あっ! そういうことだったのかっ!」

「祐一、どうしたの?」

「いやな、朝授業中にふと窓の外を見てみたら、中庭の隅の方で聖先生が立ってたんだよ」

「わ、そうだったんだ。そんなの、初めて聞いたよ」

「どうしてあんなところにいるのか分からなかったが……そうだよ。先輩に会いに来たんだよ」

俺は授業中に見たあの奇異(not鍵)な光景のことを、今になって思い出していた。あの時はさっと流したが、居間になって思えばなるほど、そういう解釈も出来るな。

「じゃあ、こういうことになるのかな? 弟さんは、朝起きたら聖先生になっちゃってて……」

「それで、とりあえずお姉さんに会いに学校に来たけど……」

「よくよく考えたら、その姿で会ってもとても信じてもらえないことに気付いて……」

「そのまま帰っちゃった、ってことだよね」

「そういうことになりますね。これで、聖先生が祐一さんに診療所を見てもらってくるように頼んだのも納得がいきます」

「ううむ……ちょっと考えてみれば、全部簡単なことだったんだな……」

俺は水瀬親子の理解の早さに驚きつつも(こう見えて名雪も状況をすべてしっかりと理解している)、同時にこの親子の話の分かり方に感謝していた。もしここに真琴がいたら、今の五倍はこの話を終わらせるのに時間がかかっていたことだろう。

……もっともあれだ、入れ替えの「体験者」がいた方が、もっと話に深みが出たかも知れないけど。

 

「そうそう。もう一個、びっくりするような事があるんだぞ。聞きたいか?」

聖先生の話がひと段落したあと、今度は俺から話題を切り出した。話すことは決まっている。今度は、絶対に驚くはずだ。

「わ、まだあるんだ。うん。聞かせてよ」

「ふっふっふっ……これは絶対にビックリするぞ。何せ俺がすごくビックリしたぐらいだからな。これで驚かないなら、きっと寝てるときにこっそりヘッドホンを付けられて、大音量で『絵空事』を流されても驚くまい」

「祐一、それ、驚くの種類が違うよ」

「……お前、思いの外鋭いツッコミをかますな」

「祐一のおかげだよ」

「それは褒めてるのか、それともけなしてるのか」

いきなり足元をすくわれてしまった気分だが、この程度のことでひるんでいてはいけない。俺には「名雪と秋子さん(どちらかというと名雪)のマジで驚いた顔」を見るという目的があるのだっ。

「……まぁそれは置いといてだな……」

行くぞっ! 聞いて驚けっ!

 

「……実は、昨日の香里は北川で、昨日の北川は香里だったんだよ」

 

……まるで、時間が止まってしまったかのよう。動くものは何一つとしてない。静寂が周囲を包み込む。それは静寂以外の何物でもなく、ただそれは静寂だった。どのような気持ちの変化ももたらさない、純粋な静寂だった。

「……………………」

「……………………」

……よしっ! 名雪も秋子さんも完全硬直してるぞっ。さすがにこれには驚いただろう。何せ、香里も北川も二人のよく知る人物だからな。それが入れ替わったとあっては、驚かずにいられまい。ふっふっふっ。作戦通りだぜっ。

「……………………」

「……………………」

二人ともまだ硬直したままだ。さぁ、一体どんな驚きの表情を俺に見せてくれるんだ? ああ、楽しみで仕方ないぜっ。

「……………………」

「……………………」

……………………

「……………………」

「……………………」

……………………

「……………………」

「……………………」

……………………

「……………………」

「……………………」

……いや、ちょっと待て。これはいくらなんでも硬直しすぎじゃないか? 二人とも黙ったまま、何も言わない。だんだん、不安になってきた。ひょっとしてあれだ。心臓でも止まっちゃったんじゃないだろうか。って、死ぬわっ。いくらなんでもそりゃないだろ俺っ。

と、その時だった。

「わ、びっくりするぐらいびっくりしたよ〜」

「祐一さん、私もびっくりするぐらいびっくりしましたよ。それは、本当にあったことなんですか?」

今まで完全硬直していた二人が突然話し出したものだから、

「えっ?!」

逆に俺が驚かされてしまう始末であった。何これ。ひょっとしてあれか。驚きの具合は硬直の長さで表現するのか。うわ! なんかホントにそんな気がしてきた! っていうか多分絶対そうだよ! 間違いないって!

……くだらないことを考えてないで、質問に答えなきゃな。

「あ……はい。本当にあったことです。今日帰りに北川に会って、本人から聞いたんです」

「そう言えば北川君、バイト始めたんだよね。香里から聞いたよ」

「そうだぞ。あのたい焼き屋でたい焼きを焼いてたな」

「わ、それもびっくりだよ。あのたい焼き屋でバイトしてたんだね」

「ああ、それであゆとばったり会って……って、話題がずれて無いか?」

自分で言っておいてあれだが、話題が俺の意図した方向とはまったく違う方向へ行き始めている。これはどういうことだ。これがいわゆる水瀬マジックというヤツなのだろうか。気が付いたら名雪や秋子さんの話したい話題にすりかえられてるとかそういうマジックの方向で。

「あ、あゆちゃんと会ったんだ〜。最近話してないから、明日話に行こうかな」

「おーい、名雪ー。北川と香里はどうしたんだー」

「あらあら。名雪、もし良かったら、またうちに呼んであげたらどう? 私もちょっと会いたくなったわ」

「うん。明日話してみるね。来たら、一緒にたい焼き作ってあげようよ」

「そうしましょうね。たくさん作って、みんなで食べましょう」

「うん。余ったら、お土産に持って帰ってもらうんだよ」

「あゆちゃんもきっと喜んでくれるわ。たくさん作りましょうね」

「うん。楽しみだよ〜」

……あれぇっ?! なんか話題があゆあゆの話題になっちゃってるしぃっ?!

「中にイチゴジャムを入れたらどうかな?」

「あら。それもいいかもしれないわ。今度試してみましょう」

「いちご〜いちご〜」

「あらあら。名雪ったら、本当にいちごが好きなのね」

「うん。イチゴジャムだけでご飯三杯はいけるよ」

……おーい。俺、話題に全然入れないんですけどー。っていうか、イチゴジャムで飯なんか食うなよっ! 思わず想像しちまったじゃねぇかっ! っていうかオムライスって赤色のご飯だよなっ! イチゴジャムって赤いよなっ! なんだかチキンライスがジャムっぽい味に感じられるんですけどっ! 責任取ってくれよっ!

「名雪、お前のせいだぞ。責任取ってくれよ」

「じゃあ、ケチャップを思い出してみるといいと思うよ」

「ほうほうなるほど……あ、普通に食えるようになった。サンキュー名ゆってお前、俺の心を素で読んでただろ?!」

「祐一のおかげだよ」

「あらあら。名雪ももう立派な水瀬家の長女ですね。よく頑張ったわ。名雪」

「えへへ。お母さんのおかげでもあるよ」

「全然意味が分からない」

なんだろう。この空気は一体何なんだろう。っていうか、立派な水瀬家の長女ってどういう意味なんだろう。水瀬家の人間は読心術が基本装備なのだろうか。そうなのだろうか。もしそうだとしたら、ぜひとも俺も装備したいなぁ。

「了承」

「……って、ええっ?!」

「うふふ。冗談ですよ」

……秋子さんが言うと、何も冗談に聞こえないから怖いなぁ。というか今の「了承」、一秒も経ってなかったぞっ。

「祐一」

「どうした」

「大丈夫だよ。本当に冗談だよ」

「……そうか。そうだよな」

名雪に言われて、ようやく気分が落ち着いた。ああ、やっぱりこの二人には適わない。俺如きが適う相手ではなかったのだ。

純粋にそう思った。

 

「うにゅ……」

「ふわ……名雪、お前、もう寝るのか?」

「うん……なんだか、すっごく眠たくて……」

時計はまだ十時を指す前だったが、俺も名雪も同じぐらい眠そうにしていた。名雪はともかく、俺がこんな時間から眠たくなるなんて、よほど疲れていたのだろう。ここは素直に寝るとするかな。

「それじゃあ、俺も寝ることにするか。名雪、行くぞ」

「うん。お母さん、お休みなさい、だよ」

「はい。名雪も祐一さんもしっかり寝て、明日はまた元気で学校に行ってくださいね」

「それじゃ、お休みなさい」

俺と名雪は秋子さんにお休みを言って、一緒に階段を昇った。

階段を昇った先で、それぞれの部屋へと別れる。

……その間際。

「祐一」

「ん?」

「……佳乃ちゃん、すごく張り切ってたよ。わたし、どうすればいいのかな……」

「ぐああ……しまった……あいつ、まだ勘違いしたままだったんだ……」

……あまり思い出したくないことを思い出してしまった。そう言えば佳乃のやつ、みちるのことをまだ七瀬の妹と勘違いしてたんだった……あんまりいろいろなことがあったもんだから、すっかり忘れてた……

「なんだか、説明したくてもできないぐらいだったよ。しようと思ったけど……できなかったよ」

「……だろうなぁ。ホントどうしよう……」

「う〜ん……わたしも考えるから、祐一も考えておいてね」

「悪いな……元はと言えば、俺のせいなんだけどな」

「しょうがないよ。わたしも知らなかったんだし」

名雪はそう言って慰めてくれる。気が重いのは変わらないが、こうしてこの気の重さを共有できる人間がいることはとてもありがたかった。

「ごめんね祐一。寝る前に困ったこと思い出させちゃって」

「いいよ。どうせ明日になりゃ思い出さなきゃいけない事だし」

「……うん。それじゃ祐一、おやすみなさい、だよ」

「ああ、おやすみ」

最後にそう挨拶をして、俺と名雪はそれぞれ自分の部屋に入った。

「……………………」

俺で電気もつけずにそのままベッドへと潜り込み、すぐに目を閉じた。

「……………………」

疲れた体を横たえると、すぐにそれは心地よい眠気へと変わってきて、そのまま俺は……

………………

…………

……

 

「あさ〜、あさだよ〜。朝ごはん食べて学校行くよ〜」

「……うぐ……」

俺が次に目覚めた時には、もう朝になっていた。目覚まし時計が鳴っているということは、今ちょうど起きる時間なのだろう。ちょうど良かった。

「……さて、起きるか」

俺はそう言って、ベッドを降りた。

(名雪を起こしてやらなきゃな。多分、まだ寝てるだろ)

俺はいつものことと思いながら、名雪の部屋へと向かう。そのままドアの前に立ち、礼儀としてドアをノックする。

「おーい名雪ー。起きろーっ」

予想通り、返事は無い。それなら、中に入っても文句は言われまい。さぁ。今日はどんな起こし方をしてやろうか。昨日はけろぴーで打撃を加えたから。今日は俺のこのハードナックルで

……………………

ドアを開けた向こうにあったのは……

(……いないっ?!)

空っぽの……いや、正確にはけろぴーがぐったりと横たわっている、名雪のいないベッドだった……

(信じられない……あいつがまた俺より早く起きるなんて……明日はきっと雹が降るな。うん。間違いない)

俺はそんなことを考えながら、名雪の部屋のドアをゆっくりと閉めた。

(ううむ……不思議なこともあるものだなぁ……)

名雪が聞いてたら絶対に怒られるような事を思いながら、階段を下りた。

 

階段を下りると、台所に立って朝食の支度をしている秋子さんの姿が見えた。

「おはようございます。秋子さん」

俺は台所に立っている秋子さんに、そう挨拶した。何気ない、いつもの朝の挨拶だ。秋子さんはこちらを振り向くと、にっこりと微笑んで、こう返事をした。

 

「おはよう。祐一っ」

 

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。

Thanks for reading.

Written by 586