「な、な……」
「えっ、えっ、えぇ……」
腰を抜かして床にへたり込んだ女の子がふたり、日差しの差し込む明るい部屋で向かい合っている。お互い相手を指差して、口をぽかんと開けたまま、驚きで目をまん丸くしている。
ふたりが驚いている理由は、とっても単純なことで。
「じ、自分……その顔……」
「そう言うてる自分も、顔……」
「「自分やん!!」」
目の前にいた女の子が、自分と文字通り鏡写しの、そっくりさんだったからだ。
さかのぼること十分ちょっと前。かえでは自室の隅っこに置いてある、少し背の高いスタンドミラーの前に立っていた。木目の縁取りが温かみを感じさせてくれる、いい塩梅に小洒落た鏡だったけれど、あいにくかえでは鏡そのものは見ていない。見ているのは、鏡が映し出す自分のすがただった。
軽く体を反らしてみたり、少し横に向けてみたり。あれこれ違った角度で自分を映し出してみるけれど、かえでの表情は梅雨時の空模様のようにどこかパッとしない。あきらめたように正面へ向き直ると、見るからに気弱そうな感じの、三つ編みおさげの眼鏡っ子が映っていた。
かえで。苗字は桜庭。合わせて桜庭かえで。ついこの間高校にあがったばかりで、まだあどけなさが抜けきらない。丸っこい顔に、健康的で少し肉付きのいい体なのが、幼い感じのする雰囲気をますます強くさせている。口元に手を当てる仕草なんかはなかなか愛らしいのだけれど、本人はそれがあまり好ましくないみたいで。
「よう小説とかで『どこにでもおる普通の高校生』とか言うけど、言うてなんかええところ持ってるし、普通ちゃうやん」
「うちみたいなんが、ホンマもんの『どこにでもおる普通の高校生』なんやろなぁ……」
でっかいため息を一つついて、かえでががっくりうつむいた。結われたおさげがぶらぶらと、力なく頼りなくゆれている。
自分の人生はなんて平凡なんだろう、最近折にふれてかえでが考えることだった。大した浮き沈みのない、なんだか面白みのない人生、そんな風に思ってしまう。大きなできごとといえば、せいぜい大阪からここ山辺市は浅葱区へ引っ越してきたことぐらいだ。けれどそうは言っても、引越しなんてほとんどの子が一度か二度は経験することじゃないか。だから、そんなにすごいことでもない。ごくありふれたできごとのひとつだ。
目立つような取り柄なんてなくて、プロフィールに書けるような「特技」も「趣味」もすっと出てきてくれない。実際のところ、かえでと同じことで悩んでいる子なんてたくさんいるんだけれども、彼女は自分だけがこんなことでうじうじしていると思っている。他の子がみんなすばらしく輝いて見えてしまう、そんな経験のある人はきっといるはずだ。かえではまさにその渦中にあった。
「髪型、変えたりした方がええんかなぁ……せやけど、うちにあんまり派手なんは似合わへんやろし……」
鏡に映る自分の姿を見ていると、大きなため息がいくつも出てきてしまう。
(うち、自分に自信持てる顔やったらよかったのになぁ……)
地味な子。かえでの自己評価はこの一言がすべてだった。あんまりと言えばあんまりだけど、本人がそう思ってしまっているのだからどうしようもない。何度目かわからないあため息を漏らしてから、今度は腕のお肉をつまんでふにふにする。かえでは肉付きがよくて健康的な体つきをしている。本来ならそれでよかったのだけれど、何分デリケートなお年頃ゆえに、自分がふとっちょさんなんじゃないかと気になって仕方ない。もうちょっと痩せた方がええんやろか、そんな考えばかりが頭をよぎってしまう。
とにもかくにも自分に自信を持てなくて、毎日がつらく感じる。中学の頃からうすうす感じてはいたけれど、高校に入ってからは一気にその思いが強くなった。
(見た目もそうやし、他のことも全然やし……)
何か他の人に自慢できるような立派なこと、例えばすごい読書感想文を書いて市長さんに褒められたとか、そういう経験はひとつもない。勉強だってごくごく普通で、赤点を取ってお母さんに真っ赤な顔で叱られるようなことはなかったけれど、飛び抜けて秀才ってわけでもない。彼氏もいないし、浮いた話にはとんと縁がない。それから実は気にしているのが、中学生の間は何も部活をしていなかったことだ。単純に自分に合いそうな部活がなかっただけなのだけれど、自分の地味さをますますパワーアップさせているみたいで、もやもやした気持ちをぬぐえなかった。
いろんなところに、いろんなコンプレックスを抱えている。そんな自分が好きになれなくて、ますます悩んでしまう。かえでの悩みはつのる一方だった。
「けど、なんでやろう」
「なんでか分からへんけど、毎日こないして鏡見てまうんよな」
鏡を見ることが習慣になったのは、いつからだろう。どんなに忙しくても、毎日十分くらいはこうして鏡を見てしまう。映し出されるのは、野暮ったくてあか抜けない自分のすがた、紛れもなく自分自身のすがた。なのにどうしてか、ずっと見ているとなんだかこそばゆくなってきて、思わずあたふたしてしまう。自分に見とれるとか、そんなのじゃないはず。きっとそうじゃない。でも、見ていてイヤな気持ちになるわけでもない。うまく気持ちが整理できなくて、そうしてまた鏡を見てしまうということの繰り返しだった。
とまあ今日も今日とて、鏡を通して自分と見つめあっていたかえでだったのだけれど。
「あれ、なんやろ? なんか、鏡揺れとる?」
鏡の様子が、普段と何か違う気がした。ごくごく小さくだけれど、表面が波うっているように見える。不思議に思ったかえではおそるおそる、鏡に手を当てようとする。同じようにして手を近付けていく自分のすがたが、やっぱり何かいつもと違う。ためらいながら、かえでは鏡にそっと手のひらを寄せる。
(……えっ!? なんやのんこれ、なんか……あったかいねんけど!?)
かえでが思わず目を見開く。いつでも冷たいはずの鏡が、今日に限っては人肌と同じくらいあたたかくて、そしてやわらかかったのだ。驚きで頭がいっぱいになるかえで。ところが次の瞬間、これがどうでもよくなってしまうくらいの、もっとすごいことが起きて。
鏡の向こうから、何かが自分の手のひらを押してくる感触。こちらに向かって近付いてきているのが、あまりにもはっきりわかって。
(えっ、えっえっ、なんなんなんなん、なんかこっちに……!)
かえでが半ばパニックになっているうちに、それは起きた。
「うわっと!?」
「ひゃん!?」
揃ってすっとんきょうな声を上げる。かえでは鏡から出てきた何者かに、床へ押し倒されるかたちになった。幸い床にはカーペットが敷かれていたから、ケガをするようなことはなかったけれど、もちろんかえでにはそんなことを気にする余裕なんてなくて、今何が起きているのかを追っかけるのが精いっぱいだった。
閉じていた目を開いて、自分に覆いかぶさっているのが誰なのかを確かめる。鏡の向こうからやってきた「誰か」の顔を見て、かえでははっと息を飲んだ。そしてそれは、かえでを押し倒したもう一方の子も、また同じだったみたいで。
(こ、この子……!)
上に乗っていた女の子が床を転がって、かえでの上から降りる。それからなんとか立ち上がろうとしたけれど、驚きのあまり腰を抜かしてしまって立てずにいる。立てないのはかえでも同じだった。びっくりしたのは、お互いさまだったのだ。
「な、な……」
「えっ、えっ、えぇ……」
ふたりが驚いている理由は、とっても単純なことで。
「じ、自分……その顔……」
「そう言うてる自分も、顔……」
「「自分やん!!」」
目の前にいた女の子が、自分と文字通り鏡写しの、そっくりさんだったからだ。
※立ち読み版はここまでとなります。続きはイベントにて頒布します本編にてお楽しみください。