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頒布物紹介 - 答えはいつも自分の中に

目次

答えはいつも自分の中に

概要

あらすじ

自宅である古アパートと雑居ビルの一角にある会社を往復する無為な日々を過ごすOL・里村紬。そんな彼女には、他人に言えないある秘密があった。悶々とした日々を過ごす中で、紬は一風変わった広告を目にする。「他とはひと味違うサービスをご提供」「どんな望みも思いのままに」――書かれたキャッチコピーに心奪われた紬は、意を決して電話を掛ける。そして迎えた夜、紬の部屋を訪れる者がひとり。

「こんばんはー。ストロベリークラブから来ました!」

紬が電話を掛けた先、それは。

「ほんとに……狸、なんですね」

「はいっ。ばっちり狸です。作り物とかじゃありませんから、ご安心ください」

――「どんな姿にも化けられる」、化け狸を派遣するサービスだった。

登場人物

ちょっと立ち読み

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下ろしたばっかりなのにもうよれ気味のエコバッグを提げて歩いてる。最寄りのコンビニまで歩いて七分くらい、遠くはないけど近くもないっていうか。サラダ一パック買いに行くには微妙な距離だって思う、そのためだけにエコバッグ持ってく自分も微妙なやつだって思う、自分でも思うよ。でも三円増えるって言われたらな、エコバッグ持ってきますってなっちゃうよ、やっぱり。それにしてももっと気の利いた、なんだろ、お弁当入れるような手さげとかの方がいいのに。人に見られること気にするのに、どう見られてるかまで気が回らない。そういうところが、自分には足りない。

足りないものは、他にも山ほどあるんだけど。

駅からは徒歩十五分、築大体三十年くらい。安アパート、安アパートだろうなぁ。周りと比べて家賃だいぶ安かったはずだし、今のところお金足りなくて首回らないってこともない。見てくれはまあみすぼらしい、地元にもこんなのいっぱいあったよねって思う。山あいだったし人も減ってたし、そういうところにあるアパートといい勝負って時点でどうだろな、って。何か不満があるとかじゃない。ただどうなんだろうってだけで。

ポストを開けるとチラシとかダイレクトメールとかがパラパラ出てきて、その中に茶色い封筒も。なんだこれ、差出人は……お母さんだ。気になってその場で口を破って開けてみる。出て来たのは同窓会の案内、高校の時のやつだ。そう言えば二日くらい前にLINEでそういうこと言われた気がする、こっちに送っとくって。配信観てたから既読スルーしたけど。興味ないよ、同窓会とか。まとめて共用ゴミ箱に捨てようとしたけど、自分の名前とか入ってるし、これだけは別にして捨てといた方がいいか。エコバッグに突っ込んでポストを閉める。広告類は見ないで捨てた。

ドアを開ける、電気を点ける、エコバッグをテーブルへ投げ出す、後ろでドアが閉まる、置きっぱなしの鍋に水を張る、コンロに火を入れる、水が沸いてお湯になる、塩を目分量スプーンで入れる、下の棚から洗濯ばさみで止めたパスタの袋を出す、袋からなんとなくパスタを出して鍋に入れる、茹でる、茹でる、茹でる、もういいかな、キッチンタイマー買おうって思ってるのに休みになるといつも忘れる、網、じゃなかったザルに入れてお湯切って、お皿に入れておしまい。ルーチンワークだな、ここまで全部。テーブルに置いて、エコバッグからサラダ出して。割り箸割って、ってところで思い出した、ドアの鍵掛けてない。掛けた、こんなとこさ、入る泥棒もいないと思うけど、そうしてないと気分的に落ち着かないから。

「いただきます」

ぱらぱらと塩を振ったパスタを割り箸で混ぜて食べる。ちょっと時間が経つとすぐもそもそしちゃうからな、パスタって。箸休めっぽくサラダに手を伸ばす。箸休めにして気休め、野菜食べなきゃっていう義務感みたいな。もっとたくさん食べた方がいいって言われてるし思うけど、なんか自分から食べようって気持ちにあんまりならない。食べなきゃいけないから食べる物って位置付け。だから箸休めって言っても大抵先に全部食べちゃう。好きだからじゃない、あんまり食べたくないから先に全部食べて、食べたいものを後回しにするため。地元にいた頃からずっと同じ食べ方してる。先に付け合わせの野菜食べちゃってからお肉とかご飯とか食べる、みたいな。

テーブルに投げ出したカバン、社員証がちらりと顔を出してるのが見える。人に説明するの難しいんだよな、今の仕事。難しい仕事ってわけじゃないんだけど。データ入力、って言えば伝わるかなぁ。毎日支社から大量の書類が社内便で届いて、それをパソコンで一つずつ打って行く仕事。どういうデータで何に使われてるのかは分かんない、データ自体の意味もさっぱり、というか考えたこともないかも。勤め始めて丸互年、先月からは六年目。チーフから特に怒られたりすることもなくて、ずーっと同じ仕事を続けてる。目で見た通りにデータを入れるだけだから楽だけど、同期は割と早めに辞めてった。単純作業で面白くないから、みたいなこと言ってたっけ。分からなくもないけど、何するか分かってた方が楽でいいんじゃないか、とも思う。楽な方

がいいよ、仕事なんて。

同期の子はもうみんな辞めちゃったし、下の人は下の人同士でつるんでるから、会社で仲良しの友達とかはいない。仕事で必要な話とかはするけど、そこから先、お昼休みに一緒にご飯食べたりとか休みの日に遊びに行ったりとかは全然。独りでいるのが当然、誰かといるのが特別、そうなってる。言わなくたって分かると思うけど。

去年までは歓送迎会とか忘年会とかあって、基本強制参加だから一応顔は出してた。お酒飲むと気分悪くなるから烏龍茶だけ飲んで、他の人の話にうんうんって頷く、これが大体三時間。楽しかった記憶全然ない。それで自己紹介で自分にも話す番が回ってきて、「趣味は何?」とか訊かれる。毎回困る、なんて言えばいいのか分かんないから。分かんなくて、だいたい「読書を……」とか言葉を濁しちゃう。そうすると二回に一回くらいは「どんな本読むの?」とか突っ込まれるの。もっと困って、毎回「東野圭吾とか……」ってごにょごにょする。ごまかして乗り切るのが精いっぱい。

ホントはそんな本とか読むの好きって訳じゃない。嫌いでもないけど自分からたくさん読むってほどでもない。趣味なんて言えない。趣味ってもっと楽しめるもので、打ち込めるもので、特技と似たようなものじゃないかなぁ。自分にそういうものはない。休みの日はずっと寝てるか、パソコンの前に座ってあれこれしてるかのどっちかだし。

先にサラダを食べきった、湯気が消えてじわじわ冷め始めたパスタに箸を付ける。会社の人たちとの付き合いはこんな感じだし、他に友達がいるってわけでもないし。だからって人が嫌いって感じでもなくて、なんだろうなぁ、自分が誰かといるとさ、その誰かが「楽しくない」「つまんない」って思ってないか気になっておどおどしちゃう。それで勝手に気疲れして、一人の方がいいやって思っちゃう。でもなぁ、自分中途半端だからさ、一人でいるのサイコー、とか心から思えるわけじゃないっていうね。時々誰かといたいな、一人だと寂しいな、とか思っちゃうんだ。いざ誰かといたら疲れるクセにこれだもん。めんどくさい、自分がめんどくさい。

こんなんだからさ、分かりきってると思うけど彼氏なんていない、いるわけない、いるはずがない。彼氏いない歴は年齢です、って冗談ぽく言うけどあんまり笑えないな。もう二十六か七とかだし。どっちだっけ? 忘れちゃった。どっちだって構わないか。ぶっちゃけ彼氏欲しいって思ったこともないし、もっと言うと自分を彼女にしたいとか思う物好きがいるとも思えない。自分と付き合うとかさ、罰ゲームだよ。罰ゲームでもなきゃやってらんない。

今日はちょっと塩かけ過ぎちゃった、そう思いながら食器を流しに浸けておしまい。洗うのはもう明日でいいや、今日は早く寝たい。ぽつぽつカビの生えたお風呂場でシャワーだけ浴びて、タオルだけ巻いて髪をテキトーに乾かす。自分一人だけなのにバスタオル巻いちゃうの、一応気恥ずかしいとか思ってるからかな、うーん違うな、そうじゃない。鏡に映る自分の身体を見るのがヤダ、こっちだ。自分のことが自分であんまり好きじゃないから、できるだけ見ないようにしたい。見なきゃいけない時も見る面積を減らしたい。見たくないんだもん、自分のこと。

もういいかな、微妙に湿ってる気もするけどもういいや。ドライヤー切って電気消して、敷きっぱなしの布団へ潜り込む。電気消さなきゃ、潜り込んでから起きてちょっとふらつく頭で紐を引く、豆電にした、ぱたりと布団に倒れ込む。どこからどう見ても寝る雰囲気と姿勢だし、実際寝ようって気持ちはある。気持ちは、確かにあるんだけど。

(ああダメだ、また浮かんできちゃう)

なんでだろうなぁ、お布団に入ったらやましい考えがフワフワ浮かんでくるのって。

寝る前にはいつもあれこれ考える。それは将来のこととかのちゃんとした考え事じゃなくて、もっとこう、生々しいっていうか、そういうやつ。誰もいないから、誰も見てないから、何考えたっていいんだ、リミッターが外れてるのかな、きっとそうだと思う。分かんないけど、自分以外の人も同じようなことしてるはずってずっと思ってる。思ってるだけで訊いたこととかはないけど、てかこんなこと訊けないし。寝る前にエッチなこと考えてますか、とかさ。訊いたら頭おかしい人って思われる、絶対、間違いなく。

それでさ、うーんと、今自分が考えてることなんだけど、あれだよね、ヘンだって普通じゃないんだって分かってる、分かってるんだけどさ。分かっててもどうにもならないんだ。

(女子が女子に興奮するのって、どうなんだろう)

興奮するって言い方アレだけど、やわらかくするとドキドキする。別に誰でもって訳じゃないけど、胸の具合がおかしくなるのはいつも決まって女子相手だ。男子にそういう気持ちを抱いたことはない、ただの一度も、真面目に一回もない。自分が女だって自覚がないってことじゃないよ、それは分かってる。それはそれとして、女の子にばっかり意識が向いちゃう。いつ頃からだろ? 高校の時ぐらいからだったかな。もうそろそろ十年くらいの付き合いになる厄介な感情。

実家にいた時は親が見てるんじゃないかとか気になっていろいろ我慢してたけど、一人暮らし始めたら誰にも見られなくなるもんね、自分の好きなことをするようになった。漫画とかアニメとか、そういうやつのイラストを集めたり。元ネタ分かんないことも多かったけど、絵が綺麗だったらそれでいいかなって。女の子同士でイチャイチャするような漫画とかも読んでる、なんとかコミックとかの「女性向け」だと男同士で絡んでるのとか男と女の恋愛みたいなのばっかりだったからさ、そういうのじゃなくて自分で検索して探したりとかで。本になってるの見つけて、アマゾンで買ったりもして。

でもね、でも。最初の内はそれで満足できてたんだけど、最近それじゃ物足りなくなってきた、ちょっとずつ。あ、えっと、別に女の子襲いたいとかそういう願望があるわけじゃないから、てか自分にそんなのできっこないし。だけど、段々エスカレートしてきてるのは事実で、頭の中で考えてることが。なんだろな、女の子同士のセックス想像して……誰もいないから言っちゃっていっか、その、ひとりエッチしたりとかしてる。言っとくけど、セックスしてるのは自分じゃないよ、自分じゃなくてもっと綺麗な女の子同士で。自分はどこにいるんだろ、それを透明人間になって見てる、たぶんそういうノリ。女子の間に入ったりとか、自分が相手になったりとか無理、絶対無理。だって自分綺麗じゃないし、可愛くもないし。

自分が出てくるのは嫌い、無理。そうだよ、それはそう。でもね、また「でも」だけど、すること自体、女子同士でセックスっていうのは、きっと気持ちいいしハマっちゃうと思う。どういう風にやるのかはネットで調べてみた、それで合ってるのかは分かんない。ネットの情報、ウソいっぱい書いてるし。ただ、ウソかホントかは置いといても、すり合わせたらきっと気持ちいいだろうな、とは思う。お股の辺り、すりすりって。ああ、ダメだ。想像したらヘンな気持ちになってきちゃった。

ずっと外に干してなくて微かに生ぐさい匂いのする布団をかぶり直す。こんなこと、当たり前だけど誰にも言えない、口が裂けても。会社でも一言も漏らしてないし、家族っていうか親にも同じ。言えるわけないじゃんこんなこと。自分の中でだけ抱えてて、ひとりで妄想をいっぱいにふくらませてる。それでもいいかなって思ってた、誰にも迷惑かけてないし。だけど困ったことに、最近自分自身がいっぱいいっぱいになってきてて。もっと気持ちよくなりたい、もっとスッキリしたい、そういう気持ちが抑えきれないくらい大きくなってきてるのを、嫌ってくらいに感じちゃってて。

ああ、もう、めんどくさい。ぎゅっと目を閉じて光を断って、無理やり眠りにつこうとする。こういう時は決まって寝つきが悪くて、つられて目覚めも悪くなる、頭では分かってても、身体の方はどうしようもない。

何より一番どうしようもないのは、こんなことしてる自分自身だっていうのに。

 

やっぱり目覚めが悪い、思った通りの流れ。布団から出る気が起きなくて、頭? 視界? なんだか分かんないけどグルグルしてる。ハッキリしない意識の中でひとつだけ分かること。身体がじくじくしてる、起きた時からずっと、あるいは起きる前からかも。じくじく、嫌な感覚だ。痛いとか苦しいとかとは違うけど、無視するってこともできない。だって時間が経てば引くものでもないから、どっかで収めなきゃいけないやつだから。

布団の周りに丸めたちり紙が転がってる。ゴミ箱が近くにあるのに入れ損ねてそのままになってるやつ。箱の方は今にも払底しそうで、抜き取る度に頼りなく途中まで一緒に付いてきちゃう。ちり紙は何に使ったものかって? 言わなくても分かってるくせに。わかんない? ひとりえっち、オナニーだってば。目が覚めたときからシてて、今日はもう二回目。布団に籠もったまま一歩も出ずに股ぐら弄ってる、文字にしてみると情けなくてみっともない。何してるんだろ、って憂鬱になりそうで、それを嫌がって指先に力がこめて弄っちゃう。嫌な気持ちを拭うために、目の前の気持ちよさに身を委ねる。後でもっと嫌な気持ちになること、分かりきってるのに。

気が抜けるから、疲れが出るから、それっぽい言い訳はいくつか思い付くけど、仕事が休みになると身体が火照ってオナニーしたくなっちゃうとか、どういう理由でも鼻で笑われて終わりだよね。でもホントにシたくなっちゃうからどうにもならない。誰にも怒られないからしたいようにシてるんだけど、なんかダメ、足りない、物足りない。一回じゃ全然足りなくて二回目なんだけど、もう今からおかわりしちゃうんだなって気持ちになってる、情けないけど。これってさ、あれだよ、性欲強いってことだと思うんだけど、ええっと、すっごいシたい、って気持ちじゃなくて、うまくイけないって感じの方が強くて。不完全燃焼、一酸化炭素中毒になりそうなくらいの。数をこなしてごまかそうとしてるけど、うまく行く気がちっともしない。

生温い快楽とじれったい性欲でぼやけるアタマ、いつもの半分も働いてないそれが、延々ぼーっと思い浮かべてるひとつの図があって。

(あれ、やっぱり気になる)

ネットしてる時に流れてきた広告。なんだっけアレ、確かデリヘル? とかいうやつだったかな、確かそれ。すっごいざっくり言うと、お金払うと自分の家に来て気持ちよくしてくれるってやつ、それはまあ当たり前なんだけど、自分が見た広告だと「女性もOK」とか書いてあった。えっと、サービスする方を募集ってわけじゃなくて、お客として女の人でもいいですよ、って感じで。他と一味違うサービスだって書いてて、パラパラ漫画みたいになってる広告を最後まで見ちゃった。しまいにホームページにも飛んで、どの辺りでやってるのかまで確認しちゃって。ビックリしちゃったよ、こっから歩いて二十分くらいのところが住所だって書いてたから。

つまり――うちに呼ぼうと思ったら、呼べる。

誰かを自分の家、ぼろっちいアパートの狭苦しい部屋に上げたことなんてない。親も入れたことないくらいだから。だからすごい気が引ける、こんなとこに来るなんて絶対嫌がられるって。ましてやデリヘルの人とかさ、どんな風に接したらいいかとかも分かんない、変なこと言って「何こいつ」みたいに思われたりしそう。人付き合い苦手だってことは自分が一番よく知ってるし。躊躇う、とても強く。いつもだったらもう絶対無理、誰か上げるなんて考えるのはよそう、ってすぐ諦めると思う。今も「やめとこう」って思う気持ちがちょっとある。

でも、「でも」なんだ。体が、身体が、躰が、カラダが、起きる前からずーっとじくじくしてる、疼いてる、欲しがってる。オナニーしてもごまかせなくて、だけどごまかすにはそれしかなくて、ほっといたら土日中ずっとオナニーし続けちゃいそう。それはヤダ、ヤだけどカラダの方はどうにもなんない。アタマが完全に屈服しちゃってて、今こうやってる間もナカをねちっこく指で掻き回してる。うじうじ悩んで、ぐじぐじ弄って。小一時間くらいずうっとうだうだやってたかなぁ、やっぱこんなのダメだ、どうしようもないや、諦めて一度目を閉じて、それからでっかいため息ひとつ付いて。

「掃除機、もう掛けても大丈夫な時間、かなぁ」

人を呼ぶなら埃くらい払っておきたいくらいに、自分にも常識ってものはあるんだ、曲がりなりにも、一応、それなりに。

 

不自然だと思う、普段掃除してないから。目に見えるチリとか髪の毛とかは吸えるだけ全部吸って、なんかそれでも気になったから百均行ってコロコロローラーも買ってきて転がした。万年床だった布団も外に干して叩きまくった。すっごい埃出てビックリしたっけ、今日雲一つない晴天ってやつだしよく干せたと思う。溜まってたチラシとかも全部捨てた。なんか匂いこもってるような気もしたからファブリーズもいっぱい撒いた。見られて困るものは全部押し入れに突っ込んで、今部屋には折り畳まれた布団一式があるだけ。年の瀬でもないのにこんな大掃除するとかさ、どうかしてるよね。この部屋で年末に大掃除とか、した記憶ちっともないけど。

ピンポーン・ピンポーン。やけにでかい音のチャイムが鳴った、あっ来たっ、来た来たっ、びくぅってカラダが跳ねて、前のめりになりながら慌てて玄関まで小走り。チェーン外して鍵外してドア開ける、いた、人が立ってた。自分と同じくらいの背丈、割と小柄な女の人。間違いない、この人だ。自分ちを訪ねてくるのは新聞の集金係の人とアマゾンの箱持ってくる人、あと小さな冊子持って勧誘してくるようなのくらいしかいなくて、夜に来るなんて人はほとんどいないから尚更。ホントに来た、時間ピッタリ、一分くらい早いかも? てかそんなこといいや、挨拶挨拶、挨拶しなきゃ。

「こんばんはー。ストロベリークラブから来ました!」

「あっ、は、はいっ。ええっと、な、中にっ」

「はいっ。お邪魔しまーす」

ええっと、えっとえっと、なんかお茶とか出した方がいいのかな? 冷蔵庫になんかあったっけ、確か二リットルの麦茶くらいしか、てかそれよりなんか言わないと、間が持たない、間が持たないとヘンな空気にさせちゃう。それは良くない、なんか喋ろう、てかまだ名前言ってない、名前名前、名前言わなきゃ。

「あっ、あのっ、おっ、お昼にで電話したっ、里村、つ、紬です」

「ご注文ありがとうございます、里村さん。うち、リコって言います」

「り、りこ、さん」

「はい。お呼びする時は、里村さん、でいいですか? 紬さん、でもいいですよ」

「ぇあっ、じ、じゃあ、そっち、名前の方で」

「分かりました! よろしくお願いしますねっ、紬さん」

親以外に名前、名前で呼ばれるのとか何年ぶりだろ、初めて、かも。何もしてないのに、なんかもういっぱいいっぱいなんだけど、これからもっとアレコレするんだよね、自分とリコさんで。気が遠くなってきた、昔遠足で山上った時、もうくたくたなのに山頂までまだまだずーっと道が伸びてるのを見たときと似た感じだ。まだ先は長いんだよ、落ち着こう自分、とりあえずリコさんについてちょっと見てみよう、失礼にならないくらいに、できるだけ自然、自然に。

まず目につくのは目、これじゃ意味分かんないな、もっと言うと、えっと、目に大きな隈ができてる。目を覆うように、濃いほくろ色の隈がある。あれだよ、寝てなくてできるやつとは全然違う、不健康そうな感じは一ミリもない、ほっそりしてすらっとしてて、なんかスポーツとかやってた、やってるって感じするし。てか、自分の方がよっぽど元気無さそうに見えると思う。だけどもっと、もっと目につく部分があって、頭なんだけど、耳。耳が丸い、違うよ丸いより先に言うことあるあるじゃん、もっとさぁ。

上! 頭の横じゃなくて、上についてるってこと言わなきゃダメじゃん。

「ほんとに……狸、なんですね」

「はいっ。ばっちり狸です。作り物とかじゃありませんから、ご安心ください」

 

※立ち読み版はここまでとなります。続きはイベントにて頒布します本編にてお楽しみください。

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