きつねのよめいり
概要
あらすじ
森の奥にある小高い丘「狐ヶ丘」には、たくさん化け狐たちが暮らしている。一醐(いちご)もその内の一匹だ。彼は紛れもない雄狐だったけれど、幼い頃から人間の女子に化けるのが大得意で、しばしば街に繰り出しては女の子に扮して遊んでいた。そんなある日、一醐は見知らぬ一人の少女に出会う。他所から引っ越してきたらしい彼女に興味を持ち、親しげに話しかける一醐。
それが恋の始まりになるとは、知る由もなく。
登場人物
- 一醐(いちご)
- 狐ヶ丘で暮らしている若い雄の化け狐。幼い頃から姉貴分の沙倉に可愛がられ、彼女のようになりたいと願うことで、人間の女子に化けることが十八番になった。人里に出て遊んでいた折に真弓と出会い、彼女と少しずつ中を育んでいくが……
- 真弓
- 最近他所から引っ越してきた少女。物静かでおとなしい印象を与えるが、根は芯が強く一途な性格の持ち主。自分に声をかけてくれた一醐と仲良くなり、四季折々の風景の中で彼女と絆を結んでいく。
- 沙倉(さくら)
- 狐ヶ丘で暮らしている雌の化け狐。一醐を弟のように大切にしている。真弓という友達ができた一醐を祝福し、彼と真弓の関係を応援してくれるのだが……
ちょっと立ち読み
部活帰りと思しきジャージ姿の一団に、紺色のブレザーを着た女子たちが混じって、おしゃべりをしながら広い道を歩いている。
「あと二週間で中間テストだよね。みんな勉強してる?」
「えーっ、まだしてないよぉ」
「とか言ってさあ、ヒロっていっつも平均八十くらい余裕で取っちゃうし」
「そーそー。弘子ったらちゃっかりしてるんだから」
先頭に立っているのは、肩口まで髪を伸ばしたセミロングの女子。スポーツバッグにテニスのラケットをぶら下げて、皆を引っ張るように意気揚々と歩いている。あとからついてくる女子生徒たちもみな楽しそうにしていた。
「今日さー、最後の練習きつかったよね。優美もそう思わない?」
「ホントホント。センセったらムキになるんだからさぁ」
「でもいちごちゃん、楽そうに打ち返してたじゃない」
「そんなことないって、もうへとへとだもん」
彼女の名前は「いちご」というらしい。ハリのある朗らかな声で話す姿が印象的ではあるけれど、これといって目立つところのないごく普通の少女に見受けられた。周りの女子たちもだいたい同じような思いを抱いていて、いちごがこの場にいることをさも当然のことのように思っている。誰一人として、いちごが自分たちに混ざって話をしていることをおかしなことだとは思っていない。
他の誰かの友達だろう、あるいは部活仲間だろう――みんな、そんな風に考えていた。
「ねぇいちごちゃん。誰かさ、気になる人とかっている?」
「うーん、今はいないかな。今はね」
「またまたぁ、思わせぶりなこと言うんだから」
「彼氏が欲しいってわけじゃないけど、もし誰かと付き合ったらどんな気持ちになるのかなって、そういうこと考えることはあるよね」
「あーそれ分かる。自分だったらどうするかなとか考えちゃうよね」
勉強のこと、部活のこと、恋愛のこと。他愛のない話題ばかりだけど、こうして皆で集まっておしゃべりをしていると楽しかった。時間が瞬く間に過ぎていくかのよう。それはいちごもまた同じで、今の時間を心から楽しんでいた。
楽しい時間もいつかは終わりがやってくる。分かれ道に辿り着いて、いちごは右の道に、他の子たちは左の道に進むことになった。
「それじゃあねー!」
「うん、また明日ー」
足取りも軽く歩いていくいちごの背中を見送ってながら、弘子と呼ばれた女の子がぽつりと呟く。
「優美の部活友達だよね、いちごちゃんって。今まで知らなかったけど、いい感じの子じゃない」
「えーっ、違うよ、違う違う」
「うそぉ? そうじゃなかったの?」
「あたし今日初めて見たよ。ずっと綾乃の知り合いだって思ってた」
「えーっ、知らないよ私。気の合う子だとは思ってたけどさぁ。弘子のクラスメートなのかなって思ってた」
「いないいない、うちのクラスにいちごちゃんなんていないよ」
優美の部活友達だと思っていた、綾乃の知り合いだと思っていた、弘子のクラスメートだと思っていた。三人はいちごのことを、揃って別の誰かの友人だとばかり思っていたのだ。けれど、誰一人としていちごのことを知らない。今日初めて会ったと言うばかりだった。気になった三人がいちごの歩いていった道に目を向けてみるけれど、そこにはもう誰もいない。もちろんいちごの姿もなかった。
呆気に取られた様子で、女子たちがその場に立ち尽くす。いったいあの子は、いちごとは誰だったのだろう。まるで狐につままれたような表情を浮かべて、三人は互いに顔を合わせるばかりだった。
「今日も楽しかったなぁ、部活もおしゃべりも」
皆と別れたいちごが足取りも軽く、ふんふんふーん、と鼻歌交じりで歩いていく。肩に提げたテニスラケット入りのバッグを持ち直すと、その顔に思わず笑みがこぼれる。
「優美ちゃんに、弘子ちゃんに、綾乃ちゃんだっけ。みんないい子だったなぁ」
女の子と遊ぶのって楽しい、弾んだ声でそう言いながら、いちごは人気のない道を進んでいく。だんだんあたりの風景が寂しくなりはじめ、初めに商店が無くなり、次に住宅が無くなり、やがて道の舗装も途切れてしまった。一見すると行き止まりのように見えるけれど、いちごの足はなお止まらない。道を外れて森へ足を踏み入れると、立ち並ぶ木々をひらりひらりとかわしながら、奥へ奥へ分け入っていく。
すると、ここでいちごの体に変化が起きた。それはまず頭から始まって、ピンと立った三角の耳が姿を現している。お次はお尻で、紺色のジャージからふわっとした大きな尻尾がいつの間にか生えているではないか。耳と尻尾を揺らしながら歩くいちごの姿は、誰がどう見ても普通の、変わったところのないただの人間ではない。いちごはなおも進み続け、やがて走るような速さで森を駆け抜けていく。
いつまでも続くと思われた森が、ある時不意に途切れるのが見えた。
「――よいしょっと! ただいまーっ!」
一息でここまで走ってきたいちごが木々の合間を縫って飛び出すと、そこは小高い丘の上だった。先程まで友達と歩いていた街を見下ろす、見晴らしのいい丘だ。
「あっ、一醐じゃん。おかえり」
「ただいまっ」
いちご――もとい、一醐を出迎えたのは、体の小さな一匹の雄狐だ。一醐は人間の姿のまま彼にただいまの挨拶をしてから、よっ、と声を上げて、その場でクルリと綺麗な宙返りを披露する。
宙返りが済んでからその場に立っていたのは、一醐を出迎えたのと同じくらいの大きさをした狐だった。着ていた服は頭に載せていた木の葉へするすると吸い込まれるように消えていって、提げていたバッグはいつの間にか長い木の枝に変わっていた。口にくわえていた枝を落として、ついでに頭に載ったままの葉っぱをふるふると首を振って払い落としてから、一醐が自分の前に立つ雌狐に声をかけた。
「……よっと! ねえ弥吾。僕の変身、どうだったかな?」
女子に化けていた一醐もまた、実は同じ雄狐だったのだ。
「いつものことだけど、完璧だったな。けどよう、お前はなんだって雄なのに女子に化けるのさ」
「これが楽しいんだって。弥吾だって、女の子と一緒にいると楽しいでしょ?」
「それはそうだけどよ、お前のそれとは多分違うと思うぞ。だって俺は男に化けてて、お前は女子だろ?」
「うーん。似たようなものだと思うけどなあ、僕は。ま、いっか。お腹空いたし、ご飯食べに行こうよ」
「ああ、行こうぜ」
一醐は弥吾を連れて、丘の東にある果樹園へと歩いていった。
さて、そろそろ彼女の……いや、彼についての話をしよう。
つい今しがたまで中学生の女の子に化けていたのは、一醐という雄狐だ。人に化けるのだから、ただの狐ではない。化け狐である。なりたい者を頭に思い浮かべて、えいやっ、と身を翻すと、あっという間に人の姿へ変化してしまう。いわゆる童話や昔話に出てくるものと何ら変わるところはない。一醐も人に化けるのが大変上手で、今ここに至るまで誰一人として彼を狐だと見破った人間はいない。
一醐は紛れもない雄狐で、同じ男子の友達も多い。雄のふりをしている雌だとか、或いは体は雄だけれど心は雌というわけではない。そういった事情抜きに、一醐は人間の女子に化けることが好きだった。ああしてしばしば少女の姿を取っては、他の女の子たちに混ざって遊んでいた。間近でたくさん見てきたおかげか、はたまた元来穏やかで優しい気立ての持ち主だからか、女子らしい振る舞いをするのも得意だ。ただの人間が気付くことはできない、そう言い切ってもよかった。
身も心も男子ではあるけれど、女の子と一緒にいるのが好き。男として女に接するのではなくて、あくまで女子として接することが好き。雄に生まれたことは少しも悔やんでいないし嫌だとはちっとも思っていないけれど、それはそれとして少女らしくすることが好きだった。他の狐たち、特に雄狐たちからは「変わったことをしている」といつも不思議がられているけれど、一醐がそれを気に掛けることはない。自分にはこれが一番合っていて、化けていて何よりも気持ちがいい。好きなものは好きなのだ、一醐はいつも胸を張って、誰に対してもそう言い切っていた。
そんな化け狐たちが暮らしているのは、「狐が丘」という大きな丘だ。狐が丘、昔からずっとそう呼ばれているけれど、その名前がどこから来たのかは分からない。人が付けたものか、或いは狐が付けたものか、今となってはそれさえも明らかではない。由緒は分からなかったものの、化け狐たちの姿をあちこちで見ることができるこの場所には、まさしくお似合いの名前だった。
一醐はこの狐が丘で生まれ、今も変わることなく暮らしている。親の顔は覚えていないけれど、それはここ狐が丘ではごく当たり前のこと。親が居なくとも、兄貴分や姉貴分の狐たちが子狐に世話を焼いてくれる。一醐もそんな仲間たちに囲まれて育ってきたのだ。
「近頃は栗を食べるやつが多いんだよな」
「栗かぁ。嫌いじゃないけど、あんまり食べないかな」
一醐と弥吾が歩いていった先には、種々の果実が生っている木が所狭しと並んでいた。狐が丘の奥地にある果樹園だ。この果樹園ではたくさんの実をつける木がいくつも植えられていて、狐たちは年中食べる物には事欠かなかった。不思議なことに、木の実はいくら採っても無くなる兆しを見せず、そして季節外れの果実を付ける木もたくさんあったのだ。特に手を入れてもいないのに、冬であろうと夏であろうと平然と葡萄を実らせる木が立ち並んでいるのは、考えてみれば条理に外れたものであるが、この恩恵に与る狐たちが気に掛けることはなかった。
「うーん、今日はこの柿を食べるかな」
「決まりだな。一醐、俺のも一緒にもいでくれ」
「よし、僕に任せてよ」
弥吾の頼みを請け負うと、一醐が近くに落ちていた葉っぱを前脚で舞い上げてから、慣れた様子で頭に載せで、目を閉じて意識を集中させる。
「よっと!」
一声鳴いて軽やかに一回転してみせると、そこにはジャージ姿の女子――少し前までいっしょにいた、優美の姿があった。顔の形も体のつくりもまるっきり優美のそれで、先ほどまで化けていた「いちご」とは大きく違っている。個人の細かな違いまでしっかり真似て化けるのは、一醐の十八番だった。
「へへっ。どうかな? 弥吾」
「化けるのは上手いけどさ、お前やっぱり女子なんだな」
「そりゃそうだよ。なんたって、僕はこうしてるのが一番楽しいんだもの」
優美の顔でにっこり笑うと、一醐は自分と弥吾が食べる分の柿をまとめて木からもいでいくのだった。
「じゃあな、一醐。朝には帰ってくるぜ」
「いってらっしゃい。あんまり遊びすぎちゃダメだよ」
辺りがすっかり暗くなった頃。二人して果樹園で好きな果物をあれこれ食べて満足したところで、一醐はこれから夜の街へ遊びに行くという弥吾を見送った。それから自分のねぐらまでトコトコ歩いていくと、見慣れた小さな洞穴が目に飛び込んできた。一醐が寝るのに使っている場所だ。ただ眠るためだけの、飾り気のない質素な場所だったけれど、一醐にしてみれば立派な我が家、自分の城だった。中に散らばっていた木の葉をさっと払いのけると、一醐がふぅ、と息をつく。
軽く辺りを見回してから、一醐が家から退けたばかりの木の葉をさっと頭に載せて、先ほどと同じようにひらりと身を翻した。あれよあれよと言う間に姿かたちが変わって、一醐は再び「いちご」の姿に変化した。「いちご」は他の人間を真似たものではない、一醐の考える「自分が一番なりたい女の子」を元にした変化だった。一醐がもっとも自信のある変化で、かつ何よりも好きな変化だった。
「――うん。やっぱり、かわいい子に化けるのって楽しいや」
一醐は「いちご」の姿で微笑んで、その場でくるりと回って見せた。濃い紺のデニムのジーンズに、コントラストを効かせつつも派手さを抑えたベージュのブラウス。肩まで届く長い髪は少し青みを帯びていて、蒼を際立たせるかのように赤いブローチも着けている。活動的な装いでいて、同じく落ち着いた雰囲気も纏わせている。シックな色遣いは大人っぽさを強調しつつ、顔立ちには幼さを色濃く残す。相反する要素をひとつにまとめた、一醐お気に入りの変化だった。
なりたい自分の姿に化けて、一醐は足取りも軽くスキップをして見せる。できることならずっとこの姿でいたいくらいだった。もちろん、普段の狐姿や他の変化が嫌いというわけではない。どれも他でもない、大事な自分自身だ。ただ、一醐はこの「いちご」が好きだった。好きすぎるという言葉を使うくらいがちょうどいい。あれこれ考えて、考え抜いて描き出した自分の理想。誰かの真似ではない、ありのままの自分。
己がそんな夢のような姿にいつでも変化できる化け狐であったことを、一醐は心から感謝していた。
「一醐くん」
「あっ、沙倉姉さんっ」
広場を足取りも軽く自由に歩き回っていた一醐が出くわしたのは、凝った紋様の織り込まれた着物をまとう美しい女性・沙倉だった。一醐が側に駆け寄ると、沙倉が一醐を抱きしめて出迎える。沙倉は一醐より頭一つ背丈が上で、一醐が姉さん、と呼ぶのも納得の容姿をしていた。
「うん。相変わらず、一醐くんはかわいいね。すっごくかわいいよ」
「えへへ……姉さんにそう言ってもらえると、僕、嬉しいよ」
一醐と沙倉はしばし抱き合ってから体を離して、同時にさっと宙返りをして、どちらも元の化け狐の姿へ戻って見せた。
「姉さんは綺麗だなあ。狐に戻ると、なおさら綺麗だって思うんだ」
「もう、一醐くんったら、あんまり年上をからかっちゃダメだよ。お姉ちゃん純真だから、本気にしちゃうよ?」
「だって、本当のことなんだもの。本気の本気だよ」
沙倉が一醐に体を寄せて優しく擦り付けると、一醐はくすぐったそうに、或いは心地よさそうに目を細めて、感じ入ったように小さく体を震わせた。
「一醐くんが立派に育ってくれて、本当に良かったよ」
「沙倉姉さんのおかげだよ。独りぼっちだった僕を、姉さんが助けてくれたんだから」
「私はただ、私がしてもらった同じことをしただけだよ。私だって、お父さんもお母さんもいなかったからね」
先にも述べた通り、一醐には生みの親というものが居ない。居たのかもしれないが、狐が丘にその姿が無かったことは確かだった。沙倉によると、一醐を生むと間もなくどこかへ旅立ってしまったという。ゆえに物心ついた頃には、一醐はすでに沙倉たちのような年上の化け狐たちに囲まれて暮らしていた。時に優しく、時に厳しく、けれどいつもあたたかく自分を見守ってくれた彼らに一醐はいつも恩義を感じていたけれど、その中でも一際、沙倉には強い思いを抱いていた。
沙倉は一醐を弟のように可愛がって、片時も目を離すことなく養育してくれた。夏の暑い盛りには冷たい川で共に水浴びをして、冬の厳しい寒さにはその身を以って体を温めてくれた。一醐に食べ物の在り処を教えてくれたのも、怪我をした時手当てをしてくれたのも、そして何より変化を教えてくれたのも、他の誰でもない、沙倉だったのだ。
「僕、姉さんみたいに綺麗な変化ができますようにって、ずっと思ってたんだ」
「……嬉しいな、私。そういうまっすぐなところ、一醐くんの綺麗な心が見えるみたい。眩しいけれど、ずっと見てたくなっちゃう」
一醐にとって、沙倉は憧れの存在、ずっと彼女のようになりたいと思っていた。それが強く影響を与えたのだろう、ご存じの通り、一醐は女子への変化を得意とするようになった。今ではああして沙倉に負けずとも劣らないほどに、綺麗な女の子に化けられるようになった。これは皆すべて、沙倉のように美しくあることを目標としていたから。一醐が敬愛の念を込めて沙倉に鼻をこすり付けると、沙倉はふんわりとした笑みで応える。
甘えた声で身を寄せる一醐を受け入れて、沙倉が耳元でそっと囁く。
「今日も寒いから、私と一緒に寝よっか」
「うん。姉さんがいてくれれば、僕も凍えずに済むよ」
一醐と沙倉が連れ立って歩いて行って、一醐が普段使っているねぐらまで向かう。
その日は二人身を寄せ合って、体温を分かち合い、冬の寒さをものともしない温かな夜を過ごしたのだった。
「さて、と。今日はどこへ遊びに行こうかな」
今日も一醐は狐が丘を出て、麓の街へ繰り出している。変身しているのはお気に入りにして一醐が理想とする少女「いちご」だ。他の誰でもない、一醐が思い描く誰よりも可愛い女の子。背丈は高校生くらいで、今の一醐の年齢を人間に直すとちょうどこれくらいの歳になる。なりたい自分になりきって、肩で風を切って悠々と歩く一醐、もといいちごは、とても幸せそうだった。
最近できたばかりの大きなショッピングモールにやってきた一醐は、今日はここで遊ぼうと決めて中に入る。中にはいろいろなものを売っているたくさんのお店があって、見ていると思わず目移りしてしまう。あっちこっちに目を向けていた一醐だったけれど、ふとショーウィンドウに映った自分の姿が目に留まる。どこからどう見ても人間の女の子、それも自分が思い描く一番素敵な女の子が目の前にいる。
やっぱり僕は、こうやって女の子でいるのが一番だ。一醐は「いちご」としての自分を見て、ますますその思いを強くした。
「――ふふっ」
小さく笑った一醐が再び歩き出す。隣を通り過ぎていった同い年くらいの男子が、すれちがいざまにこちらを振り返るのが見えた。一醐は軽くウィンクをして、颯爽と奥へと歩いていく。きっとあの男の子は、僕のことを女の子だと思ったに違いない。そう思うと一醐は嬉しくなって、ますます足取りが軽くなった。さあ、何をして遊ぼうか。煌びやかなショッピングモールで、一醐が胸を弾ませる。
たまたま上映直前だった恋愛映画を観て(可愛い女の子になるためには可愛い女の子を見るのが一番!)、ちょっと並んでカラーシュガーのまぶされたバニラのアイスクリームを買って、雑貨を見て回って。ここにいると一日時間をつぶせちゃうよ、一醐はそう思わずにはいられなかった。今日はバイト――一醐は街にある小さなハンバーガーショップで働いているのだ。もちろん、人間に変化して――も休みで、自分の好きなように時間を使うことができる。時計を見ると、まだお昼を回ったばかり。まだまだ楽しい時間が続くことを予感して、一醐がにっこり笑う。
ショッピングモールで十分楽しんだ後、一醐が外に出て通りを歩き始めた。公園へ散歩に行くのもよし、カラオケで唄うもよし、バスに乗って海を見に行くのもよし。何をしようかな、心を弾ませながら道を進んでいく一醐だったが、ここでふと目を惹くものを見つけて。
「ん? あの子……見たことない子だ」
見知らぬ少女が一人、自分の前を歩いているのを見つけた。一醐は昔からしょっちゅう他の女子に交じって遊んだりおしゃべりをしているから、ほとんどの子の顔と名前を覚えている。だから、初対面の子を見つけるとすぐに気が付くのだ。あっという間に意識が彼女に向けられて、怪しまれないようにしながら後ろへぴったり着いていく。興味を持ったものはとことん追いかけるのが一醐の性格だった。
背丈は自分とほぼ変わらない。たぶん、同い年くらいに違いなかった。ますます興味を持って観察していると、立ち止まって辺りをキョロキョロ見回し始めた。この付近は道に迷うような場所ではない。だとすると、どこか遠くから引っ越してきたのだろうか。一醐が彼女の顔も名前も知らないことを踏まえると、そう考えるのが正解のように思えてならなかった。
せっかくだから、ちょっと遊んであげようかな。一醐は持ち前の明るさでもって、道端に佇む少女に声をかけた。
「どうしたの?」
「……ふぇっ!?」
驚いて顔を上げるのが見えた。目元が可愛い、一醐が真っ先に抱いた感想がそれだった。一醐はにっこり微笑んで、彼女に向けてさらに言葉を投げかけた。
「もしかして、ここに来たばかりだったりする?」
「えっ? あっ、はい……ついこの間、引っ越して来たばっかりで……」
指先でそっと前髪を直す。この仕草、とっても素敵だ。そう思わずにはいられなかった。少女は決して目立つ風貌ではなかったけれど、どこを切り取っても絵になる綺麗な顔立ちをしていて、それでいてあどけなさを色濃く残している。一醐が変化している「いちご」もそんな女の子をイメージしていたから、自然と親近感を抱く。もっと彼女に顔を寄せて、近くで様子をうかがう。
仲良くできたら、きっと楽しいに違いない。一醐はそう考えた。なら、こちらから積極的に話しかけていった方がいい。相手の喜ぶこと、相手が助かることをしてあげるのが心を通わせるための第一歩だ。口元に優しい笑みを浮かべて、穏やかな声で語り掛ける。
「もしよかったら、この辺り、ボクが案内するよ」
「えっ?」
「ほら、キミ、道に迷ってたみたいだし」
「は、はい……でも、その……」
「あっ、ボクは押し売りとかヘンな勧誘とか、そんなんじゃないよ。どこか怪しい所へ連れてこうってわけでもないからね」
ちょっとおどけた調子で一醐が言うと、女の子はそれが可笑しかったみたいで、思わず吹き出して笑い始めた。彼女が笑ってくれたことが嬉しくて、一醐も一緒につられて笑い始める。どうやら一醐のことを受け入れてくれたようだ。安心した一醐が、女の子に先んじて前へ出る。
「じゃあ、まずは向こうにある公園に行ってみよう!」
「はいっ」
指差した先にある公園を目指して、二人がてくてく歩いてゆくのだった。
※立ち読み版はここまでとなります。続きはイベントにて頒布します本編にてお楽しみください。
頒布物情報
- 配布形式
- 書籍(紙媒体)
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- 一次創作/短編小説/40P
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- 全年齢対象(制限なし)
- 頒布価格
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