「でも月宮さん、どうして木の上になんか昇ったのぉ?」
「えっ?」
「そうだそうだー。なんで木の上になんか昇ったんだー?」
ひとしきり話し終えたところで、佳乃ちゃんとみちるちゃんが立て続けに問うた。みちるちゃんはもうあゆちゃんのことには驚いていないみたいで、いつもの調子で話しかけている。きっと、状況に慣れるのが早いんだろう。
「えっ? どういうこと?」
「どういうこともなにも、あのでっかい木の上から落ちたんじゃないのかー?」
「そうだよぉ。月宮さん、ここで仰向けになって倒れてたんだよぉ。ほらぁ、すぐ近くに木があるよぉ」
佳乃ちゃんの指さした先には、かなり背の高い木が一本あった。みちるちゃんの言っていた通り、ここにいる全員の身長を足したとしても、てっぺんまではとても届きそうになかった。それに、木の枝ぶりもいい。どこかに腰掛けていて、間違って落ちた可能性は十分ある。
「……えっと……」
「……………………」
あゆちゃんは戸惑った表情を浮かべて、佳乃ちゃんとみちるちゃんと遠野さんを代わる代わる見つめた。
「……あの……」
「……………………」
そして、ずいぶんと間を置いてから、やや涙目気味になって一言。
「……ボク……」
「ボク、木になんて登ってないよ~」
「……えっ?」
「……にょへ?」
「……はい?」
「……………………」
僕を除く全員が、揃って間の抜けた声を上げた。
それは、何もかもを例外なくすべていっぺんに揃えてまとめてどどどーんとひっくり返してしまうような、衝撃的な告白だった。
「月宮さん、それ、どういうことかなぁ?」
「えっと……ボク、木になんかホントに登ってないんだよ~」
「えーっ? じゃあ、どーしてこんなところで倒れてたんだー?」
「……みすてりー……」
「う、うぐぅ……」
困った顔をして、あゆちゃんが言葉を詰まらせた。それにしても「うぐぅ」って言葉、起きる時にも言ってたっけ。もしかしたら、あゆちゃんの口癖なのかな。
「ほ、ホントに昇ってなんかないんだよっ。ただ気がついたら、ここで倒れちゃってて……」
「う~ん……月宮さんはじゃあ、ただここで倒れちゃってただけなんだねぇ?」
「うん……どうしてかなぁ……ボク、商店街でお散歩してたんだけど……」
「にょわ! もしかしてだけど、ここまで来た記憶もないとかそういうのかー?!」
「……うん。目が覚めたらこんなところにいて、霧島さんや遠野さんが周りにいてくれたんだよ」
「……ますますみすてりー」
事態は混迷の方向に突き進みつつあった。
あゆちゃんは木になんか登っていないと言うし、そもそも、この神社まで来た記憶もないらしい。たった今気が付いてみたら、こんなところで倒れていたわけだ。当事者のあゆちゃんが「全然分からない」って言ってるのに、一部始終を見てたわけじゃない僕らが、ここで起きたことの仔細を知る由はなかった。
「……さし当たって……月宮さん」
「あ、はい」
「……月宮さんが覚えているのは、商店街を歩いていた時までなのですか……?」
「うん……ホントにね、そこまでしか覚えてないんだよ……」
「……ならば、あの時の月宮さんは、もうすでに……」
「えっ?」
遠野さんは頬に手を当てて、あゆちゃんをゆったりとした姿勢で見下ろした。何か納得するかのように、こくこくと小さく頷いている。
「遠野さん、もしかして、ここに来るまでに月宮さんを目撃しちゃったりしてたのぉ?」
「……はい。そこはかとなく怪しげな歩き方で町を闊歩する、不思議なたい焼き少女の姿をこの目でばっちり目撃しました……」
「うぐぅ……たい焼きは大好きだけど今は関係ないよ~……」
「それ、どんな歩き方だったのかなぁ?」
「……そうですね……」
すっくと立ち上がってスカートを払うと、遠野さんがおもむろに両手を前にだらりと伸ばして、
「……おかーさーん、おかーさーん……」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
……無表情かつ、抑揚のまったくない声で「おかあさん」「おかあさん」とだらだらと連呼しながら、ふらふらふらふらと歩いて見せた。本音の感想を言うと、どこまでも恐ろしい。実演してくれたのがお昼のうちで、本当によかったと思う。夜にこんなの見せられたら、僕はきっと眠れなくなっちゃう。
「……ほぼ、この通りです」
「へぇー。なんだか映画にいっぱいいっぱいわわわーって出てきて、火炎放射器か何かでみーんなまとめてぼぼぼーって燃やされちゃいそうな感じだよぉ」
「んにー。みちるはそんな映画観たことないぞー」
「そんなぁ……ボク、そんなヘンなことになっちゃってたの……?」
あゆちゃんがへなへなと肩を落として、思いっきり落胆したような表情を見せた。そりゃあ、自分の知らない間にそんな風になってたって知ったら、落胆したくもなるだろう。
「でも……木から落ちたんじゃなくて、本当によかったよぉ。ただ、ここで転んじゃっただけみたいだねぇ」
「うん。そうみたいだね」
「んにー。ま、怪我が無くて良かった良かった」
「……怪我が無い……毛がない……ぽ」
遠野さんはいつでも絶好調だなぁと、僕はしみじみと思うのであった。
「ところでみちるちゃん、虫取りはもう終わっちゃったのかなぁ?」
大体の話が終わった頃、佳乃ちゃんがみちるちゃんに聞いた。
そう言えばこの神社にやって来たのは、元々はみちるちゃんと一緒に虫取りをするためだった。それが、神社に入る途中でみちるちゃんとばったり出くわして、「人が倒れてる」という話を聞いて、慌ててここまで来たんだっけ。
「んに。あちこち見てみたけど、今日はいなかった……」
「そっかぁ……残念だったねぇ」
みちるちゃんがしょんぼりした様子で言うのに合わせて、佳乃ちゃんが慰めるような口調で言った。
ところが、その直後。
「あ、でもでもっ、虫は見つからなかったけど、もっとすごいものを見つけちったぞ!」
「すごいもの?」
「んに。みなぎー」
「……………………」
みちるちゃんが遠野さんに声をかけると、遠野さんはこくりと頷いて立ち上がった。
「???」
「……………………」
遠野さんはそのまま林の奥まで歩いていって、そこでまたしゃがみこんだ。どうやら遠野さんがしゃがみこんでいる場所に、みちるちゃんのいう「すごいもの」があるかいるかしているみたいだ。
そして、程なくして。
「……お待たせしました……」
遠野さんが腕に何かを抱きかかえて戻ってきた。佳乃ちゃんとあゆちゃんと僕が、一斉に遠野さんの腕の中へと熱い視線を送る。
そこにいたのは……
「……なんだろう、これ……?」
「小さいねぇ。寝てるのかなぁ?」
「ぴこぴこ?」
「にゃはは。この辺りを探してたら、とことこ歩いてたんだよ」
……そこにいたのは。
「……ぷひー……」
……すやすやと眠る、一匹の……何だろうこれ? いのしし? それにしては、些かサイズが小さすぎるような気がするけど……とりあえず、見た目はいのししそっくりな、小さな生き物だった。
「この子、かわいいねっ」
「うんうん。小さくてかわいいよぉ」
「うにゅー。でもこれ、一体どんな動物かなぁ?」
「……イノブタさん?」
「あーっ! きっとそうだよぉ! ぼく聞いたこと……」
『しーっ』
「……あっ」
佳乃ちゃんがいつもの調子ででっかい声を上げた途端、三人から一斉に突っ込まれた。さすがの佳乃ちゃんもこれには勝てなくて、口を両手で塞いで声を殺した。
「……でも、聞いたことあるよぉ。いのししとぶたを足したような生き物がいるってねぇ」
「この街にも、こんな生き物がいたんだねっ」
「んにー。ポテトといいこいつといい、ヘンな生き物が多い街だなぁ」
「……わくわく動物ランド……」
どうやらみちるちゃんの中では、僕とあの生き物は同類みたいだ……
「でもこの子、どうするのぉ?」
「んに。みちるが面倒見るの」
「……私も一緒に……」
「うんうん。それがいいよぉ。かわいがってあげてねぇ」
遠野さんの腕の中で眠る小さな生き物を撫でながら、佳乃ちゃんがにっこり笑って言った。
「かわいいかわいいしてあげるとねぇ」
僕は佳乃ちゃんにひょいと抱き上げられて、腕の中へ収まった。
「ぴこぴこっ」
「こんな風にねぇ、すっごくよく懐いてくれるんだよぉ」
「ぴっこり」
佳乃ちゃんの腕に体をこすり付けて、僕は佳乃ちゃんに気持ちを伝えることにした。
「わわわっ。ポテトぉ、くすぐったいよぉ~」
「ぴっこぴこぴこ」
「むむむーっ。いつかみちるもかのりんとポテトみたいな関係になってやるんだからね!」
「……みちる、ふぁいとっ、です」
「うん。みちるちゃん、頑張ってよっ」
こうして、和やかな時間は過ぎていった。
「とりあえず月宮さん、自分で立って帰れるかなぁ?」
「うん。多分大丈夫……」
あゆちゃんはそう言って、立ち上がろうとしたけれど、
「……いたっ!」
「わわわっ!」
立ち上がろうとした瞬間に大きくよろめいて、佳乃ちゃんが慌てて後ろから支えた。
「大丈夫~?」
「うぐぅ……足、くじいちゃったみたい……」
「……確かに、少し赤くなっています……」
あゆちゃんはここで倒れた時に、運悪く足をくじいちゃったみたいだ。あの様子だと、自分で立って帰るのは難しそうだ。
「お姉ちゃんに診てもらおうよぉ」
「んに。聖せんせーならどんなケガも一撃だぞー」
「……うん。でも、ボクちょっと歩けないよ~……」
地面にへたり込んだまま、あゆちゃんが悲しげにつぶやいた。確かに聖先生に見せれば怪我は一撃必殺だと思うけど(本当にそう思う)、その前に先生のところへいくことができない。
「……………………」
「……………………」
「うぐぅ、どうしよう……」
「んにー……」
しばらくの間、沈黙が続いた。
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
それはまるで、永遠に続くんじゃないかって、錯覚しそうになるぐらいだった。
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
……けれど、それを打ち破る人がいた。
「それだったら、ぼくに任せてよぉ」
「え?」
佳乃ちゃんがそう言って、へたり込んでいるあゆちゃんの傍にしゃがみこんだ。
「ここに手を回してねぇ」
「う、うん……」
……あゆちゃんが言われたとおりに手を回すと、佳乃ちゃんはこくりと頷いて、
「それじゃ、行くよぉ」
「……わっ?!」
「おおおーっ! おんぶしたぞーっ!」
あゆちゃんを背負って、そのまま立ち上がった。
「わ、わ、わ」
突然のことで、あゆちゃんは物凄く戸惑っている。けれども佳乃ちゃんはあっさりしたもので、
「月宮さん、体軽いねぇ」
「で、でも……なんだか悪いよ~」
「気にしないでいいよぉ。このまま診療所まで直行しちゃうからねぇ」
「……う、うん……霧島さん、ありがとう」
「それじゃ、診療所に向かって、でっぱつしんこう~」
「にゃはは。しんこうしんこう~」
いつもの掛け声に合わせて、佳乃ちゃんとみちるちゃんが歩き始めた。
「ぴこぴこっ」
それに遅れまいと、僕も歩くことにした。
………………
…………
……
「……なぎー、ちょっぴりじぇらしー……なんちって……」
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。