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S:0018 - "Rainy day #1/pt.2"

「……………………」

少年が立ち去ってから、樹の下でともえがぽつんと取り残される。遥かな空を見上げると、雨脚は先程に輪を掛けて強くなっているようだった。

「ここからアトリエまで五分くらいかぁ……濡れていくには、やっぱりちょっと厳しいかも……」

そう言いつつも、ともえは特に困った様子は見せていなかった。雨がかかっていない、乾いた地面へランドセルを下ろし、カギを開けて中を探る。

「……と、いうわけで」

左手でペンケースを掴み、奥に突っ込んでいた右手をそっと引き抜く。そこには……

「じゃーんっ! こういうときこそ、魔法の出番っ!」

朝、密かにランドセルに入れておいたマジックリアクターが、しっかりとつかまれていた。中央にはめ込まれた紅い宝石を一瞬確認してから、ともえが左腕にリアクターを装着する。腕時計のようなそれは、昨日と同様にともえの腕にぴったりとはまった。

「……よしっ!」

周囲に人気が無いことを確認し、ともえがリアクターにタッチする。

(きた……この感覚!)

白くあたたかな光があふれ出る。その中央にいるともえが、瞬く間に白く染まってゆく。シルエットだけが残されたかと思うと、やがてその微かな陰影も光の中に飲み込まれ、完全に姿を失った。

「……………………」

――そして。

 

「プリティ♪ ウィッチィ♪ ともえっち♪」

 

ともえは一瞬のうちに、真緑の見習い服へと着替え終わった。光が収束し、ともえの姿がはっきりと現れる。

「……っと、変身完了っ!」

二度目の変身も、ともえは無事に終えることができた。

「それにしても、例の決め台詞……なんだか知らないけど、勝手に出てくるんだよね……」

変身が終わった後、ともえは少しばかり不思議そうな表情をしつつ、小首を傾げた。傍から見ているとノリノリで言っているようにも見えるのだが、本人はあくまで無意識のうちに言っているようである。

「ま、それはともかく! 濡れずに済むようにしなきゃねっ」

気持ちを切り替え、ともえはマジックリアクターの宝石を再度タッチする。何も無い虚空から、不意にリリカルバトンが現れた。

「こうしてしまっておけるのって、結構便利かも」

リリカルバトンは、普段リアクターの中に格納する形となっているようだ。リアン曰く「地球で最近研究が進んでいる『物体をデジタル符号化する技術』に近いもの」らしい。昨日、帰る間際に聞かされたことだった。

「よーしっ! 準備完了っ!」

見習い服へ着替え、リリカルバトンを構える。準備は万端だ。ともえは右手に意識を集中させ、呼吸のテンポを徐々に遅くしていく。

「すーっ……はーっ……」

力を抜き、目をつぶり、呼吸を整える。大きく息を吸い、緩慢な動作で吐き出す。体の中に残留する雑念や懸念を、空気と共に押し出すイメージを描く。ともえの躰が、少しずつ、純粋になってゆく。

(大丈夫……必ず、うまくいく……)

雑念を排した躰の中から、魔力が静かに沸き立ってくる。最初、微かな波でしかなかったそれが、瞬く間に大きなうねりへ移ろう。凛とした表情のともえが、閉じていた目を見開いた。

 

「……アクティベート・マイ・ドリーム! 傘よ出てきて!」

 

一点の曇りも無い澄み切った心持ちで、ともえが魔法の呪文を唱えた。

「……!」

ともえの眼前に、何かが落ちてくるのが見えた。自由落下したそれは、どさり、という乾いた音と共に地面へ投げ出される。ともえは屈みこみ、落ちてきたものを拾い上げる。

「わっ……! やった……! うまくいったよ……!」

ともえが手にしていたのは、間違いなく傘であった。無地紺色装飾無しの、ごく一般的な、普通の傘であった。自分の願いどおり傘を出せた事に、ともえは喜びの声を上げた。

「……あ。でもこれ、大人用かも……」

……のだが、出てきたのはいささか大きな傘だった。両手で持ってみると、この前東新開駅に隆史を迎えに行ったときに持っていった、大人用の傘とほぼ同じ大きさだった。

「うーん……ホントは、もうちょっと小さいほうがよかったんだけど……」

苦笑いを浮かべつつ、ともえが傘を眺める。幼い少女であるともえが使うには、少々サイズオーバー気味なのは否めないところだった。完全に思った通りの仕様のものを出せるとまでは、まだまだ及ばないようである。

「でも、ちゃんと傘として使えるし、だいじょぶだいじょぶ!」

しかし、ともえは気落ちすることなく、あくまで前向きに考える。実際、出てきたものは紛れもなく傘であった。差してみると、穴が開いていたり、骨が折れていたりするところなど一つも無い。ぴんと力強く張られた布は雨をやすやすと弾き、ともえを強まる一方の雨から守り抜いてくれそうだ。

「よしっ! アトリエに行こうっと!」

ともえは一旦変身を解いて、地べたに置いていたランドセルを背負いなおす。魔法で出現させた大きな傘を構えて、雨宿りをさせてもらった樹から一歩踏み出し、リアンが待っているアトリエへ歩き始めた。

「……………………」

 

折り畳み傘から魔法の傘に持ち替え、しばらく歩いているうちに。

「……大きすぎるかなー、って思っちゃったけど……」

本降りになった雨を眺めながら、ともえが一人呟く。

「この雨だと、ちょっと大きいくらいがちょうどよかったりして……」

雨を見事に弾き飛ばし、飛沫にすら濡れなくなっている自分に気付き、ともえはなんとなく、得した気持ちになるのだった。

 

――アトリエ・セルリアン。

「リアンさーんっ! こんにちはーっ!」

「はーい。今出ま~す」

ともえがドア越しに呼びかけると、リアンの声が返ってきた。少しもしないうちに、アトリエの扉が開かれる。

「おお、ともえちゃん! 今日も来てくれたのね!」

「はい! 学校帰りに、そのまま来ちゃいました!」

「うむ! 寄り道は女の子のたしなみ! 大変よろしい!」

リアンはにっこり微笑んで、ともえをアトリエへと招き入れた。ともえは傘を閉じ、ぱたぱたと水を切る。十分に水を切ってから、入り口にあった傘立てへとそっと立てかけた。

「それにしても、今日はひっどい雨ね……ともえちゃん、体濡れちゃったでしょ。風邪引かないように、しっかり拭いたほうがいいわ」

ともえが傘を片付けている横で、リアンは指をぱちんと弾き、ふわふわのタオルを一枚出してやった。ありがとうございます、とお礼を言い、ともえがタオルを受け取った。

「……あら? ともえちゃんって、随分シックでごつい傘を使うのねー」

「あっ、これなんですけど……」

リアンの視線が、ともえが立てかけた傘へと向かう。ともえはリアンから受け取ったタオルを使って夢中で顔や頭を拭いながら、道中の出来事を話し始めた。

「帰る途中に、傘を忘れて困ってる男の子がいて、その子にわたしの傘を貸してあげたんです」

「傘を? でも、傘ならここに……」

「はい。傘を貸してあげた後、今度はわたしが濡れちゃわないように……」

ともえがそこまで言った段階で、リアンはともえの左腕に、マジックリアクターが装着されている事に気が付く。

「……合点がいったわ。これ、ともえちゃんが魔法で出したのね!」

笑顔を浮かべて、ともえが首を大きく縦に振る。リアンはにわかに頬をほころばせて、ともえが傘立てに立てた傘を手に取る。

「おぉ……! んー、やっぱりすごいわ、ともえちゃん。こんなにしっかりしたもの、見習いになって一日二日でぽんぽんぽんぽん出せるようになるものじゃないわよ」

「えへへ……わたしを褒めても、何も出ませんよっ」

「なーにをおっしゃるやら! こんなにすごいものを目の前で見せてもらってる、あたしにとっては、それだけでももう十分すぎるわ。ともえちゃん、さすがっ」

すっかり雨を拭ったともえの頭を、興奮気味のリアンが撫でてやる。ともえはうれしそうにぴんと背筋を伸ばして、無垢な笑顔を見せた。

「ホントは、普段使ってるような、小さくて可愛い傘を出そうと思ったんですけど……」

「気にしない気にしない。細かいデザインなんて、ほんの誤差みたいなものよ。それにこの酷い雨じゃ、これくらいでかい傘のほうがいいっていいって」

「はい。わたしもここに来る途中に、同じことを考えてましたっ」

二人は互いに笑いあって、ともえの魔法が成功した喜びを分かち合う。

「まーでも、自分の傘を貸してあげて、その後で自分用の傘を魔法で出すって、なんだかともえちゃんらしいわね」

「そうですか?」

リアンに言われて、ともえがきょとんとした表情を向ける。

「そうね……あたしだと、魔法で傘を出して、それを渡しちゃうと思うわ」

「あっ、そう言われてみると、そっちの方が……」

言いかけたともえを見ながら、リアンが首を横に振る。

「ううん。でもそれだと、ともえちゃんは魔女見習いに変身する場所を探して、それから変身して、呪文を唱えて、傘を出さなきゃいけない……その間、その男の子は寒さに震えなきゃいけない」

「……………………」

「でも、ともえちゃんはそれをすっ飛ばして、自分の傘をぴしっと貸してあげた。男の子はそれで、すぐに帰れるようになった」

「……!」

「助けてあげたいと思った人に、一番喜ぶような事をしてあげる」

「……………………」

「それって、とても素敵なことじゃないかしら?」

知らず知らずのうちにしていた事が、実は最善の選択肢だった――リアンの言葉には、そんなリアンの想いが込められていた。

「あたしは、ともえちゃんの選択は最高だと思うわ」

「そんな……わたしはただ、夢中で……」

「無意識のうちにそれができるなら、尚更最高よ」

リアンはともえの背中に腕を回し、しっかりと抱きしめる。ともえはリアンに身を任せ、そっと目を閉じた。

「ともえちゃん……あたし、ともえちゃんに惚れ直しちゃった」

「リアンさん……」

師匠の胸の中で、少女が安らかな表情を浮かべる。二人にとって、至福の瞬間だった。

「その真っ直ぐな志……どうかいつまでも、忘れないでちょうだいね」

「……はいっ。このあったかい気持ち……絶対に、忘れはしません」

背中を軽く、優しく叩き、リアンがともえから少しばかり離れる。

「あー、あと、出てきた傘がすっげぇ質実剛健な傘だったのも、なんとなくともえちゃんっぽいわね」

「あうぅ……それはちょっと、あんまりうれしくないかも……」

そう言いつつも、ともえの笑顔が途切れる事は無いのだった。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。