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第六十四話「Fist of the North Star」

「……?」

突然自分の名前を呼ばれて、佳乃ちゃんが不思議そうな表情を浮かべて後ろを振り返った。僕は誰が佳乃ちゃんの名前を呼んだのか、おおよその見当が付いていた。

「みちるちゃん? ぼくに何か用かなぁ?」

振り返った佳乃ちゃんの目と、佳乃ちゃんの名前を呼んだ人の目とが交錯しあう。

「かのりーんっ! こんな朝早くから一体何やってんだーっ!」

「ふぇ? どういうことぉ?」

「とぼけるなーっ! その隣の女の子は誰だーっ!」

「誰って、あゆちゃんだよぉ」

「あ、そーだそーだ。この前木の上から落ちてきってちがーう! そういう意味で言ってるんじゃないーっ!」

「みちるちゃん、朝から元気だねぇ」

他人事のようにからからと笑う佳乃ちゃんに、みちるちゃんは歯がゆそうな表情を浮かべて(というか、実際に歯をはっきりとこちらに見せて)、うぬぬと佳乃ちゃんのように唸って見せた。

「んにゅにゅにゅ~……人をばかにするなーっ!」

「うぬぬ~。みちるちゃん、朝から様子がヘンだよぉ。ぼく、みちるちゃんに何かしたかなぁ?」

「んにー……みちるじゃなくて、みなぎに悪いことなのっ」

「遠野さんにぃ?」

佳乃ちゃんが首をかしげて、みちるちゃんに問う。みちるちゃんは怒り顔のまま勢いよく頷いて、顔を元の位置まで戻してから、改めて佳乃ちゃんに言う。

「そうだーっ! かのりんがほかの女の子と一緒にいたら、みなぎが悲しむだろーっ!」

「ぼくが遠野さん以外の女の子と一緒にいたら、遠野さんが悲しい思いをするの?」

「あっ……えーと……そ、それは……」

佳乃ちゃんに素で聞き返されて、今度は逆にみちるちゃんが答える番になった。僕は大体の背後関係が読めたので、とりあえずみちるちゃんの返答を待つことにした。佳乃ちゃんはまっすぐな目を向けて、同じくみちるちゃんの答えを待っている。

「にゃ、にゃはは……」

「……………………」

「……が、がお……」

どこかで聞いたことがあるような台詞を呟きながら、みちるちゃんが佳乃ちゃんの問いに答えあぐねている。佳乃ちゃんはみちるちゃんがどうして怒ってきたのか素で理解していないみたいだから、みちるちゃん的には非常にやりづらい状況なんだろうと、僕は思った。

と、その時。

「……ひょっとして、ボクがいたのがいけなかったのかな?」

今まで隣で放置されていたあゆちゃんが、ひょっこりと顔を出した。

「んにゅ……い、いけないってわけじゃないけど……」

「……うん。なんとなくだけど、ボクも分かったよ」

あゆちゃんは頷いて、佳乃ちゃんの背中をとんとんと叩いた。佳乃ちゃんが振り返って、あゆちゃんを見やる。

「霧島君っ、悪いけど、ちょっとだけ向こうに行っててくれないかな?」

「いいよぉ。お話が終わったら呼んでねぇ」

佳乃ちゃんは何の疑いもなくあゆちゃんの願いを聞き入れると、そのままとてとてと路地裏に歩いていってしまった。僕は二人の話が気になったので、バレないようにさりげなく影に入りながら、二人の話に耳を傾けた。

「みちるちゃん、だよね」

「んに。みちるは、みちるっていうんだぞー」

「ボクはあゆ。月宮あゆだよ。この前会った時は、ちゃんと挨拶できなかったからね」

「んに。じゃ、あゆあゆって呼んでもいいかー?」

「うぐぅ……あゆあゆじゃないもん……」

どうやら「あゆあゆ」には抵抗があるのか(そう言えば、前に祐一君に言われた時も同じような反応を見せていた気がする)、あゆちゃんが微妙に涙目になって拒否する。みちるちゃんは難しい顔をして、また別の名前の案を出した。

「んにゅー。じゃあ、『あゆやん』はどうだー?」

……何となく、「あゆあゆ」よりもさらにパワーダウンしているような気がしないでもない名前「あゆやん」。でもみちるちゃんは自信満々だ。これ以上の名前は無いといわんばかりに、踏ん反り返ってあゆちゃんを見ている。そして、対するあゆちゃんの反応はと言うと……

「……………………」

「んに? な、なんかダメだったかー……?」

僕があゆちゃんの姿を見た瞬間、その場の気温が軽く五度は下がったような気がした。先程までは毛ほども感じられなかった圧倒的な「気」が、あゆちゃんを中心に渦巻いているように見える。僕は何事かと内心驚きながら、あゆちゃんとみちるちゃんを視界に捉え続けた。

「……………………」

「にゃ、にゃはは……」

沈黙を守っていたあゆちゃんが、ゆっくりと口を開く。

「……まさかここまでとは思わなかったよ……」

「……にょが!?」

マズいことになったと気付いたみちるちゃんが、慌ててじたばたとその場を離れようとする。そして、みちるちゃんが一歩後ろへ身を引いた時……

(がしぃっ!)

……という効果音が聞こえてきそうなほど勢いよく、あゆちゃんがみちるちゃんの肩を掴んだ。

「ボクは嘘が大キライなんだ……」

「……にょ、にょわわわわわ……!」

「残念、だよ」

あゆちゃんの右手に何かが集中していくのが見えた気がした。僕はみちるちゃんが謎の断末魔(三文字から四文字くらいのもの)をあげながら無惨な肉塊と化すおぞましい光景を頭に思い浮かべながら、短い生涯を終えることになったみちるちゃんの冥福を今から祈っておくことにした。

「にょわあああああっ! やめれええええええっ! あゆーっ!」

みちるちゃんが最後の抵抗とばかりに声を上げた瞬間、あゆちゃんの動きがぴたりと止まった。

「そうだよっ。それでいいんだよっ」

「な、何が……?」

「ヘンなものをつけずに、普通に『あゆ』って呼んでくれればそれでいいんだよっ」

「……そ、そうなのかー……」

急に解放されたみちるちゃんが、へなへなとその場にへたり込む。とりあえず、みちるちゃんの寿命はもう少し延長されることとなったわけだ。

「それじゃ、本題に戻るねっ」

「んに? えっと……あ、うんうん」

名前騒動も一段落したので、あゆちゃんとみちるちゃんは本題に戻ることにしたみたいだ。

「今は霧島君がいないから、隠さずに言っちゃってもいいよね」

「んに。大丈夫だぞー」

「うん。それじゃ、言うけど……」

「……………………」

一呼吸置いてから、あゆちゃんがみちるちゃんに言う。

「遠野さんは、霧島君のことが好きなんだよね」

「……うん。みなぎは、かのりんのことが好きみたい……」

「うん。それはなんとなく分かったよ」

「……………………」

「みちるちゃんはそれを知ってたから、ボクと霧島君が一緒にいたのを見つけて、怒っちゃったんだよね」

みちるちゃんはあゆちゃんの言葉に小さく頷きながら、あゆちゃんの話をじっと聞いている。

「遠野さんは霧島君のことが好きで、みちるちゃんはそのことを知ってる」

「……………………」

「みちるちゃんは遠野さんの気持ちを霧島君に伝えたいけど、そうしたら、遠野さんが傷つくかも知れない」

「……………………」

「だからさっき、霧島君の質問に答えられなかったんだよね」

「……うん。みちるが言っちゃったら、ダメだよね……」

僕はあゆちゃんの話を聞きながら、ああ、あゆちゃんもちゃんと女の子なんだなあ、こういう細かいところに気付くのは、やっぱり女の子のほうが敏感なんだなあ、なんてことを考えていた。佳乃ちゃんは見た目や口調は女の子っぽいけど、考え方はちゃんとした男の子だから、こういうのにはどうしても疎くなっちゃうんだろう。

「みちるちゃん……ボクがさっき言った言葉、覚えてる?」

「んに? どのことだー?」

「えっと……『嘘は大キライだよ』っていうところだよ」

「……おー、そう言えばそんなことも言ってたっけ」

「うん。ボクはね、嘘を付かれるのが本当に嫌なんだよ。約束なんかも……あれ?」

「んに? あゆー、どうしたー?」

あゆちゃんが「約束」という言葉を口にした瞬間、何か一瞬不安げな表情を浮かべた。みちるちゃんはあゆちゃんが急にしゃべるのをやめてしまったことを不思議がって、あゆちゃんの顔を下からずずいと覗き込んでいる。

「約束……ボクの約束……」

「……あゆー。何かあったのかー?」

「……あっ……う、ううん。なんでもないよっ。ちょっと、思い出さなきゃいけないことがあっただけだよ」

「んに。それで、嘘がキライなのはわかったぞー」

「うん。それでね、ボクは嘘がキライだから、今から言うことは全部本当のことなんだよ」

あゆちゃんは長い前置きを終えてから、みちるちゃんにこれまでの経緯を話し始めた。

「ボクは今日の朝、近くを散歩してたんだよ」

「うんうん」

「それでね、霧島君に出会って、朝ごはんを一緒に食べたんだよ」

「うんうん」

「それで、霧島君に家の近くまで送ってもらうところだったんだよ」

「……それだけ?」

「うん。それだけだよ」

やけにあっさり言い切るあゆちゃんに、みちるちゃんが口をあんぐりと開けてぽかんとした表情を浮かべた。

「本当に、それだけなのかー?」

「うんっ。それだけだよ」

「……うにゅー。みちるの勘違いだった……」

みちるちゃんが頭をぽりぽりとかいて、恥ずかしそうに俯いた。みちるちゃんもちゃんと話せば分かる子だから、これ以上事態が複雑化してしまうことはないだろう。

「それじゃあ、霧島君を呼びに行こうね」

「んに。ずいぶん待たせちった」

二人は連れ立って歩くと、佳乃ちゃんが入った路地裏に並んで入っていった。

 

「霧島君っ。もういいよっ」

「にゃはは。かのりーん、どうしたんだー?」

「……………………」

佳乃ちゃんは路地裏に入ったすぐ近くに立っていた。光も満足に差し込まない路地裏で、佳乃ちゃんは佇んでいた。

……その時だった。

「……………………?」

寒気にも似た妙な感覚が、僕の体全体を撫で回すように駆け抜けた。僕はこの路地裏に、あまりいい感情を抱かなかった。いや、抱けなかった。

僕はこの路地裏で、何か恐ろしい目に遭った様な気がする。それもごくごく最近、いや、もしかすると二十四時間以内の出来事かも知れない。記憶を掘り返してみても、暗いばかりで何も……違う。これは記憶が曖昧になってるんじゃなくて、記憶の中にあるこの場所は暗かった。暗いこの路地裏で、僕は何かとても恐ろしい目に遭った。

僕がそんな事を考えていたときだった。

「かのりーん?」

「?」

みちるちゃんの呼びかけに、佳乃ちゃんがはっとしたようにこちらを向いた。両手を後ろにして、背中を路地裏の壁にぴったりとつけている。

「あっ、みちるちゃんにあゆちゃぁん。もうお話は終わったのかなぁ?」

「んに。あゆからちゃんと事情は説明してもらったぞ。みちるの勘違いだったー」

「霧島君にはボクがちゃんと説明しておいたよっ。もう安心だねっ」

佳乃ちゃんはうんうんと頷きながら、二人の話を聞いていた。

「よかったよぉ。みちるちゃんに勘違いされたままだったら、大変な目に遭っちゃうからねぇ」

「んにゅ。かのりんがそんなひどいことするわけないよなっ。にゃはははは」

「……って、言い忘れてたけど、かのりんて呼ぶのは禁止ーっ!」

「にゃはは。かのりんかのりん」

「こぉらぁーっ!」

佳乃ちゃんとみちるちゃんが、出会うたびに繰り広げているいつものやりとりを始めた、ちょうどその時だった。

 

「……では、『かのぴー』は如何でしょう……?」

 

ゆっくりとした足取りで、路地裏にもう一人、人が入りこんできた。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。