〜番外編:「どきどき秋子さん〜(C)F.Cool先生〜」〜

586

「それじゃあ、気をつけて行って来てくださいね」

「うん。行って来るよ」

私は名雪に見送られ、家を出ます。隣には祐一さんがいます。

 

今朝のことでした。私は目が覚めると、いつも私が寝ている和室ではなく、

「……あらあら」

名雪の部屋にいました。そして、鏡を見てみると……

「……あらあらまあまあ」

なんと私、名雪になっちゃってたんです。これにはとてもびっくりです。ほんの少し前、真琴とみちるちゃんで起きたことが、私と名雪の間でも起きちゃったみたいなんです。

「ということは、私は今日は一日名雪になれるんですね」

今日は一日名雪になれる……

「祐一さん……」

……祐一さんと一緒に学校に行って、祐一さんと一緒にお昼を食べて、祐一さんと一緒に屋上の夕焼けを見に行って(注:行きません)、そして祐一さんと共に夜の街へ消えて行く(注:消えません)……

わくわく どきどき

違いますっ。

「違いますっ。そんなのじゃないんですっ」

ぶんぶんと頭を振って、楽し、いえ、ヘンな想像を頭から振り払います。いけませんいけません。

「とりあえず、名雪を起こしに行かないといけませんね」

私はそう言って、名雪の部屋を出ました。

 

……そして、今に至ります。今私は、祐一さんと一緒に通学路を歩いています。

祐一さんと一緒に、通学路を歩いています(強調構文)

「〜♪」

自然と鼻歌も出ます。名雪の声は私より少し高いですから、音程も高めです。

「あ、秋子さん?」

祐一さんが私の母の名前を呼んでいますが、私は名雪なので呼ばれてませんね。私は今、「名雪」ですから♪

「秋子さん?」

「〜♪」

「おーい、秋子さーん」

「〜♪」

私がそうしていると、やがて祐一さんも観念したようで、やっと私のことをこう呼んでくれました。

「……名雪」

「あっ、祐一、どうしたの?」

そうです。私は今「名雪」になっています。祐一さんの恋人です。つまり、私は祐一さんの恋人です。ラバーズです(英語)

「すみません秋子さん。俺、やっぱり違和感でいっぱいです……」

「大丈夫ですよ祐一さん。私はしっかり名雪をやりますから、祐一さんはいつも通りの祐一さんでいてください」

「とりあえず、そうしたいのは山々なんですけど……っていうか秋子さん、心なしかうれしそうじゃありませんか?」

「あら、そんなことはありませんよ♪」

口ではそう言っていますが、今私はうれしくて天まで飛び上がりそうな気持ちです。きっと今なら、空に囚われている少女だって一瞬で連れ戻せるでしょう。ハッピーです(英語)

「祐一さんと学校に……きゃ♪」

今から楽しみで仕方ありません。今日は祐一さんを一日中観察できます。こうなったら、もう髪の毛の先から足の爪の先まで舐めるように(ヤな表現)観察させてもらいますっ。

と、私が愉快、いえ、不思議な想像に耽っていますと、

「おはようっ。二人とも」

「おはようございますですー」

名雪の親友の香里ちゃんと、その妹さんの栞ちゃんが現れました。二人はいつもこれぐらいの時間に登校しているんですね。

「よう香里。それと栞も」

「おはよう香里〜。栞ちゃんも一緒なんだね〜」

私はそつなく「名雪」をこなします。自分の娘ですから、何を言うかぐらいは大体想像がつきます。これで名雪に一歩差を付けたことになりますね(?)

「そうですよー。あ、祐一さん祐一さん、今日もお弁当、作ってきたんですよ」

「お、また作ってきてくれたのか」

「今日は私も手伝ったから、適正量になってるはずよ。多分」

「お姉ちゃんっ。それはいつも私が適正量を超えて作ってるみたいじゃないですかっ」

「事実だろ、それ」

四人でいい雰囲気のまま会話していきます。とても順調ですね。

……そう思っていたのですが……

「……………………」

「……どうした? 香里……」

香里ちゃんがちょっと難しい顔つきをして、私の顔を見てきました。おかしいですね。ヘンなところは無いはずなんですが……

「……ねぇ名雪、一つ聞いてもいい?」

「うん。いいよ〜」

「名雪、ひょっとして香水変えたの?」

「えっ?!」

「いつもと何か香りが違うし……そう言えばこれ、秋子さんがいつも使ってるのと同じじゃないかしら……」

 

速攻で大ぴんちに陥ってしまいました。いつもの習慣でやっちゃったみたいです。てへっ♪

 

……てへっ♪ じゃありませんっ。

「そ、それは……」

ふぉ、ふぉ、フォローしないとダメですねっ。フォローフォロー……何も思い浮かびませんっ。

「……?」

と、と、と、とりあえず何か言わないといけませんね。何か、何か、伺か(?)……

「き、気分、だよっ!」

気分って!(素) あまりにもひねりがなさ過ぎるじゃないですかっ。どうしたんですか私っ。普段の「完璧」「お母さん」「世界の支配者」というイメージはどこへ行ったんですかっ。

「そう……それならいいんだけど……あれ、名雪のお気に入りだったから、ちょっとびっくりしちゃって」

「た、たまにはそんな気分の日もあるんだよ」

「……………………」

と、とりあえずこの状況はごまかせたようですね。ほっと一安心です。

……でも、なんだか最初のうきうきわくわく気分は吹き飛んでしまいました。私は今日一日、ちゃんと名雪になりきれるのでしょうか。

不安です。

 

「わ、そうなんだ〜」

「ええ、そうなのよ。斉藤君、ああ見えて結構マメなのよ」

最初はひやりとさせられましたが、だんだん慣れてきましたね。ふふふ。やっぱり私の娘です。何を考えているかは、大体ですが分かります。そんなに緊張しなくても大丈夫そうですね。

それでは、今度は私から話しかけてみることにしましょう。

「それでね香里ちゃん、昨日祐一が……」

「……香里……ちゃん?!」

 

……またやっちゃいました。てへっ♪

 

てへっ♪ じゃありませんっ(二回目)

「ずこーっ!」

「わ、祐一さん、どうしたんですかっ。急に何も無いところでつまづいてますよっ」

全然大丈夫じゃありませんでした。一瞬で素が出てしまいました。ああっ、なんてことなんでしょうか。普通ならスマートに一日名雪になりきっておしまいなのに、作者の意向で全体的に設なんでもありませんっ。こっちの話ですっ。

ものすごく不審そうな顔をした香里ちゃんが、私のほうを見つめています。

「な、名雪……あなた、どうしたの?」

そ、そうです。ここは名雪らしさを全力でアピールして、疑念を吹き飛ばさなければなりません。名雪らしさ名雪らしさ……そうです! 名雪らしさといったらこれしかありませんっ。

「な、なんでもないおー! き、聞き違えだおー!」

「……だおー?」

……あれ?

「ぐはーっ!」

「わ、祐一さん、また何も無いところでっ」

どうやら名雪は友達の前ではこんな口調ではしゃべらないようです。秋子、またやっちゃいました。てへっ♪

てへっ♪ じゃありませんっ(三回目)

「……………………」

香里ちゃんの目が心なしか鋭くなったような気がします。まずいです。大ぴんちです。非常に危険です。危険な香里。祐一さんと私の愛の逃避行 違いますっ(錯乱状態)

「名雪……今日のあなた、やっぱりちょっとおかしいわよ。何かあったの?」

さ、さ、最後のチャンスですっ。こ、ここで名雪らしさを過剰にアピールすれば、きっと香里ちゃんも見逃してくれるはずですっ。名雪らしさ名雪らしさ……

そうですっ。もうこれしかありませんっ。特攻ですっ。飛行機の先端に究極生物を突き刺して火山に特攻するような心境ですっ。水瀬家は代々短命な一族 違いますっ。

「な、なんでもありませんっ。な、なゆちゃんはこれがいつものなゆちゃんですっ」

「どはーっ!」

「わ、祐一さん、今日はきっと厄日ですっ。これでもう三回目ですっ」

また祐一さんが吹き飛びました。

 

大失敗でした。どうやら名雪の一人称は「なゆちゃん」ではなかったようです。秋子、またまたやっちゃいました。てへっ♪

 

てへっ♪ じゃありませんっ(四回目)本当に大ぴんちです。いろいろな意味で危険です。

はらはら どきどき 祐一さんとどきどき体験 違いますっ

こ、ここは祐一さんのフォローに期待しましょう。そうです。祐一さんならきっとナイスフォローを

「あーもうっ! あきっ……」

 

……「あきっ……」の後に続くのはなんでしょうか……(1)「秋雨前線」(2)「飽きの来ない味」(3)「秋子さん」。正解はどれっ?! (3)以外ありませんっ。大失敗ですっ。

「……………………?」

ああっ、香里ちゃん、そんなに見つめないでくださいっ。見つめられると私、香里ちゃんにいけない感情が 違いますっ。

祐一さんは素晴らしいフォローをしてくれました。そう。例えて言うなら、八月三日に「バス停へ」を選択肢として選ぶぐらい素晴らしい選択(七月二十三日に「遊ぶ」を選択しても可)でした。はうぅ!(バッドエンド直行)

 

「……相沢君……?」

「になったら、みんなで紅葉狩りにでも行きたいなぁ」

「それ、いいですね。私がお弁当を作りますから、みんなで行きましょうよっ」

「……………………?」

く、苦しいフォローですよ祐一さんっ。さっきの私のフォローもすごく苦しかったですが、今のは輪をかけて苦しかったですっ。祐一さん、しっかりしてくださいっ。祐一さんと私の夜はこれから 違いますっ。

………………

…………

……

……結局その後、どうやらお母さんと入れ替わってしまった様子の観鈴ちゃんを祐一さんが呼んで、場はどうにか曖昧の有耶無耶になってくれました。

今日一日名雪になりきれるか、本当に心配です。

………………

…………

……

 

 

「……秋子さん、大丈夫ですか?」

「は、はぃぃ……なななななんとか……だだだ大丈夫ですぅ……」

私は今、全身を間断なく襲う寒気と必死に戦っています。こんなに体がぶるぶる震えているのは、他でもありません。お昼ごはんのせいです。

 

〜回想〜

「それじゃあ皆さんに配りますから、いっぱい食べてくださいねー」

栞ちゃんのその言葉と共に、私の紙皿に信じがたい量の七色のバニラアイス(黄:バニラ、茶:チョコレート、赤:ストロベリー、緑:抹茶、橙:オレンジ、青:ブルーハワイ、紫:紫いも)がごってりと盛られました。

ええ。この際ですから、正直に言います。拷問以外の何物でもありませんっ。拷問ですっ!

「い、色は綺麗だな……」

「はい。紫は作るのに苦労したんですよー」

祐一さんが何かしゃべっていますが、まったく聞こえません。今私は、この殺人アイス軍団にいかにして立ち向かうか、頭の中で必死に考えています。そして、はじき出された結論……

……………………

……やっぱり全部食べるしかありませんでした。この二月の寒空の下、七色のアイスクリームを完食しなければなりません。これは絶対に何かの拷問です。私を痛めつけようとする誰かの陰謀に違いありません。そうに決まってますっ。

(……………………)

拷問……調教……私を痛めつける……祐一さんが、私を……

ほけー

……はっ! 違いますっ。違うったら違うんですっ。そんな楽し違いますっ。

こんなこといいな、できたらいいな よくありませんっ。

「違う、違うのよっ」

「名雪……? 大丈夫?」

「はっ! う、うん……大丈夫だよ……」

いけませんいけません。想像が飛躍しすぎてヘンになっちゃってました。ダメですね。とりあえず、今は名雪になりきることだけを考えましょう。

「それじゃあ皆さん、遠慮なく食べてくださいねー」

……こうして私は、二月の寒空の下、七色のアイスクリームを食べる羽目になったのです……

 

(ううぅ……こんなに寒いのにあんなにアイスを食べられるなんて、栞ちゃん、すっかり元気になったみたいですね……)

震える手でノートを取りながら、そんなことを考えていました。栞ちゃんは元々重い病気で入院していたのですが、つい最近急に病状がよくなって、今ではすっかり元気になったそうなんです。それはとてもいいことだと思います。

(……でもっ、もうアイスはこりごりですっ)

でも、それとこれとは話が違いますっ。栞ちゃんは元気を通り過ぎて危険です。危険人物です。普通ならあんな寒空の下アイスなんて食べたら、体がおかしくなっちゃいます。実際、あのあと森永さん(注:長森のこと)は青い顔をしていましたし、神尾さんは「もう、ゴールしてもええよな……」ってずっと呟いていました。どう見ても重症ですっ。

(はうぅ……心なしか体が冷たいです……)

平熱は高めの名雪の体ですが、あのアイス軍団の前にはその程度の抵抗ではまるで意味を成さなかったようです。寒くて寒くて仕方ありません。もうこれから一ヶ月は何があってもアイスは食べませんっ。絶対ですっ。今決めましたっ。

……そんなこんなで、寒さと戦いながら二時間の授業を受けました。なんだか途中で光が見えた気がします。ああ、あれは幸せの象徴だったのでしょうか(答え:天国への道標)

 

……そして、放課後です。

「それじゃ名雪、頑張ってな」

「う、うん。頑張るよ」

そうです。祐一さんはこれでおしまいで、後はもう家に帰るだけなのですが、私にはまだやらなきゃいけないことがあります。

(部活動なんて……一体何年ぶりかしら……)

はい、部活動です。名雪は陸上部に所属していて、しかも部長さんをしています。あのおっとりした名雪が「陸上部に入った」と聞いたときは、さすがにびっくりしてしまいました。でも、昔から走るのは得意でしたし、ああ見えて人をまとめるのも上手ですから、今思うとそう不思議ではありませんね。

……でも、私はふだん名雪がどんなことをしているのか、さっぱり分かりません。ああもう、不安で一杯ですっ。こんな時は誰かに抱きしめてもらったり膝枕してもらったりするのが一番(?)だと思います。そして勢い余ったと見せかけてそのまま押し倒し、流れるままめくるめく官の違いますっ。私はそんなのじゃありませんっ。

「……大丈夫ですよ。そんなに緊張しなくても、きっとうまく行きますから」

「……で、でも……やっぱり、ちょっと不安ですっ」

祐一さんはそう言ってくれますが、やはり心配で仕方ありません。もし私がへまをすれば、それがそのまま名雪の名誉を傷つけてしまうからです。母親として、それは問題があります。

優しい祐一さんは、あくまで私を勇気付けてくれます。

「そう言えば秋子さん」

祐一さんは穏やかな表情を浮かべて、こう言いました。

 

「この前『親子丼が食べたい』って言ってましたよね」

 

はい?

祐一さんは、今何とおっしゃられるましたか?(舌噛み)

とりあえず、もう一度再生してみましょう。そうしましょう。

 

「この前『親子丼が食べたい』って言ってましたよね」

 

……「親子丼」……

……………………

……………………

……………………

「帰ったら名雪に作ってもらいましょうよ。それで、みんなで一緒にいただきましょう」

親子丼……親子丼……親子丼……(エコー)

 

……親子丼……私と名雪と祐一さんで……親子丼……(パラダイストリップ中)

 

「それで、明日はゆっくり……って、秋子さん?」

「親子丼……親子丼……親子丼……」

「秋子さん? どうしたんですか? 目が空ろですよ? 秋子さん?」

「親子丼……親子……はっ! 祐一さん、私、どうしてましたか?」

 

「えっと、空ろな瞳でずっと『親子丼』とつぶやいていました」

 

 

それから気がつくと、私は「秋子」に戻っていました(終了)

 

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。

Thanks for reading.

Written by 586