第六十一話「Fantastic World, Sorrowful World」

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「……………………」

真っ白い世界の中で、僕は一人佇んでいた。

僕の白い体と白い世界が一つに交じり合って、何処までが僕で、何処からが僕じゃないのか、僕にもよく分からなかった。

「……………………」

白一色だった世界に、だんだんと色が付き始めた。モノクロームのおぼつかない輪郭が浮かび上がって、白黒の濃淡で淡い色が付き始めて、それぞれが少しずつ少しずつ、自分の色を付けていく。その光景を、僕はただじっと見つめている。

僕の体も、同じような色が付き始めているのだろうか。

僕の体も、この世界の中で明確な形を持てているのだろうか。

空は水色、草むらは緑色、雲は白、岩は灰色……すっかり鮮やかな色に染め上げられたその世界は、僕の記憶の中にはない、とても幻想的な世界だった。幻想的、という言葉が正しいのかはちょっと自信が持てない。けれども今僕のいる世界が、今まで見たこともない、それに想像したこともない世界だということは間違いなかった。

「……………………」

気がつくと、僕は草むらの上に腰を下ろしていた。暖かくも冷たくも無い草むらの感触が伝わってきて、何故だか少し、懐かしい気持ちになった気がした。僕は四肢を草むらに降ろして、ゆっくりと立ち上がる。四肢に伝わる体の重みが、僕はちゃんとこの世界に在るんだということを教えてくれているようで、なんともいえない安心感があった。

僕は立ち上がって、僕のいる世界を見回してみた。

「……………………」

どこまでも広がる草むら。青い空をゆっくりと流れる白い雲。どこからともなく吹いてくる、穏やかな風。草むらにはごつごつとした灰色の岩が無数にせり出していて、その岩を取り囲むような形で、青々とした草が静々と伸びている。そして、それらの風景の中を舞う……

 

……無数の「光」。

 

それは草むらの合間から静かに舞い上がって、まるでしゃぼん玉のように空へと昇っていく。無数の「光」が草むらの合間合間にあるのが見えて、引っ切り無しに空へと舞い上がっていく。僕のすぐ近くからもたくさんの「光」が、空を目指して草むらを旅立っていく。それは止むことなく、いつまでも続いていく。

光の舞う、幻想的な世界。

「……………………」

僕はその光景を見ながら、どうしてかは分からないけれど、途方もなく悲しい気持ちになった。寂しい気持ちといってもいいかも知れない。ただ、無数の光が踊るこの世界が、僕のいるべき場所ではない気がして、そんな場所にいる僕がとても悲しくて、何もかもが終わってしまった後のような、抱えがたい寂寥感でいっぱいになった。

この世界は、終わっている。

終わってしまった世界に、僕はいる。

止むことのない穏やかな風と、延々と広がる草むら。そしてその合間を縫って空を目指す、数限りない「光」たち。すべてが僕の知る世界とは違っていて、ここから何かが始まるとはとても思えなくて、すべてが終わってしまったとしか思えないような、絶望にも似た感情が僕の中に押し寄せてくる。

「……………………」

僕はその場に立っているのが辛くなって、無意識のうちに一歩を踏み出していた。歩く時の感覚を思い出す。幸い、僕の体はちゃんとここに在る。一歩目で、僕は歩き方を思い出すことができた。前足、後足、前足、後足。四つの足を順繰りに動かしながら、僕は前へ前へと歩いていく。

寂寥感と絶望で支配されそうになっていた僕の心に、暖かい光が差したように思えた。自分の足で歩くことができる僕という存在が、僕に大きな安らぎを与えてくれるように感じた。すべてが終わってしまった世界の中に在っても、僕はまだ終わってはいないのだと思うことができた。

僕は草むらを踏みしめて、一歩一歩、前に向かって歩いていく。穏やかな風を小さな身に受けながら、僕はゆっくりと前に進んでいく。眼前に広がるのは、緑の草むらと灰色の石、そして無数の「光」。それ以外には何もない。何もない、ただだだっ広い世界の中を、僕は歩いていく。

「……………………」

飛び立つ無数の「光」は、一体何なんだろう? 僕の知っている中に、あんな「光」はない。あの「光」に一番近いのは、夏の夜に舞う蛍だ。けれども今は明るいし、蛍にしては数が多すぎる。

何か他の存在なのだろうか。

僕の知らない、まったく別の何かなのだろうか。

「……………………」

途方もなく続く世界の中で、僕は時折僕の足元から飛び立つ「光」に驚いたりしながら、ただ前に向かって歩き続けた。「光」は暖かくも冷たくもなくて、ただそこに在るだけのように思えた。触ってみても、目でその姿を追ってみても、分かりそうなことは何もなかった。

その時だった。

「……………………?」

前を向いた僕の視線の先に、小さな影があった。

「……………………」

延々と続く草むらの中の一際開けた場所に、小さな影が佇んでいるのが見えた。遠くから見てもそれは、今まで見てきたもの――草・空・雲・岩・光――のいずれでもない、まったく違う存在だということが分かった。

「……………………」

僕は初めて見かけた新しい存在に、鼓動が高鳴るのを感じていた。終わってしまったと思っていたこの世界に、僕以外にもまだ終わっていない「何か」がある。そう思っただけで、僕は全身の毛が逆立つようなえもいわれぬ感情に包まれた。

行こう。

僕以外の終わっていない存在に、会いに行こう。

僕がそう決心したときには、僕はもう駆け出していた。地面を蹴って、開けた場所に佇む影に向かって走り出す。そうした先にあるものが、きっと僕にとって得がたいものだと感じていたから。

……だけど。

「……………………?」

僕が駆け出してすぐに、この世界に異変が起こった。

鮮やかな緑を見せていた草むらが灰色になり、灰色の岩は真っ黒になり、雄大な青空はくすんだ曇り空になり……

瞬く間にすべてから色が失われたかと思うと、今度は中身が失われ始めた。

はっきりと見えていた風景がぼんやりとしたものへ変わり、しっかりとした形を保っていたものが輪郭だけになり、その輪郭も少しずつ消えていって、最後には輪郭を形成していた線も一本残らず消えてしまって――

 

――せかいはふたたび、まっしろになった――

 

「……ぴこ?」

目が覚めたとき、僕のお腹に伝わる感触は固かった。いつもとはまったく違う感触に、僕は戸惑いながらも目を開けた。

「……ぴこぴこぴこ……」

僕は体を起こして、首をぷるぷると振った。ぼんやりとした意識と眼で、何がどうなっているのか確かめてみた。

「……ぴっこり」

ようやく開いた目で僕が見たのは、まだシャッターの下りている商店街の店舗だった。どれを見てみても、シャッターが開いている店舗は一つもない。つまり僕は、とんでもなく早い時間に起きちゃったわけだ。しかもこんなところで目覚めたということは、僕は昨日一日、ここで眠っていたことになる。

「……………………」

ヘンな場所で寝ていたからか、どうもいつもよりも視点が高い気がする。これはきっと起きたてでまだ意識がはっきりしていないから、頭とか目とかがヘンな感じに

 

「う〜ん……頭がおもいよぉ〜……」

「ぴこーっ?!」

 

僕は成すすべなく、乗っていた場所から落とされてしまった。

(ぺちょっ)

割と軽い音がして、僕は地面に叩き付けられた。お腹から落っこちたから、衝撃がモロに中へ伝わってきて、口から何かが飛び出てきそうになった。

「……あれれぇ? ぼく、どうしてこんなところにいるんだろぉ?」

「ぴ、ぴこぴこぴこ……」

僕は眠気とは違う形で意識を失いそうになりながら、僕の耳に飛び込んできた声に思わず反応した。そのどこか間延びした声、「ぼく」という一人称。

「……あっ……」

「ぴこ……」

そこにいたのは、紛れもなく。

「……ポテトぉ……」

「ぴこー……」

僕の一番大切な人だった。

 

「うぬぬ〜。一体何が起きたのかさっぱりさんだよぉ」

「ぴこぴこ……」

佳乃ちゃんは地面にぺたんと座り込んで、きょとんとした表情で僕のことを見つめている。僕がどうしてこんなところにいるのか、それから自分がどうしてこんなところにいるのか、そのどちらもが分かっていないみたいに見えた。

「ポテトはどうしてこんなところにいたのかなぁ?」

「……ぴこぴこ」

「ぐぬぬ〜。ポテトも分かんないみたいだねぇ」

佳乃ちゃんは難しい顔をして、僕のことをじーっと見つめた。僕は佳乃ちゃんに見つめられて、なんだかそれがごく当たり前のことのように思えて、心が落ち着いていくのが分かった。朝起きたらこんなところにいても、佳乃ちゃんが隣にいてくれれば、僕はいつものように振舞うことができる気がした。

「ぴこぴこ……」

「わぁっ?! ポテトぉ、どうしたのぉ?」

「ぴこぴこ……」

僕は佳乃ちゃんがすぐ近くにいてくれることが嬉しくて、思わず頬を佳乃ちゃんの膝にこすりつけた。頬に感触が伝わるたび、佳乃ちゃんも僕もこの場所にしっかりと存在していて、急に消えちゃったりすることなんかないって分かって、心がどんどん落ち着いていく気がした。

「ぴこぴこっ」

「あははっ。ポテトぉ、くすぐったいよぉ」

「ぴっこり」

「うんうん。気持ちいいんだねぇ。ぼくもだよぉ」

佳乃ちゃんに頭を撫でられて、僕はすっかり安心した気持ちになった。何かいろいろと怖いことがあったような気もするけれど、佳乃ちゃんが側にいてくれさえすれば、それも忘れることができる気がした。

僕はやっぱり、佳乃ちゃんと一緒が一番いい。

 

「寝てる間にあんなところまで来ちゃったのかなぁ」

「ぴこぴこ」

「夢遊病かなぁ……?」

僕と佳乃ちゃんはまだ目覚めきっていない街並みを歩きながら、朝の出来事について話していた。

「うぬぬ〜。もしそうだとしたら一大事だよぉ。その内、朝起きたら世界一周しちゃった後家まで戻ってきちゃうよぉ」

ちゃんと家まで戻ってきたのなら、それはそれで結果オーライだと思う。

「ポテトぉ、今度お姉ちゃんに診てもらおっかぁ」

「ぴこ?」

「うんうん。お姉ちゃんはねぇ、本当にすごいんだよぉ」

「ぴっこぴこ?」

そう言えば、僕は聖さんがどれくらいすごいのかよく分からない。佳乃ちゃんに聞いてみることにしよう。

「どれくらいすごいか気になるのぉ?」

「ぴこぴこ」

「本当にすごいんだよぉ! 車からトラクターまで、何でも治しちゃうんだぁ!」

初っ端から、思いっきりお医者さんの仕事ではなかった。

「だからねぇ、夢遊病なんてへのかっぱっ!」

「ぴ、ぴこぴこ……」

「目から光線も膝からミサイルもロケットパンチもヘのカッパっ!」

どうやら佳乃ちゃんの中では聖さんはお医者さんではなく、主に人体改造を行うマッドサイエンティストとして取り扱われているようだ。とりあえず、僕も改造されちゃわないように気をつけようと思った。

……と、その時だった。

 

「うぐぅ……ボク、どうしてこんなところにいるんだろう……?」

すぐ近くから、僕らと同じような悩みを抱えているらしい人の声が聞こえてきた。

 

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。

Thanks for reading.

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