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第八十四話「Chatting Time #1」

「へぇー。アロマセラピーにはまってるんだぁ」

「そうなんですよー。最近、いろいろとストレスがあるみたいなんです」

「確かに、アロマセラピーにはストレスの解消効果があるって聞くが……」

部長さんの話が終わると、先ほどまでの静けさが嘘のように、あちこちで雑談と談笑が始まった。小さなグループがたくさんできて、それぞれ思い思いの事柄について話し合っている。お互いの声があちこちで折り重なって、ひっきりなしに聞こえてくる。

「そのシーン、どのタイミングで音を鳴らせばいいのかな?」

「えっと……その直前に部長が手を叩きますから、それを合図にしてください」

「なるほどね。そのシーンに入る前の最後の台詞は、ことみちゃんが言うんだったよね」

「うん。終盤の、大事な台詞」

このグループでは、演劇部らしく演劇について話していた。ある意味もっとも演劇部らしい、真面目な話し合いだった。

別の場所を見てみよう。僕はそう思い、窓側に目を向けた。

「まさか、本当に入部するとはな……驚いたぞ」

「ああ。まさか私も、あのことがきっかけになるとは思っていなかった」

「まぁな。それは俺も思う」

今日晴れて部員となった七夜さんは、「あのこと」があった一昨日、その場に居合わせた北川君と談笑している。二人にとって「七夜さんが演劇部に入部した」ということは、形はそれぞれ違えど、互いに大きな驚きをもたらす出来事だったのだろう。

僕はまた視線を変えて、別のグループの会話に耳を傾けた。

「夏休みの旅行計画、順調に進んでるのかな?」

「そうですね。概ねのところは決まっています。後は全員の日程調整と、それに応じた予定の軽微な変更くらいです」

『天野さん、頼りになるの』

「ほとんど任せっきりにしちゃって、ごめんなさいです」

「いえ、私が言い始めたことですから、お気になさらず。それより、伊吹さんはどうしました?」

「えっと……あっ、向こうで先輩と話してるよ」

このグループは、夏休みに旅行に出かけるみたいだ。いるのは……みんな、一年生の人ばかり。どうやら一年生の人たちだけで、どこかに旅行しに行くみたいだ。そう言えば昨日、診療所を訪れた栞ちゃんが、旅行の話をしていたっけ。

僕の視線は、また別のグループに興味を向ける。

「ねぇ部長っ。今日の夜対戦しない?」

「いいわよ。この前は負け越したけど、今日は手加減なしで行くわ。覚悟してなさい」

「にっしっし。賢者の石の恐ろしさ、部長にトラウマになるくらい焼き付けてやるわよっ」

「甘いわね。それはもう対策済みよ。ま、せいぜいクラッシュしないように立ち回ることね」

楽しそうにおしゃべりをしているのは、川口さんと深山さんだ。何で対戦するのかは僕には分からないけれど、夜な夜な二人で画面に向かって、遠くの相手と火花を散らしあっているのは分かる。強さはほとんど互角みたいだ。

僕の興味は移ろいやすい。別のところから飛び込んできた会話に、僕の興味が吸い寄せられた。

「っていうか佳乃。先輩に『ちゃん』付けは無いだろ」

「むむむ? ひょっとして、舞ちゃんと佐祐理ちゃんのことかなぁ?」

「そうだそうだ」

話していたのは、岡崎君と佳乃ちゃんだった。そういえば、僕も少し引っかかっていた。佳乃ちゃんは舞さんと佐祐理さんのことを「舞ちゃん」「佐祐理ちゃん」と呼んでいた。先輩後輩の間柄で使う呼称にしては、あまりにも不似合いなものに思えた。

しかし、その答えは。

「えっとですねー、実は佐祐理と霧島さんは、小さい頃からの知り合い同士なんですよー」

「……本当なのか?」

「そうだよぉ。三人で一緒によく遊んだんだぁ」

「……意外すぎる取り合わせだ……」

当の本人から、あっさりと告げられた。どうやら――僕がまだ佳乃ちゃんと出会う前に――佳乃ちゃんと佐祐理さん、それから舞さんは、いわゆる「幼なじみ」同士だったらしい。岡崎君の言うとおり、確かに意外な取り合わせだと思った。

と、僕がここまで考えたとき、

「そう言えば、舞ちゃんはどうしたのぉ?」

「ふぇ? あれー? 舞ー、どこ行ったのー?」

幼なじみ三人組(佳乃ちゃん談)の一角を担っているはずの舞さんの姿が見あたらないことに気がついた。二人して辺りを見回して、いなくなった舞さんの姿を探す。岡崎君もそれに倣って、ゆっくりとだだっ広い部室の中で視線を動かしていく。

……すると。

「あれじゃないか? 川澄先輩」

「むむむ?」

岡崎君が指さす先では、ちょっと変わった光景が繰り広げられていた。

「……………………」

そこにいたのは川澄さんと、

「……………………」

小さな彫り物を胸に抱えた、一年生のあの子だった。二人は互いをじーっと見据えたまま、その場からちっとも動こうとしない。どちらの視線も本当の意味で相手を見つめるといった具合の視線で、端から見るとかなり不思議な光景だった。

「……ぴこぴこ」

僕はおもしろくなって、二人の会話が聞こえそうなところまでとことこと歩いていく。僕が近づいてもそのまましばらく、二人はお見合いを続けていたのだけれども。

「あのっ」

「……?」

先に切り出したのは、風子ちゃんの方だった。一歩前に出て、しっかりとした目で舞さんのことを見つめている。舞さんは小首を傾げて、風子ちゃんのことを見つめている。

「これ、受け取ってください」

「……これは……?」

風子ちゃんはいつものように、星形――あくまでも「星形」であって、それは「星」では無いけれど――の彫り物をさっと差し出した。舞さんはそれを恐る恐る受け取って、しげしげと興味深げに見つめている。

「風子からのプレゼントです。どうぞ大切にしてあげてください」

「……………………」

こくこくと頷きながらも、舞さんの興味は彫り物に向けられているみたいだった。裏から横から後ろから、手にした彫り物を見つめている。

「これは……」

「……………………」

「かわいい……」

「……………………」

「……ヒトデさん」

「……!」

そう言ったとき、風子ちゃんの瞳が輝くのが見えた。舞さんの反応が、よっぽど嬉しかったみたいだ。

「分かりますかっ」

「……(こくこく)」

「ヒトデですよねっ」

「……(こくこく)」

「星じゃなくて、ヒトデに見えますかっ」

「……(こくこく)」

興奮気味の風子ちゃんの問いかけに、舞さんは一つ一つ律儀に頷いて返した。

「素晴らしい感性の持ち主ですっ。風子とお友達になってくれますかっ」

「……(こくこく)」

「ありがとうございます。ヒトデのこと、大切にしてあげてください」

「……ありがとう。大事にする……」

口元に微かに笑みを浮かべて、舞さんがその手を風子ちゃんに差し出した。風子ちゃんは迷わずその手を取って、傍目から見ても分かるくらい強く強く握り返した。

「あの二人、楽しそうだねぇ」

「なんて言うか、ある意味近いものがあるのかも知れないな……」

「あははーっ。そうかも知れませんねー」

ぶんぶんと大きく腕を振って握手を続ける二人の姿を、佳乃ちゃんたちはほほえましそうに見つめていた。

……と、僕が少し和んでいたときのことだった。

「夏風邪?」

「ああ。長森の母親も引いたって聞いたぞ」

「本当なのか? 俺は真琴の勤めてる保育園で五人くらい夏風邪で倒れたって聞いたぞ」

「えぇっ?! 五人も倒れちゃったんだ……なんだか、大変そうだね」

ある一角で、今までいろいろなところで耳にしてきた「夏風邪」の話が始まっていた。僕はすぐにそれに気づいて、そのグループへと近づく。

「ねえお姉ちゃん。確か、河原崎さんのところも……」

「そうね。それが理由で、朋也を雇うことになったらしいし」

「相沢、他に誰か知り合いで夏風邪に罹ったやつはいないか?」

「いるぞ。天野の母親もそうだ。それに……」

「……残念ながら、あたしも風邪気味よ」

「香里も? なんだか風邪引きばっかりじゃない」

怪訝な顔つきで、藤林さんが美坂さんを見やった。この様子だと、恐らくこのときになって初めて、この町で夏風邪が不気味なくらい流行していることを知ったのだろう。藤林さんの反応も、無理のないことだと思った。

「とりあえず、ちゃっちゃと風邪を治しちゃってちょうだいよ。ほら、文化祭公演までそんなに時間無いし」

「分かってるわ。二、三日もすれば治るはずよ。これはただの『風邪』だもの」

「ま、それもそうね」

それくらいで、このグループの話は終わってしまった。僕はまた誰にも気づかれないままその一団に背を向けて、僕の興味を引くものを探して歩き始めた。

けれども、すぐにその歩みは止まる。

「……………………」

これだけの人数だ。僕の興味を引くものなんて、数え切れないほどあって当然だった。僕はすぐに足を止めて、僕の小さな目と耳に、すべての神経を集中させた。

「……………………」

僕の視線の先にいた人物は一点を凝視したまま、ぴくりともそれを動かそうとはしない。瞬きさえ忘れてしまったかのごとく、その瞳はある一点を見つめること、それだけのために存在しているように見えた。

「……ねえ澪ちゃん。栞ちゃん、どうかしちゃったの?」

『ずっと、向こうの方を見つめてるの』

「あちらにいるのは……霧島先輩と、岡崎先輩でしょうか」

僕はその会話から、すべての状況を読み取ることができた。「誰が」「何を」「どのように」見つめているか、そして、その「見つめる」という行動にどのような意味が込められているか。すべてがそこに詰まっていた。

「あっ……朋也先輩、向こうに行っちゃったよ」

『でも、やっぱり変わらないの』

「……と、なると……」

三人にも状況が飲み込めたらしい。一様に栞ちゃんに視線を送った後、あたかも示し合わせたかのごとく、栞ちゃんの見つめる先へと目線を向ける。

「……なるほど、ね」

『なるほど、なの』

「……なるほど、ですね」

その口元に、揃って微かな笑みがこぼれるまでは……

「これは面白くなりそうだよっ」

「あまり人の色恋沙汰に口出しをするのは好ましくないとは思っていますが……興味がないといえば、嘘になりますね」

『素直になるの』

……そう、時間はかからなかった。

佳乃ちゃんを巡る人間模様が、ますます――それは、絶対に関わり合うことがない僕の立場から見た、幾分ひどい感想だったけれども――面白くなってきた。これから先一体どうなるのか、僕にはまるで見当もつかなかった。ならばせめて、その行く末を見てみよう。佳乃ちゃんを主に持つ、一匹の犬として……

……僕がそうやって、高見の見物を決め込んでいたときだった。

 

「――!?」

 

背筋に刹那、薄ら寒い感覚が走るのを感じた。反射的に後ろを振り向き、背骨を駆け抜けた不気味な感触の源を探ろうとする。

「……………………」

けれども、探る必要はなかった。背を向けるだけで、それは十分過ぎるほど伝わってきた。明確すぎる敵意と攻撃性が、そこからあふれ出ていた。押さえきれない感情が、目に見えるほどくっきりと浮かび上がっていた。

「え、えっと……」

「……………………」

その瞳は仇敵を射抜くかのごとく、冷たい鋭さに満ちていた。誰一人として近づくことを許さない、本能的な恐怖を呼び覚ます視線。それはあたかも矢のように――否。その鋭さは「矢」のような瞬間的なものではない。もっと永続的、かつ、攻撃的。

そう。

「川澄先輩……?」

「……………………」

その人物が手にした、あの剣のごとき鋭さ。

「ど、どうしましたっ。な、何かとんでもないものを見つけちゃいましたかっ」

「……なんでもない」

僕が視線を追いかけようとしたときにはもう、その瞳からは何もかもが消えていた。

 

僕の心に、霧のようなもやもやだけを残して。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。