第百二十八話「Summer School Scenes」

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一団の姿を見つけるや否や、佳乃ちゃんはその方向に向かって駆け出す。それにつられる形で、僕も後ろから付いていく。

「おはようございまぁす!」

「あっ、霧島君っ。おはようございますだよっ」

「よう霧島。お前も朝早いんだな」

元気よく挨拶する佳乃ちゃんに、あゆちゃんと祐一君がいつものように応じる。二人とも制服を着ているのを見ると、これから学校へ行くのだろう。そして多分、演劇部の部室に顔を出すはずだ。

「うにゅ……おはこんばちわだおー」

「あははっ。水瀬さん、面白い挨拶をするねぇ」

「うんっ。この挨拶なら、朝昼晩どれでもばっちりだよねっ」

「むしろそのどれにも使えないような気がするぞ、俺は……」

完全に寝ながら歩いている水瀬さんも、佳乃ちゃんに挨拶を返した。目は完全に糸状になっていて、ふらふらと左右によろめきながら歩いている。それを時々祐一君とあゆちゃんが直してあげる形で、何とか前に進んでいる格好だ。

「水瀬さん、昨日寝るのが遅れちゃったのぉ?」

「ああ。名雪にしては、だけどな。昨日少し遅くまで秋子さんや真琴と話してたんだ。ほら名雪、そろそろ起きろ」

「うー……うん……」

眠そうに目を擦りながら、ようやく水瀬さんが覚醒した。ふらついていた足取りもしっかりとしたものになり、眠そうな表情はそのままながらも、きちんと立ってきちんと話ができる状態にはなった。

「名雪さん、昨日は遅くまで何を話してたのかな?」

「えっとね、今度真琴の勤めてる保育所に、職業体験をする子が来るっていう話だよ」

「職業体験? そんな話だったのか……」

「そうだよぉ。ぼくが秋子さんに言ったんだぁ」

横から佳乃ちゃんが口を挟むと同時に、祐一君とあゆちゃんの表情に一気にたくさんの疑問符が浮かぶのが見えた。

「えっ? どうして霧島君が?」

「どういうことだ? その職業体験をするって子が、お前の知り合いか誰かなのか?」

「そういうわけじゃ無いんだけどぉ……細かい話は学校に行く途中でするよぉ」

佳乃ちゃんは笑って二人の追及をやり過ごし、三人に先んじて学校への道を歩き始めた。

「……………………」

今日も変わらぬ強い日差しが、アスファルトの道路を焼いていた。

 

「……そういうことだったのか。つまりお前は、そいつの社会勉強のために職業体験を提案したんだな」

「うんうん。これなら保育所に入っても怒られないし、一石二鳥だよぉ」

「そういうことだったんだね……霧島君、すごいよっ」

佳乃ちゃんが手短にいきさつを説明して、二人を納得させるに至った。水瀬さんは隣でその話を聞きながら、時折頷いて相槌を打っていた。

「秋子さんと真琴は、その事で話し合ってたわけか」

「うん。途中からわたしも入って、これからどうするのかとかを聞いたんだよ」

「そうだったんだ……これから、ちょっと忙しくなりそうだね」

「そうだねぇ。でも、繭ちゃんのためだよぉ。はりきっちゃうよぉ」

にこにこ笑ってそう言う佳乃ちゃんを、水瀬さんも朗らかな表情で見つめる。こうして見てみると、水瀬さんと秋子さんの顔立ちはそっくりだ。そっくりすぎて、二人が親子だと言われても今ひとつピンとこない。どちらかと言うなら、歳の近い姉妹といったほうが正しいような気がした。

「霧島君、頑張ってね。もし時間があったら、わたしもお手伝いに行くつもりだよ」

「そうだな、名雪は昼寝の時間に行けばいいと思うぞ」

「うー。お仕事中は寝ないよっ」

「なんかこう、預かってる子供に混じって寝てるお前が容易に想像できる」

「そんなことしなくていいよっ」

「けろぴーと間違って子供を締め上げたりしたらダメだぞ」

「祐一君っ。名雪さんをいじめたらボクが許さないよっ」

祐一君の言葉にあゆちゃんが怒ったのか、途中で二人の間に割って入った。あゆちゃんは怒ったような表情を見せて、祐一君の顔を見つめていた。

「あゆちゃん……ごめんね。祐一っていっつもこんな調子だから、あゆちゃんも気をつけてね」

「おいおい、なんだか俺が悪者みたいじゃないか」

「悪者だからだよ。祐一、さっきもあゆちゃんのことからかってたからね。あゆちゃんをいじめたら、わたしが許さないよ」

「二人とも仲がいいな……よし。じゃあとりあえず、二人で抱き合ってみようか」

「……祐一君、ひょっとしてヘンなこと考えてる?」

「もちろん、考えてるぞ」

「う、うぐぅっ?!」

「わ、ヘ、ヘンなこと考えないでよっ! わ、わたしとあゆちゃんはそういうのじゃないからねっ! 違うんだよっ!」

……そういうのって、どういうのだろうか……と、どうでもいい疑問を頭に浮かべてみる。

「あははっ。朝から面白いねぇ。あゆちゃんとは途中で出会ったのぉ?」

「ああ。こいつも学校に行く途中みたいだったから、一緒に行くことにしたんだ」

「そうだよっ。一人で行くよりも、たくさんの人と一緒に行ったほうが楽しいからねっ」

「そうだよね。たくさんいた方がいいよ」

うんうんと互いに顔を合わせて頷きあうあゆちゃんと水瀬さん。元気なあゆちゃんとおっとりした水瀬さんなら、相性がいいのも頷ける。なんだか、姉妹みたいだ。

「でも、あゆちゃんが演劇部に入ってるって聞いた時はびっくりしたよ。だから陸上部には入れなかったんだね」

「うん。古河さんに誘われたんだ。ボクにぴったりの役があるらしいんだよ」

「うーん……それなら仕方ないよね。でも、陸上部はあゆちゃんの入部をいつでも受付中だよっ。気が変わったら、またわたしに相談してね」

水瀬さんは少し残念そうな表情をしながらも、笑顔であゆちゃんを見つめていた。確かにあの俊足なら、水瀬さんが欲しがるのも分かる気がする。水瀬さんは自分を振り切っていくあゆちゃんを間近で見ていたわけだから、尚更だろう。

「あっ、あと、霧島君もだよ。霧島君、走るのすっごく速いって聞いたからね」

「えへへ〜。走るのは得意技だよぉ。でも、今は演劇をやりたいんだぁ」

「なんだなんだ名雪。あゆと佳乃には声をかけて、俺にはかけてくれないのか」

「祐一はダメだよ。だって、陸上はノートに写すだけじゃできないもん」

「何を言う。俺だってたまには自分で勉強するぞ」

このやり取りを合図にして、祐一君と水瀬さんの言い合いが始まってしまった。

「たまにじゃなくて、毎回やらないとだめっ。わたしがいなくなったら、祐一大変なことになっちゃうよ」

「何だと!? そう言うお前だって、俺がいなかったら朝起きられないだろっ」

「頑張ればちゃんと起きられるよっ。目覚ましをもうちょっと追加すれば、わたしも一人で起きられるよ」

「名雪……今お前の部屋に目覚まし時計がいくつあるのか、分かってるのか?」

「えっと……三十二個、だよ」

「数を分かった上で『もうちょっと追加』なんていうなっ! 今ある目覚まし時計を組み合わせて起きろっ!」

「う〜。だって、朝はゆっくり寝てたいんだもん」

「俺だってゆっくり寝てたいけどな、起きなきゃ学校に行けないだろ」

「うー。これでも努力はしてるんだよっ」

「足りん! 名雪には努力が足りん!」

「祐一にも足りないよっ! 祐一はわたしの一万倍足りないよっ!」

「なにぃ!? じゃあ名雪は俺の一億倍だ!」

「祐一は一兆倍っ!!」

「お前は一京倍だ!!」

「ふーっ!!」

「ふかーっ!!」

「きしゃーっ!!」

「しゃーっ!!」

例によって二人で言い合う様子を見た、佳乃ちゃんとあゆちゃんの反応はと言うと。

「朝から元気いっぱいだねぇ」

「うんっ。ボクたちも見習わないとっ」

……割とポジティブに捉えているようだったので、僕は特に気にしないことにした。

 

そんなこんなで中身があるのか無いのかよく分からないやり取りをしつつ歩いていると、もうすぐ学校というところまで差し掛かった。夏休み、しかも朝早いということもあって、登校してくる生徒の数は少ない。

「あれ……?」

「ん? どうした名雪」

けれども、その少ない生徒の中に、

「あれ、藤林さんと古河さんじゃないかな?」

僕らは、見知った顔を見つけた。

「……確かにそうだな。あんなところでどうしたんだ?」

「行ってみるぅ?」

「そうだね……演劇部のこともあるし、行ってみようよっ」

「よし。それじゃ、話を聞きにいくか」

手短に場をまとめて、祐一君を先頭に僕らは走り出した。

 

「渚っ、杏っ。こんなところでどうしたんだ?」

「祐一?」

声をかけられた藤林さんが、素早く此方に目を向ける。古川さんと一緒にいる岡崎君、それと藤林さんと一緒にいる椋さんの二人は、今ここにはいないようだ。

「……………………」

「古河さん、どうしたのぉ? なんだか元気がないねぇ」

「ホントだね……何かあったのかな?」

傍らには、覇気が感じられない表情で俯いている古河さんの姿があった。いつも前向きでひたむきな様子を見せている古河さんにしては、珍しい表情に思えた。

「何かあったのか?」

「いや、実はね……」

藤林さんは困った様子で、僕らにいきさつを話し始めた。

「佳乃は見てたと思うけど、昨日棗先輩の話が出たのは憶えてる?」

「あったねぇ。ぼく達が保育所に行く前だったよねぇ」

「そうそう。で、その時に部長が怒って部屋から出て行ったでしょ?」

「だから俺達が来たとき、部室に部長がいなかったのか……」

「そういうこと。それでね、渚が『棗先輩がこの部に入ればいいのに』って言いかけたときに部長が怒って出て行っちゃったもんだから、渚が自分のせいで部長を怒らせちゃったって、気に病んでるのよ」

「なるほどな……」

僕は納得した。昼食の直後から、古河さんにはどこか元気が無いような気がしていた。その時は気にも留めなかったけれど、なるほど、そういうことで落ち込んでいたのか。優しい古河さんなら、人を怒らせちゃって気にしないわけがない。

「ほらほら渚、そんなに落ち込まないでさ……」

「でも……私、部長にとても失礼なことをしてしまいました……」

「古河さんは悪くないよ。部長さんと棗先輩のこと、古河さんは知らなかったんだよね? それだったら、仕方ないよ」

「はい……」

「古河さん、ちゃんと謝れば大丈夫だよっ。部長さんだって、もう古河さんのこと怒ったりしてないと思うよ」

「そうだと、いいんですが……」

顔を上げられない古河さんに、佳乃ちゃんが近づいて声をかける。

「古河さんは、部長さんが古河さんのこと、許してくれないと思う?」

「それは……」

「古川さんは部長さんのこと、優しい人だと思う?」

「……………………」

無言で頷く古河さんに、佳乃ちゃんが続けて言う。

「そうだよねぇ。ぼくも部長さんは優しい人だと思うし、多分、演劇部の人はみんなそう思ってると思うよぉ」

「……………………」

「部長さんを怒らせちゃったことを心配してる古河さんも、ぼくは優しい人だと思うんだぁ」

古河さんの肩に手を乗せて、佳乃ちゃんはなおも続ける。

「あのねぇ、古河さん」

「優しい人が優しい人に怒り続けるのって、すっごく難しいし、すっごく悲しいことなんだよぉ」

「怒られてる優しい人も、怒ってる優しい人も、どっちも苦しいんだぁ」

右手で肩をポンポンと叩いて、古河さんを慰める。

「だからねぇ、部長さんももう怒ってないと思うんだぁ。部長さんだって、それくらい分かってるはずだからねぇ」

「……はい。なんだか、ちょっと元気が出てきました」

古河さんがようやく顔を上げて、すこし元気を取り戻したようだった。

「やっと元気になったみたいね。それじゃ、さっさと部室に行って部長にきっちり謝って、早く練習に戻りましょ。一緒にしゃべってたあたしも謝るから、ね?」

「はい。とりあえず、部室に行きましょう」

その言葉を合図に、僕達は再び、部室に向かって歩き出した。

 

「でも、部長が怒るなんて珍しいな……よっぽど棗先輩が気に食わないのか?」

「そうとしか思えないけど……でも、あんな部長の姿を見たのは初めてよ。部長が怒ったこと自体は何度かあったけど、大抵すぐに収めて、次からは気をつけなさいっていつもの表情で言ってくれるし」

「もし棗先輩が気に入らないんだとしたら、先輩のどこが嫌だったんだろうね?」

「そもそも、部長と先輩の関係性が見出せないぞ、俺は……」

あれこれと部長さんと恭介さんの噂話をしながら、僕らは廊下を歩いていく。

 

「姉御ー! ポスターのデザイン、ビシッと仕上げて来やしたっ!」

「うむ、よくやったぞ。褒美に後でいいものを見せてやろう。携帯の電源を入れておけ」

「……東京特許許可局。東京特許許可局。東京特許許可局……」

「ほほう。今から練習とはよい心がけだな。君もやってみたまえ」

「えー? そんなの簡単ですヨー。じゃ、はるちんいきまーす!」

「うむ。やってみたまえ」

「きょうきょうきょっきゃきょかきょきゅ! きょうきょうきょっきょきょかきゅきゅ! きょうきょうきょっきゃきょかきゅきゅ!」

「ふむ。では、採点を頼む」

「……………………」

「……………………」

「……〇点」

「な、なんだってぇええええっ?!」

 

「どこのクラスも大変ねぇ……文化祭の練習。あのクラスも演劇かしら?」

「そうじゃなかったら、漫才だな」

「ひょっとしたら、早口言葉大会かもしれないよっ」

「ないない。それはない」

すれ違いざまに見かけた三人組の女生徒を横目に、僕らは部室に向かって歩き続けたのであった。

 

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。

Thanks for reading.

Written by 586