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頒布物紹介 - 目は口ほどにものを言う

目次

目は口ほどにものを言う

概要

あらすじ

マリは真面目でお堅い高校一年生。何事も論理的・科学的に説明できると信じていて、もちろん幽霊の存在なんてまるで信じちゃいない。ところがある日、マリはちょっと変わった女の子と目が合って。

「ふっふーん。うちの脚綺麗でしょー? こー見えてもお手入れは欠かさなかったし!」

「いや、そうじゃないんですが」

「あ、途中で消えてるやつ? ほら、うち幽霊だし」

「ゆゆゆ幽霊!?」

菜々子と名乗るこの少女、なんと幽霊だったのだ!

登場人物

ちょっと立ち読み

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制服のリボンをぴしっと伸ばします。不恰好によれていないことを鏡で確かめます、確かめるまでもなくピンと伸びています。髪は一本残らず同じ長さで、ブラウスにも皺ひとつありません。当然です、身だしなみに気を遣うのは学生の基本ですから。

「行ってきます」

「行ってらっしゃい、マリちゃん」

母に見送られつつ、登校のため家を出ます。

申し遅れました。私はマリ、山村マリと言います。十五歳、今年進学したばかりの高校一年生です。得意な科目は英語と国語、苦手な科目はありません。好きな食べ物は大福と里芋の煮転がし、嫌いな食べ物はありません。得意なこと、好きなものはあっていいと思いますが、苦手なこと、嫌いなものは克服すべきというのが信条です。

他の人は私を「真面目」と言います。よく言われます。事実です。私は自分を真面目だと認識しています。真面目であることに何の躊躇いがありますでしょうか、私は自分の在り方を正しいと信じています。他の人に強制することはしませんが、私は私の在り方を変えるつもりもありません。ですので、不真面目は許せません。いけないことだと思います。しかしです、もっと許せないものがあるんです。

私が許せないもの、それはエセ科学やオカルトの類です。とても嫌いです、英語で言うならスーパー嫌いです。それらの中でも「幽霊」! 幽霊は特に嫌いです、エクストリーム嫌いです。幽霊なんてものは実在しないと決まっているのに、長きにわたってたくさんの人を惑わします。なんとも不埒な存在としか言いようがありません。非科学的な存在は認めません、絶対に認めません。

幽霊なんて、この世にいるはずがないのです。

「おはようございます」

「あ、マリちゃん。おはよー」

同級生の方と挨拶をします。朝の挨拶は生活の基本、欠かすべきではありません。カバンを席に置いて教科書とノートへ机へそっと差し入れます。中には置きっぱなしにしている人もいるとのことですが、家での自習に支障が出ます。ですので私はすべて持ち帰っています。これもまた当然です。家でも自習を欠かさず常に勉学に励むべき、これもまた私の信条です。

黒板消しがチョークの粉で汚れているのが見えます。これはいけません、授業に支障が出るかもしれません。クリーナーへ持って行って黒板消しを綺麗にします。たったこれだけのことで気持ちよく授業を受けられるのですから、やっておいて何も損はありません。すべて綺麗にしたところで自席へ戻り、参考書に目を通します。後は授業が始まるのを待つのみ、です。

さて、一時間目は数学です。得意な教科が最初に来ると気が引き締まっていいですね。

「この問題が分かる人、挙手してください」

授業中にはこうして自主的な挙手が求められる場面が多々あります。気後れして手が挙がらない、という方もいるでしょうが、私は違います。

「はい、山村さん」

積極的に手を挙げて解答すべきです。前に出て回答を黒板へ書きつけます。既に答えは分かっているのですから、何も躊躇う必要はありません。堂々として行きましょう、胸を張って生きたいと常日頃から思っていますから。別に胸が出ていないことを気にしているわけではありません。そう言う話はまったくしていません。関係ないことをあれこれ言うのは失礼です。

黒板に書いた答えを見て、先生が「そうですね、これが正解です」と言います。あくまで当然の結果です、驚くようなことは一つもありません。きちんと講義を聞き、予習復習をこなしていれば、授業中に出題される問題は必ず解けるはずですから。

日頃から備えていれば慌てる必要はありません、つまりはそういうことなのです。

 

そのまま授業を受けて、お昼休みを挟み、残る授業を終えて放課後となりました。普段私はすぐには家へ帰らず、図書室で少しばかり読書をしてから帰宅しています。今日もまたその例に漏れません。本日借りて読んでいるのは「悪童日記」。古典の名作ですね。今日はこちらを手に取りましたが、最近刊行された書籍もよく読んでいます。本に貴賤はありません、血肉にするもしないも己自身の読み方に掛かっています。ええ、例によって私の信条です。

書かれた文字を追うことに神経を集中させて、雑念を棄てて本と向かい合います。読書というのは頭の運動であると、常日頃から思っている次第です。神経を研ぎ澄ませることで物語が描こうとする風景・感情・その他諸々を脳裏に思い浮かべ、自分もその一部となるくらいに深く没入する。読書の在り方は人それぞれですが、私の理想はこのようなものです。「悪童日記」の主人公であるリュカとクラウスの……

「それでさぁ、御影ちゃんが走って行っちゃってぇ」

「うん、それでそれで?」

読んでいたページにしおりを挟み、ぱたん、とあくまで丁寧に本を閉じます。本は繊細にできていますから、乱雑に扱うようなことは禁物です。お喋りをしていた同級生にスッと目を向けると、相手方も私の存在に気付いたようです。微妙な空気のまま口を半開きにしています。例を示すべく、私は口を結んで無言のまま人差し指を当てて、

(静かに)

の仕草をして見せます。どうやら意図が伝わったようですね、二人がお喋りを止めて静かに本を読みはじめました。やれやれ、初めからそうしてほしいものです。

眼鏡を軽く直して、読書を再開します。よくある風景、いつもながらの光景です。

じっくりと読書したところで、終業のチャイムが鳴りました。速やかに家路に就きましょう。もちろん寄り道などすることはありません。まっすぐ家まで帰ります。買い食いなどもってのほかです。食事は家できちんと取りましょう。私は母と一緒に夕飯の支度をしています。きっと母も帰ってくるのを待っていることでしょう。

登校してきた道をそっくりそのまま逆に辿って歩いていきます。途中で信号のない交差点があるので、よく左右を見てから渡るべきです。この辺りはかつて交通事故が起きたとも聞きました。見ると時折花が供えられていることがあります。事故はあってはならない悲しい出来事です。未然に防ぐためにも、十分注意して歩きたいものです。

「ですが、私が注意していても、車の方が無謀な運転をすることがあるのが困りものです」

この帰り道でも、かなりの猛スピードで走って行く自動車を目撃しました。接触すれば文字通りひとたまりもありません。自動車が来る気配がないかしっかりと確かめてから道を渡ります。そろそろ信号や横断歩道が付いてもいいと思うのですが、なかなかここまで手が回らないようです。

交差点で揺れる花を横目に道路を渡りきれば、あとは安全な歩道を歩くことで家まで帰ることができます。一安心です。

「ただいま帰りました」

学業は学生の生業、そしてきちんと家に帰るまでが学業です。午後五時ぴったりに家まで辿り着くと、留守を守っている母に報告を兼ねて挨拶をします。

「お帰り、マリちゃん。今日もお疲れさま」

「買い物は大丈夫ですか。必要なものがあればすぐ買ってきます」

「今日はいらないわ、昨日マリちゃんが行ってきてくれたから」

「分かりました。では、夕飯の支度をしましょう」

「マリちゃんはしっかりしてるわね、少し休んでからでもいいのに」

カバンを自室に置くために階段を上って二階へ向かいます。その後はすぐ母と一緒に夕飯の支度です。休むのはその後で何も問題ありません。

こうして、今日もまた私の平穏な一日が無事に過ぎていく、というわけなのです。

 

休日には散歩を欠かさない、私の数ある習慣のひとつです。家に籠もっていては健康的ではありませんし、外の空気を吸うのは大事なことです。かと言って街中へ遊びに出ていくのは間違っています。散歩は適度な運動を伴う健康的な活動と言えます。何か武道のひとつでも嗜んでいればそれに打ち込めたのでしょうが、あいにく私は体力に自信がありません。日頃から克己の姿勢は欠かしませんが、己を知り無理をしないこともまた大切ですから。

散歩のルートはある程度決めています。当てもなく歩くのは好ましくありません、何事も明確な目的を定めて進めるべきでしょう。散歩もまた同じです。通学路を少し大回りする形で進んだのち、商店街を抜けて復路は川沿いの道を進み、交差点で元の道へ復帰するという流れです。所用時間はおよそ一時間、必要十分な距離と言えるでしょう。

交差点、いつも通っているあの場所です。今日もまたそこへ差し掛かりました。以前お伝えした通り、ここには信号がありません。そしてどうも自動車が速度を上げて突っ込んで気やすい場所のようです。十分に注意を払って渡る必要があります。右・左、もう一度右、念のため左。何も来る気配はありません。少しだけ歩くペースを速めて反対側の歩道へ。やれやれ、無事に渡り切ることができました。徹頭徹尾平穏無事な生活を送りたいのが信条ですが、この交差点がある限り叶いそうにありません。

ふと、交差点の角に目が向きました。歩いていた足も止まります。目線の先では花が揺れています、白い百合の花です。ここに咲いている――わけではありません。舗装されたコンクリートの上に咲けるほど、百合は強くないことを知っています。手向けられています、正しくは供えられています。束になった百合の花がそっと置かれて、誰かを悼んでいるようです。恐らくはここで数年前に起きたという交通事故を受けてのことでしょう。誰が被害に遭われたのかは分かりませんが、痛ましいことです。遺された方の心情を慮ると、美しい花を手向けたくなる思いも理解できるというものです。

「あの花いい感じでしょ? お母さんがチョイスしてくれたの」

なんですか急に声を掛けてきて。いわゆる「怪訝な顔」というべき表情で声のした方へ向き直ります。しかしながら、不可解なことに辺りに人の姿は見当たりません。右でしょうか、誰も居ません。左でしょうか、人影は見当たりますが男性の方です。聞こえたのは女性の声、それも恐らくは同年代のものでした。誰でしょうか、挨拶もなしに話しかけてきたのは。

「えっ、もしかして聞こえてたりする?」

また声が聞こえます。しかし近くに人影はありません。なんというか、綺麗な言葉ではありませんが、からかわれているような気がしてなりません。

「どなたですか、私に声を掛けたのは。人をからかうのははしたない行為ですよ」

と強めに言ってみましたが、周りの人たちは何やら不思議そうな顔をして私を見ています。どういうことでしょうか、ちょっと好ましくない雰囲気です。まるで……私が独り言をぶつぶつ言っているかのような。しかし、しかしです。確かに声が聞こえるのです、背中から、聞き覚えのない女子の声が。どうも嫌な予感がします、具体的にどうこうという訳ではありませんが、今の状況に適切な説明をすることがどうにもできそうにないのです。

声のした方向、すなわち背中へ振り返ります。ゆっくりと、十分な時間を掛けて。そこで私は、声の主と対面しました。

「ちょっと、誰ですか貴女は」

「うち? うち菜々子! 永遠の十六歳!」

「私は十五です。って、年齢は訊いてませんっ。なんですか一体、急に声を掛けてきたりして」

「めんごめんご、というか、やっぱうちの声聞こえてる?」

「聞こえるに決まってるじゃないですか。聴力検査はいつもパーフェクトです」

「すっごぉーい! マジで聞こえてるんだ! こんな子初めてだし!」

ちょっと意味が分かりません。こいつは何を抜かして、いえ失礼、この方は何を仰っているのかさっぱり分かりません。当然ながら面識もありません。私がこんな不埒な茶色に染めた髪の人と付き合いがあろうはずがありません。制服は私の通っている高校のモノと同じですが、顔も見たことのない方です。

「ふざけてるんですかっ。大体なんですかその髪は、茶髪なんてはしたないですっ」

「えっ見えるの? 姿も見えてるわけ?」

「見えてるに決まってるじゃないですか。視力検査はいつもパーフェクト……って同じこと言わせないでください!」

「うっわー、聞こえてるし見えてるし、マジ最高ってやつじゃんこれ!」

「さっきから一体何を訳の分からないことを……」

どうにもこうにも噛み合わないまま勝手に話が進んでいっている気がします。好ましくありません、非常に好ましくありません。一方的に流れを掴まれるというのは何とも不愉快なものです。もう一度この方の姿かたちを確かめてやりましょう、ということで、足元に目を向けました。

足元は――ありませんでした。

いえ、正確に言うと完全にないわけではないです。無いわけではないって二重否定ですね、不適切です。正確に言いましょう、存在はしています。しかしその存在の仕方が非現実的、非論理的、非科学的の三拍子揃ったものになっているのです。まったく揃っていてほしくないものがどうしてこう綺麗に揃うのか。言葉を尽くして表現してみますと……ええ、脚が透けています。ふくらはぎの辺りから急に薄くなっていって、足首からはまったく見えません。見えるのは地面、アスファルトで舗装された地面のみです。

「……は?」

と思わず礼儀も何もない声を上げてしまうくらいには驚きました。少しのことでは動じないと自負していますが、さすがに目の前で足元が透明な女子を見て落ち着けという方が無理筋ではないかと思う次第です。ええっと、なんでしょうこれは、新手のファッションとかでしょうか、光学迷彩みたいな。いやいや光学迷彩はまだ実用には程遠かったと記憶していますし、あれは確か軍事用です。眼前の方はどう見ても軍の関係者などには見えません。光学迷彩の線は無いでしょう。だとすると……何なのでしょうか。

「ふっふーん。うちの脚綺麗でしょー? こー見えてもお手入れは欠かさなかったし!」

「いや、そうじゃないんですが」

「あ、途中で消えてるやつ? ほら、うち幽霊だし」

「ゆゆゆ幽霊!?」

そんな馬鹿な、と目を疑います。目の前の方は自称幽霊とのこと、透明になってる足もそれが理由だとか。何が何だかさっぱり、いえ皆目見当もつきません。先ほどから言葉遣いが乱れ気味ですが、率直に言ってそこまで気に掛けている余裕がありません。

「はっ、まさかあの花は」

「そ。うちにお供えしてもらった花だよー。綺麗でしょ? お母さん花選ぶのうまいからね!」

なるほど話が見えてきました。この交差点で起きた交通事故、それで目の前にいる女子の方が亡くなられた、あの花は子の人のためにお供えされた、そしてどういうわけか今私の前にいる。ようやく個々の要素が一本の線に繋がったと言えるでしょう、着実な進歩ですね。

幽霊? 私が幽霊を見ていると? そういうことになるのですか?

「周りには誰も居ません、私一人だけですね」

「えっ、ちょっちょっ」

「きっと疲れているのでしょう、行けませんね、幻聴に幻覚とは」

「おーい、ちょっとー、幻覚でも幻聴でもないってばー」

「今日は帰って休むべきです。明日からの学業に差支えが出てはいけません」

ええ、はい。私は何も見ていません、何も聞いていません。疲れから生じる思い込み、感覚の異常でしょう。今の私に必要なのは十分な休息、他を置いてありません。休みましょう、休みましょう。そうすれば元通りになるはずです、私はそう信じています。

通常の倍くらいの速さで早歩きして家へ戻り、鍵を開けて中へ入ります。二階にある自室まで止まらず真っ直ぐ歩いていき、ばたん、と扉をきちんと閉めて一息つきます。やれやれ、ここまでくれば一安心です。私は何も見ていません、何も聞いていません。念押しでもう一回言い聞かせます。すべては思い込み、疲れから生じる脳機能の不具合、そう、そうなのです。そうに違いありません。

「おっじゃっましまーすっ!」

「はぁ!?」

えっ、ちょっ、どういうことなのこれ、なんなのこれ。はっ、いけませんいけません、言葉遣いが著しく乱れています。私としたことが、はしたないではありませんか。って、今はそんなことをいちいち気に掛けている余裕はありません。

「なぜここが!?」

「なぜここに、じゃない?」

「どっちでもいいですっ。どうして貴女にここが分かったのか、というニュアンスですっ」

「えっ、フツーに後ろから付いてきただけだけど」

「なら一言断ってください……って、あーっ! もうっ! 普通に会話しちゃってるじゃないですか私ーっ!」

ぶんぶんと全力で首を振ります、いけませんいけません、これは本当にいけません。このままでは私は幽霊と会話している人になってしまいます。幽霊、私は決してその存在を認めませんからねっ。これは幻聴です、幻覚です、すべては疲れた脳がもたらす架空の存在なのです。

「何も見えませんっ、何も聞こえませんっ」

「せーのっ、やっほぉーっ!」

「わぁ! ここ家ですよ!? 家で何大声出して叫んでるんですか!?」

「聞こえてないからだいじょぶだいじょぶ」

「聞こえますってば……いえ聞こえません! 一切聞こえません! びた一文聞こえませんっ!」

「どうして聞こえないふりするのー?」

「幽霊なんて非科学的で非論理的で非現実的だからです、いるはずがありませんっ。ましてや声が聞こえるなんてあるわけないからですっ」

「いるよ?」

「いませんっ」

「せっかくうちのこと見えてるんだから、もっと一緒に遊んだりしようよ」

「見えませんってば」

「えーっ。つまんないなぁ」

「こらっ、膝を立てて座るのは失礼ですっ。下着が見えてますよ」

「何色?」

「水色」

「やっぱ見えてるじゃーん」

「……って、こらぁーっ! 人をからかうのはよしなさい!」

「あ、こっちは白かぁ。真っ白だねっ」

「何見とるんじゃワレぇーっ!」

思わず汚い言葉遣いが飛び出すほどの怒りです。最悪です、最悪以外の言葉がありません。ぷち最悪などではなく百パーセットフルスペック最悪です。服の上から透視して下着の色を言い当ててくる幽霊とか今すぐ成仏してほしい以外の言葉がありません。なんでこんなのが見えてしまうんでしょうか、今まで幽霊だとかそういったものが見えた記憶はまったく無いというのに、なぜこの方だけ例外的に私の目で捉えられたのか、耳で声を聴けたのか、何一つ一切合切分かりません。一から十まで意味不明です。どなたか詳細を教えていただきたい次第です。

「うーん、ここ落ち着くなぁ。居させてもらうねっ」

「えっ……ちょっ、はぁ!?」

「ずーっと外歩いてて、たまに他の人の家上がったりしてたけど……うち、ここで住みたい!」

「いや、 何言ってるんですか貴女は、まるで意味が分からないんですが」

「だってさ、他に話し相手もいなくて退屈だったし」

「いけません、居候だなんて。家族、母に説明が付きません」

「ここにいるだけだから大丈夫だって。ほら、幽霊だからご飯食べないし」

「そ、それはそうですが……」

「よーし決めた! 今日からここで暮ーらそっ!」

「えぇーっ!?」

「いいよね? うんうん、おっけーおっけー!」

「よくありませんっ、出ていってください!」

理解不能です。ともかく部屋から、我が家から追い出さなくては、そう思ってぐいぐい押……そうとしたら、何も触れるところがなくて手は空を切り、その場で思いっきりずっこけました。見事なまでのずっこけです。おでこが床に直撃してとんでもなく痛いです、間違いなく赤くなっていることでしょう。酷い目に遭いました。何から何までこの自称幽霊のせいです。最悪にも程があります。

どうやら腕づくで追い出すことは無理そうです。何せ触れることができないのですから。腕ずくも何もあったものではありません。ということは、向こうが出ていく意思を見せない限りここに居着かれるということでもあります。冗談じゃありません、何ゆえに私がこのような自称幽霊を部屋に置いておかなければならないというのでしょうか。まるでさっぱり意味が分かりません。

「おかっぱちゃん面白い、見てて飽きないし!」

「誰がおかっぱちゃんですか。私にはマリというれっきとした名前があります」

「あっ、マリね、マリ。覚えたよ! うち人の名前覚えるの大得意だから」

「いいですか、私は貴女をこの部屋に……」

「で、ユリっちさぁ」

「早速間違えてるじゃないですか! マリですよマ・リ!」

「うちは菜々子! 好きなように呼んでくれていいよ」

「菜々子さん、ですか」

「カタいなぁー。もっと気楽に『ななっち』とか呼んでくれていいのにぃ」

「馴れ馴れしいです、その呼び方は。人の名前はきちんと呼ぶべきです」

「真面目なんだね、マリっちは。ま、とにかくこれからお世話になるんで、よろしくっ!」

「よろしくされても困るんですけど!?」

トントン拍子、いえ、これは良くないことなので本来正しくない用法だと理解しているのですが、何もかもうまく行かないまま、この菜々子さんと名乗る自称幽霊は私の部屋に住み着くことになりました。本気で意味が分かりません、なぜこんなことになったのかどなたかに説明を求めたいくらいです。しかし、しかしです。幽霊などという非科学的で非論理的で非現実的な存在のことを、私の口から誰かに相談することなどできますでしょうか。いいえできません、そもそも他の方には見えていないようです、相談したところでどうにもならないでしょう。

決して認めたくないのですが……どうやら、しばらくこの自称幽霊の菜々子さんと生活を共にする必要がありそうです。今から気が重くて仕方ありません。

「あ、そうだ。お菓子とかない? ポッキーとかビスコとか。ハリボーグミでもいいけど」

「ありませんっ」

 

※立ち読み版はここまでとなります。続きはイベントにて頒布します本編にてお楽しみください。

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