「うぐぅ〜! やめてよ祐一君〜」
「うるさいっ! お前のせいで俺も香里も大恥をかいたんだぞっ」
「ご、ごめんなさい〜」
俺はあゆの頭の左右に固く握り締めた拳骨を押し当て、ぐりぐりぐりぐりしまくっていた。理由はほかでも無い、今拳骨によるお仕置きを受けているあゆのとんでもない勘違いのせいで、俺と香里がとてつもない大恥をかいてしまったからだ。
「まぁまぁ、その子だってわざとやったんじゃないんだから、その辺で許してあげてもいいんじゃないかな?」
あゆを追いかけてきた若い男が、俺をたしなめるように言った。俺はそのおかげで余計に惨めな気持ちになって、
「いや、もうホントにすいません……とりあえず今はこうしてないと落ち着かないんです」
「う、うぐぅぅぅぅ!」
拳骨の回転速度を二倍に上げた。
………………
「そ、それは……ボクの人形……!」
「やっぱりね。君が行った後に落ちてたから、そうじゃないかと思ってたんだよ」
若い男はあゆの天使の人形のチェーン部分を持ったまま、穏やかな表情でそう言った。その表情から悪意を読み取ろうとしたのだが、どうやってもできなかった。というかぶっちゃけ、めちゃめちゃいい人そうだ。俺は人を見る目はあると思うが、その目をしてその印象である。
俺は訳が分からず、香里に話を振ってみる。
「……なぁ香里、これってどういうことだ?」
「……なんとなく、嫌な予感がするわ……あの人じゃなくて、私たちのほうで」
香里はそう言って、ふっと肩の力を抜いた。恐らく、この人物は危険な人物では無いと判断したのだろう。香里の判断は正しいことが多い。俺もそれに合わせ、緊張を少し解いた。
「はいこれ。もう落とさないようにね」
若い男はゆっくりと人形をあゆに差し出す。
「う、うぐぅ……ありがと……」
あゆはそれを恐る恐る受け取り、そして自分の手の中へ包み込む。大切なものが戻ってきて、安心したのだろう。思いっきりこわばっていた顔が、すっかりいつものやや弛緩気味の表情へと戻った。
俺は気になって、男に声をかけた。
「あ、あの……」
「うん? どうしたんだい?」
「どうしてあゆを……こいつを追いかけてたんですか?」
「簡単だよ。その人形を落してたからだよ。多分大切なものだろうと思ったから、届けてあげようと思ってね」
「……そ、それだけっすか?!」
「それだけだよ」
肩透かしを食らわされた気分で、大きく目を見開いて素っ頓狂な声を上げる俺。何のことは無い。俺の目の前にいるこの若い男は、単にあゆの落し物をあゆに届けるために走っていたのだ。
「で、でも、落し物だったら、警察とかに届けておけば……」
「僕もそう思ったよ。でも、その人形、名前が書いてなかったんだよ。だから、届けても落し主が気付かないかも知れないと思ってね。だったら、落し主が視界に入っているうちに、届けてあげたかったんだよ」
「……………………」
結論。この人は普通の人。むしろ良い人寄りの普通の人だった。
「その子が逃げちゃったのは、きっと追いかけてくる僕のことが単に怖かっただけだと思うよ」
「……そうなのか? あゆ……」
「う、うぐぅ……そ、そうだよ。た、ただちょっと怖かっただけで……」
「じゃあ……その、特に何かされそうになったとか、されたとかじゃない……ってわけ?」
「う……うん……」
「……………………」
「……………………」
……これが事件のあらましだった。
「うぐぅぅぅぅぅぅ!」
「もっと鳴けもっと鳴けっ! 他のあゆを呼ぶ声で鳴けっ!」
「うぐぅっ! あゆはボク一人だよっ」
「うるさいっ! お前なんか下がりそうで下がらない原因不明の微熱に一年中悩まされ続ければいいんだっ! それが嫌ならまずは手足の痺れから始まって最終的には記憶障害を起こす呪いに見舞われればいいんだっ!」
「ひ、ひどいよ祐一君っ。ボク、どっちにしても死んじゃうじゃないっ!」
「言っとくけどな、俺は光を集める気もないしカラスになる気もないからなっ!」
「う、うぐぅっ!」
俺はあゆの頭にぐりぐり攻撃を食らわせ続けながら、情け無い気持ちで一杯だった。あの俺と香里の異常なまでに真剣な口上を聞いたあの若い男は、一体どーいう気持ちになっただろうか。ぐああ……考えただけでも恥ずかしさがぐんぐんこみ上げてくるっ。やらいでおれるかっ。
「……その辺にしといてあげなさいよ。相沢君」
「香里っ! こいつのせいで俺たちは」
「あら、あたし『相沢君の番は』その辺にしといてあげなさいよ、って言ったつもりなんだけど?」
「了承」
「う、うぐぅぅぅぅぅ!!」
この後あゆは香里に引き渡され、香里によっておよそ十分間「気まずい空気の中心にいさせる刑」に処された。
「……ホントにすいません……なんか、滅茶苦茶失礼なこと言ったみたいで……」
「ご迷惑をかけて、本当にすみません……」
「まぁまぁ。もう終わった事だし、気にしなくてもいいよ。それに、君たちがその子の事をそんなに大切に思ってることは、いい事だと思うよ」
「はぁ……なんかそう言われると……」
若い男はつとめて穏和な表情で、俺たちの平謝りに耳を傾けてくれていた。普通の人ならまず怒るであろう、俺たちのあの無駄に攻撃的な態度を、この人は「いい事だ」とまで言ってくれている。ある意味、運が悪かった。
「う……ぐ……ぅ……」
隣で何かが力尽きているが、気にしない。
「……ところで、君たちはこの近くの高校の生徒かい?」
「あ、はい。そうっす」
「やっぱりね。娘が同じ高校に通ってるんだよ。制服の色から見ると、多分同級生かな」
「そうなんですか……お名前、なんて言うんですか? もしかしたら、知ってるかもしれないし……」
男は香里のその質問に「待ってました」と言わんばかりの会心の笑みを浮かべて、こう言った。
「観鈴。『神尾観鈴』っていうんだ」
……思いっきり知り合いだった。しかも、ついさっき会ってきたばかりの。
「……ってことはもしかして……」
「あの……もしかして、神尾さんのお父さんですか?」
「ああ、知っててくれたんだね。よかったよ。そう。僕は観鈴の父親で、『橘敬介』っていうんだ」
「……た、『橘』ですか? 『神尾』じゃなくて……?」
「そうだよ。僕の家は夫婦別姓なんだ。お互いに譲らなくってね」
「は、はぁ……」
まさか、この人が観鈴の父親だったとは……雰囲気とかはまるで違うし、顔つきも……あ、心なしか目元の辺りが若干気持ち観鈴っぽい気がしないでも無いような気がしないでも無い(意味不明)
「観鈴は学校で仲良くやっていけてるかい?」
「えっ? ああ、全然問題ないですよ。俺たちともよく話しますし」
「そうか……それならいいんだ。その話を聞けただけで、ほっとしたよ」
「……その、何かあったんですか?」
香里が遠慮がちに問う。橘さんはそれに嫌な顔一つせず、
「いや、昔にいろいろあってね。なかなか友達ができなかったんだ。あの頃は本当に可哀想だった。見ていて辛かったよ」
「観鈴に……そんなことが……」
「……でも、ある時を境に大きく変わったんだよ。去年の夏ごろだったかな」
去年の夏……俺がまだ、実家にいた時の事だ。だから、これから橘さんが話す内容は、どうあっても俺が知っている話では無いだろう。
「うちにね、一人の男の子が居候しに来たんだよ。往人君って言ってね」
「……あ、そう言えばこの前……」
……往人。この間真琴とみちるが入れ替わった時、みちるを診療所まで担ぎ込んだ、あいつのことだ。
「その子と出会ってから、観鈴が別人みたいに明るくなったんだよ。それからは、もう何も問題は起きていない。すごくよかったんだ」
「そうなんですか……」
「ああ。だから、本当はその夏でこの街を出る予定だったんだけど、無理を言ってもうしばらくいてもらうことにしたんだ。今も観鈴と一緒にいてくれている」
「はぁ……」
うーむ。なんだか妙にマジな雰囲気だ。ここ最近妙にマジな雰囲気になることが多いなぁ。そう言えば前にマジになった時は、北川があゆを追いかけてたときだった。そして、ふと気付く……
「うぐぅ……頭が痛いよ〜……」
「……………………」
……ひょっとしてこいつはコメディSSの大敵「マジな雰囲気」を持ってくる悪魔の子じゃないのか?! そうだよ。そうじゃなきゃ、白昼堂々たい焼きを食い逃げしたりできるはずなんかねぇっ!
「おいっ! あゆっ! 少し言いたいことがあるっ!」
「う、うぐぅっ! も、もう頭はやめてよっ」
「よし分かった。だが、こっちからも約束して欲しいことがあるっ」
「な、何かな……?」
「今度出てくる時は、絶対にマジな雰囲気は持ってくるなよっ! いいか! 持ってきたらお前の目の前でたい焼きをたらふく食ってやるからなっ!」
「えっ?! たい焼き?! ねぇ、ボクにもくれるよね?」
「誰がやるかっ! お前はアホな子かっ」
「うぐぅっ! ひどいよっ。ボクはどちらかと言うと賢」
「それは別のヤツのセリフだっ! しかもお前がそいつと妙に設定が似てるから余計に紛らわしいんだよっ!」
「ご、ごめんなさいっ!」
あゆを一喝して沈黙させると、俺はこう言った。
「いいか。今度マジな雰囲気を持ってきたら、お前を題材にした超ダーク&超雰囲気重たい二次創作を書いて、お前に百回は朗読させるからなっ」
「そ、それだけは嫌だよっ! ボ、ボクはコメディが好きなんだよっ!」
「コメディが好きなら、何かコメディのネタになるような雰囲気だけ持ってきてくれよ。持って来れなかったら無理に持ってこなくてもいいから」
「う、うん。分かったよ……」
やれやれ。これであゆによってこのSSに「マジな雰囲気」が持ち込まれることは無くなりそうだ。これで読者さんも安心してコメディSSとして読んでいただけるというわけだ。ふっ。俺も気苦労が絶えない男だ。
「……はぁ」
隣にいた香里が、「付き合ってられないわ」的雰囲気を帯びた長いため息を吐き出した。
「それじゃあ、本当にすみませんでした」
元来た道をゆっくりと帰っていく橘さんに、俺たちが挨拶をする。
「いえいえ。これからも観鈴と仲良くやってあげてください」
「うんっ。もろ」
「黙れッ」
言ってはいけないを言おうとしたあゆの頭を肘で陥没させ、そのまま橘さんを見送る。
「うぐぅ……ひどいよ祐一君っ。ボクはコメディ要素を」
「あれのどこがコメディだっ! むしろこのSSの生死に直結するわっ!」
今後ともあゆの言動には気を使う必要がありそうだな……とりあえず、次に同じネタを言おうとしたらギャラクティカマグナムを喰らわせよう。そうしよう。
「……はぁ。なんだか疲れちゃったわ。あたし、もう帰るわね」
「ああ、気をつけてな」
「ええ。あゆちゃん、とりあえずあの人はいい人だったみたいだけど、夜道には気を付けるのよ」
「うん。ごめんね……」
「それじゃあね」
香里はそう言って、また別の方向へと歩き出した。
「それじゃあゆ、俺たちも帰るか。途中まで送っていくぞ」
「えっ? いいの?」
「いいも何も、途中までは一緒だからな。お前一人だと俺が不安だし」
「……うん。それじゃあ、一緒に帰ろっ」
「ああ」
俺はあゆを引き連れて、元来た道をゆっくりと引き返した。
……………………
「……が、がお……聖先生、すごく怖かった……観鈴ちん……じゃなかった。晴子さん、ぴんちっ」
……………………
「……あれ? あんなところに誰かいる。どうしたんだろう?」
……………………
「あの……こんなところで、どうしたんですか?」
……………………
「あのっ」
「あ、はいっ」
「これ、受け取ってください」
「えっと……これ、わたしにくれるの?」
「はい。プレゼントです」
「にははっ。うれしいな。ありがとう」
「とってもかわいいです」
「うん。すごくかわいい。これ、お星様かな?」
「いえ。残念ながら違います。でも、半分は合ってます」
「えっ? どういうこと」
「はい。お教えしましょう」
「ヒトデは英語で、『スターフィッシュ』と言うからです」
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。
Thanks for reading.
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