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頒布物紹介 - 若帰り

目次

若帰り

概要

あらすじ

死者がかつての姿で一週間だけ戻ってくる「娑都還り(さとがえり)」なる風習のある、山辺市は甚三紅(じんざもみ)区。高校生の少女・美加の家にも、十年前に亡くなったおばあちゃんが帰ってくる日がやってきた。お赤飯を炊いて、鯛の尾頭付きも作って、大好きだったおばあちゃんを出迎える準備を張り切って進める美加。ところが帰ってきたおばあちゃんは、思いもよらぬ姿をしていた。

「この先輩みたいな人……まさか!?」

「帰ってきたよ、みーちゃん」

すっかり若々しくなって戻ってきた「おばあちゃん」に、美加はただ戸惑うばかりで……。

登場人物

ちょっと立ち読み

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「おかあさーん、お赤飯炊けたみたい」

「ありがと、美加。こっちも鯛の尾頭付きの下ごしらえができたわ」

八月三週目の日曜日。私とお母さんは台所に立って、朝からお出迎えの準備に精を出していた。

「エプロンに三角巾がよく似合うわ。誰に似たのかしら、料理の手際もいいし」

「お母さんったら。褒めたってなんにも出ないよ」

「うふふ。こうやって普段からもっと台所に立ってくれると、お母さんもハッピーなんだけれども」

「もう、すぐこれなんだから」

お母さんと二人、しきりに軽口を叩いて冗談を飛ばしながら、手の方は休まずてきぱきと料理を仕上げていく。栗きんとんに甘く煮た黒豆、牛蒡と蓮根のきんぴらも。フライパンが空いたら、厚焼き卵も作らなきゃ。少ない時間をやりくりするのは、忙しいけどなんだか楽しい。

炊き上がったお赤飯を少し蒸らしてから、しゃもじを使ってごっさごっさとかき混ぜる。こうやって混ぜておけばべちょっとしなくて、おいしく食べられる。ずいぶん前、お正月にお赤飯を炊いたときに教えてもらったことだ。他にもたくさんのことを教えてもらった。その一個一個が、すごく懐かしい。

「おばあちゃんが帰ってくるの、よっぽど楽しみなのね。お母さんも楽しみだわ」

「うん。だって、ずっとおばあちゃんに会いたかったから」

「美加がこんなに素直に育ってくれたのを見たら、おばあちゃんもきっと喜んでくれるわね」

着々と準備を進めて行って、やることがすっかり無くなってしまった。けど、何かしてないと落ち着かない。どうしよう、と手持ち無沙汰でそわそわしてたけど、あっ、とひとつ思い出したことがあった。奥の和室まで行って器を持ってくると、水で丁寧に洗う。水気をよく切ってから炊いたばかりのお赤飯を丸く盛って、再び和室へ取って返す。

器を元あった場所――菊子おばあちゃんの仏壇へお供えすると、鈴を鳴らしてから手を合わせた。

(今年で、もう十年になるんだ)

菊子おばあちゃんは私が六つの頃、今から十年前に、寿命で亡くなってしまった。八十三歳だって聞いたから、かなり長生きした方だと思う。大きな病気も怪我もしたことがなくて、いつでも元気な姿を見せていた。亡くなるときもほとんど苦しまずに、安らかに、眠るように天へ旅立ったって聞いた。

小さくてまだ分からないことばっかりだったけど、おばあちゃんが死んだって聞かされた時はすごく悲しくて、泣いても泣いても泣き足りなくて、一日中泣き止まなかったのをよく覚えてる。あんまり泣くから、お母さんももらい泣きしちゃって、二人でずっと泣いてた記憶がある。冗談見たいな話だけど、ホントにあったことだ。それくらい悲しい出来事だった。

いつも優しく一緒に遊んでくれた、大好きなおばあちゃんだった。私の名前が「美加」だから、いつも「みーちゃん、みーちゃん」って呼んでたっけ。その声を聞くと嬉しくなって、すぐにおばあちゃんのところまで飛んで行った。一人で眠るのが怖いときは、一緒のお布団に入って寝ることも多かった。そんなおばあちゃんが帰って来てくれるっていうんだから、落ち着いてなんかいられない。

ところで、私はさっきからずっと「おばあちゃんが帰ってくる」って言ってるけど、どういうことなのか分からない人も多いと思う。死んだ人は二度と戻ってこないのが当たり前でしょって言われたら、確かにそれはそうだ。だけど、この町――山辺市の甚三紅区だと、実は当たり前ってわけでもなかったりする。

(「娑都還り」って、そんなに珍しいことなのかな)

甚三紅には、その名も「娑都還り」という風習がある。甚三紅で生まれた人が亡くなると、何年か間を空けてから、生前の姿のまま一週間だけ帰ってくるのだ。月にだいたい二人か三人くらいは帰ってきて、かつての家族や友人と一緒の時間を過ごす。一週間が経つと、またあの世へ戻る。これが「娑都還り」。甚三紅だとこれがごく普通のことで、私も何人か帰ってきた人を見たこともある。中には、小学生の頃に事故で死んじゃった友達もいたっけ。久しぶりに遊べて嬉しかったな、あの時は。

ちょっと話が脱線しちゃった。よその地区だとこういう風習がないからずいぶん珍しがられるけど、甚三紅だと「死んだ人が帰ってくる」っていうのはごく当たり前のことで、おかしなことでも何でもない。日常風景の一つだ。向こうから会いにくるから厳密には違うけど、言ってしまうと病院の面会みたいなものだと思う。

前に聞いた話だと、戻ってきたい人は大勢いるから、向こう一年くらい予約でいっぱいになってるらしい。あの世でも順番待ちをしなきゃいけないのは同じみたいだ。おばあちゃんもずいぶん前から戻ってきたいって言ってたみたいで、最近やっとご指名があったらしい。一ヶ月くらい前に区役所から連絡があって(戻ってくるときのいろいろな手続きとかは、全部区役所でやっているらしい)、今日うちへ帰ってくることになった。

戻ってこられるのは一週間だけ。長いとは言えない期間だから、できる限りのおもてなしをしてあげたい。好きなものをたくさんこしらえてあげて、行きたいところに連れていってあげたい。物は持って帰れないけど、記憶は別だ。いい思い出をいっぱい作ってもらいたい。朝からお母さんと二人でいろいろな料理の支度をしていたのは、それが理由だ。

「……よし。最後の仕上げをしなきゃね」

手を合わせ終わったところで、すっくと立ち上がる。まだちょっとだけ仕上げが残ってる。それを済ませて、おばあちゃんを気持ちよく迎えられるようにしよう。

最後にもう一度だけ振り返って、仏壇の上で微笑むおばあちゃんの遺影を仰ぐ。

「もうすぐ会えるよ、おばあちゃん」

そう、もうすぐだ。

もうすぐ、おばあちゃんに会えるんだ。

 

 

区役所から電話があった。今から二十分ほどしたら、おばあちゃんを車で送ってきてくれるらしい。私はいても立ってもいられなくなって、電話があってからすぐに玄関へ向かった。サンダルを履いて区役所方面の道を眺めながら、それらしい車が走ってくるのを今か今かと待ちわびる。

「区役所の人が、家に着いたらチャイムを鳴らしてくれるって言ってるのに、せっかちなんだから」

「だって、おばあちゃんが帰ってくるんだよ。待ちきれないって」

そう言いながら、お母さんももう玄関でスタンバイしている。おばあちゃんに会いたいのは同じだった。そわそわしながら首をうんと長くして待っていると、遠くに白いライトバンが見えた。区役所の駐車場に止まってる車だ、視力がよかったおかげで、たちまちそうだって分かった。

ほどなくして車が家の前に止まって、運転席から区役所の人が出てきた。後部座席のドアをスライドさせて、誰かに車から降りるよう促す。おばあちゃんに違いない、期待に胸を膨らませて、降りてきた人がこちら側へ回ってくるのを待つ。

けれど、現れたのは思わぬ人で。

「……あれ? えっと……」

車から降りてきたのは、さらさらの黒い髪を肩の当たりまで伸ばした女の子だった。背が高くて、体つきはシュッとしてる。自分より一つ年上くらいに見えるから、なんとなく先輩っぽい。フレームのある眼鏡をかけていて、顔はちょっと丸っこくてふんわりしている。可愛い子と言えば可愛い子だけど、なんていうか……

とりあえず、おばあちゃんじゃない。おばあちゃんじゃない、見たこともない謎の女の子が、私とお母さんの前にしれっと立っている。一体誰なんだろう、おばあちゃんはどうしたんだろう。しきりに首を傾げてみるけど、答えは出てきそうもない。思い切って直接事情を聞いたほうがいい。そう思って、隣に立っている職員の人に声をかけた。

「あの、すいません。この人の家……ここで合ってますか?」

「前島さんのところですよね。はい、合ってますよ」

職員さんがそう言った直後、先輩っぽい女の子が、つぼみのような小さな唇を開いて声を発した。

「――みーちゃん、ひさしぶりだね」

みーちゃん、と呼ばれた瞬間、私はこの女の子が誰なのか、私にとって誰なのか、すぐに分かった。分かってしまった。

「もしかして……お母さんなの?」

「そうだよ。みーちゃんもゆーちゃんも、そんなにビックリしなくたっていいんじゃないかな」

そう。この女の子は、他ならぬおばあちゃん――菊子おばあちゃんだったのだ。若々しい、というよりすっかり若返ってるけど、女の子は菊子おばあちゃんだ。

「ふふふっ。約束通り帰ってきたよ、みーちゃん」

私は目をまん丸くして、ふんわり笑みを浮かべる女の子、もといおばあちゃんをまじまじと見つめたのだった。

 

 

ともかくおばあちゃんが帰ってきたってことで、さっそく歓迎会が始まった。お父さんにお母さん、ご近所の人たちが合わせて十人くらい集まって、和室に座布団を敷いて座っている。

「本当にびっくりしちゃったわ。お母さん、私の若い頃にそっくりねえ」

「でしょ? だって、親子だもん。わたしもね、ゆーちゃんのこと抱っこしながら、同じこと思ってたんだよ」

お母さんは最初こそ若々しい姿のおばあちゃんに驚いていたみたいだったけど、しばらくもしないうちに親しげに話すようになって、お酒が入る頃にはすっかりいつものペースを取り戻していた。お母さんが言っている通り、今のおばあちゃんは若い頃のお母さんにそっくりだ。二人横に並ぶと、お互いに面影があるのが分かる。

二人はよく似ていて、血のつながりがあるのは明らかだ。お母さんはおばあちゃんの娘で、おばあちゃんはお母さんのお母さん。疑う余地なんてない。だから私も、このおばあちゃんの孫――のはず。

「ゆーちゃん、いい子いい子」

「お母さんったら、調子いいんだから。もうおばさんなんだから、恥ずかしいわ」

「いやぁ、ホントに出会った頃の由美とそっくりだな。写真は見せてもらってたけど、ここまでとは」

「ふふん。ちょっと前までは、わたしもこーんなに可愛かったんだから」

胸を反らせて得意気なおばあちゃん……って言うのももどかしいけど、立場的には私のおばあちゃんだ。どう見ても同級生か一つ上の先輩にしか見えないけど、この人は私のおばあちゃん、あの菊子おばあちゃんなんだ。だってそうじゃなきゃ、お母さんの小さい頃の話とか、できっこない。

けど、けどだ。この女の子が菊子おばあちゃんだなんて言われても、全然ピンと来ない。戸惑ってばかりで全然話に混ざれなくて、瓶入りのオレンジジュースをコップに注いでちびちび飲んでばかりいる。

なんでだろう、こんなはずじゃなかったのにな。

(おばあちゃんが、おばあちゃんのまま帰って来ると思ってたのに)

(確かに、おばあちゃんが帰ってきた。けど、おばあちゃんじゃなかった)

ご近所の人たちもみんなすっかり出来上がって、親しげにおばあちゃんと名乗る女の子に声をかけている。

「まあまあこんなに若くなって、びっくりしちゃったよ、あたしゃあ」

「うふふ。キヨちゃんは変わってなくてよかったよ」

清美さん。おばあちゃんの親友だった人だ。おばあちゃんより年下だったけど、それでももうすぐ九十になるかならないかのかなりのおばあちゃんだ。清美さんと親しげに話してるってことは、間違いなくおばあちゃんのはずなんだけど、だけど、やっぱりなんだかしっくり来ない。

「この歳になって変わることなんてありゃせんよ。あとはシワの数が増えて、背骨が曲がっていくだけだね」

「まだまだこれからだよ。あ、そうだ。こないだお見舞い来てくれてありがとね、眠たくって、うまく返事できなくって」

「あら、来てたの知ってたのかい? いいのよ、そんなことぐらい。寝たきりになったら、お互いさまだって」

「とか言っちゃって、毎朝ラジオ体操出てるの、わたし知ってるよ」

「それはそれ、これはこれよぉ。アタシも帰ってくるときはピチピチの時に戻ろうかねぇ」

おばあちゃんと清美さんの話が一段落したところで、今度ははす向かいに住んでいる英男さんがやってきた。英男さんもかなりのおじいちゃんだけど、今でも畑に出て蜜柑をもいだりしている。おばあちゃんとは昔からの付き合いだけど、珍しい「男と女の友情」って間柄だって聞いた。

「いやあ、こりゃ別嬪さんだ。たまげたもんだ。本当に女学校の頃に戻ったみてえだな」

「もう、ヒデちゃん。わたしに惚れ直しちゃダメだよ。寄り合いの時珠代さんと一生添い遂げるって、大見栄切って言ってたじゃない」

「そんなこと言ったっけかなあ。菊ちゃんともう一回打ち合おうってのは言った記憶あんだけども」

「ふふふっ。わたしはちゃあんと覚えてるからね。仏さんになるまでちっともボケなかったのが自慢だもん」

誰と話してても会話に淀みがない。記憶もはっきりしてるし、中には私が見ていたときの出来事も混ざっている。だから、この女の子はやっぱり帰ってきたおばあちゃんで間違いないんだって思う。雰囲気とか話し方とか、菊子おばあちゃんっぽいところもちらほらある気がする。

けど……やっぱり何か違う。思ってたのと違う。私はおばあちゃんに会いたかった。おばあちゃんのおばあちゃんに会いたかった。今ここにいる女の子はおばあちゃんだけど、おばあちゃんじゃない。自分でも何言ってるんだろうって感じだけど、とにかく私はおばあちゃんに会いたかった。こんな形じゃなくて、おばあちゃんに会いたかった。

浮かない顔をしていると、ゆらり、と隣で影が動くのが見えて。

「みーちゃん。隣、座るね」

おばあちゃんがオレンジジュースの瓶を持って近付いてきた。近くで見ると余計に若々しさが際立って、この人はおばあちゃんじゃない、って気持ちが先に立ってしまう。だけど中身は本物のおばあちゃんだって分かってるから、こっちに来ないで、とも言えない。もやもやした気持ちがいっそう強くなるのを感じる。

「ふふっ。みーちゃんったら、どうしたの? 難しい顔しちゃって」

「それは……」

ここで言葉を詰まらせる。私だって言いたいことはいっぱいあった、だけど今この場で言うのははばかられる。せっかくのおめでたい席を台無しにしてしまうのは、私だって嫌だった。喉まで出かかった「なんでおばあちゃんじゃないの?」という言葉を無理やり飲み込んで、押し黙ってしまう。

おばあちゃんはふんわり笑って、半分ほど空いていた私のグラスにオレンジジュースを注ぐ。

「さ、飲んで飲んで」

「……うん」

「もっと楽しもう? せっかくこうやって、もう一度みーちゃんに会えたんだから」

勧められたオレンジジュースにそっと口をつけて、ちびちびと飲む。口の中に甘酸っぱいオレンジの味が広がっていく。

今の重たい気分には、ちょっと似つかわしくない味わいだった。

(やっぱり……思ってたのと違う)

失望感に通じるその思いを、いつまで経ってもかき消すことができなくて。

これから一週間をどう過ごしていけばいいのかを考えると、今からお腹の調子が悪くなりそうだった。

 

※立ち読み版はここまでとなります。続きはイベントにて頒布します本編にてお楽しみください。

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