「……………………」
俺は駅のベンチに腰掛けて、ひたすら降り積もる雪に凍えていた。真っ黒な空から、それとは対照的な真っ白な雪が、少しも止まることなく降り続けている。
「……遅い」
もう何度目か分からない、この言葉。この言葉を吐き出すたび、もしかしたら来るんじゃないか、という微かな希望が心の中に生まれ、そして瞬く間に消えてゆく。
「……………………」
俺は無言のまま、とめどなく雪を降らせる空を見上げた。
「……………………」
「……………………」
俺の見上げた先に、真っ黒な空は見えなかった。
「えっと」
「……………………」
その代わりに。
「雪、積もってるよ」
待ち焦がれた、幼馴染の女の子の顔があった。
「そりゃあ、なぁ……」
俺はぼんやりとした視界の中に、幼馴染の顔を見た。
「……もう、気が遠くなるぐらい待ってるからなぁ……」
もはや自分がどれだけ長い間ここにいたのか、それすらもよく分からない。
「……あれ?」
幼馴染の女の子が、きょとんとした様子で言った。
「今、何時?」
「三時」
「わ……びっくり」
言葉とは裏腹に、あまり……いや、少しもびっくりしていない様子を見せた。どこか間延びした口調、記憶の中にある、女の子の口調。
「まだ、一時ぐらいだと思ってたよ」
ちなみに、一時でも大変な遅刻だ。
「ひとつだけ、訊いていい?」
「……ああ」
「寒くない?」
「……ああ。寒くない」
俺は今、もうちっとも寒くなんか無い。寒さや痛みといった感覚は、もう俺の中には無かった。
「……とりあえず、一つだけ言わせてくれないか?」
「うん」
俺は静かにため息を吐いて、多分、遺言になるであろう言葉をつぶやいた。
「……今、深夜の三時……な……」
俺はそれだけつぶやくと、ゆっくりと目を閉じた――
――Fin.
それは、俺の前に不意に姿を現した。
「誰だよ、お前は」
「……………………」
「ずっと、尾けてきてただろ」
身にまとっていた古い布を投げ捨て、それは自らの正体を明かした。
「……やっと見つけた……」
それは意外にも、少女の声だった。そして現れた姿も、声に似つかわしい少女の姿。
「あなただけは許さないから」
だが、その姿に見覚えは無かった。記憶の片隅にも、少女の姿の片鱗すら窺うことは出来なかった。
「お前のようなやつに怨まれる筋合いは無いぞ」
俺の言葉にも、少女はひるむ様子を見せない。
「こっちには、あるのよ」
少女は深く構え、そして……
「……覚悟!」
こちらに力強く、そして大きく踏み込んできた……!
(ズドン!)
「……………………」
「……………………」
「……とりあえず、一つだけ言わせてくれないか?」
「……………………」
「……お前……いくらなんでも……強……す……ぎ……」
腹部に強烈な痛打を受け、そのままゆっくりと意識を手放していく俺の視線に、最後に映ったものは。
「あ、あうーっ! よ、予定と違うわよぅ! ちゃ、ちゃんとかわすって聞いてたから、躊躇い無くやっちゃったわよぅ! ど、どうしてくれるのよぅ! せ、責任取ってよぅ!」
予定とは大幅に異なり、そのまま永遠の眠りに付こうとしている俺の姿に、本人以上に困惑している、少女の姿だった。
「お前なら……世界が獲れる……ゼ……」
――Fin.
「お帰りっ、祐一君っ」
雪を蹴り、大きく身を乗り出し、こちらへと飛び込んでくるあゆ。
「おっと」
俺は反射的に、それを避けてしまった。本来なら、がっちりと受け止めてやらなきゃいけないポイントだった。
「えっ?」
あゆは俺の居ない虚空をそのまま飛んで行き、
「うぐぅ〜!」
(ぺち!)
俺の背後にあった木に、正面から派手に激突した。当然、避ける余裕など無い。
「……大丈夫か?」
木に激突して倒れているあゆに、俺が恐る恐る声をかける。
「……………………」
「すまん。反射的に避けちまった」
「……………………」
「多分、俺が全面的に悪かったと思う」
「……………………」
「ひょっとして、実は痛くも痒くもなかったり?」
「すっごく痛かったよっ!」
がばっと雪から顔を上げ、涙目で俺を見つめるあゆ。鼻が真っ赤になっている。
「うぐぅ〜……ひどいよ〜……祐一君がボクを避けたよ〜……」
「いや、まさか飛んでくるとは思ってなくて」
「うぐぅ〜……鼻が痛いよ〜……」
「やっぱり痛かったか」
「当たり前だよっ! ひどいよっ! ボク避けるなんて思ってなかったもんっ!」
「悪い。つい、条件反射で」
「うぐぅ……それだったら、商店街でも避けて……」
ちょうど、その時だった。
(どさっ)
何かとてつもない大きさの荷物が落ちたような、結構な音が響き渡った。
「何だ?!」
「う、うぐぅ?!」
慌てて周囲を見回してみると、一箇所、先ほどまでとは大きく異なる箇所があった。
「……木の上から雪が落ちてきたのか」
あゆのぶつかった木から、大量の雪が落ちてきたのだ。
「うわぁ……それにしても、すっごくたくさん落ちてきたね」
「ああ。きっとお前ならすっぽり納まるぐらいだぞ」
その量たるや尋常ではない。俺はあゆを引き合いに出したが、俺や名雪、あるいは秋子さんであっても、この雪なら体を埋められてしまうだろう。
「……どうやら雪が落ちただけみたいだな。やれやれ。下に人とかがいなくて助かったな」
「うぐぅ……上手く逃げられた気分……」
「そんな事は無いぞ。よし。そろそろ暗くなってきたから、帰るぞ」
「うん……でも、道……」
「しょうがない。来た道を思い出しながら引き返すぞ」
俺はあゆの手を取って助け起こすと、来た道と思しき道を、記憶を頼りに戻っていくことにした。
「それでね祐一君、ボクはつぶ餡の方が好きなんだよっ」
「つぶ餡派か……俺はどちらかと言うと漉し餡派だな」
「うんっ。漉し餡も捨てがたいよねっ」
「結局、たい焼きならどっちでもいいんじゃないのか?」
「うぐぅっ! そんなことないよっ!」
「……………………」
――奇跡って、起こらないから、奇跡って言うんですよ――Fin.
「祐一」
「食後のマッサージか。悪いな」
「違うよ〜。それに食べた後にマッサージなんかしたら、気分悪くなっちゃうよ」
「それもそうか。そうだな。じゃ、風呂上りによろしく」
俺はそう言って、部屋へ戻ろうとした。
「わ、待ってよ」
「どうしたんだよ」
「まだ用事言ってないよ、わたし」
「じゃ、風呂上りにじっくり」
「マッサージなんてしないよっ。そうじゃなくて」
「じゃ、どうしたんだ?」
「ノート」
「は?」
「ノート、返してもらいにきたんだよ」
「ノート……ああ、そう言えば、先週から借りたままだったな」
「そうそう。それだよ〜」
俺は先週ここに来たばかりの時、ここでの学習進度を調べておこうと、名雪からノートを借りていたことを思い出した。と言っても、まだ目も通していないんだが。
「確か……」
まず、ノートを放り込んであった机の中を丹念に調べてみる。
「ここじゃあなかったな」
どうやら、机の中には無いらしい。ならば、鞄の中にあるはずだ。
床に放り出していた鞄を机の上にあげ、中のものをすべて出してみる。
「ああ、あったあった」
するとそこに、「水瀬名雪」と書かれた、見覚えのあるノートがあった。
「名雪、これだよな?」
「わ、これだよ〜。今日復習しなきゃいけなかったから、どうしても必要だったんだよ」
「悪い悪い。それで、後でまた貸してくれないか? まだ全部に目を通せてないんだ」
「うん。いいよ。明日渡すね」
「頼む」
名雪はそう言って、部屋にとてとてと駆けていった。
俺はそれを見送ってから、体を少し伸ばして、
「……さて、風呂にでも入ってくるか」
こういう寒い日は、風呂に入って寝るに限る。外に出るなんて、とんでもない話だ。
「やれやれ。学校に置きっぱなしにしてたら大変だったな」
そんなことをつぶやきながら、俺は階段を下りた。
――Fin.
「じゃあ、わたしが買ってくるから、ここで待っててね」
「ああ。ここからは一歩も動かないぞ」
「……約束だよ」
名雪はそう言って、商店街の奥へと走っていった。
「……………………」
俺はそれを見送りながら、俺を取り囲むこの風景を、光景を眺めていた。
(俺は七年前にも、この光景を見ていたのかな……)
どこか既視感のある光景だった。
夕暮れの風景。
冬の空。
幼馴染が戻ってくるのを待つ俺。
商店街の奥へ駆けて行く幼馴染。
そして……
「そこの人っ、どいて〜っ!」
後ろから、不意に声が聞こえた。
「どいて、どいてっ」
「……?!」
気が付くと、一人の少女の姿が見えた。いや、見えたというよりも、もう、すぐそこにあった。
「どいて〜っ!」
その言葉、その様子を見る限り、どうやらとても急いでいるらしい。女の子はわき目も振らず、真っ直ぐに走ってくる。
このままだと、俺と女の子が激突してしまう。俺は一計を案じた。
「よし分かった! 俺は左に避けるから、お前は体を少しだけ左にずらせ!」
女の子は俺の指示通り、体を左にずらした。俺もすぐに、体を大きく左にずらす。
(するり)
女の子が、俺の横を掛けて行った。
「うぐぅ、ありがと〜っ!」
「ああ、気をつけてな!」
俺は女の子を笑顔で見送ると、もといた場所に戻った。
「……わ、ちゃんと待っててくれたんだ」
買い物袋を提げた名雪が戻ってくるまでには、そう時間はかからなかった。
「俺はこう見えてちゃんと約束は守るタイプだぞ」
「……うん。そうだよね。祐一って、やっぱりそうだよね」
名雪は嬉しそうに、俺のほうにとてとてと駆けて来る。
「わたし、ちょっと不安だったんだよ。帰ってきて、祐一がいなくなってたらどうしよう、って」
「大丈夫だ。俺はちゃんとここにいるぞ」
「うん。そうだよね。ちゃんといるよね」
「さあ、帰るか。秋子さんも待ってるだろうし」
「うん」
笑顔の名雪と並んで、俺は家路を急いだ。
「ねえ、祐一」
「ん? どうした?」
「今年、同じクラスになれるといいよね」
「なれるさ、絶対に」
「うんっ。嬉しいよっ」
――ボクのこと、忘れてください――Fin.
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。
Thanks for reading.
Written by 586