「もっかい言うね。わたしがフミで、こっちがふみちゃん!」
フミは丁寧に、そして言い聞かせるように、私が「フミ」で、隣にいるのが「ふみ」だと教えてくれた。恐らく私は難しい顔をしていたのだろう、しばらくは厄介だけど、その内覚えられるよと付け加える。
つい先日友人になったばかりの「千駄木フミ」が私に紹介してくれたのが、「千駄木ふみ」という、隣の組に在籍している純人間の女の子だ。
もう一度言う。「千駄木フミ」が「千駄木ふみ」を紹介した。
これは何かの偶然だろうか、ほとんど同姓同名だ。音を聞いただけだと、どう違うのか分からない。文字にしてみて初めて、ちょっとだけ違いがあることが分かる。
「えっと、フミが前に話してた子っていうのは……」
「そう。ふみちゃんのことだよ。きっと仲良くなれるって思ってね」
千駄木フミと、千駄木ふみ。同じ音の名前を持つ二人だけれど、その見てくれはちっとも似ても似つかない。
同じ組にいる「フミ」の方は、私よりも一回り背が高い。背中まで届く長い黒髪に、縁の付いた大きな眼鏡が特徴と言える。落ち着いた物腰も相まり、しばしば同級生ではなく上級生のように見える。図書室に篭もって静かに本を読むのが好きそうだ――と言えば、概ねその雰囲気は伝わると思う。
一方隣の組にいる「ふみ」の方はと言うと、フミとは対照的に小柄で背丈が短い。私はさほど身長が高い方ではないけれど、その私より明らかに小さい。下級生だと紹介されれば鵜呑みにしてしまいそうだ。まるで男子のように短くカットされたヘアスタイルとの相乗効果で、とても活発な印象を振りまいている。冬でも半袖で外を駆け回っていそうだ――そう述べれば、きっとどんな感じかは想像できるはず。
「フミと……こっちの千駄木さんは、小学校からの友達なの?」
「もっと前からかな。幼稚園にいっしょに通ってたし」
「それとね……実はあたし達、姉妹なんだ。こう見えても」
「……姉妹?」
ふみがさりげなく口にした「姉妹」という単語は、私を大いに驚かせるものだった。フミとふみが姉妹、いろんな面で対照的な二人が姉妹って、どういうことなのだろう。受けた驚きを消化しきらないうちに、ふみがさらに畳み掛けてくる。
「一応ね、あたしがお姉ちゃんで、フミちゃんが妹なんだよ。一応ね」
「えっ……? フミが姉で、千駄木さんが妹じゃなくて?」
「よく間違われちゃうけど、逆なんだ。あたしもフミちゃんの方がお姉ちゃんっぽいって思うけど」
「そんなこと言って、いつもちゃっかりお姉ちゃんしてるくせに」
おどけた調子でフミがふみの肩を軽く叩く。ふみは朗らかに笑って、お返しとばかりにフミの肩を撫でるように叩き返す。いつも繰り広げられているフミとふみのじゃれ合い、私の目にはそんな様子に映った。
しかし、先ほどからフミふみフミふみと、紛らわしいことこの上ない。姉のように見える妹がフミ、妹のように見える姉がふみ。きちんと結びつけられるようになるまでには、いささか時間が必要になりそうだ。
「ってことはフミちゃん、この子かな? 同じクラスになった、『猫又』の女の子って」
「……そう。私は、猫又の『朱尾』よ」
フミとふみに驚かされてばかりで、ふみに言われるまで自己紹介をすっかり忘れていたのは、ここだけの話にしてほしい。
*
改めて。
私の名前は「朱尾」。人間の父と猫又の母の間に生まれた、半分人間・半分猫又とでも言うべき存在だ。見た目は概ね人間そのもの。猫又もしくは猫らしいところは、人間のものとはちょっと雰囲気が違うヒゲと、背中を撫でられる程度には長いこげ茶色の尻尾くらい。尻尾のおかげで、一目見て猫又だって分かるのは幸いか、それとも災難なのか。
この辺り……なんて言っても、どの辺りだって言われそう。だから、先に住んでいる場所の話をしようと思う。
私やフミ・ふみが住んでいるのは、山辺市は「甕覗区」というところだ。市の隅にある海沿いの小さな街で、海に関わる仕事で生計を立てている人が多い。よその地域ではほとんどいなくなったらしい「海女」も、ここではあちこちで見かけることができる。同級生にも既に見習いを始めている子もいると聞いた。名前は忘れたけれど、前にお母さんと訪れた隣の区では一人として見当たらなかったから、これはきっと甕覗ならではなんだろう。
この甕覗区では、猫又や化狸のような人ならざる者を、全部まとめて「物の怪」と呼ぶ習慣がある。私も猫又が半分混ざっているっていうことで、物の怪という扱いを受けている。物の怪だから何か不自由するとか、何か人間と区別される事があるかと言うと、特にそういうことは聞いた記憶は無いし、区別された経験も無かったりする。とりあえず、人とはハッキリと違うから、物の怪。それくらいのものらしい。
私には轆轤首の男子や座敷童の女子といった物の怪、あるいは私と同じような半物の怪の友人もいるけれど、彼らもみんなこれといった不自由をせずに暮らしている。
もっとも、轆轤首の方は滅多にいない男子で、勝手が分からないから家族総出で女子として育てられた――なんて言っていたし、座敷童は座敷童で、居候している家にお金が無いものだから、座敷に佇んだりしていないで新聞配達をして家計を支えている――とも聞いた。そういう意味ではみんな何がしか苦労しているようではあるけれど、ともかく物の怪だからどうこう、というのはさっぱり聞いたことが無いのは確か。
で、私は何も問題なく順風満帆幸せいっぱいなのかというと、たぶん、そうではない。
「朱尾はもう中二なんだから、ちょっとでも雌らしくなさいな。さもないと、青春が逃げてしまいますよ」
ここ最近毎日のように、母からこう言われている。あまり聞きたくない部類のお小言なのは、分かってもらえると思う。
齢十三、中学二年生。いかにも「子供と大人の間」という感じがする。母の言う「青春」とやらの入り口に差し掛かっているのだろう。青春。ああもう、口に出して言ってみると、字面だけで小っ恥ずかしいことこの上ないじゃないか。青春とかいう単語はこれだから苦手だ。耳にするだけでぞわぞわする。口に出そうものならたちまち口が痒くなる。
そんなものとはきっぱり無縁で、私は私の思うように生きられれば理想だけれど、なかなかそう上手くは行かないもので。
「い……いたたたた……っ」
尻尾の先に鈍い痛みを感じるようになったのは、一年生の夏頃だった気がする。水泳の授業中に気分が悪くなってプールサイドで休んでたら、尻尾の先がずきんと痛んだ。
怖くなってふと見てみたら、そこには見たこともない光景が広がっていて。
「なんといっても、朱尾ももうじき尻尾が割れるのですから」
母の言葉が、脳裏によみがえってきた。
*
「朱尾ちゃんって、ひょっとして『ネコマタ』だったりする?」
フミは最初の席替えで隣同士になったのが、声を掛けられるきっかけだったように思う。
「うん、見ての通り。千駄木さんは、普通の人間?」
「たぶんね。中二になった今でも、尻尾生えたり首飛んだりしてないし。でも分かんないよ、前に隣に住んでたお姉さん、赤ちゃん生んだらその子にキツネの耳と尻尾がぴょこんと見えた、なんてこともあったみたいだし」
「キツネの耳と尻尾なら可愛いものだよ。私なんて、ヒゲが生えちゃったんだから。一応女の子なのに」
「ホントだ。でも、それはそれで可愛いよ。ネコっぽくて」
「やだ。可愛くないし」
こんな感じで、最初から会話が弾んで、あっという間に友達になれた。クラス替えのすぐ後でみんな誰かと友達になりたいという思いもあっただろうけど、フミが物の怪の子と友達になるのが得意だったというのもある。なんでも、家の近くには物の怪の子が大勢いたらしい。その子たちに混じって遊んでいる間に、頭の後ろに口があったり、背中に羽根が生えていたりするくらいではちっとも驚かなくなったそうだ。口や羽根に比べれば、尻尾なんてあってもなくても同じに違いない。
あってもなくても同じもの、ともすると無駄だって言えるようなもの――まさしく「猫のしっぽ」というものだ。
「ん? 朱尾ちゃん朱尾ちゃん」
「どうかした?」
「この体育袋、朱尾ちゃんのだよね?」
「もちろん。だって、私の机に掛かってるし」
「だよね。じゃ、これどういう意味なのかな?」
フミが指差した先には、油性マジックの薄れた字で「華主美」と書かれていた。
「うーん、『はなしゅび』? わたし漢字弱いし、全然分かんないや」
「違うよ。これでね、『かすみ』って読ませるんだ」
「か……す、み……わあ、そんな読み方するんだ。あれかな、漢字で装飾するとかそういうの? それとも誰かの名前?」
「名前だよ。私のお姉ちゃんの名前」
「へえ。朱尾ちゃん、お姉ちゃんいるんだ」
「そう。今は瑠璃区にある山辺学院大学ってとこに通ってる。卒業したらもらうお婿さんも決まってて、家を継ぐんだって」
ふう、とため息を一つ付いてから、朱尾が窓の外を見つめて。
「華主美。いい名前でしょ? なんかこうさ、いかにも『期待してます』って感じがしてさ。お父さんもお母さんも、お姉ちゃんのこと大切にしてるみたいだし」
「そうかな。なんかさ、派手過ぎると思う。華に主に美しいって、フルコース料理みたい」
フミがいきなり「フルコース料理みたい」なんて言うものだから、私は思わず吹き出してしまって、それにつられてフミもいっしょに笑い始めた。振り返って見ると、確かにフミの言葉通りかも知れないと思った。期待してるって気持ちが強く出過ぎてる、そんな風にも言えそうだ。
「朱尾ちゃんのお姉ちゃん、結婚するんだ。おめでとう」
「そんな、お祝いするようなことじゃないよ。いろいろ変わっちゃうし」
「ま、そうだよね。分かる分かる」
こんな風にしてたちまち気が合ったから、私はフミといっしょに遊んだりするようになった。それから、だいたい二週間くらいが経った頃のこと。
「ねね、朱尾ちゃん。お昼休み、ちょっと時間もらっていい?」
「朱尾ちゃんに紹介したい子がいるんだ。もちろん、女の子だよ」
私に紹介したい子がいる――フミがそう言って、私の前に連れてきたのが。
「この子だよ。名前はふみちゃん、『千駄木ふみ』っていうんだ」
「……えっ? 今、なんて……」
「もっかい言うね。わたしがフミで、こっちがふみちゃん!」
何を隠そう、ふみだった。
※立ち読み版はここまでとなります。続きはイベントにて頒布します本編にてお楽しみください。