第六十二話「Mysterious Breakfast」

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「むむむ?」

「ぴこ?」

後ろから聞こえてきた声に、僕と佳乃ちゃんがほとんど同時に振り向いた。

「あーっ!」

「あっ……」

真後ろにいた声の主と佳乃ちゃんの目がばっちり合って、二人がその場で立ち止まった。二人とも「どうして君はこんなところにいるの?」っていう顔をしていて、僕にはそれがなんだかとても可笑しな光景に見えた。僕は二人の間ぐらいに立って互いの顔を見ながら、そんなことを考えていた。

「あゆちゃぁん! おはようございますだよぉ」

「……うんっ。おはよう、霧島君っ」

二人はとりあえず朝の挨拶を交わすと、お互いの距離をゆっくりと詰めた。あゆちゃんは少し前に出会ったときとまったく同じ、外に出るような格好をしていた。少なくとも、パジャマ姿で歩いていたわけではないみたいだ。

「朝早くからどうしたのぉ? お散歩の途中だったのかなぁ?」

「えっと……びっくりしないで聞いてくれる?」

「うんうん。びっくりしないでお話を聞くのはぼくの得意技だからねぇ」

いつも佳乃ちゃんが言っている「誰かをびっくりさせる」という得意技が攻撃技だとしたら、今佳乃ちゃんの言った「びっくりしないでお話を聞く」というのは、防御的要素を持った得意技なんだろう。何事にも攻めの型と受けの型が存在するのだ。ちょっと意味が違うと思ったけど。

「どうしたのかなぁ?」

「あのね、ボク……」

「うんうん」

 

「気がついたら、この辺りを歩いてたんだよ〜」

 

「えぇ〜っ?! それ、どういうことぉ?!」

佳乃ちゃんは思いっきり驚いていた。思いっきり驚いたおかげでずいぶん大きな声が出て、佳乃ちゃんのちょっと高めの声が商店街の全域に響き渡った。

「わっ?! 霧島君っ、声が大きいよっ」

「あっ……ごめんねぇ。ちょっと大きすぎたねぇ。でもその話、本当なのかなぁ?」

「うん……夜ちゃんと自分の部屋で寝たはずなのに、気がついたらここを歩いてたんだよ……」

あゆちゃんは不安げな表情を浮かべて、佳乃ちゃんのほうを見やった。あゆちゃんの話が本当だとしたら、それは佳乃ちゃんや僕の身に起きたこととまったく同じ事になる。佳乃ちゃんもそう思ったのか、少しだけ間を置いてから、ゆっくりと話を切り出した。

「そうなんだぁ……実はねぇ、ぼくとポテトもなんだよぉ」

「えっ……?」

「昨日の夜はちゃぁんとぼくの部屋でおやすみしたのに、朝起きたら道路の上で寝ちゃってたんだぁ」

「そうなんだ……」

不安な表情の中に、自分と同じ症状に見舞われた佳乃ちゃんの存在を見つけて、少しだけ安心したような表情が入り混じる。けれども、何が自分の身に起きたのかはっきりしたわけではないから、完全に不安が消え去ったわけじゃないみたいだ。

「夢遊病、なのかなぁ」

「夢遊病?」

「うんうん。寝てるときに勝手に体が動いちゃって、知らないところに行ったりする病気なんだよぉ」

「それじゃあ……ボクと霧島君は、夢遊病になっちゃったのかな?」

あゆちゃんの問いかけに、佳乃ちゃんが難しい顔で答える。どうやら、まだ二人が夢遊病になっちゃったとは言えないみたいだ。

「お姉ちゃんから聞いたんだけどねぇ、夢遊病はぼくらよりももっと小さい子がよくかかる、えっと……そうそうっ! 精神衛生上の疾患だよぉ」

「えっと……ボク、『衛生』はいらないと思うよ」

「あれれぇ? そうだったかなぁ?」

その通りだと思う。

「でも、何かの病気かも知れないねぇ。お姉ちゃんに診てもらう?」

「聖先生に?」

「そうだよぉ。お姉ちゃんはねぇ、何だって治せちゃうんだよぉ」

「えっと……」

「……………………」

あゆちゃんは佳乃ちゃんの言葉を聞いてしばらく黙り込んでいたけれど、やがて顔をすっくと上げて、首を横に二回振った。

「……ううん。やっぱりいいよ。きっと、ボクの勘違いだと思うから」

「勘違いぃ?」

「うん。本当は普通に起きてここまで歩いてきたのに、勘違いしたまま夢遊病とか言っちゃったら、先生はきっと混乱しちゃうと思うから……」

「……………………」

「だからボク、先生には言わないでおくよっ」

この言葉を聞いた佳乃ちゃんは、少しの間そのままの表情でそこに立っていたけれど、やがてふっと息を吐いて表情を崩すと、うんうんと大きく二回頷いた。

「そうだねぇ。お姉ちゃんは忙しいから、ヘンなこと言って迷惑を掛けちゃダメだよねぇ。ぼくも言わないでおくよぉ」

結局、佳乃ちゃんも言わないことにしたみたいだ。前に僕が観鈴ちゃんと朝にお散歩をしてて佳乃ちゃんに出くわした時も、結局聖さんには言わないって決めた事だし、今回もそれでいいんじゃないかって、僕は思った。

「……そうだぁ! あゆちゃん、これからぼくの家に来ない?」

「えっ? 霧島君の家に?」

不意に、佳乃ちゃんがあゆちゃんに言った。突然の提案にあゆちゃんはきょとんとした表情を浮かべて、佳乃ちゃんの目をまじまじと見返している。佳乃ちゃんの提案の意味するところが、どうもしっくり来ていないみたいだ。

「そうだよぉ。朝ごはん、一緒に食べない?」

「えっと……」

「一緒に食べるとおいしいよぉ」

「で、でも……」

僕が見る限り、あゆちゃんは佳乃ちゃんの家に行きたいように見える。けれども、やっぱり朝から家に上がりこむのはちょっと気が引けるのか、どこか遠慮しているような感じだ。僕は人数が多ければ多いほどご飯はおいしくなると思うから、あゆちゃんが来るなら嬉しい。

「ボクなんかが急に行っちゃって、迷惑になったりしないかな……?」

「大丈夫だよぉ。お姉ちゃんにはぼくがちゃんと説明するから、あゆちゃんは何も心配しなくていいよぉ」

「……………………」

佳乃ちゃんに太鼓判を押されて、あゆちゃんの気持ちが大分傾いてきたみたいだ。佳乃ちゃんもそれを見て取ったのか、最後の一押しになりそうなこの一言を繰り出す。

「この前お昼に食べたお新香、まだたくさんあるんだぁ」

「本当? あのお新香、まだあるの?」

「ぼくとお姉ちゃんじゃ食べきれないから、あゆちゃんにも食べてもらえるとうれしいよぉ」

この一言が効いたみたいだ。あゆちゃんの表情が明るくなって、心なしか口元も綻んでいる。

「それじゃ……ボク、お邪魔してもいいかな?」

「うんうん。どんどんお邪魔しちゃってよぉ」

二人は話をまとめると、仲良く並んで歩き出した。僕はその後ろについて、遅れないようにちょこまか足を動かして歩いていく。

「椅子もちゃんと四つあるんだよぉ」

「うんっ。この前お邪魔した時も、ちゃんと四つあったねっ」

仲良くおしゃべりをする二人の姿を見ていると、まるで二人はずっと昔からの知り合いのように見えてくるから不思議だと、ぼくは思った。

 

「とうつき〜」

「えっと……到着、だよねっ」

「そうだよぉ。あゆちゃんも覚えてどんどん使っちゃってねぇ」

そうこうしているうちに、二人は診療所までやってきていた。診療所の前に人はいない。もしかすると、聖さんはまだ眠っているのかも知れない。静かな朝の商店街に立っているのは、どうやら僕たちだけのようだ。シャッターの下りた店舗が延々と続いている光景は、どことなく異様なものがあった。

「誰もいないね……」

「そうだねぇ。きっと、お姉ちゃんもまだ夢の中だよぉ」

「ボク、勝手に入っちゃっていいのかな……?」

「平気だよぉ。お姉ちゃん、女の子にはすごく優しいからねぇ」

裏を返せば、佳乃ちゃん以外の男の子には容赦しないのかも知れない。僕はどうなんだろう。

「よぉーし! それじゃあ、今度こそお姉ちゃんを起こしちゃわないように、静かに入ろうねぇ」

「今度こそ?」

「うん。前にも同じようなことがあったんだよぉ」

「そうなんだ……うんっ。起こさないように、静かに入ろうねっ」

「ぴこぴこっ」

「お帰り佳乃。おや、月宮さんも一緒だったのか? 二人とも朝から散歩とは、健康的でいいことだな」

「わっ?! 聖先生が隣にいるよっ」

「わわわ〜っ! お姉ちゃん、またもう起きてたのぉ?!」

二人はほとんど一緒に後ろに飛び退いて、いつの間にか隣に立っていた聖さんを見やる。聖さんは腕組みをしながら、にっこり笑って二人のことを見つめている。

「月宮さんは、この辺りを散歩していたのか?」

「えっと……うんっ。この辺りまでなら、ちょうどいいと思ってね」

「うむ。月宮さんの家がある場所を考えると妥当な距離だな。これくらいの距離なら、無理なく続けられるだろう」

納得したように聖さんが言う。その様子を見ていた佳乃ちゃんが、横から口を挟んだ。

「お姉ちゃん、ちょっとねぇ、聞きたいことがあるんだけど、いいかなぁ?」

「ああいいぞ。何が聞きたい?」

聖先生はこくりと頷いて、隣にいた佳乃ちゃんを見やった。佳乃ちゃんは聖さんとしっかり目を合わせると、おもむろに口を開いてこう切り出した。

「えっとねぇ、お姉ちゃんは和食と洋食、どっちが好きかなぁ?」

「ふむ。佳乃はどっちだ?」

「ぼく? ぼくは和食だよぉ」

「ほほう。それなら私も和食だ。佳乃、他に聞きたいことは無いか?」

聖さんに聞き返されて、佳乃ちゃんが答える番になる。

「えっとねぇ、お姉ちゃんは夏と冬、どっちが好きかなぁ?」

「ふむ。佳乃はどっちだ?」

「ぼく? ぼくはやっぱり夏だよぉ」

「ほほう。それなら私も夏だ。佳乃、他に聞きたいことは無いか?」

また聖さんに聞き返されて、また佳乃ちゃんが答える番になる。

「えっとねぇ、お姉ちゃん、あゆちゃんと一緒に朝ごはんを食べたいんだけど、いいかなぁ?」

「ふむ。佳乃はどっちだ?」

「ぼく? ぼくは一緒に食べられたらうれしいよぉ」

「ほほう。それなら私も同じだ。もうすぐ支度をするから、中で待っていなさい」

「はぁ〜い」

佳乃ちゃんは伸びやかに返事をして、あゆちゃんの隣に付いた。聖さんは口元に笑みを浮かべながら、先に診療所に入っていく。

「上手くいったよぉ」

「すごいね……もしかして、いつもあんな風にしてるのかな?」

「そうだよぉ。こうするとねぇ、ヘンなお願い事じゃない限り大丈夫なんだぁ」

さっきのは聖さんが上手く調子を合わせてくれてただけだと思うんだけど、どうなんだろう……僕はそんな事を考えながら、聖さんの開けたドアが閉まっちゃう前に走って、診療所の中へとその身を滑り込ませた。

 

「それじゃあぼく、お姉ちゃんのお手伝いをしてくるから、そこで待っててねぇ」

「うんっ。分かったよっ」

診療所の中に入ると、佳乃ちゃんはあゆちゃんを待合室に残して、聖さんのいる台所へと走っていった。必然的に、僕とあゆちゃんだけが待合室に残ることになる。

「ぴこぴこー」

「あっ、ポテト君っ。ボクの側にいてくれるの?」

「ぴっこり」

二人だけでいるのに一緒にいないのは寂しかったから、僕はあゆちゃんの膝の上に乗って一緒にいることにした。あゆちゃんもうれしそうに、僕のことを撫でてくれる。

「ふわふわだねっ」

「ぴっこぴこ」

「すっごく気持ちいいよっ」

あゆちゃんの優しい手つきが直に伝わってきて、僕は眠気にも似た穏やかな気持ちになった。僕はこうやって誰かに優しく撫でてもらっているときが、一番落ち着くなぁと思った。

「もこもこだよ〜」

「ぴこぴこ」

そのまましばらく、あゆちゃんは僕を撫でていてくれたんだけど、

「……………………」

「……ぴこ?」

不意に、その手が止まった。僕は気になって、上を見上げてみる。

「でもボク、どうしてあんなところにいたのかな……?」

「……………………」

「それにあの女の子……一体誰なんだろう……?」

女の子……?

あゆちゃんが「女の子」という言葉を口にしたとき、僕の心の中に不意に去来した、言い知れぬ感情。

何か大切なことを忘れていたのを少しだけ思い出したときのような、もどかしい感情。

「……………………」

 

そう言えば……

そう言えば昨日、僕は……

……僕は、確か……

 

……僕がそこまで考えて、深くて暗い闇に沈みかけていた記憶を掘り起こそうとした時だった。

 

(がちゃん)

診療所のドアが、不意に開いた。

 

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。

Thanks for reading.

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