フェイスブックの向こう側
概要
あらすじ
高校生の少女・真央には、ちょっと変わった「のっぺらぼう」の親友・紗久弥がいる。顔はないけど誰よりも感情豊かな彼女は、顔文字を描いたスケッチブックこと『フェイスブック』を使ってコミュニケーションを取っていた。真央は紗久弥といつも仲良くしていたけれど、いつしかただの友達とは思えない、特別な感情を抱いていて……。
登場人物
- 真央
- 高校生の女の子。紗久弥とは中学校からの友達。
- 紗久弥
- のっぺらぼうの女の子。顔も口もないけれど、身振り手振りのボディランゲージとたくさんの表情を描いた『フェイスブック』で誰とでもやり取りしてみせるバイタリティの持ち主。真央のことは大切な友達だと思っているようだけれど……?
ちょっと立ち読み
爽やかな朝の空気で満たされた通学路を、通学カバンを肩にかけた真央が颯爽と駆けていく。ゆるやかな上り坂になっているこの道を走るのが、真央にとって毎日のはじまりだった。走っていく先には交差点があって、真央はそこ目掛けてまっすぐ進んでいく。
交差点の真ん中には、真央と同じ制服を着た女子がひとり、背を向けて立っているのが見える。彼女の姿を見つけた真央はパッと目を輝かせて、大きく声を張り上げた。
「おーい! 紗久弥ーっ!」
名前を呼ばれた少女――紗久弥が、くるりと身を翻して振り返った。ふわりと揺れた髪の向こう側、そこにあったのは……。
否、「何もなかった」。真っ平な肌だけが広がって、そこには目も鼻も口もない。俗に言う「のっぺらぼう」だ。顔についているようなものは何ひとつ見当たらず、ただすべすべの肌だけが、髪の間から覗いていた。こう見えても真央のことはちゃんと認識しているらしい、しっかりと彼女の方を向いて、走ってくるのを待っているのが分かる。
紗久弥の元まで駆け寄った真央が息を整えながら、顔を上げて紗久弥を見る。
「ごめんごめん、待ったかな?」
ふるふると横に首を振るのが見える。紗久弥はただ「顔がない」だけで、他は真央たちと大して変わるところのない普通の女の子だ。真央の方もこれが自然だとばかりに、紗久弥と何の違和感もなくコミュニケーションを取っている。紗久弥には顔がないけれど、その分身振り手振りで自分の感情を積極的にアピールしていて、なんだったら他の子より感情豊かにすら見えてくるから不思議だ。
真央と紗久弥が出会ったのは、ふたりが中学へ上がってからのことだ。入学直後にたまたま同じクラスに割り当てられ、さらに偶然にも席が隣同士になったのがきっかけだった。さすがに出会ったばかりの頃は真央も紗久弥が「のっぺらぼう」なことに文字通り、文字通り『面食らって』いたけれど、それも最初だけのこと。すぐに意気投合して仲良くなった真央と紗久弥は同じ高校へ進学して、今も変わることのない友情を育んでいる。
紗久弥は真央たちと変わらない『顔のある』人間の母親と、のっぺらぼうである父親との間に生まれた子供だった。顔以外は上から下まで何もかも若い頃の母親と瓜二つで、父親の特徴は顔の部分にだけ現れたそうだ。赤ちゃんの頃は泣かない代わりに何をしてほしいか知るのが大変だったり、声が出せないゆえに幼稚園に上がる前から文字が書けるよう練習したりしたんだよ――いつだったか、紗久弥が昔を懐かしむように話していたのを、真央は今でもよく覚えている。
さて。ふたりが並んで歩いていると、とんとん、と紗久弥が真央の肩を指でつつく。真央がサッと隣へ視線を向けると、そこには。
「あっ! また新しい顔描いたんだ」
スケッチブックにクーピーで描かれたコミカルな「笑顔」のイラストがあった。紗久弥はそれを掲げてあたかも自分の顔のようにして真央に見せている。紗久弥がスケッチブックを一枚めくると、今度は眠そうに目を細めているキュートな顔が見えた。どうやらこれも新しい顔の絵らしい。真っ白な紙にカラフルに描かれた紗久弥の顔は、彼女の感情をとても分かりやすく表現していた。
紗久弥の顔には口がなく声も出せないものの、このスケッチブック――顔を表現することが多いので、紗久弥はこれを「フェイスブック」と呼んでいる――を使って言いたいことや伝えたいことを表現している。筆談に使うこともしばしばで、紗久弥にとっては何よりも大切なものだ。これのおかげで、紗久弥はコミュニケーションに困ることがないのだ。
「おはよー」
「紗久弥もおはよー」
通学路を抜けて普段通り学校へ着くと、教室で先に登校していたクラスメートから挨拶を受ける。真央が挨拶する横で、紗久弥が「おはよー!」と大きく元気に書かれたスケッチブックのページを掲げて応えた。ここでも紗久弥を奇異な目で見たり怖がったりする者は皆無だ。みんな紗久弥がただ「顔がない」だけで、それ以外は自分たちと変わらない普通の女子だと知っている。紗久弥の掲げる「おはよー!」に、周りの女子たちも気さくに返していた。
真央が席に着いてカバンから教科書とノートを取り出して机へ入れると、一足先に準備を済ませた紗久弥が真央の元へ近付く。スッと横に立った紗久弥が、ためらうことなく真央にぎゅっと抱き付いた。わっ、と真央が小さく声を上げる。だけど驚きはすぐに収まって、しきりにくっついてくる紗久弥に嬉しそうな表情を見せていた。こういうことは日常茶飯事、毎日のように繰り返していることだ。この様子を見ているだけで、紗久弥と真央が親友同士だということが誰でも分かるだろう。
そう、真央は紗久弥を親友だと思っている。それはきっと紗久弥も同じだと考えていて、今の様子を見ている限りは正しそうだ。真央は紗久弥と仲良くしていたい、一緒にいたいという気持ちが強いことを自覚している。紗久弥は自分と一緒にいるときいつでも楽しそうにしているから、これもきっと同じだろう、真央はそう思っている。
(私……紗久弥のホントの気持ち、分かってあげられてるかな)
……もっと正しく言うなら、そう思いたかった、なのだけど。
紗久弥はのっぺらぼうと人間の間に生まれた子で、のっぺらぼう故に顔も口もない。だから身振り手振りと「フェイスブック」で相手とやり取りしているのだけど、真央は紗久弥の言いたいこと伝えたいことをちゃんと汲み取れているか心配になることがしばしばあった。なるべく意識するように気を付けてはいるけれど、自分の思い込みを紗久弥に押し付けていないか、気配りのできる紗久弥が無理して合わせてくれていないか、真央はそれを気にかけていた。
平べったい顔をいっぱいに使ってほおずりする紗久弥はとにかく楽しそうで、何か心配するようなことはまるでなさそうだったけど、真央はもっと紗久弥と仲良くなりたかった。今でも紗久弥を親友だと思っているけれど、それよりももっと深い関係になりたいという気持ちがあることを自覚していた。
のっぺらぼうの紗久弥には、表情を現す顔も声を出す口もない。けれど真央が知っている誰よりも感情豊かでカラフルで、自分よりずっと輝いて見えていた。だから紗久弥のようになりたい、深くつながりたいという気持ちが強くあった。
「あっ、先生来た」
真央が声を上げると、紗久弥がぴょんと小さく跳ねてすぐに自分の席へと戻っていく。
その仕草ひとつさえこの上なくかわいらしくて愛おしい、真央はそう思わずにはいられないのだった。
*
さて、迎えたある日の休日。
「スマホよし、財布よし、ハンカチよし……これでバッチリだね」
提げたバッグの中身を一つずつ指さして、忘れ物が無いことをチェックする。これからどこかへ出かけるようだ。確認を終えた真央が靴を履いて家を飛び出し、学校へ向かうときと同じように坂道をパタパタと軽快な足取りで駆けていった。心なしかウキウキした様子は、彼女の気持ちが表に出ているかのよう。
向かった先は通学路、その先にあるのはいつもの交差点。けれど真央の目的地は交差点そのものではなく、交差点で待っているはずの誰かにあって。真央の想う「誰か」というのは、もちろん――。
「紗久弥ーっ! 今日もお待たせっ」
言うまでもなく、のっぺらぼうの紗久弥だった。真央の声を耳にした紗久弥がくるりと振り向き、走ってくる真央にぶんぶんと大きく両腕を振って応える。紗久弥には顔こそないけれど、ものを見たり聞いたりすることは普通にできるのだ。しっかり真央の方を向いて、もし目があるならきっちり目を合わせているだろう動きをしているのが見て取れた。
駆け寄った真央を、紗久弥がめいっぱい腕を広げてからのハグで出迎える。今日はこれから二人で出かける約束をしていたのだ。待った? 訊ねる真央に、紗久弥は首をふるふると横に振って「来たばかりだよ」と合図をする。待ち合わせの時間まではあと三分くらい余裕がある、お互い会いたさ故に早く来たのが分かる。
「よし。それじゃ、行こっか」
ふたりが連れ立って歩き、ほどなくして最寄りの駅に着いた。流れるようにして電車に乗り込み、真央と紗久弥が向かうのは六駅ほど行った先にある市街地だ。二人が住んでいる場所は閑静な住宅街で、住み心地はいいが遊ぶ場所としては物足りない。だから買い物をなどをするときは、こうして外に出かけるのがお決まりだった。
目的地の駅に辿り着いて電車を降りると、紗久弥が真央の手をそっと引いて歩いていく。行きたい場所があるらしい、真央は素直に付いていった。紗久弥に手を引かれるまま向かった先は、表の路地から少し入ったところにあるこじんまりした文具店だった。やっぱりここかぁ、真央が思わず頬をゆるめる。紗久弥はこの文具店でスケッチブックやクーピーを買うのが好きで、二人で出かけた折は必ずここへ顔を出すのがお決まりだった。
紗久弥が自動ドアをくぐって店内に入ると、品出しをしていた店主のおばあちゃんがそれに気付いてのそのそと振り返り。
「あら、いらっしゃい。今日も買いに来てくれたんだねえ」
真央を連れて入ってきたのっぺらぼうの紗久弥を見るなり、まるで孫の顔でも見たような様子でうれしそうに顔をほころばせた。よく買い物に来てくれる紗久弥とはすっかり顔馴染み、といったところだ。まあ、紗久弥には「顔がない」のだけど、それはご愛敬ということで。
他では見ないような珍しい色のクーピーがずらりと並んだ棚を、紗久弥が食い入るように見つめている。彼女に目があったなら、間違いなく星のようにキラキラと輝いていたことだろう。これとこれ、あとこれも。そんな声が聞こえてきそうな調子でひょいひょいと新しい色のクーピーを手に取る。これはどうかな? 紗久弥が真央に手にしたクーピーの色を見てもらう、春っぽくて可愛いね、真央が素直な感想を口にすると、そうだよねそうだよね、と言いたげにぶんぶんと頭を振る。顔はないのに実に表情豊かだ。
欲しいものを一通り見繕うと、紗久弥はおばあちゃんの待つレジまで小走りに駆けて行った。はいはい、いつもありがとうね。しゃがれた声でお礼を言いながら丁寧に商品を紙袋へ詰め、紗久弥へと手渡した。
早速いい買い物ができたと喜ぶ紗久弥と手をつなぎ、今度は真央が先導する形になった。真央が目指しているのは打って変わって表通りに建つ大きな百貨店、その中に期間限定で入っているポップアップストアだ。さて、二人が向かおうとしているのが何のお店かと言うと。
「見て見て! ハチワレの新しいぬいぐるみ!」
なんかちいさくてかわいいやつこと『ちいかわ』のグッズが並んでいた。刺又のようなものを持ったちょっと凛々しい『ハチワレ』のぬいぐるみを手に取って、真央が紗久弥に見せている。真央のお気に入りはこの子のようだ。一方紗久弥はきょろきょろと辺りを見回してから、あっ、と前に小走りで向かっていく。目当てのものが見つかったようだ。紗久弥が棚から取ったのは、「チュッ」とお猪口で一杯やっている『くりまんじゅう』の描かれたマグカップだった。紗久弥はこちらが推し、といったところだろう。
真央はハチワレのぬいぐるみとスマホカバーを、紗久弥の方はくりまんじゅうのマグカップを買うことに決めたようだ。レジで支払いを済ませてお店を出たふたりはどちらも満足げだ。欲しかったものは手に入る瞬間が一番テンションが上がると言うけれど、それは真央と紗久弥も同じなのだろう。
仲良し同士で買い物に来ているのだから、なおさらだ。
※立ち読み版はここまでとなります。続きはイベントにて頒布します本編にてお楽しみください。
頒布物情報
- 配布形式
- 書籍(紙媒体)
- 配布物概要
- 一次創作/短編小説/28P
- レーティング
- 全年齢対象
- 頒布価格
- ¥200