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第十八話「Pure Excuse」

「……ぴこ」

僕はその声のうち、片方には聞き覚えがあった。そこに何があったのか気になって、僕はそろりそろりとそちらに向かって歩いていった。

「全然起きないね」

「うん。ぐっすり眠っちゃってるよ」

「服、真っ黒だね」

「うわ~……なんだか、見てるだけで暑そうだよ……」

堤防の影から、僕はそこにいた二人の女の子の姿を見ることができた。

そして、もう一人。

 

堤防の上で寝転んでいる、あの「黒い人」の姿も。

僕は、はっきりと見ることができた。

 

「でも神尾さん、私、こんなひと見覚えないよ」

「うん。観鈴ちんも無いよ。だから……きっと、旅人さんじゃないかな」

「旅人さん?」

「そうだよ。あっちこっちを旅して、お金を稼ぎながら全国縦断」

「う~ん……ちょっと想像できないんだよもん」

そこにいたのは観鈴ちゃんと、もう一人、観鈴ちゃんと同い年ぐらいの女の子だった。長い茜色の髪の毛に、てっぺんに結び付けられた黄色いリボンがよく映えている。きっと、観鈴ちゃんのお友達だろう。

「男の人……だよね?」

「うん。だって、帽子被ってるもん」

「う~ん……それにしても、こんなところで寝ちゃうなんて、やっぱりちょっと大胆だよ」

僕は二人の会話に耳を傾けながら、その場に腰を落ち着けた。

「この街に旅人さんが来るなんて、珍しいよね」

「そうだよね。見慣れた顔ばっかりだから、知らない人を見かけると分かっちゃうよ」

「うん……でも、どうして来たのかな? 何か、目的があったのかな?」

「う~ん……ちょっと気になるね。お話とか、できたらいいのにね」

二人は「黒い人」を挟む形で、堤防に腰掛けた。二人の視線の先には、どこまでもどこまでも広がり続けている、紺碧の大海があった。ざざーんざざーんと波の打ち寄せる音が時折聞こえて、場に不思議な安心感を与えていた。

「そう言えば、この前七瀬さんから聞いた話なんだけどね」

「どうしたの?」

「ついこの間なんだけど、学校の帰り道で、人形劇をやってる男の人を見たんだって」

「わ、長森さん。それって、きっとこの人じゃないかな?」

「うん。私もそう思うんだよ。七瀬さんが言うにはね、その男の人も真っ黒な服を着てたんだって」

「わ、この人も黒い服。観鈴ちん、だぶるびっくり」

あれこれとしゃべっているけど、二人とも控えめでおとなしい性格みたいだから、声はそんなに大きくなかった。波の音に入り混じって、女の子二人の声が聞こえてくる。

「でも人形劇って、どんなのだろうね?」

「う~ん……そこまではちょっと分からないよ。でも、子供たちがたくさん集まってて、みんなすごく楽しそうにしてたみたいだから、きっとすごく上手なんだよ」

「にはは。観鈴ちんもちょっと見てみたいな」

二人の声にじっと耳を傾けているうちに、よくよく考えてみたら、別にこうやってこそこそ隠れて話を盗み聞きする必要はないことに気付いた。観鈴ちゃんには朝に会ったばかりだけど、もう一人の子――長森さんだったっけ――には、まだ挨拶をしていないしね。

「ぴこぴこぴこ」

「あ、ポテト」

「ポテト? この子、ポテトって言うのかな?」

「にははっ。そうだよ。おいでおいで」

観鈴ちゃんが僕に気付いてくれたから、僕はたかたかと走って観鈴ちゃんの懐に飛び込んだ。

「わ、ポテト、すっごく元気」

「ぴこぴこっ」

「ねえ神尾さん、この子、犬なのかな?」

「うん。犬さんだよ。ふわふわのもこもこ」

「ぴっこり」

長森さんは見たことの無いものを見るような目で、僕のことをしげしげと眺めている。やっぱり僕って、犬らしくない犬なのかなあ。ふわふわもこもこの犬なら、どこにでもいるような気がするんだけどなあ。

「へぇー……観鈴ちゃんが飼ってるのかな?」

「ううん。霧島くんが飼ってるんだよ。でもね、こんな風にして、一人で散歩してたりするの」

「そうなんだ……賢いね~」

観鈴ちゃんの腕の中に抱かれた僕を、長森さんが撫でてくれた。見た目や口調から想像がつくとおりの、優しい手つきだった。

「ふわふわのもこもこだね」

「うん。ふわふわのもこもこ」

「ぴこぴこ」

そのまましばらく、僕は長森さんに撫でられていた。

 

「今日も海を見に来たの?」

「ぴこぴこっ」

「『今日も』? 前にも来たことがあるのかな?」

「そうだよ。昨日も海に来てて、その時にばったり出会ったんだよ」

「そうなんだ……海が好きなんだね」

「ぴっこぴこ」

僕と観鈴ちゃんと、長森さん。ほのぼのまったりとした時間が、ゆったりと過ぎていく。

「それにしても……」

「?」

「……やっぱり、全然起きないね」

「うん。隣でこんなにしゃべられても起きないなんて、ちょっとすごいよ」

……そう言えば、「黒い人」もいたんだった。あまりにも存在感が無かったから、勘定に入れるのをすっかり忘れちゃってた。

「ねえ観鈴ちゃん、私もその子、抱いてもいいかな?」

「うん。気持ちいいよ」

「ありがとう」

僕は観鈴ちゃんの腕から、長森さんの腕へと渡ることになった。二人はお互いに手を伸ばして、直に僕を交換するみたいだ。僕は当然、「黒い人」の上を通ることになる。

「落しちゃダメだよ」

「うん。大丈夫大丈夫」

長森さんが僕を掴んで、胸の中へと抱き寄せる……

……その時。

「……ぴこ?」

 

鼻腔をくすぐる、かぎ覚えのある香り。

それは微かに、けれどはっきりと、ある一点から流れてきていた。

僕はそれを、確かに感じ取った。

 

「よいしょ。わ、本当にふわふわのもこもこだよ」

「にはは。わた飴みたい」

僕はそのまま、長森さんの腕の中へと抱かれた。

「うー……ずっと抱いてたくなっちゃう感触だね」

「うん。観鈴ちんもそう思うよ」

二人はそれきり押し黙ったまま、ただ、打ち寄せて砕ける波を見つめていた。僕もそれに習って、波の打ち寄せる音に耳を傾けることにした。

「……………………」

「……………………」

「……………………」

それから、どれくらい時間が経っただろう。

気がついてみると、あんなに高かった陽は、もうすぐ沈もうとしていた。

「結局、起きなかったね」

「うん。ずっと寝てるのかな?」

長森さんが僕を抱いたまま、すっくと立ち上がった。観鈴ちゃんもそれに合わせて、すっくりと立ち上がった。

「そろそろ帰ろっか」

「うん。もう、夕方になっちゃったし」

二人は帰る意志を確認しあって、夕暮れに染まり行く堤防を後にした。

 

「確かこの子、霧島君のところに住んでるんだよね」

「うん。だから、診療所まで送ってあげるの」

「それがいいね。もしかしたら、霧島君に会えるかもしれないし」

「……そ、そうだよね……にはは……」

観鈴ちゃんは慌てたように笑って、長森さんに顔を見られないように素早く目線を下へ向けた。

「大丈夫だよもん。神尾さんの気持ちは、きっと届くから」

「が、がお……」

けれど、長森さんには全部お見通しだったみたいだ。悪戯っぽい笑みを浮かべて、長森さんがさらりと言ってのけた。観鈴ちゃんは顔を真っ赤にして、「がお」と力なく口にした。

「神尾さん、すっごく分かりやすいよ」

「うう~……長森さん、分かってても言わないでほしいな……」

長森さんは観鈴ちゃんの背中をポンと叩いて、観鈴ちゃんはそれに苦笑いを浮かべて返した。

そんな二人が街中を歩き続けていると、

「……あれ? この掲示板……」

「どうしたの? 掲示板に何かあったのかな?」

観鈴ちゃんが、道の右手に設置してあった木製の掲示板に目を向けて、その場で足を止めた。長森さんがその隣に立って、観鈴ちゃんが目にしている掲示板に何があるのかを確かめるべく、視線をそれへと向けた。

「あっ、これ……」

「うん……また、すごいことになっちゃってる……」

「誰がやったんだろうね……」

「……………………」

長森さんの腕の中で体をよじって、僕も掲示板に目を向けてみた。

……すると、そこには。

「ポスター、またずたずたに切られちゃってる……」

「これ……夏祭りのポスターだよね?」

「うん。ほら。ここにやぐらがちょっとだけ見えてる」

「ホントだ……でも、誰がこんなひどいことするんだろうね?」

ハサミか何かでズタズタのボロボロの滅茶苦茶に切り刻まれた、無惨なポスターの残骸があった。

それはお互いの紙切れがまさに首の皮一枚同士でつながっていると言うひどい有様で、掲示板の下には、自身の過重に耐え切れずに下へと落下した、ポスターの残骸らしき紙片がたくさん落ちていた。

明らかに、誰かが悪意を持って切り刻んだことは、誰の目にも明らかだった。

「これでもう、知ってるだけで五回目だよ」

「が、がお……なんだか、ちょっと怖いよね」

「うん……今はポスターだからいいけど、その内、人とか切っちゃうかもね」

「わわわっ、観鈴ちん、ぴんちっ」

さりげなく恐ろしいことを言う長森さんに、観鈴ちゃんが思わず肩をすくめた。

 

「……おや? あれは……」

そこに立っていたのは、白衣を着たままの聖さんだった。

「こんにちは先生。ちょっとお届けものです」

「ほほう。これはこれは長森さんに神尾さん。面白いものを届けてくれたな」

僕は長森さんから聖さんに手渡されて、自分の家へと戻ってきた。診療所の周囲の見慣れた風景を見ると、やっぱり、僕の住むべき場所はここなんだなぁと、改めて思う。

「わざわざ済まないな。ひょっとして、君たちが預かっていてくれたのか?」

「えっと、海辺で出会って、そのまま抱いてたり撫でてたりしたら、こんな時間になっちゃったんです」

「ふむ。確かに、ずっと抱いていたり撫でていたりする手触りではあるな」

聖さんが僕を撫でて、そう感想を言った。

「それじゃ私たち、これで帰ります」

「にはは。それじゃポテト、また海辺に遊びに来てね」

二人は最後に一言ずつ言葉を添えて、夕暮れの商店街を静かに歩いていった。

……と、思いきや。

「あっ、聖先生」

「神尾さん? どうかしたのか?」

観鈴ちゃんがくるりと振り向いて、聖さんに声をかけた。

「えっと……」

「……………………」

呼び止めておいてから、少しだけ間を開けた後。

「また……ポテトに会いに来ても、いいですか?」

「ポテトに……か?」

「えっと……はい」

……そんなことを、口にした。

「……………………」

聖さんは少し考えた後、いつもの落ち着いた調子のまま、こう返事をした。

「……いつでも構わないぞ。彼も、君に懐いているようだからな」

「にはは。ありがとうございます」

観鈴ちゃんはにっこり笑って、今度こそ、長森さんと一緒に帰っていった。

「……………………」

「……………………」

二人の姿が完全に見えなくなって、聖さんが僕を腕の中に抱いたまま、静かにつぶやいた。

「ふむ……」

 

「……佳乃……優しいこと、それ自体はとても良いことだが……」

「……その優しさが、誰かを傷つけはしまいか……私は少し、心配だぞ……」

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。