第十九話「Silent Chatterbox」

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「確か……そうそう。天体観測に行くんだったな」

「そうだよぉ。学校に行ってねぇ、みんなで星を見るんだよぉ」

夕食の席で、佳乃ちゃんと聖さんが話していた。この後佳乃ちゃんが行く予定の、学校での天体観測会についての話だ。僕も二人の座っているテーブルのすぐ近くに陣取って、佳乃ちゃんが用意してくれたご飯を食べる。なんだかんだで、ご飯とかはきちんと用意してくれる。

「準備していくものは特に無いのか?」

「大丈夫だよぉ。望遠鏡とかはねぇ、遠野さんが準備してくれるんだって」

「ああ……そう言えば、遠野さんは天文部に所属しているんだったな。それなら、遠野さんにすべて任せるといいだろう」

聖さんは納得したように頷いて、里芋の煮ころがしを一つつまんで、口の中へ放り込んだ。

「時間は大丈夫か?」

「うん。八時に学校だから、七時半ぐらいに出ればばっちりさんだよぉ」

佳乃ちゃんは目を細めて、ほぐした蒸し鶏ときゅうりを少しずつつかんで、口の中へと運んだ。

「そうか……あまり遅くならないようにするんだぞ。確か、明日も飼育当番だっただろう?」

「……あーっ! いけないいけないっ! ぼくもうちょっとで忘れちゃうところだったよぉ」

「おや、いかんな。記憶力が落ちているんじゃないか? 今度私がじっくりと調べてやろう」

「わわわーっ! だ、大丈夫だよぉ……」

「ふふふ。遠慮する必要はないぞ。体の隅々まで、徹底的に診てやるからな」

「ひぇぇ〜っ! それだけはご勘弁をぉ〜っ!」

おどけた声を上げる佳乃ちゃんと、それを見てくすくすと笑う聖さんの二人を眺めながら、僕はお水を飲んだ。

「でも、何か悪いところがあったら、必ずお姉ちゃんに言うからねぇ。約束するよぉ」

「ああ。困ったことがあったら、なんでも相談するといい。私はいつでも、佳乃の味方だからな」

二人の声が、食卓に響き渡った。

 

「それじゃあ、行ってきまぁす!」

「ああ。楽しんでくるんだぞ」

「ぴこぴこっ」

七時半。僕は佳乃ちゃんと一緒に、三度診療所を出た。三回目に出た診療所の外は、もうすでに夜の帳がすっかり下りていて、ここからでも星がちらほら見えた。

「それじゃ、学校に向かって、でっぱつしんこう〜」

「ぴっこー」

佳乃ちゃんが腕と脚を大きく上げて、のっしのっしと歩き出した。僕も負けずにぴょんぴょん跳ねて、遅れまいと付いていく。

「夜に学校に行くなんて、ぼく初めてだよぉ。どきがむねむねしちゃうねぇ」

「ぴっこり」

「うんうん。ポテトも初めてだよねぇ。ぼくたち、二人とも初めてさんだよぉ」

夜になっても、佳乃ちゃんの調子はまったく変わらなかった。佳乃ちゃんの言うとおり、夜の学校には僕も行ったことが無い。だから実は僕も佳乃ちゃんと同じで、少しわくわくしていたりするんだ。

本来学校と言うのは、朝とお昼、それからどんなに遅くても、夕方までしか活動しない場所だ。朝に生徒が登校して来て、お昼に授業を受けて、夕方になると、みんな帰っちゃう。そうなってからの学校と言うのは、ほとんどの人の知るところじゃない。もちろん、僕もだ。

学校に怪談や奇談が多いのは、「夜の学校」という、得体の知れない場所に対する恐怖心と、それに相反する一種の好奇心があるからに違いない。それらが幾重にも入り混じり、そしてそこへ子供特有の「夢なのか現実なのか」境目のはっきりしない記憶や感情、考え方なんかが加わって、おどろおどろしい怪談が生まれるのだろう。

「……ぴこ」

でもぼくは怖い話より、感動的な話やおかしなお話の方が好きだから、あんまり深く考えないことにした。考えすぎちゃうと、夜、眠れなくなっちゃうからね。

「夜もあっついねぇ」

「ぴこー……」

佳乃ちゃんの言うとおり、外は夜になっても昼の熱気が飛ばずに残っているようで、汗の滲むような暑さだった。

「学校の屋上に行けば、きっと風が当たって涼しいよぉ」

「ぴこぴこっ」

そうと聞けば、道を急がない手は無い。

僕と佳乃ちゃんは揃って足を速めて、街灯が照らす夜の道を急いだ。

 

「あーっ! かのりんだーっ! みなぎーっ! かのりんが来たぞーっ!」

「こぉらぁーっ! その呼び方禁止ーっ!」

学校の門まで来てみると、そこにはもう遠野さん姉妹が立っていた。

「にゃはは。やっぱりかのりんが一番だったか」

「……おはこんばんちは……霧島さんが、一番乗りです……ぱちぱち」

「おはこんばんちはだよぉ。他の人はまだみたいだねぇ」

僕はきょろきょろと周囲を見渡してみたけれど、他に人の姿は見えない。恐らく、追々これからやってくるのだろう。

そんな時、佳乃ちゃんが声を上げた。

「むむむ! 遠野さん、それは何かなぁ?」

「……これ、ですか?」

「そうだよぉ。その、肩にかけてるでっかいのだよぉ」

佳乃ちゃんが指さしたのは、遠野さんが肩にかけている、馬鹿でかいという表現がぴったりくるような、皮製のバッグだった。そのヒモはぴーんと伸びていて、明らかに中に何か重いものが、それもたくさん入っているような雰囲気だった。

「……これ、ですか……」

遠野さんはゆっくりゆっくり頷いてから、おもむろに口を開いた。

「……ででーん。突然ですが、ここでクイズです」

「クイズ?」

「……はい。霧島さんがこの中に入っているものを当てることができたならば、素晴らしい賞品を進呈しようと思います……」

「わわわーっ! それはびっくりさんだよぉ! これは全力投球で行かなきゃねぇ」

「……それでは、選択肢です……」

僕の目の前で、唐突にクイズ番組が始まってしまった。僕はみちるちゃんの隣に寄り添って、クイズ番組を見ることにした。

「……まず、第一の選択肢……中身は、おでん種である」

「むむむ〜……一つ目からきわどい選択肢だよぉ」

何がどうきわどいのか、クイズの答えよりも、僕にはそっちの方がずっと興味が湧いた。

「……続いて、第二の選択肢……中身は、真っ赤に染まったナタである」

「ぐぬぬ〜……微妙な選択肢が続くねぇ」

真っ赤に染め上げられたナタがバッグいっぱいに詰め込まれている光景を想像して、そこはかとなく、ひぐらしのなく声が聞こえた気がした。

「……最後に、第三の選択肢……中身は空っぽ。現実は非情である」

「うむむ〜……それもありそうだねぇ」

ちなみにさっきも言ったとおり、バッグのヒモはぴーんと伸びている。

「……おまけで、第四の選択肢……中身は、天体望遠鏡である」

「むー。これはなさそうだねぇ。おまけだもんねぇ。これには引っかからないよぉ」

おまけどころか、どう考えてもコレが答えだと思う。

「うぬぬ〜……じゃあぼく、一番のおでん種にするよぉ!」

「……ファイナルアンサー?」

「ファイナルアンサーっ!」

佳乃ちゃんは盛大に間違いの選択肢を選んで、大きく手を上げた。

「……………………」

「……………………」

二人の間に沈黙が走る。後ろから「だらららららら」というドラムロールが聞こえてくるようだ。

「……………………」

「……………………」

しんと黙りこくっている二人。まるで、時間が止まってしまったかのよう。二人の表情は、互いに真剣そのものだ。

「……………………」

「……………………」

……そろそろ緊張の糸が続かなくなってきて、気分がだれてきた頃。

それは、不意に『差し出された』。

 

『答えは<4>なの』

 

佳乃ちゃんと遠野さんの間に突然割って入ったのは、白いスケッチブックだった。否、正確に言うと、「答えは<4>なの」と大書きされたスケッチブックだ。

「……………………」

遠野さんは頬に手を当てたまま、しばしスケッチブックを眺めていたけれど、

「……おめでとうございます。正解です」

「えーっ?! それだけはないと思ってたよぉ……」

スケッチブックはさっと引っ込むと、モノの数秒でまた、二人の間に割って入った。

『正解なの』

今度は、そう大書きされていた。

「……というわけで、賞品は上月さんに進呈することにいたします……ぱちぱち……」

「ぐぬぬ〜。悔しいけど、ぼくの負けだよぉ。上月さん、おめでとうだよぉ」

僕はスケッチブックを掴んでいる腕を追いかけて、スケッチブックの持ち主の姿を見てみた。

『ありがとうなの』

そこに立っていたのは、真っ赤なリボンをつけた、ちょっと背の低い女の子だった。勘だけど、多分、下級生じゃないかな、って思った。

「上月さんも天体観測に来たのかなぁ?」

『そうなの』

「うんうん。今日はよく晴れてるから、きっと綺麗なお星さまが見えるよぉ」

佳乃ちゃんは笑って上月さんの隣に並んで、無数の星が瞬く夜空を見上げた。

「屋上から見たら、きっともっと綺麗に見えるねぇ」

『綺麗なお星さま、心がときめくの』

女の子……上月さんはすごい速さでスケッチブックに文章を書いて、言葉を発する代わりにそれに自分の意志を載せていた。どうして普通にしゃべらないのかは分からなかったけど、その慣れた手つきと素早い動きは、単純に「すごい」と思わせるものがあった。

「他の人はまだかなぁ?」

「んに。きっともうすぐ来るぞー。いっぱい声かけたから、いっぱいくるはずだよ」

「……恐らくは、一個師団が形成できるぐらい……」

町中の人を全部かき集めても、多分足りない気がした。

それから、しばらくしてから。

「……にょわ! みなぎーっ! 人がいっぱいきたぞーっ!」

「揃って来たみたいだねぇ」

『役者は揃ったの』

わいわい、がやがや。いろいろな色の声が入り混じって、僕の耳に飛び込んできた。ぼんやりとだけれども、人影も見えてくる。

小さな影、大きな影、そのちょうど間ぐらいの影……僕が見た影は、少なくとも、六つはあった。

「……………………」

不鮮明にしか聞こえてこなかった声が、少しずつ、まるで音量を少しずつ上げていくスピーカーのように、鮮明に、はっきりと、空気を通して伝わってくる。

そして、それぞれの発した言葉は……

 

「しかしだ。その面子だけ聞いてると、明らかに俺だけ浮いてるような気がするんだが……」

「大丈夫です。皆さん、優しい人たちばかりですから」

「風子はどちらかというと空のお星さまよりも、海のお星さまが好きです」

「しっかしアレやなー。星なんてじっくり見るの、久しぶりっちゅうか初めてやで。あんたはどや?」

「私もです。こんな機会は滅多にありませんから、じっくりと観察させていただこうかと」

「あうー……祐一のばかっ。今度一緒に見たいって言っても、絶対に行ってあげないんだもんねっ」

 

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。

Thanks for reading.

Written by 586