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第六十三話「The Source from "So"」

(かちゃり)

僕とあゆちゃんが話していると、不意に診療所のドアが開いた。僕もあゆちゃんもはっと気付いて、そっちの方に視線を向ける。

「……おや。国崎君が戻ってきたようだな」

台所にいた聖さんもそれに気付いて、手をタオルで拭きながら台所から出てきた。佳乃ちゃんは別の準備をしているみたいで、一緒にはいない。

「……………………」

往人さんが無言で診療所の中に入る。その手には空になったバケツ。どうやら往人さんは、佳乃ちゃんと聖さんが裏で育てているという向日葵に水をやりに行ったみたいだ。額にはうっすらと汗が滲んでいる。

……と。

「あっ……」

「……?」

往人さんとあゆちゃんの目が合った。二人はお互いに見詰め合って、互いが誰なのかを確認しあっている。この様子だと、二人とも顔を見たことは無いみたいだ。

「……!」

その様子を見ていた聖さんが、往人さんのほうを見ながら立ち上がる。何かこう「まずい」とでも言いたげな、ちょっと切迫した表情だ。

「……………………」

「……………………」

あゆちゃんと往人さんはそのままお互いに沈黙を守っていたけれども、やがて……

「……あんた」

「あーあー国崎君! 水遣りご苦労だったな! 朝早くから助かったよ!」

往人さんが口を開こうとした時、聖さんがやたらと大きな声を出してそれを遮った。話を途中でぶった切られた形の往人さんが怪訝な顔つきをして、聖さんの方を見やる。話を中断して割り込んだ聖さんはちらちらとあゆちゃんの方を見ながら、しきりにわざとらしく咳き込んでいる。

「……………………」

「……………………」

聖さんが喉の辺りに手を当てて、往人さんに何か伝えようとしている。往人さんは聖さんがしているように喉へ手を押し当てて、聖さんが何を言おうとしているのか考えている様子だったけれども、聖さんが喉に当てていた手を口元へ持って行く段になってようやく、聖さんが何をして欲しいかを理解したみたいだった。

「……んっ!」

往人さんは目を閉じて喉に掛けた手に力を込めると、それをゆっくりと離した。それが何を意味しているのかは、以前その様子を見ていた僕には手に取るように分かった。往人さんの様子を見た聖さんがようやく自分の言いたいことが伝わったと判断したようで、いからせ気味だった肩をさっと落とした。

「……こういうことか?」

「……そういうことだ」

すっかり男の人の声になった往人さんが、確認の意味も込めてか聖さんに問う。聖さんが頷いて返すと、往人さんも頷いた。

「……こほん。ああ、彼女は月宮さんだ。佳乃の友人でな、こうしてたまにうちへ遊びに来てくれるんだ」

「えっと……国崎さん、っていうのかな?」

「そうだ。昨日からこの診療所に住み込みで働くことになった、国崎住人だ」

「そうなんだ……ボクはあゆ。月宮あゆだよ」

「あゆ、か。ああ、憶えておこう」

二人はお互いの名前を交換し合うと、またしてもお互いをまじまじと見合った。

「……………………」

特に、あゆちゃんは往人さんのことが気になるみたいだ。両手を合わせて、じーっと往人さんの瞳を見つめている。対する往人さんはというと、あゆちゃんに見つめられても特に戸惑ったりする様子は無く、ただあゆちゃんに見つめられるままにそこに立っている。

「どうした? 俺の顔に何か付いてるのか?」

「えっ? あっ、ううん。何でもないよっ」

あゆちゃんは曖昧な笑みを浮かべてさっと往人さんから視線を離すと、それきり往人さんの方は見なくなってしまった。

「……さて。そろそろ味噌汁が温まる頃だな。国崎君も月宮さんも、こっちへ来てくれないか」

「うんっ。分かったよっ」

聖さんが二人に声を掛けて、台所へ来るよう促した。その後ろについて、往人さんとあゆちゃんが歩いて行く。

「ぴこぴこっ」

僕も行こう。

 

「へぇ~。昨日は家族みんなでたい焼きを食べたんだねぇ」

「うん。手作りは格別だよっ」

「ほほう。月宮さんの家ではたい焼きを手作りするのか」

「凝ったことをするんだな……」

四人で囲む穏やかな朝食の時間。佳乃ちゃんも聖さんも、本当に楽しそうな表情をしている。つい少し前までは二人で朝食を食べてたわけだから、こんな風に人数が増えるのはやっぱり嬉しいんだろう。そう言う僕は定位置になる台所の隅に陣取って、やっぱりお水を飲んでいた。昨日からずっと飲んでいなかったから、喉が渇いて仕方なかったんだ。

「聖先生、このお新香、まだあるかな?」

「ああ。たくさんあるぞ。私と佳乃では食べきれないくらいだったんだ。遠慮なく食べてくれ」

「あっ、ぼくが持ってくるよぉ」

佳乃ちゃんがさっと立ち上がって、冷蔵庫にお新香を取りに行った。

「しかし、月宮さんが朝から散歩をする習慣があったとはな。夏休み頃から始めたのか?」

「えっと……ううん。つい最近からだよっ」

「そうだな。ここの冬の朝はひどく冷え込む。そうそう外になんて出られたものではあるまい」

「……………………」

聖さんとあゆちゃんの話を聞きながら、往人さんがお味噌汁を啜る。ちなみに、佳乃ちゃんも聖さんも根っからの白味噌派だって聞いた。お雑煮もお澄ましは邪道で、お味噌汁が正道だって言い張るくらいだから、これはもう本物だろう。

「ところで国崎君。こうして今の状況を見てみると、君はなかなか幸せ者じゃないか」

「……何がだ?」

不意に話を切り出した聖さんに、往人さんが味噌汁の入った御椀を口につけたまま、怪訝な表情を見せて返す。聖さんは焼きたてのししゃもを箸で掴みながら、にやりと笑って往人さんに言う。

「私に月宮さんに、それに佳乃もいる。男の君にとっては、これほど幸せなシチュエーションもあるまい」

「……いや、お前はともかく、後の二人は違うだろ」

「うぐぅ……ボク、女の子……」

「おや? それは新手の誘い文句か? ふふっ。なかなか面白いじゃないか。何なら君が私と佳乃の両方を」

聖さんが調子に乗って話を続けていると、

(どん!)

力強い音と共に、机の上に山盛りいっぱいになったお新香が置かれた。

「お姉ちゃんっ! ヘンな事言って往人君を困らせちゃだめだよぉ!」

「何、ちょっとした冗談だ。それに佳乃、お前は女の子でも十分……」

「もうやめてよぉ~。あゆちゃんもいるんだから、あんまりヘンなこと言っちゃダメだからねぇ」

佳乃ちゃんは口をへの字に曲げて呆れ顔をしながら、椅子を引いて食卓に着いた。往人さんは呆れながら、啜りかけていた味噌汁を一気に飲み干す。

……と。

「……国崎さん。ちょっといいかな……?」

往人さんの隣に座っていたあゆちゃんが、往人さんをつんつんと突付いて自分に注意を引かせる。

「ん? ああ、どうした?」

往人さんはすぐに気付いて、お味噌汁に入った御椀を置いてあゆちゃんの方を見た。

「……えっと」

「……………………」

「もしかして霧島君と聖先生って、ずっとこんな調子なのかな?」

「……察しの通りだ」

「……うぐぅ」

あゆちゃんがちょっと肩をすくめて、山盛りいっぱいになったお新香を取ってご飯と一緒に食べ始めた。

そんな感じで、朝食の時間は和やかに過ぎていった。

「……………………」

……どうでもいいけど、佳乃ちゃんはいくらなんでも盛りすぎだと思った。上の方が心なしか傾いて、ピサの斜塔みたくなっちゃってるし……

 

「ごちそうさまっ」

「お粗末様。口には合ったかな?」

「うんっ。とってもおいしかったよっ」

朝食が終わって、聖先生と佳乃ちゃんが食器を片付け始めた。往人さんとあゆちゃんは食卓に着いたまま、てきぱきと片づけを進めていく二人を見ている。

「……………………」

「……………………」

……と、あゆちゃんがまた、ちらりと往人さんの顔を見た。往人さんはあゆちゃんに見られていることに気付いていないのか、体をうーんと伸ばして天井を見ていた。腕をぐるりと回したりして、体に残った疲れを取っているみたいだ。僕もあんな風にできたら、きっと気持ちいいだろうなあ。

「……………………」

「……………………」

あゆちゃんは往人さんを見つめたまま、往人さんは首を曲げたり肩をとんとんと叩いたりしながら、何てことは無い時間が過ぎていった。

 

「終わったよぉ」

それからしばらくすると、洗い物を終えた佳乃ちゃんがあゆちゃんへと近づいていった。

「ごちそうさまっ。ボクこんな朝ごはん食べたの、久しぶりだよっ」

「そうなんだぁ。あゆちゃんはいつもパンを食べてるんだねぇ」

「ううん。僕の朝ごはんは毎朝ご飯だよ」

「あれれぇ? じゃあ、何が久しぶりだったのかなぁ?」

「……あれ?」

佳乃ちゃんに言われて、あゆちゃんがはっとした表情を浮かべた。ほんの一瞬だったけど、僕はそれを見逃さなかった。

「……………………」

あゆちゃんはそのまましばらく口を開けていたけれど、やがてまた元の明るい表情に戻って、佳乃ちゃんにこう答えた。

「えっと、お味噌汁が久しぶりだったんだよっ」

「うんうん。朝は忙しいから、お味噌汁はちゃんと準備してないと飲めないもんねぇ」

佳乃ちゃんは納得したように頷いて、あゆちゃんの隣に立った。

「あっ……」

「どうしたのぉ?」

「もう、こんな時間……ボク、そろそろ帰るよ」

「それじゃあ、ぼくが近くまで送っていくよぉ」

あゆちゃんはそろそろ帰るみたいだ。静かに席を立って、佳乃ちゃんと一緒に歩いていく。

「おや? もう帰るのか?」

「うん。朝ごはん、ごちそうさまでした」

「うむ。またいつでも来たまえ」

「うんっ。聖先生、ありがとうっ」

元気よく頭を下げるあゆちゃんに、聖さんが腕組みをしながら口を開いた。

「そうだ月宮さん。言い忘れているが、最近この辺りを不審な人間がうろついているらしい。君もいざという時のために、何か武器を持っておくといいぞ」

「武器? 例えば、どんなのかな?」

「そうだな……私の勘だが、月宮さんには包丁など似合うと思うぞ。不審人物も君が包丁を持ち歩いていると知れば、うかつには近寄れまい」

「うぐぅ……それじゃ、ボクが不審人物だよ~……」

聖さんの飛ばし気味のギャグに、あゆちゃんはちょっと引き気味になっていた。

「……いや、本当に似合うと思ったんだがな……」

……聖さん的には、包丁装備はギャグではなかったらしい。

 

「楽しかったねぇ」

「うんっ。すっごく楽しかったよっ」

佳乃ちゃんはあゆちゃんと一緒に歩きながら、楽しそうにおしゃべりをしていた。僕はその後ろについて、二人の話をのんびりと聞いている。今日は日差しが高くて、いつもにも増して暑い。

「そう言えばあゆちゃん、ずっと往人君のことが気になってたみたいだけど、どうしたのかなぁ?」

「えっ?」

急に問われたあゆちゃんが、きょとんとした表情で聞き返す。聖さんは気付いていなかったみたいだけど、佳乃ちゃんはしっかり気付いていたみたいだ。ああ見えて佳乃ちゃんは何事もしっかり見ているタイプなのだ。

「えっと……」

「……………………?」

あゆちゃんが言葉を詰まらせる。僕にはあゆちゃんがそうする意味が今ひとつよく分からなかった。ただ単に往人さんが気になっていただけなら、素直にそう言えばいいのに……僕はそんなことを思いながら、佳乃ちゃんの隣に立ってあゆちゃんが口を開くのを待った。

「……えっと……」

「……………………」

「……勘違いかも知れないんだけど……」

あゆちゃんが話を切り出そうとした、まさにその時。

 

「こらーっ! かのりーんっ! そんなとこで何やってんだーっ!」

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。