「智代さん?!」
「坂上さぁん! これは思わぬ助っ人さんだよぉ!」
それは、意外な助っ人だった。
困っていた僕らの背後からゆらりと姿を見せたのは、制服姿の坂上さんだった。一同、驚きの面持ちで、突如として出現した坂上さんに視線を集中させる。
「悪いが、話を少し立ち聞きさせてもらった。月宮さんに何か身の危険が迫っているようだな」
威風堂々と立つその姿は、「頼りになる」人の姿そのものだった。長くて綺麗な銀色の髪の毛がゆれて、落ち着いた瞳の中にある静かな熱意が確実に伝わってくる。この人になら自分の運命を預けても絶対に大丈夫だと思ってしまいそうなほど、それはしっかりとした印象を与えた。
まさに、今僕らに必要な存在だった。佳乃ちゃんの言う通りの、頼れる助っ人さんだ。
「さて……」
坂上さんは軽快な足取りでつかつかと歩いてあゆちゃんの前まで行くと、おもむろに話を切り出した。
「月宮さん。とりあえず、事情を聞かせてくれないか?」
「えっと……」
坂上さんに促されて、あゆちゃんが話を切り出そうとした……ちょうどそのとき。
「待て智代。お前は一つ、重大な勘違いをしている。霧島に芽衣ちゃん、お前たちもだ」
いきなり祐一君が話を遮って、坂上さんの前に出た。祐一君の行動に、坂上さんは怪訝な表情を浮かべてこう返す。
「……勘違い、だと?」
「どういうことぉ?」
「えっと……どういうことなんですかっ?」
あゆちゃんを除く全員から呈された疑問に、祐一君は自信を持って頷く。
「実は、前にも同じ状況があったんだ」
「前にも? 今と同じ状況があったのか?」
「そうだ。こいつがこんな風に紙袋を抱えて商店街を走りまくって、俺はわけも分からぬままにここまで走らされて、そして、ここで事の真相を聞かされたんだ」
祐一君は目を閉じて、その時の状況を思い返すような口ぶりでつぶやいた。
「ゆ、祐一君っ。こ、今回は違うんだよっ」
「今回は違う? じゃあ、前回はなんだったんだ?」
「……よし。皆、単刀直入に言うぞ」
「言っちゃってよぉ」
一呼吸置いてから、
「前に逃げてたのは、食い逃げをしたたい焼き屋の親父からだった」
きっぱりと言い放った。
「ついでに、こいつの好物はたい焼きだ。それはもう、驚くぐらい好きだぞ」
そう、付け加えて。
「……………………」
「……………………」
「……………………」
急激に冷たさを帯びた視線が、三つまとめてあゆちゃんに突き刺さる。
「う、うぐぅ……た、確かに前はそうだったよっ。で、でも……」
弁解しようとするあゆちゃんに、坂上さんがまず一言。
「そう言えば、確かに紙袋を抱えているな……」
「うぐぅ……」
「そこはかとなく、紙袋が湿っている感じもしますね」
「うぐぅ……」
「ぴこぴこぴこ」
「うんうん。ポテトもねぇ、たい焼きのにおいがするって言ってるよぉ」
「うぐぅ……」
さっきから感じていた「香ばしさを帯びた甘い香り」は、たい焼きのにおいだったのだ。祐一君が「たい焼き」という単語を出したところで、僕は「ぴーん」と来たのだ。ああ、これはたい焼きだ、ってね。
「ち、違うんだよっ! こ、今回はちゃんと……」
「よーし分かった。じゃああゆ。財布を見せてみろ」
「お、お財布?」
「そうだ。ちゃんとお金を払って買ったなら、今ここに財布があるはずだ」
「分かったよっ」
あゆちゃんはそう言って、ポケットをごそごそやり始めた。
「あ、あれ……?」
「……………………」
けれどすぐに、表情が曇り始めた。ポケットの中を探る手の動きが早くなって、あゆちゃんの焦っている心境を代弁しているみたいだった。
「えっと……」
「……どうした?」
「……お財布、無い……」
「……………………」
「……………………」
場に、すさまじい勢いで(夏にもかかわらず)寒々しい空気が満ちた。
「うぐぅ……どこかで落としちゃったみたいだよ〜……」
「……………………」
「……………………」
涙目で訴えかけるあゆちゃんの姿を見て、
(こくり)
(こくこく)
祐一君と佳乃ちゃん、坂上さんと芽衣ちゃんがそれぞれ顔を突き合わせて、確信を持って頷いた。
「うぐぅ〜! 祐一君っ、離してよ〜!」
「誰が離すかっ! そんな見え透いた嘘に引っかかるとでも思ったかっ!」
祐一君にずるずると引きずられながら、あゆちゃんは必死に抵抗している。
「月宮さんっ。お金はちゃんと払わないと、社会の機能が成り立ちませんよっ」
「そうだよぉ。あゆちゃん。いくらお腹が空いてても、お金を払わずに勝手に持って行っちゃダメダメだよぉ」
「まったく……正直、私は呆れているぞ。この歳にもなって、食い逃げなどとは……」
「うぐぅ……本当に違うもんっ!」
口々に言われながら、あゆちゃんは商店街の中をずるずると引きずられていく。完全に強制連行だ。
「なあ智代。たい焼き屋って、こっちで合ってるか?」
「ああ。先程の喫茶店に行く途中で見かけた。間違いない」
坂上さんの言うとおり、しばらくすると、あゆちゃんの手にしている紙袋から漂ってきたにおいとまったく同じにおいが、商店街の方からも漂ってきた。この近くにたい焼き屋さんがあるみたいだ。
「間違いないな」
祐一君はそう言うと、今までよりもさらに大またで歩き始めた。
その先には……たい焼きを焼いている、人の良さそうなおじさんの姿があった。頭に帽子を被ってエプロンを巻いたその姿は、どこか職人らしい風情があった。長年たい焼きを焼き続けているような、風格と言ってもいいような印象だった。
「すみません!」
そこへ、祐一君が声をかけた。気付いたおじさんが、すぐにそちらを向く。
「あいらっしゃい! いくついります?」
「いえ、そうじゃないんです」
祐一君はそう言うと、引っ張ってきたあゆちゃんを前に突き出した。
「うぐぅ〜」
「ほらあゆっ! ちゃんと謝れっ!」
たい焼き屋さんの前に引っ立てられたあゆちゃん。今にも泣き出しそうな表情で、たい焼き屋のおじさんと目が合う。
「おや……?」
そして、凶悪食い逃げ犯・あゆちゃんの姿を見た、被害者・たい焼き屋さんの反応は……!
「ああ、あゆちゃん。どうしたんだい? ひょっとして、もう全部食べちゃったのかい?」
……ごくごく普通の、常連さんとの会話だった。
「……あれ?」
「……おや?」
「……あれれぇ?」
「……えっ?」
一同、呆気に取られた表情で、一歩ずつ前へつんのめる。予想もしていなかった展開に、緊迫していた場の空気が一転・一気に微妙なものに変化した。
「さっきはずいぶんたくさん買ってくれたね。そうやって気に入ってもらえると、こっちも焼き甲斐があるってもんだよ」
「うんっ。おじさんのたい焼きはやっぱり一番だよっ」
「うれしいねぇ。夏にも復活させた甲斐があったよ」
ほのぼのとした会話を楽しむあゆちゃんとおじさんに、坂上さんが口を半開きにしながら尋ねた。
「月宮さん……もしかして、普通にお金を出して買ったのか……?」
「そうだよっ。祐一君の早とちりだよっ」
「……すまない。あらぬことで疑ってしまって……」
申し訳なさそうな表情を浮かべて、坂上さんが頭を下げた。
「そうなんだぁ。あゆちゃん、疑っちゃってごめんねぇ。ちゃんとお金を払ってたんだねぇ」
「本当にすみません。なんだか、とても悪いことをしてしまいました……」
「えっと……分かってくれればいいんだよっ」
笑顔を取り戻したあゆちゃんが、謝るみんなを慰めるように言った。やれやれ。これで一件落着みたいだ。
「……すまん。てっきり、前と同じと思ってたんだ……」
「もうっ! 祐一君のせいだよっ。ボクだってちゃんとお金は払うよっ」
「そうだな……悪かった」
ここまであゆちゃんを引っ立てた祐一君が、素直に謝った。さすがに悪いと思ったみたいだ。
「でも、それならどうして走って逃げてたのぉ?」
「そうですねっ。誰から逃げてたんですか?」
「えっと……それは……」
あゆちゃんが口ごもると、坂上さんが助け舟を出した。
「言いにくいことなのか? それなら、無理して言わなくとも構わないぞ」
「えっと……智代さん。ちょっと、耳を貸してくれないかな……?」
「……私か? 構わないぞ」
坂上さんが中腰になって、あゆちゃんの内緒話を聞く体勢になった。あゆちゃんは背伸びをして、坂上さんの耳に小さな声で何かをささやく。
「実は……」
「……………………」
坂上さんは時折小さく頷きながら、あゆちゃんの話を聞いていたのだけれど……
「……本当なのか? それは……」
「うん。間違いないよっ」
「しかし、そうだとすると……なかなか困ったものだな……」
「えっ? えっ? ねぇねぇ、どういうことぉ? どういうことなのかなぁ?」
「な、何かあるみたいですけど……」
聞き終わるや否や、困惑した表情で考え込み始めてしまった。当然、話を聞いていない佳乃ちゃんと芽衣ちゃんに状況が理解できるはずも無く、互いに困り顔で顔を見合わせるしかなかった。もちろん、僕にも分からない。
「……!」
その時、あゆちゃんの表情が強張った。何か、見つけたくないものを見つけてしまったような表情だ。
「と、智代さんっ! 来る、来るよっ!」
「私に任せておけ……相沢っ! 悪いが、お前にも協力してもらうぞ」
「俺? 構わないが、どうすればいい?」
「初撃は私が加える。お前はフォローに回ってくれ」
「分かった」
祐一君が坂上さんの後ろへ回って、フォローを行う形になった。
「……来る!」
「……………………!」
場に再び緊張が満ちる。
そして……「声」が聞こえてきた。
「あーゆちゃぁーん! 見つけたおぉーっ!」
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。
Thanks for reading.
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