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第六話「A Fixed Idea」

「どこから来たのかな?」

「ぴこぴこっ」

「わ、かわいい。犬さんかな?」

「ぴこぴこぴこっ」

僕の目の前に現れた人影は、佳乃ちゃんと同い年ぐらいの、制服を着た女の子だった。女の子はしゃがみこんで、僕や隣にいたカラスとほとんど同じ目線になった。金色の髪の毛を潮風になびかせて、海や空を思わせるような、限りなく透明に近い青色の瞳が僕を映し出していた。

「ぴこぴこっていうの?」

「ぴこぴこ」

「ぴこぴこぴこー」

「ぴこぴこっ」

「にはは。すっごくかわいい」

女の子はひょいと腕を伸ばして、僕の頭を優しくなでてくれた。撫でてくれた感触がくすぐったくて、僕は体を大きく振るわせた。僕のその様子を見て、女の子がまた笑った。

「おうちはどこかな?」

「ぴこ?」

「もしかして、誰かの家に住んでるのかな?」

「……………………」

目の前の女の子の言うとおり、僕は誰かの家……霧島診療所に住んでいる。確かに、僕には住処がある。

……けれど。

(佳乃と私の将来のために必要な事だ。君も佳乃の事は大切だろう?)

(ならば大人しく、その体を……)

……今は、診療所には戻りたくなかった。今帰ったら、多分もう二度とお日さまは拝めないような気がしたからだ。

だから、僕は。

「ぴこぴこぴこ」

「そうなんだ。どこかに住んでるわけじゃないんだね」

「ぴっこり」

とりあえず嘘をついて、今日一日は診療所に近づかないでおこうと思った。きっと、それが得策だ。

「それじゃあ、わたしの家に来る?」

「ぴこ?」

「にはは。大丈夫。わたしとお母さんとそらしかいないから、寝るところはいっぱいあるよ」

僕は女の子にひょいと抱き上げられて、顔と顔がぶつかるぐらいのところまで近づいた。女の子は立ち上がって、僕に優しげな視線を向けた。

「わたし観鈴。神尾観鈴って言うんだよ。観鈴ちん、って呼んで」

「ぴっこり」

「にははっ。そうだよ。観鈴ちん。よろしくね。えっと……」

「ぴこ?」

「名前……どうしようかな……」

女の子……観鈴ちゃんは僕を抱いたまま、僕の名前について考え始めた。僕には「ポテト」っていうちゃんとした名前があるんだけど、あいにく、観鈴ちゃんに伝える術がない。

「ぴこぴこ」

「あ、そうだ。ぴこぴこって言うから、『ぴこ』って名前はどうかな?」

「ぴこ?」

「うん。ぴこ。分かりやすくて、いい名前」

観鈴ちゃんは僕に「ぴこ」という名前をくれた。確かに、僕の鳴き声とまったく同じだから、分かりやすいといえば分かりやすい。僕もそんなに嫌じゃない。

「どうかな?」

「ぴこぴこっ」

「にははっ。気に入ってくれたんだね。よかった」

「ぴこー」

僕は頭をなでられて、なんとなく、いい気持ちになった。

「……かー」

僕の足元で、カラス――「そら」って名前らしい――が、何故か忌々しげに一声鳴いた。

 

「ぴこはこの街に住んでたのかな?」

「ぴこぴこ」

「それとも、どこか遠くからやってきた、旅人さんなのかな?」

「ぴこぴっこ」

観鈴ちゃんは僕を抱いたまま、海沿いをゆっくり歩いている。

「……………………」

そらは、観鈴ちゃんの肩に静かに止まっている。時折、僕のことをちらちらと見ているけど、どうしたんだろう? やっぱり、僕のことが気になるのかな。

「もこもこしてるね」

「ぴこ?」

「ちょっと、くすぐったい」

僕は腕の中に抱かれて、頭をなでなでされて、だんだん、ずっと観鈴ちゃんと一緒にいてもいいような気がしてきた。佳乃ちゃんもこれぐらい優しくしてくれるけど……なんと言っても、聖さんが怖い。観鈴ちゃんの家には聖さんはいないから、その分、一緒にいるなら観鈴ちゃんのほうがいい。

だから、今は観鈴ちゃんと一緒にいたい。

「でも、かわいい」

「ぴっこり」

「一緒に行こうね」

観鈴ちゃんは短く言葉を並べて、堤防沿いを歩き続けた。

 

「……………………」

そのまましばらく、僕は観鈴ちゃんに抱かれたままでいたんだけど。

(……?)

気がつくと、道が心なしか見覚えのあるものに変わっていた。この辺りにはあんまり散歩しには来ないんだけど、どうしてだか、この場所に見覚えがあるような気がした。まるで、デジャヴを見ているような感覚。あんまり、いい気持ちはしない。もやもやが残って、変な気分だ。

「こっちが、わたしの家」

観鈴ちゃんはどんどん歩いていく。僕は辺りの光景を見回しながら、その光景が間違いなく、僕が以前見たことのある光景だということを確信していた。

ただ、それがいつ、どんな状況で見た光景なのかが、何故か上手く思い出せない。この辺り……観鈴ちゃんの家のある辺りは確かに見覚えのある光景なのに、それがどうして見覚えがあるのか、ちっとも思い出せない。なんだか、妙な感触だ。

僕のそんな気持ちとは関係なく、観鈴ちゃんは歩き続けた。

「……………………」

角を曲がって、まっすぐ歩いて、また角を曲がって……

……四回目に、角を曲がった時。

「到着ー」

「ぴこ……」

観鈴ちゃんの家に着いた。

「ぴこ……」

ちょっと大きな門がある、二階建ての木造住宅。診療所よりも、一回りぐらい大きい。

そしてそれは、やっぱりどこか見覚えがあって、初めて来たところではないような気がしていた。

この家には、間違いなく見覚えがある……けれどやっぱり、それがいつの記憶で、どうしてそんな記憶があるのかを思い出すことはできなかった。

「ぴこ、ここが、わたしの家だよ」

「ぴこぴこ」

「道、覚えたかな?」

「……………………」

「うーん……一回じゃ、やっぱり難しいよね。でも、何回かお散歩すれば、きっとすぐに覚えちゃうよ」

「ぴこぴこっ」

「にはは。うん。ぴこは賢いもんね。ぴこぴこっ」

僕は観鈴ちゃんに抱かれたまま、門をくぐって家の中に入った。

 

「それじゃあ、わたし着替えてくるから、下にいてね」

茶の間に入ると、僕とそらはそれぞれ腕と肩から下ろされて、あらかじめ敷いてあった別々の座布団の上に置かれた。観鈴ちゃんはとてとてと階段を昇って、多分、自分の部屋へ行ってしまった。

……さて。

「……………………」

「……………………」

残されたのは、僕とそらだけ。お互いに座布団に座って、お見合い状態だ。

「……かー」

低く唸るような声で、そらが僕を見つめて鳴いた。心なしか、鳴き声に刺々しさがあったような気がした。

「ぴこ?」

「かー」

「ぴこぴこ」

「かーかー」

お互いに静かに鳴いて、相手の出方を窺う。僕はそらが何をしてくるか分からなかったから、とりあえず、目は離さないでおくことにした。

もしかすると、だけど……

「……かー」

「ぴこぴこ……」

「……かーっ……」

……そらは、ひょっとして……

「……………………」

「……………………」

「……………………」

「……………………」

……僕のことが……

「……かあああっ!」

「ぴこぉぉぉっ?!」

……どうやら、ちょっと気に入らないみたいだ。

 

「かーっ!!」

そらは突然僕に飛び掛って、くちばしで攻撃してきた。

「ぴこっ!」

僕は上手く身をかわして、そらの攻撃を避けた。

「かーっ!」

けれどそらは全然あきらめていなくて、僕のことを追い掛け回し始めた。追いつかれちゃ敵わないから、僕は追いつかれないようにだっと走り出す。畳の上で走るのには慣れてないけど、きっと、すぐに慣れるだろう。

「かーかー!」

「ぴこぴこーっ!」

「かーかーっ!」

「ぴっこー!」

僕はそらに追いかけられて、茶の間の中を走る。これだけだと、僕は今大変な状況にいるように見える。あのくちばしにつつかれたら、きっとひとたまりもないだろう。

けど、実際は。

「か、かーっ……!」

「ぴこぴこ」

そらは歩くのがものすごく遅い上に、すぐに息切れしちゃうから、僕はちょっと走るだけで十分安全でいられる。そらには悪いけど、なんだか、追いかけっこをしているみたいだ。くちばしは怖いけど、届かないんじゃ、意味がない。

「ぴこぴこぴこーっ」

僕が「早く早くー」という意味を込めて鳴くと、そらはまた短い足で懸命に走り出す。

「か……かぁぁぁっ!」

今にも死にそうな声を上げて、そらが走り出した。僕はまたさっと走って、そらと十分に距離を取った。

「ぴこぴこ」

僕は安全な位置に立って、そらがよたよたと歩くのを見ていた。そらはもう今にも倒れそうになりながら、それでも、僕目掛けて歩いてくる。ここまで来ると、ちょっとすごいなと思う。僕だったら、こんな状態になったらきっとすぐに諦めちゃっただろう。

「ぴこー……」

その点、そらは粘り強くて、根気強い。僕を狙ってるのはちょっと困り者だけど、その根性は僕もすごいと思う。なんとかして、そらと分かり合うことはできないかな。カラスの友達がいる犬なんて、滅多に

 

(キキキキキィィィッ!)

 

突然、物凄く甲高い音が響き渡った。あまりにも突然鳴り響いた強烈な音に、僕もそらもびくっと体を震わせ、思わずその場に立ち止まってしまった。

それは、あまりに異様な音だった。何かに例えて言うのなら、高速で移動していた物体が、その物体本来が止まるための手順を全部無視して、強引にその場で止まろうとした時に聞こえる、小動物の断末魔のような恐ろしい音。本能的に「これは危険だぞ」と感じるような、胸にずしんと来る音だ。

「……………………」

「……………………」

さっきまでの追いかけっこは、唐突に終わりを告げてしまった。そらはもう、僕に敵対的な視線を向けてはいない。僕もそらから視線を外して、音のした方向を見つめた。今はただ、外にあるであろうまったく別の脅威に、互いに身を硬くしていた。

「……………………」

「……………………」

そらも僕も押し黙ったまま、次の「音」を待っている。次の「音」次第では、また別の行動を起こす必要があるからだ。

「……………………」

「……………………」

……それから、少しの間を置いた後。

僕とそらの耳に飛び込んできたのは、こんな「音」だった。

 

 

「観鈴ーっ! 今帰ったでーっ! 元気しとったかーっ?」

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。