「……そういうことなんだ。佳乃、分かってくれたか?」
「そうだったんだぁ。往人さん、ごめんねぇ」
「なんで最初から話を聞かないんだ、お前は……」
往人さんは赤くなったおでこをさすりながら、ソファに腰掛けて佳乃ちゃんを見つめていた。
「往人さんは声も魔法で変えられるんだぁ」
「そうだ。驚いたか?」
「うんうん。すっごくびっくりしちゃって、思わず足払いをかけちゃったよぉ」
「驚いてする行動にしては、えらく攻撃的だな」
往人さんのツッコミを軽く受け流して、佳乃ちゃんが身を乗り出して言った。
「それでっ、本当にここにいてくれるのかなぁ?」
「ああ。しばらくここで厄介になるつもりだ」
「互いの条件が成立したんでな。国崎君をここに雇い入れる代わりに、診療所で働いてもらう」
「うぬぬ〜。ぼくの知らないところで話がまとまっちゃってるよぉ」
「ふふっ。そうは言っても、嫌なものではないだろう?」
すべてを見通したかのように言う聖さんに、佳乃ちゃんは大きく頷いて見せた。
「もっちろぉん! 往人さんと一緒にいられたらいいなぁって、ずっとずっと思ってたんだよぉ」
「俺なんかといて楽しいのか?」
「当たり前田のクラッキングだよぉ。往人さんは、魔法が使えるんだもんねぇ」
「その中途半端なギャグは捨て置くとして……お前の言う『魔法』ってのが何か重要なのか?」
この問いに、佳乃ちゃんはさっきよりも小さく頷いた。佳乃ちゃんの青い髪から、小さな汗の雫が一粒、ぽたりと床へ落ちていった。
「そうだよぉ。魔法がない往人さんは、コーヒー豆の入ってないコーヒーみたいなものだよぉ」
「それ、存在価値が無いってことだよな……」
「うそうそぉ! 冗談だよぉ。往人さんは魔法がなくても往人さんだからねぇ。ちょっとスパイスが効きすぎてたよぉ」
「冗談を言う時はタイミングとかを見計らって言ってくれ……」
呆れたように首を振って、往人さんが手で顔を覆った。早くも聖さんと契約を結んだことを後悔しつつあるような感じに、僕には見えた気がした。
「でも……往人さんと一緒にいられてうれしいっていうのは、ホントの事だよぉ」
「それは冗談じゃないんだよな」
「うん。初めて往人さんに出会ったときからねぇ、何となく、一緒にいられたらいいなぁ、って思ってたんだよぉ」
「……………………」
「魔法とか、そういうのもあるかも知れないけど……でもねぇ、ぼくがうれしいのは本当だよぉ」
「本当か?」
「だって、家族が増えるなんて、思ってなかったもん」
佳乃ちゃんが右腕に巻かれた黄色いバンダナへ目をやって、どこか儚げな微笑みを浮かべた。バンダナは風に揺られることもなく、ただ佳乃ちゃんの腕に巻かれて、だらりと宙に垂れ下がっている。
一方の往人さんは、佳乃ちゃんの言った「家族」という言葉に、ぴくりと眉を動かして反応を見せた。そしてしばらく間を置いたあと、こう口にした。
「家族つったって、ただしばらく居候するだけじゃないか」
「そうだけどっ、一緒に住むから家族なのっ」
「……そういうもんなのか?」
「そうだよぉ」
「……………………」
「家族はねぇ、一緒に住むから家族なんだよぉ」
真顔で言う佳乃ちゃんに、往人さんは二の句を継ぐことができずに、少し困ったような表情を浮かべた。僕は二人を交互に見ながら、往人さんは多分佳乃ちゃんの言う「家族」という言葉に、ちょっと引っかかりを覚えているんじゃないかな、と思った。
「……ところで、今の今まで聞き忘れていたんだが……」
二人の隣で黙り込んでいた聖さんが口を挟んだ。往人さんが横を向いて、聖さんを見やる。
「君は一人旅をしているようだが、家族はいないのか?」
「……ああ。昔は母親と一緒に旅して回ってたが、今は見ての通りの一人身だ」
「……………………」
「その母親も、ずいぶん前になくした。俺がどこかで死ねば、後はもう土に還るだけだ」
「……そうか。悪いことを聞いてしまったな」
「いや。大したことじゃない。慣れたもんだ」
往人さんは野球帽をもう一度被りなおすと、そこで一度聖さんから目線を外した。
「……よし。じゃあ、最後に話をまとめておくか」
「そうだな。まず国崎君。君はここで住み込んで働く。主に雑用全般をこなしてもらうことになるな」
「でもお姉ちゃん、それだと往人さん、人形劇ができなくなっちゃうよぉ」
「心配するな。自由時間もちゃんと設けてある。その間国崎君が何をしようと、私は構わないぞ」
「診療所の前の場所を借りていいんだったよな?」
「そうだ。それと、前に話した報酬の一割というのはなかったことにしてくれ」
「いいのか?」
「ああ。その代わり、きっちり働いてもらうことになるぞ」
聖さんがにやりと笑って、往人さんを見下ろすように見つめた。聖さんの「きっちり」という言葉に、僕はちょっと怖いものを感じてしまった。聖さんの事だから、きっと何かとんでもないことを考えているに違いない。
「それで、俺は男のふりをする……そんなとこか」
「そうだ。その方が何かと都合がいいんでな。もちろん、誰もいないようなら、君のしたいようにしてくれて構わない」
「ねぇねぇ、それじゃあぼく、往人さんのこと『往人君』って呼んでもいいかなぁ?」
「どうしてだ?」
「だって『往人君』の方が男の子っぽいよぉ。きっとその方がいいよぉ」
「……男の子っぽいってお前……俺は一応女だぞ」
「うぬぬ〜。でも往人君、男の子にしか見えないよぉ」
「そりゃあ、男のふりをしてるからな」
ちょっと呆れた表情を浮かべながら、往人さんが言った。けれども、野球帽から覗くその目つきは、佳乃ちゃんの言う通り紛れも無く「男」の目つきだった。むしろ、そこら辺の男の子よりもずっと男っぽい、どこか骨のある印象を与える視線だ。
「大体、そういうお前だって十分女の子っぽいぞ。佳乃」
「あーっ! また言ったぁ! ぼくはちゃんとした男の子だって、前にも言ったよぉ!」
「んなこと言ったって、俺は未だにお前が男だということを信じられずにいるぞ」
「そんなこと言ったら、往人君だって女の子には絶対に見えないよぉ」
「俺は女だぁ!」
「ぼくは男の子だよぉ!」
お互いに唸り声を上げながら、握りこぶしを作って見合う。聖さんは隣に立って、それを楽しげに見つめていた……
……けれど、その時。
「……しまった。二人とも、悪いがここで待っていてくれ」
聖さんが二人に待合室で待つように言付けると、ドアに向かって一直線に歩いていった。僕もその後ろについて、誰が来たのかを見に行くことにした。
「さて……」
聖さんがドアを開け放ち、道路を焼くような日差しの照りつける外へ出た。
「うーん……確か、この辺りだったと思うんだけどな」
そこに立っていたのは、聖さんと同じくらいの背丈の女の子だった。どこかおぼつかない足取りで、診療所の前を行ったり来たりしている。聖さんはすぐに彼女に気付いて、そっちへ向かって歩いていく。
「川名さん」
「えっと……聖先生、だね」
「申し訳ない。今日は川名さんの定期健診の日だったな」
聖さんは川名さんの手を取ると、そのまま診療所へとゆっくり導いていった。
「暑い中待たせてしまったな。中は涼しいから、ゆっくり涼んでいってくれ」
「ありがとう。でも今来たばかりだから、大丈夫だよ」
「……………………」
それにしても、川名さんはどうして診療所の前でうろうろしていたんだろう? 定期健診で診療所に用があるのなら、自分から入って来たらいいのに。僕はちょっと首をかしげながら、聖さんが開けた診療所のドアが閉まらないうちに、中へと入った。
「むむむ?」
聖さんが誰かを連れて診療所へ入ってきたことに真っ先に気付いたのは、佳乃ちゃんのほうだった。そして聖さんが手を引いて待合室まで連れてきた人の顔を見るなり、目を大きくを開けてその人を指差した。
「あーっ! みさき先輩だぁ! こんにちはぁ!」
「こんにちは。佳乃ちゃん、いたんだね」
「うんうん。今日はお休みだったからねぇ。みさき先輩は定期健診かなぁ?」
「うーん。そうだけど、特に悪いところはないつもりだよ」
佳乃ちゃんは川名さんのところまで歩いていって、聖さんと入れ替わるようにして横へ立った。
「そう言えば、ポテトはどうしたのかな? 今日はここにいるのかな?」
「ぴこぴこっ」
「みさき先輩の足元にいるよぉ」
「えっと……これだね」
僕は川名さんにひょいと抱き上げられて、そのまま腕の中に抱き込まれた。どうやら川名さんは、僕のことを知っているらしい。多分、佳乃ちゃんがお話したんだろう。
「かわいいかわいい」
「ぴこぴこー」
「うーん。話には聞いてたけど、本当にかわいいね。食べちゃいたいくらいだよ」
「……ぴこ?!」
さりげなく怖いことを言う川名さんに、僕は身を固くした。
……そう言えば、前にも「川」の付く佳乃ちゃんの先輩に、食べたいとかおいしそうとか言われたような気がする……
「わわわ〜っ! みさき先輩、ポテトは食べちゃダメだよぉ」
「冗談だよ。こんなにかわいいのに、食べちゃもったいないからね」
「ぴ、ぴこ……」
僕はなんとなく安心しきれない微妙な気持ちのまま、ゆっくりと川名さんの腕から下ろされた。川名さんは僕を降ろした後も、しきりに僕の頭を撫でてくれた。川名さんは頭を撫でるのに慣れているのか、手つきがすごくよかった。
「そう言えばその犬、ポテトっていうんだな」
「……あれ? 佳乃ちゃん、友達が来てるのかな?」
往人さんの声に気付いて、川名さんが顔を上げた。往人さんもそれに合わせて、目線を川名さんへと向ける。
「そうだよぉ。往人君って言うんだぁ。これからここで住み込みで働いてくれるんだよぉ」
「そうなんだ……よろしくね。往人ちゃん」
「ああ。よろしく」
ごく普通に返事を返す往人さんに、逆に川名さんが驚いた顔つきになった。
「……あれ? いいの? 『往人ちゃん』で」
「俺は誰にどんな呼び方をされようと気にしないタイプなんだ。好きに呼んでくれ」
「ありがとう。じゃあ、往人ちゃんって呼ぶね」
その時、佳乃ちゃんがふっと顔を上げて、川名さんの方を見た。
「そうだっ! みさき先輩っ、もしよかったら、検診の後お昼一緒に食べようよぉ」
「お昼ご飯? 何か作ってくれるのかな?」
「もっちろぉん! 今日は冷え冷え素麺だよぉ。そうだよねぇ。お姉ちゃん」
「ああ。その通りだ。ダシももちろん自家製だぞ」
「うーん……それじゃ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」
朗らかな笑みを浮かべて、川名さんが顔をほころばせた。お昼に誘われたことが、ちょっとうれしかったみたいだ。
……と、その時。
「……………………」
川名さんの後ろを通り過ぎ、聖さんが往人さんへと近づく。往人さんが顔を上げて、聖さんを見やった。
「国崎君。悪いが、これからすぐスーパーへ行って、素麺を買えるだけ買ってきてくれ。最低でも三つだ」
「三つ?! 待て待て。いくらなんでもそりゃ多過ぎないか……?」
「すぐに分かる。頼まれてくれ」
「……分かった」
急かすような聖さんの言葉に、往人さんは渋々立ち上がり、聖さんから財布を受け取って診療所から出て行った。
(……………………)
僕も往人さんと同じように、素麺を新しく三つも買ってくるなんて、いくらなんでも多すぎると思った。往人さんと川名さんが来て一気に人数が増えたのは分かるけど、それでも三つは多すぎる。三つもあったら絶対に食べきれない。今年の夏いっぱいでようやく食べきれるかどうか、それくらいの分量だ。
そう考え、僕は聖さんの考えを理解できずにいた。
聖さんが間違っていて、僕や往人さんのほうが正しいと、ずっと思い込んでいた。
それが大いなる間違いだと気付かされるのに、そう、時間はかからなかった……
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。
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