第十話「Can You Keep a SECRET?」

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「んじゃ、みちると美凪はこっちだから」

「うんうん。気をつけて帰ってねぇ」

山を降りて橋を渡り、商店街の中ほどから少し行った地点で、僕らは遠野さん姉妹とお別れした。二人の家は、向こうの方にあるからだ。

「ちゃんと可愛がってあげるんだよぉ」

「にゃはは。任せとけって」

「……一蓮托生、です……」

「遠野さん、かっこいい言葉を使うんだねぇ」

「……ぽ」

佳乃ちゃんはみちるちゃんの腕の中に抱かれた例の生き物(まだ気持ち良さそうに眠っている)を一撫でしてから、診療所へと続く商店街の本通を歩き始めた。

「んにー。みなぎー、何食べさせたらいいかなー?」

「……家に帰って、本で調べてみましょう……お勉強の時間です。びしばし」

「にょわ! スパルタ教育だっ!」

「みちるといえども、容赦はしません……びしばし」

二人の楽しそうな声を背に、夏の太陽と澄み切った青空を頭上に置いて、佳乃ちゃんは歩き続けた。

「月宮さん、大丈夫かなぁ?」

「うん。ボクは大丈夫だけど……でも、霧島さんは疲れない? 大丈夫?」

「ぼくは全然平気だよぉ。月宮さんなら、多分三人ぐらいまでへっちゃらだねぇ」

あゆちゃんを負ぶった状態でも、佳乃ちゃんの歩く早さはちっとも変わらない。それは佳乃ちゃんの言葉が、決して強がりなんかじゃないことを示していた。すごいなあ。あゆちゃんは背こそ低いけど、それでも背負うのは結構大変そうなのに。

「すごいよ〜。霧島さん、見かけによらず力持ちなんだねっ」

「む〜。見かけによらず、は不要だよぉ……あっ、そうだ! 一つ、お願いしたいことがあるんだけど、いいかなぁ?」

「ボクに? うんっ。いいよ。何かな?」

「えっとねぇ、『霧島さん』って呼ばれるのはちょっとこそばゆいから、『霧島君』って呼んで欲しいんだけど、いいかなぁ?」

「いいよっ。それじゃあ、ボクのことも『あゆちゃん』って呼んでくれる?」

「もちろんだよぉ。ぼくもそっちの方が良かったんだぁ」

「うんっ。ボクも、霧島君って呼ぶほうがなんだかしっくりくるよっ」

佳乃ちゃんはおしゃべりをしている間も少しもペースを崩さずに、しっかりとした足取りで歩き続けた。

「ぴこ……」

お米を軽々と担いだり、あゆちゃんを負ぶったまま普通に歩いたり……佳乃ちゃんは見た目こそ女の子みたいだけど、実はかなりの力持ちなのかも知れない。やっぱり、人は見かけに寄らないなぁ。

「もうすぐ診療所だからねぇ」

軽いお知らせを入れて、そのまま歩き続けた。

 

「たっだいまーっ!」

「えっと……お邪魔します」

「お帰り佳乃……おや? その子は確か……」

出迎えた聖さんが佳乃ちゃんを見て、その背中に誰かが乗っかっていることに気付いた。そして、その顔に見覚えがあることも。

「えっとねぇ、あゆちゃんだよぉ。足をくじいちゃって、ここまで負ぶってきたんだよぉ」

「なるほど、月宮さんのところの子か。よし。私が診よう」

「ありがとうございます」

佳乃ちゃんはそのままあゆちゃんを診察室まで連れて行って、回転椅子に彼女を載せた。

「それじゃあ、後はお姉ちゃんがみんな何とかしてくれるから、心配しなくてもいいよぉ」

「うん……霧島君、ありがとう」

「どういたしましてぇ!」

元気な声を上げて、佳乃ちゃんが診察室を出た。

「さて……どの辺りをくじいたのかな?」

「えっと……ここです」

「ふむ……少しばかり傷が深い。確かにこれでは歩けないな。よし。すぐに処置しよう」

「……………………」

僕は聖さんがてきぱきと仕事をするのを見ながら、聖さんは本来こんな人なんだなあということを、今更になって実感していた。日頃ちょっとよく分からないことを言ったりするけれども、本当は人の命を救うお医者さんなんだ。立派な人なんだなあ。

「……ぴこぴこ」

仕事の邪魔をしちゃいけないから、僕も診察室を出ることにした。

「しかし、どうして足をくじいてしまったんだ? どこかで転んでしまったのか?」

「えっと……実は……」

 

「ぴこぉ……」

僕は診療所のソファに乗って、体をだらーんと伸ばして寝転がっていた。

こんなことをしていても、他に患者さんがいない限りは、聖さんにも佳乃ちゃんにも怒られない。誰かが来たらどけばいいから、それまで僕はだらーんとしておくことにした。

「ぴっこぉ……」

診療所の中はクーラーがちょうどいい具合に効いていて、僕の体に溜まっていた熱がゆっくりと抜けていくような感じがした。僕は小さな体をいっぱいに伸ばして、その身を小刻みに震わせた。

「……………………」

そうして体を冷やしながら、僕は落ち着いた頭で、今日今までに起きた出来事を全部整理してみることにした。

「……………………」

 

目覚めは、とてもひどかった。昨日晴子さんに飲まされたお酒のせいで、僕はとんでもない目に遭った。お酒だけは、金輪際飲みたくないと思った。例え佳乃ちゃんに薦められても、僕は絶対に断ろうと思う。

ひどい目覚めの後は、気持ちのいいお散歩だった。観鈴ちゃんと一緒に海辺を歩いて、この街の朝の風景を見て回った。静寂に包まれたこの街の朝は、どこか神秘的で、何度も見てみたいと思えるぐらいの、不思議な魅力があった。

佳乃ちゃんと出くわしたのは、そんな朝の風景の中。佳乃ちゃんを見た観鈴ちゃんの表情がころころと変わって、どうしてそんな表情をするのか、僕には分からなかった。けれども、佳乃ちゃんと一緒にいて、楽しそうにしていたことは間違いなかった。また、一緒に会えるといいな。

一日ぶりに会った佳乃ちゃんは、当たり前だけど、何も変わっていなかった――

唯一つ、気になる言葉を除いては――

 

「……ぼくがこんなところにいるって知っちゃったら、お姉ちゃんが悲しい思いをしちゃうんだよぉ」

 

……診療所まで帰ってから朝ごはんを食べて、聖さんからお使いを頼まれた佳乃ちゃんは、小さな女の子と出会った。みちるちゃん。昨日出会った遠野さんの妹で、性格は正反対。けれども、二人は佳乃ちゃんと聖さんにも負けないぐらいの、とびっきりの仲良し姉妹だ。

……「今日……私と一緒に、星を見ませんか……?」……遠野さんから、天体観測のお誘いの声。佳乃ちゃんは二つ返事で了承して、臨時天文部に参加することに。その時の遠野さんの嬉しそうな表情が、今でも思い出せるぐらい、頭の中に鮮烈に焼きついている。

お米をもらった後に出てきた人は、かっこいい女の人・坂上さんだ。坂上さんは佳乃ちゃんと親しげにお話をして、僕の頭を撫でてくれた。それから何故か、佳乃ちゃんのバンダナについて聞いた――そこにどんな意味がこもっているのか、僕にはわからなかったけれど。

用事を済ませて神社に向かう途中、反対側から走ってきたみちるちゃんとごっつんこ。大慌てのみちるちゃんは、「木の上から人が落ちた」と一言。これは一大事と、みんな揃って坂道疾走。走っているときの記憶は、ほとんどなくなった。

たどり着いた先にいたのは、みちるちゃんと同じぐらいの背丈の――佳乃ちゃんの同級生。あゆちゃんと名乗るその女の子は、木の上からは落ちていなかったけれど、知らない間にこんなところまで来ていたらしい。くじいた足をかばう形で、佳乃ちゃんがあゆちゃんをおぶって診療所までやってきた……とりあえず、今はこれぐらいだ。

「ぴっこぉ……」

まだお昼なのに、もうこんなにたくさんの出来事があったんだなあ。佳乃ちゃんといると、あっちこっちに行って大変だけど、その代わり絶対に飽きない。行った先でかならず何かが起きるし、それは往々にして、とても刺激的な事だ。僕は平凡な日常が好きだけれども……これぐらいの刺激なら、あってもいいと思う。

僕はソファの上でごろんごろんと寝返りを打ちながら、ふと、体の横に違和感を感じた。

「……………………」

僕は「しゅっ」と懐に前足を突っ込むと、「しゅっ」とそれを取り出した。

「……ぴっこり」

……ああ、そうそう。確か、坂上さんとお別れした後だったかな。

この、真っ黒なハンカチを拾ったのは。

何の変哲もないただの黒いハンカチだったのに、何故だか僕はそれに惹かれて、それに強く引き寄せられて、気がついたら今こうして、僕の手元の中にある。

目の前に取り出してみて、改めてそれが、本当にただのハンカチだということを確認した。かさかさに乾いているそれは少し土っぽくて、表面が白くなっていた。

「……………………」

僕は何気なく、においをかいでみた。ほとんど何の感覚もなかったけど、かすかに、甘い香りがした気がした。それはちょっとしたことだったけれど、やっぱり理由もなく印象に残って、しばらく僕の鼻腔をくすぐった。

「ぴこぴこ」

もし持ち主さんに出会ったら、多分すぐに分かるだろう。その時はちゃんと返してあげよう。なんだかんだで、これは人様のものだからね。

僕はそう納得して、黒いハンカチをもう一回「しゅっ」と懐へ片付けた。

………………

…………

……

 

「……………………ぴこ?」

気がつくと、僕は少しの間眠っちゃってたみたいだ。といっても外はまだまだ明るくて、せいぜい三十分ぐらいしか経ってないだろう。

「ぴこっ」

僕はソファから降りて、とりあえず、佳乃ちゃんの部屋へ……

 

「……すまないが、そのことは佳乃には黙っておいてほしい」

「えっ……?」

 

……行こうとした時、診察室の方から声が聞こえてきた。聖さんとあゆちゃんだ。

僕は立ち止まって、静かに耳を傾けた。

「少しばかり……事情があるんだ」

「事情……」

「複雑な事なんだ……それに、月宮さんが遭遇した症状とも深い関連がある」

「ボクの症状とも?」

「ああ……月宮さんの話を聞く限りは、間違いない」

聖さんは僕が今まで聞いたことの無いような、低くてずっしりとした重い声で、あゆちゃんと話をしていた。

「え、えっと……ボクが見たこと、聞いたことは、絶対に言っちゃいけないんだよね?」

「ああ。できれば、そうしてほしい」

「う、うん……分かった。言わないよ」

対するあゆちゃんは戸惑いを隠せない様子で、聖先生の言葉に返事を返していた。けれどその言葉には少なからず、疑問の色が浮かんでいるように見えた。

僕が寝ているとき、二人の間でどんなやり取りが交わされたのか。

僕には、知る由もなかった。

 

それから、しばらくした後。

「ふむ……普通に歩けるようになるまでには、もうあと少し時間が必要だな」

聖さんに支えられながら、あゆちゃんが診察室から出てきた。

「うぐぅ……どうしよう……お昼までに家に帰れるかなぁ……」

「そう言えば、もうこんな時間か……よし。月宮さん、せっかくの機会だ。私と佳乃と一緒に、お昼を食べていかないか?」

「えっ? でも、ボクがいたら迷惑じゃ……」

「そんなことはないぞ。食事は往々にして人数が多いほうが楽しいものだ。それに佳乃も、君と一緒なら喜んでくれるだろう」

「そ、そうかなぁ……?」

あゆちゃんはちょっと照れたように笑って、聖先生から目線をそらした。

「ふふふ。それでは私は佳乃を呼んでくるから、そこで座って待っておいてくれたまえ」

「うんっ。分かったよっ」

そう言って聖さんは、あゆちゃんを椅子に静かに座らせてから、佳乃ちゃんの部屋に続く階段を昇っていった。

 

「……しかし、どうして月宮さんが……」

そんなことを、つぶやきながら。

 

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。

Thanks for reading.

Written by 586