「へぇ~。あゆちゃんって、たい焼きが本当に好きなんだねぇ」
「うんっ。ボクが知ってる食べ物の中で、一番好きなんだよっ」
「たい焼きか……もうずいぶん長いこと、口にしていないな」
「ぴこぴこ」
普段は佳乃ちゃんと聖さんしかいない昼食の風景に、あゆちゃんが加わっていた。あゆちゃんは最初緊張していたみたいだったけれど、佳乃ちゃんと聖さんがいろいろ話しかけているうちに、だんだんとそれもほぐれてきたみたいだ。今じゃすっかり、二人に馴染んじゃってる。
「それでね、こしあんとつぶあんがあるんだけど、ボクはつぶあん派なんだよ」
「うんうん。小豆の皮が入ってるのがいいんだよねぇ」
「そうそうっ! そうだよっ! 霧島君っ、すっごくよく分かってるねっ」
あゆちゃんは自分の好きなたい焼きについて、これ以上ないぐらい熱く熱く語っている。よっぽど好きなんだなぁ。
「でもね、今は夏だから、たい焼きは食べられないんだよ~」
「ふむ。確かに見かけないな。その間、君はどうやって飢えを凌いでいるんだ?」
「うぐぅ……たい焼き以外のものもちゃんと食べるよっ。あ、このお新香おいしい」
「それはお姉ちゃん秘伝のお新香だよぉ。作り方は門外不出の天涯孤独なんだよぉ」
「へぇー。孤独なお新香んだねっ」
「そう。孤独なレシピなんだ」
「お新香の一匹狼さんなんだよぉ」
……あゆちゃんには元々、この二人に余裕で順応できるぐらいのノリがあったみたいだ。それにしても、孤独なお新香って、どんなお新香なんだろう? たった一人で漬かってたりするのかな。
僕はその風景を想像してみた。
「……………………」
……ものすごく……ものすごく、無駄が多かった。
「それであゆちゃん、足の具合はどぉ?」
「えっと……もうほとんど痛くなくなってきたよ」
「それは良かった。歩けるようになれば、もう安心だぞ」
「……………………」
僕は三人のおしゃべりを聞きながら、部屋の隅で丸くなっていた。
それからしばらくして、二時を少し回った頃。
「聖先生、もう大丈夫だよっ」
「ふむ。問題無さそうだな。では、家の人も心配しているだろうから、一度家に帰るといい」
「うんっ。先生、ありがとうっ」
「気にすることは無い。これが私の仕事だからな」
あゆちゃんの足はすっかり回復して、もう普通どおり歩けるようになったみたいだ。
「それじゃ先生、さようなら」
あゆちゃんは聖さんにお礼を言って、診療所を出ようとした。
ところが。
「ああ、少し待ってくれ。月宮さん、本当に一人で大丈夫か?」
「えっ?」
「いくら回復したとは言え、まだ完全ではないし、症状がぶり返すかも知れない。そこでだ」
「……ぴこ?」
気がつくと、僕は首根っこをつかまれて、ひょいと持ち上げられてしまっていた。持ち上げているのは、もちろん聖さんだ。
「もし何かあったときのために、彼に家まで送ってもらうといい」
「ポテト君に?」
「ぴこぴこ」
「そうだ。彼はこう見えて実に温厚な性格でな。『送り狼』になるようなこともない」
「う、うぐぅ……」
唐突に物騒な単語をちらつかされて、あゆちゃんが思いっきりひるんだ。なんだか聖さんらしいなあと、何の意味も無く思ってみた。とりあえず、僕は狼じゃなないけど、狼の仲間の犬なんだけどなぁ。
「えっと……まだちょっと不安だから、お願いしてもいいかな?」
「ああ。何かあった時はすぐに診療所まで駆けつけてくれるから、信頼して構わないぞ」
聖さんに太鼓判を押されて、僕はあゆちゃんのすぐ近くに下ろされた。
「ではポテト、月宮さんを無事に送り届けるんだぞ。何かあったら、すぐ連絡するように」
「ぴこっ」
僕は食後の散歩に出かけたかったし、ちょうどいいと思った。僕はこくりと頷いて、あゆちゃんに続いて診療所を出た。
「今日も暑いよ~」
「ぴっこり」
朝とさほど変わらない夏空の下、僕とあゆちゃんが歩いて行く。
「ボクの家はね、ここからちょっとだけ遠くにあるんだよ」
「ぴっこぴこ」
「場所を覚えたら、またお散歩しに来てねっ」
あゆちゃんはにっこり笑って、僕の頭を撫でてくれた。今日はたくさんの人に撫でられて、僕も気持ちがいい。
「うわぁ……わた飴みたいだねっ」
「ぴこぴこっ」
僕を触った感想は、「わた飴みたい」だったらしい。
「ポテト君を見てたら……なんだか、わた飴が食べたくなっちゃったよ」
「ぴこ?」
「今年の夏祭りは……うんっ。わた飴をお腹いっぱい食べようっと」
わた飴でお腹いっぱいになろうと思ったら、結構大変なんじゃないかなあと、僕は思った。
「それじゃ、ボクの後についてきてね」
「ぴこぴっこ」
あゆちゃんに言われて、僕はあゆちゃんの影の中に入るようにして、後ろからとことこついていくことにした。
「……でも、どうしてかなぁ……?」
その道中、あゆちゃんがぽつりとつぶやいた。
「聖先生、どうしてあんなに真剣だったんだろう……?」
僕はあゆちゃんの傍らにぴったり寄り添って、静かにあゆちゃんの独り言を聞いていた。僕の勘が正しいなら、あゆちゃんの言っていることは多分、さっき診察室で聖さんとお話してたことだ。
「ついさっき思い出したことだけど……」
「商店街をお散歩してたら、急にふっと目の前が暗くなって……」
「どうしたんだろう? って思う暇も無くて、今度は目の前に『羽』が見えて……」
「ボクは全然意識しないうちに、それを追いかけていって……」
「……気がついたら、神社で転んじゃってた……」
あゆちゃんは思いつめた表情を湛えて、視線を足元へと落とした。
「それに……」
「どうしてこのことを、霧島君には言っちゃダメだって言ったんだろう……?」
「言っちゃったら……何か、いけないことがあるのかな……?」
独り言を言うあゆちゃんの表情が、どんどん暗く沈んだものに変わっていった。
「どうして……羽なんだろう?」
「それに……ボク、なんで神社になんか行ったんだろう?」
「こんなこと、今まで一回も無かったのに……」
「ボク……どうしちゃったんだろう……?」
暗く沈んだ表情から、今にも泣き出さんばかりの表情に変わるまでには、ほとんど時間を要さなかった。胸の中に湧き起こってきた大きな不安に打ち負けそうになって、ほんの少しの力で折れてしまいそうな、そんなか弱い心が顔を覗かせていた。
自分の身に起きた得体の知れない出来事。ただでさえ不安なのに、聖さんはそれを聞いて、「佳乃ちゃんには言わないでくれ」と嘆願した――深い意味が無いわけないから、余計に不安に駆られる。
「……ぴこぴこ」
僕はいたたまれなくなって、あゆちゃんの足に顔をこすり付けた。
「……ポテト君?」
「ぴこぴこぴこ」
「わっ、くすぐったいよ~」
「ぴこぴこぴこ」
せめてほんの少しでも、今あゆちゃんが抱えている得体の知れない不安を和らげることができるのなら、僕はそうしてあげたいと思った。
あゆちゃんの身に何が起きたのかは分からないけど、僕は僕の近くで誰かが不安そうな顔をしているのを見るのが辛い。だから僕は、あゆちゃんの心をほぐしたかった。
「ポテト君、心配してくれてるんだね」
「ぴっこぴこ」
「ありがとうっ。でも、大丈夫だよ。多分、もうこんなことは起きないと思うしね」
「ぴっこり」
僕はあゆちゃんが少し表情を和らげたのを見て、ちょっと安心した。
「ここがボクの家だよっ」
「ぴこー」
あゆちゃんの家は、橋を渡って右へ曲がったところにある、ちょっと大きな一軒家だった。
「ボクはここでね、お父さんとお母さんと一緒に住んでるんだよ」
「ぴっこり」
「ポテト君も、また遊びに来てねっ」
笑顔でぶんぶんと大きく手を振りながら、あゆちゃんは門をくぐって家の中へと入っていった。
そうして、その姿は吸い込まれるようにして、家の中へと消えていった。
「……ぴこっ」
僕はこれでやるべきことはやったから、夜までは自由に過ごせる。夜は佳乃ちゃんと一緒に星を見に行くから、それまでに家に帰ればいい。
「ぴこぴこぴこ」
僕は周囲をぐるりと見回してみて、さて、これからどこへ行こうかと迷ってみた。
「……………………」
あれこれ考えて、僕が出した結論は――
(ざざーん)
(ざぁーん)
……青い空、白い雲、それから――青い海。
「ぴっこぉー」
どこに行こうか迷って出した結論は、またしても海だった。
僕はまた、海に来てしまった。
神社は朝に行ったし、診療所に帰ってもすることはないし、学校に行くと大変なことになっちゃいそう……僕が行きたくて、そして僕が行くことが出来る場所は、結局、海一択だったのだ。
それでも、僕は海がかなり嫌いじゃない。というよりも、すごく好きだ。潮風に身を任せて、海鳥の無くちょっと甲高い声に耳を澄ませて、時折打ち寄せる波を眺めているだけで、僕は十分楽しい。
「ぴっこり」
夏の陽射しも、大きな入道雲も、みんなが揃って、この海を盛り上げているようだった。ここに来ると、ああ、今は夏なんだなあ、ということが、全身で理解できる。その感覚が、たまらなく気持ちいい。
「ぴっこぴこ♪」
僕は鼻歌(といっても、普通の鳴き声とあんまり変わらない)を歌いながら、堤防沿いを歩いていた。
このまま堤防沿いに歩いて、砂浜にまで行っちゃおうと思った……
……ちょうど、その時だった。
「あれ……? この人、こんなところで寝てる……」
「ホントだ……どうしたんだろうね?」
声が二つ、僕の小さな耳へ飛び込んできた。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。