トップページ 本棚 メモ帳 告知板 道具箱 サイトの表示設定 リンク集 Twitter

頒布物紹介 - 天狗攫い

目次

天狗攫い

概要

あらすじ

見知らぬ場所で目を覚ました佐奈は、自分が何者かに誘拐された事を知る。目覚めた佐奈の前に姿を現したのは、煙草を吹かす年上の少女・信子だった。「公園にいたから、なんとなく攫ってきた」と悪びれる事もなく言い放つ少女。そして信子は佐奈の前で、マンションのベランダから飛び降りて無傷で着地してみせた。信子は人間と天狗のハーフだったのだ。佐奈と信子、二人の奇妙な共同生活が始まる――。

登場人物

ちょっと立ち読み

中身を読むにはリンクをクリック

眠りから目覚めたとき、佐奈は自分がベッドの上に寝かされている事に気が付いた。

まだぼやけた目で辺りを見回してみる。どこかの部屋にいる。部屋の風景に見覚えはなかった。あまりモノが置かれていない、整然としたというよりも殺風景な部屋。真っ暗な部屋というわけではない。蛍光灯が白壁煌々と照らしていて、中はそれなりに明るく感じる。

自分はここで何をしているのだろう、佐奈はまずそう考えた。少し思案してみるが、答えらしい答えは出て来なかった。ここに来る直前まで何をしていたのか、それもうまく思い出せない。どこかで記憶がぷつりと途切れてしまっていて、なぜここにいるのかが分からなかった。

佐奈がベッドから起き上がろうとした矢先、違和感を覚えて動きを止める。身体がうまく動かない。身をよじってみるが、手足が思うように動かせなかった。もどかしさを感じながら感触を確かめてみて、両手が後ろ手に縛られている事と、脚も同じく揃って縛られている事を確信した。口も開けないようにされている。ガムテープか何かが貼り付けられているようだ。

手足の自由を奪われて、喋れないように口も塞がれている。佐奈はまだ九歳の幼い少女だったが、この状況を理解できないほど子供ではなかった。

(誘拐、されたんだ)

誘拐という言葉を知らないほど、無知でもなかった。

視界を確保しようとぐっと顔を上げた直後、佐奈の目に人影が一つ飛び込んできた。

「起きた?」

見たことのない少女だった。佐奈より六つか七つほど上で、外見は高校生くらいに見える。黒のTシャツに着古した感じのジーパンと、こざっぱりした服装だ。黒い髪を首筋まで伸ばした、ぱっと見は清楚な印象を与える風貌をしている。

けれどその印象に反して、彼女の口元に見えるのは、火の付いた煙草だった。

口から煙を吐き出したかと思うと、目覚めたばかりの佐奈をジッと見下ろす。机の上へ置いていた灰皿へ手を伸ばして、煙草の吸殻を押し付けて火を消す。その様子は手慣れていて、ずいぶん以前から煙草を吸っていることが窺える。佐奈を見る目は無色透明、何の感情も読み取れないものだった。

「あたしだから、攫ってきたの」

佐奈を攫ってきた、そうこともなげに言ってのける。言葉からも、やはり少女が佐奈にどんな思いを抱いているかをすくい取ることはできなかった。

縛られたままの佐奈と、煙草を吸う少女。佐奈は身を強張らせたまま息を潜めて、ただ時間が流れるに任せている。佐奈が目覚めてからおよそ三十分ほど、お互いに何も言わない時間が続く。

しかし、ある時不意に、佐奈は身体の奥が疼くのを覚えて。

(……おしっこ、したい)

少しばかり強い尿意を覚えて、佐奈が顔を歪めた。最後に用を足してから結構な時間が経っている。じくじくとした熱が伝わってきて、排泄欲の高まりを感じずにはいられなくなる。身じろぎ一つさせていなかった身体を微かに揺らして、どうにか尿意をごまかそうとする。

もし、ここで粗相をして漏らしたりしてしまったら、どうなるだろうか。切迫しつつある頭の中で、佐奈はふとそんなことを考えた。あまりいい結果になるとは思えない。できることなら穏便に済ませたい。けれど口にはガムテープが貼られていて、トイレを使わせてほしいと言い出すこともできなかった。

「んっ、んう……」

じわじわと温められた水が下半身に溜まっていく感触がする。佐奈はトイレが近いわけではなかったが、あまり長く我慢をすることも難しかった。どこまで尿意を堪えられるかを考えて、さほど長くは保ちそうにないと考えざるを得なかった。排泄欲求を紛らわすことに夢中で、佐奈は少女が自分を見ていることに気付かなかった。

四本目の煙草を灰皿へ押し付けた後、抑揚のない声で、少女は言った。

「トイレ?」

声を掛けられた佐奈がぴたりと動きを止める。子供ながらに羞恥心を覚えて、顔を赤くしながら恐る恐る頷く。少女はすっとベッドから立ち上がると、佐奈の目の前に立った。

「堪えてて、もうちょっとだけ」

少女は佐奈をヒョイと、実に軽々抱きかかえると、さかさかと早足で部屋を出る。向かった先は廊下の右手にあるトイレで、あっという間に佐奈を連れて来てしまった。佐奈を便座へ座らせると、手際よく手足の縄を解いて自由にする。展開の早さに、佐奈はまるで付いていけていなかった。

言って、終わったら。手短にそう言い残してドアが閉められる。佐奈は少しの間呆気にとられていたが、とりあえず用を足すことはできそうだった。緊張と高まった尿意でややおぼつかない手つきでショーツを下ろすと、水風船のように膨らんでいた膀胱から小水を解き放つ。

解放感に包まれながら、佐奈はしずしずと排泄した。水たまりに尿が触れて、じゃばじゃばと水音を立てる。少女が外にいることを思い出して、少しだけ体勢を変えて音を立てないようにした。いつもよりずいぶん多く出したためか、佐奈がしばしぼんやりした表情を見せる。最後の一滴をトイレへ落としてから、きちんと後始末をしてショーツを上げた。

中からドアをノックしようと一歩踏み出した矢先、ドアが外から開かれて少女が中へ入ってきた。

「終わった?」

佐奈が頷く。少女は小さく息をつくと、再び佐奈の手足を縛ってから、ベッドまで抱えて運んで行った。

ベッドへ座らされた後、少女が「待ってて」と言い、机の抽出しから何かを取り出す。

「これ、忘れてた」

取り出したのは、こげ茶色のチョーカーだった。

少女が佐奈にグッと顔を寄せて、息が当たるほどの距離まで近づく。首筋へ手を回すと、例によって素早い手つきで佐奈にチョーカーを付けた。

佐奈から少女が離れる。首筋に佐奈がそっと手を当てると、僅かに湿った革の感触がした。

首を閉めるような強さではない。少し余裕が持たされるくらいの強さで、どちらかというとぶかぶかですらあった。物理的には確かにそう。けれどそれとは別に、気持ちの問題があって、佐奈は心なしか息苦しくなったような気がした。

この人に飼われているみたいだ、率直に言って、そんな感情を覚えた。

「勝手に外しちゃダメだから、それ。ずっと付けてて」

少女は佐奈にそう言付けて、また元の位置へ戻る。苦しかったら言って、そう一言付け加えてから、机の上に置いてあった煙草の箱とライターに手を伸ばす。

伸ばした手をピタリと止めて、少女がちっと小さく舌打ちをした。

「切れちゃったか」

空になった箱を持って、掌の中でクシャクシャに握りつぶす。先ほどからひっきりなしに吸いつづけていたためか、煙草を切らしてしまったらしい。面倒くさそうに立ち上がって、がさがさと髪を撫でた。

「ちょっと買ってくる」

そう言いながら、少女はどういうわけか窓を開けた。ドアではなく窓を開けた理由は分からない。佐奈がベッドから少女の振る舞いを見ていると、そのままベランダへ出ていくではないか。そして足を軽々と上げて、手すりにすっと乗ってしまう。

次の瞬間、少女は何の躊躇いも無しに、ベランダから飛び降りた。

(えっ)

佐奈が驚いて目を見開く。身動きが取れなかったので、外の様子がどうなっているのかは分からない。ただ、少女がベランダから飛び降りたのは事実だった。あんな高さから落ちれば、普通なら命はない。佐奈は意味が分からず、ベッドにへたり込んでじっとしている他なかった。

十分ほど間を開けたのち、不意にドン、という音がベランダから聞こえた。佐奈がまた目を向けると、ベランダに屈み込む少女の姿があるではないか。その身体には傷一つなく、少し乱れた髪をさっと払って直す仕草が見える。信じがたいが、下から飛び上がって来たのだ。呆気に取られた様子の佐奈を尻目に、少女が窓から部屋へ戻ってきた。手には「わかば」と書かれたベージュの箱が二つ見える。煙草を買ってきたのだろう。

早速封を切って一本取り出すと、ライターで火を点けて一服する。目を見開いて固まっている佐奈にチラリと目を向けると、少女がこともなげに告げる。

「天狗なんだ、あたし。半分人間、半分天狗」

「鼻は短いけどね、見ての通り」

煙をプカプカさせる少女を、佐奈がまじまじと見つめた。

少女は天狗と人間のハーフだという。俄には信じがたいことだが、高所から飛び降りても無傷だったり、逆に高い場所まで跳躍できる様を見ていると、人間離れしていることは確かだ。目の前で見せ付けられては、佐奈も納得せざるを得なかった。

煙草を吸い終えた少女が、灰皿へ手を伸ばす。吸殻を始末してから、また佐奈にぐっと顔を寄せて、口の上から張り付けていたガムテープをそっと剥がした。少し蒸れていた口元に冷たい風が当たって、佐奈が思わず口を開いた。

「名前は?」

抑揚のない声と色のない目つきで、少女が佐奈に問いかける。

「……佐奈」

佐奈が少しだけ声を震わせながら答える。

「佐賀の『佐』に、奈良の『奈』?」

「うん」

「ふーん、佐奈か」

名前を復唱して、確かめる。佐奈、その名前を目の前にいる少女と関連付けるかのように。

「あたしは信子。本当はちょっと違うけど、信子でいい」

「信子、さん」

「そう。それでいい」

少女、もとい信子がそう言うと、佐奈を見つめて二度三度と頷いた。

信子がおもむろに佐奈に手を伸ばして、手足を縛っていた縄を解く。そのまま特に躊躇うこともなく、縄を抽出しに仕舞い込んでしまった。

「面倒くさいから、なんか。自由にしてていいよ。トイレだってさ、自分で行けた方がいいでしょ」

束縛が解かれて、佐奈が不思議そうに信子を見つめる。すると信子もまた、佐奈を見つめ返してくる。

「ま、しばらくはここにいてもらうから。分かった?」

そう言われてしまっては、受け入れる他ない。佐奈は恐る恐る、こくりと頷いたのだった。

 

※立ち読み版はここまでとなります。続きはイベントにて頒布します本編にてお楽しみください。

頒布物情報